コメの小売価格を抑制するとして農林水産大臣の小泉進次郎が政府の備蓄米をせっせと市場に放出したことで、残りの備蓄米はおよそ10万㌧にまで目減りした。政府の米蔵はすっからかんである。もともと国内需要に対してそれ自体が少ない2カ月分にも満たない90万~100万㌧を抱えているとされていた政府備蓄米だが、江藤前農相のもとで30万㌧、引き継いだ小泉進次郎のもとで50万㌧の計80万㌧をはき出し、残りはわずか10万㌧。何か事あれば、放出する備蓄米はゼロにもなりかねない危険な領域といえる。備えが心許ないのだ。
古米、古古米、古古古米からついには古古古古米と、ニュースではアナウンサーたちが朝からニワトリかと思うほど「ココ」「ココ」いっている。そのように毎年の政府買い取りによって積み上げてきた備蓄米であり、残り10万㌧まで減ったからといって今年産米でいっきに80万㌧を追加できるほど国内の生産力に余力などない。店頭からコメが消え、なおかつ1年前の2倍という価格に世間が騒然とするなかで慌てて80万㌧を放出したものの、供給量の確保すなわち農家の生産拡大のためには昨年から何一つ手が打たれていないなかで生産量が増えるわけなどなく、来年もまたコメ不足になることは必至である。その場合に残り10万㌧の備蓄米では足りるわけがないのは明らかで、むしろ来年はいったいどうするんだよ! と今から心配になってしまう。
目先のコメ不足は80万㌧で誤魔化したとして、将来的な見通しはいったいどうなっているのか? である。有事や天災、長雨やウンカの大量発生といった要因による不作に見舞われたり、世界的な食料危機やコロナの時のような物流機能の麻痺等々が起こったならば、主食のコメはたちまち足らなくなり手に入れる術などない。一方で目下、関税交渉でコメの輸入自由化を狙っている米国からすると、こうした日本のコメ不足騒動はもっけの幸いで、「足りないなら米国が助けてあげましょう」の体で救世主のようにあらわれ、「ポストハーベストがぶっかけられたカルローズ米でも食べておけ!」というのが本音なのだろう。余剰生産物のはけ口として――。そして、安価な輸入米がますます米価低迷のアンカーとして役割を果たし、国内のコメ農家を淘汰していく流れにもなりかねない。目先の五㎏米が何千円台か以上に、国内の農業政策はどうあるべきかを根本から考え直さなければならない局面である。
農林水産省が把握しているとしてきた需要量、供給量というのがまるで当てにならず、「どこかにある」と卸を悪玉にしたり、JAを悪玉にしたりしてきたが、「ある」と思い込んでいたコメがどこにもないし、足りていない。今回のコメ不足の要因は、基本的には食管法が廃止されて以後、市場原理に委ねた無政府的な状態が浸透し、歴代政府が減反政策をやりまくったことにある。国民の胃袋を満たす役割を任されているにしては、あまりにも無責任な農政だったことを露呈している。そして農家の平均年齢は70歳近くまで上がり、今後はますます離農に拍車がかかる趨勢にある。
この1、2年、「コメが足りない」と大騒ぎしてきたが、重要なのは「足りない!」と救急車のようにサイレンを鳴らしてまわるだけでなく、ならばどうするか? を考え、具体的にあるがままの事態を捉えて策を打つことである。足りないなら生産力を増大させるほかないし、そのために農家が安心してコメ生産に励めるような安定した米価を政府が保障し、さらに若い農家を育成していくための政策を繰り出すほかない。高い農機具の購入への支援等々も不可欠である。食料の安定供給を守るために、不安定な状態を解決する必要がある。目先の米価を抑制するために備蓄米を放出するなど一過性のものに過ぎず(残り10万㌧なので来年は使えない手)、小泉進次郎が参院選前にヒーロー気取りをしているだけというのでは話にならないのだ。来年以後の生産力増大に向けて早急に体制をとるべきで、こうした事態にたいして不真面目な政府ということであれば退場させるほかない。
田園風景が広がる中山間地を車で走っていると、水がはられ稲が植えられた田んぼのかたわらで、減反によって休耕田と化した農地もまま見かける。農家にとって本来ならフル活用したいであろう大切な一枚一枚の田んぼである。生産とは発展的に生み出す営みであり、これを「生み出すな」といって抑制してきた政策からの大転換が待ったなしとなっている。
武蔵坊五郎

















