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アメリカはなぜベネズエラを嫌うのか――ボリバル革命とコムーナ 東京外国語大学名誉教授 西谷修

(2025年11月3日付掲載)

ベネズエラ全土で形成される住民自治の共同体「コムーナ」(2024年4月)

 南米ベネズエラに対するアメリカの軍事圧力が増すなか、明治学院大学白金キャンパス(東京都港区)で10月22日、同学国際平和研究所(PRIME)による公開研究会「ベネズエラ情勢とコムーナ(共同体):国家による戦争の時代に地域共同体はいかなる意味を持つのか」がおこなわれた。会では、駐日ベネズエラ大使のセイコウ・イシカワ氏がカリブ海でのアメリカの軍事行動の実態やベネズエラ現地の状況を報告【本紙既報】し、東京外国語大学名誉教授の西谷修氏が「アメリカはなぜベネズエラを嫌うのか――ボリバル革命とコムーナ」と題して講演した。本号では、西谷修氏の講演内容(西谷氏から補足説明を聞きとり再構成したもの)を掲載する。

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西谷修氏

 日本では高市首相が、客のはずであるトランプに米軍最大級の空母に乗せてもらって「最強の日米同盟で世界のてっぺんで輝く!」「トランプにノーベル平和賞を」とのぼせ上がっているとき、中米カリブ海では、トランプ政権が軍艦や空母を派遣し、ベネズエラのマドゥロ大統領に麻薬密売関与という根も葉もない疑いをかけ、ベネズエラ沖を通過する漁船を次々と攻撃して戦争をけしかけている。マドゥロ大統領逮捕に繋がる情報提供者には74億円という法外な懸賞金までかけている。これは戦争ではなく、一方的な軍事攻撃であり、主権侵害であると近隣のキューバ、コロンビアからブラジル、メキシコまでのラテンアメリカ諸国は一斉に抗議している。

 

 ところが、日本を含む「西側」メディアは、中南米の歴史や現在の社会状況をまったく無視、あるいは真逆の報道を垂れ流し、ベネズエラの正当な主張を「独裁国家のプロパガンダ」と見なしてトランプの国際法違反の軍事介入を幇助している。そして、その「西側」の価値観を体現するかのようにノーベル平和委員会は、ベネズエラ国内でアメリカの軍事介入を手招きしてきた野党指導者マチャドに平和賞を与え、ますます世界を混乱させている。

 

 ワシントンによるベネズエラ政権転覆工作の代理人として知られるマチャドへのノーベル平和賞授与には、マルコ・ルビオ米国務長官の強力な後押しがあったといわれるが、そのこと自体がカリブ海でのアメリカの軍事行動の目的をおのずと暴露している。この西側の価値観は、同じ賞を被団協に与えながら、このような人物も顕揚し、そのことによってトランプの戦争に正当性を与えようとする。

 

 西側メディア、世論、権威筋を体現するアメリカが、今、ベネズエラで何を潰そうとしているのか――。それを知るためには、まずチャベス以降のベネズエラがどのような社会改革を進めてきたかを知らなければならない。

 

 セイコウ・イシカワ駐日ベネズエラ大使の話【本紙既報】にもあったように、ベネズエラ国内で生まれている何千、何万ものコムーナ(地域共同体)は、新自由主義的な社会経済システムに頼ってGDPの向上だけを目標に置くような政治ではなく、それぞれの地域で日常的、具体的な繋がりのなかで自分たちの生活を自分たちでつくっていく、そうでなければ国の政治など始まらないと考える人たちの共同体だ。

 

 共同体というと私たちは近代以前の原始的なものを思い浮かべるものかもしれないが、そうではない。経済成長、技術革新、イノベーションという「挽き臼(うす)」にかけられ、強者のブルドーザーによって破壊された世界で、そこで生きる仲間たちと相互に支え合い、弱った人にはわずかな糧を分け合って生きていく「共同体」を元にしながら、この現代社会で人間関係をつくりかえていこうという動きが、ベネズエラのコムーナの根本にある。

 

ベネズエラの社会改革 「ボリバル革命」とは

 

ベネズエラ大統領就任後、観衆に向かって演説するウゴ・チャベス(2000年7月、カラカス)

 「アメリカの裏庭」と呼ばれ、欧米の植民地支配を受けてきたベネズエラをはじめとする中南米諸国は、1980年代に世界にさきがけて新自由主義理論にもとづく改革が持ち込まれた。

 

 ベネズエラでは、20世紀に入って世界最大の埋蔵量を誇る石油が国家経済の根幹になるが、この石油利権をアメリカの石油メジャーと国内の一部の寡頭支配層(富裕層や労組)が独占していた。こうなると国にどれだけの恵みがあっても人々はそれに預かることができない。

 

 こういう経済構造を今は「ネオリベラリズム(新自由主義)」という。富は「持つ者」のところにしか流れていかず、「持たない者」はどんどん失っていき、その結果は「自己責任」とされる。持つ者たちは「われわれには統治する責任がある」といって政治の実権を握り、さらに社会の富を吸収していく。こうなると国は「ガレー船」になる。

 

 ガレー船とは、古代の地中海で海運や戦争に使われた船舶で、これを動かすために船底に鎖で縛り付けられて一生オールを漕ぎ続けるだけの奴隷が生まれる。技術が進歩し、船が大きくなると、オールの漕ぎ手座は二段、三段に重なり、奴隷の数は増え、上階では司令官たちが宴を開いて楽しくやっている――という構造だ。つまり、新自由主義が進むと、どの国も「ガレー船」構造になる。固定化された貧困層がどんどん増え、一部にだけ富が溜まっていく。

 

 20世紀以降のベネズエラでは、石油の利益で国は「繁栄」するものの、この構造では生きられない人たちが大勢出てくる。農村ではまず生きていけず、仕事を求めて200万人もの貧民が首都カラカスに押し寄せる。カラカスは「南米のパリ」といわれるほど栄えていたが、農村から押し寄せた人たちは日雇い仕事があればいいという感じで捨て置かれ、郊外には「バリオ」と呼ばれる貧民スラムがどんどんできる。

 

 特権化した当時の政権がアメリカと結んで、「小さな政府」政策の緊縮財政によるリストラ、民営化、規制緩和などの新自由主義的な経済政策を導入し、富裕層と大規模労働組合(CTV)だけが恩恵を享受するという社会構造に対して、1989年には「カラカス暴動」(軍の鎮圧で死者数千人)が起き、90年代に入っても国内で不満がくすぶり続けた。

 

 チャベスは、田舎から出てきて軍に入った青年将校だったが、この社会構造はおかしいという志に燃え、1992年に一度反乱を起こして失敗して投獄される。武力によるクーデターでは無理だと悟り、1999年の大統領選に出馬して圧勝する。当時は二大政党制で、チャベスはそのどちらにも属さなかったが、貧者のために反乱を起こした実績があったため、貧しい人々は圧倒的にチャベスを支持した。

 

 チャベスの改革はさまざまな分野に及ぶが、その中核として、これまで特権階級が独占していた石油公社「PDVSA(ペデベーサ)」の改革をやり、石油の利益が国民みんなに還元されるような回路をつくろうとする。だが、それにより既得権益や政治的な力を奪われる支配層は抵抗する。アメリカにとっても、ベネズエラの石油が自由にできないことは世界戦略上も大きな打撃だ。だからアメリカは、ベネズエラに経済制裁を科すとともに、国内の既得権益層や労組などに資金や手段を与えてチャベスに徹底的に対抗する。大規模なストライキを頻発させたり、石油公社の施設を破壊させたりして、国を麻痺させようとした。

 

2002年4月、CIAなどが仕掛けたクーデターで軍がチャベス大統領を監禁したことに対し、カラカスのバリオの住民たち200万人がチャベスの解放を求めてデモをくり広げた

 2002年、CIA(米中央情報局)と国内の反チャベス派が軍の一部を使ってクーデターを仕掛ける。チャベスは拉致され、カリブ海の孤島に監禁される。反チャベス派は、経済界のトップを暫定大統領に据え、クーデターは成功したかに思われたが、このときカラカスの山裾にへばりつくように生活していたバリオの200万人もの人々が続々と街に降りてきて、大統領府に向かって「チャベスを返せ! チャベスを返せ!」の大合唱をする。国軍はこれを鎮圧できず、チャベスを解放し、クーデターは失敗する。わずか3日間の出来事だった。

 アメリカなどの西側のメディアは、このクーデターを「民主派の運動が独裁政権を倒した」「ベネズエラに民主主義が回復しつつある」と報じた。まるで逆さまの世界だが、このような情報操作が日常化し、訂正もせず今も続けている。西側メディアがそのように伝えるから、日本のメディアもほとんどそれに従う。だから日本にいると実際に何がおきているかは何もわからない。

 

 軍に解放されて大統領府に帰ってきたチャベスは、クーデターによって生まれた暫定政権の関係者を一挙に捕まえて死刑にするようなことはしなかった。そのかわりに「お前たち、こんなことをやっている暇があったら国のために働け!」といって放免する。その後もチャベスはいろんな政策を進めるにあたって信任投票や選挙をくり返し、暴力的なことは何もしなかった。だからこそベネズエラには野党勢力は今も残り続け、アメリカに支援されながら、あるいはアメリカにそそのかされながら、チャベスが築いた体制を破壊しようとする。

 

人々の共同体に権力を 広がった「コムーナ」

 

チャベス大統領㊧来日時に接見した西谷氏㊨(2009年4月、東京・帝国ホテル。西谷氏提供)

 チャベス大統領は2009年4月、訪中のついでに日本を訪れた。このとき私は、学術、芸術、社会運動などさまざまな分野の活動家と一緒にチャベスと懇談する機会を得た。このときだけでは時間が足りなかったので、同年8月、私たちはベネズエラ政府の招待でカラカスを訪問し、現地でシンポジウムや討論会、国営テレビにも出演したほか、街中を歩いてチャベス政権の下でおこなわれていた社会改革の一端を直接見聞した。

 

 そこで見聞きしたチャベスの政策でもっとも中心的なものは、都会のバリオ(スラム)で暮らす貧しい人々がまともな生活ができるようにすることだった。バリオで暮らす貧しい人たちは、学校にも行っていないから、歳をとっても自分の名前すら書けない人が多かった。チャベスは、その人たちがもう一度教育の機会を得られるように地域に学校をつくった。字を覚えた人たちは、これまで字が書けないことで自分がどれだけいいように搾り取られてきたかを自覚する。つまり、彼らにとって字が書けるようになることは自由獲得の第一歩だったのだ。

 

 また、キューバから2万人の医療団を招待して、これまでまったく医療が受けられなかった貧民たちが無料で診察や治療を受けられる体制をとった。こうして人々はようやく人並みの生活ができる環境を手にすることができた。

 

 また、農村では農地改革をやり、地主から搾取されていた小作農たちに土地を分け与え、コムーナの土地を自分たちで開墾して自活できるようにした。これにより人々はゴミ仕事を求めて都市に流入する必要がなくなる。自分たちで開墾や耕作の計画を立て、それをみんなで活用する方法を考える。それを集団でやるために託児所を作り、その延長で学校もつくる。そこへ政府がお金を出して、コムーナの形成を促進する。

 

 チャベスは「貧困を無くす唯一の方法は、貧者に施しをするということではなく、貧者に権力を与えることだ」という考えを信条としていた。「お上のおかげで豊かな生活ができる」という社会構造ではなく、バリオや村々が自分たちで生きる仕組みを作り、自立して生活していける共同体を形成する。そこに権力を持たせ、それを支えるために機能する国家を目指した。そのような改革をチャベスは「ボリバル革命」と呼んだ。

 

 イシカワ大使の講演でも、女性漁業者が「私たちは、国ではなく、私たち自身の汗と努力、そして偉大な勇気によってのみ故郷は築かれることを理解している」と発言したことが紹介されていたが、「上からの統治ではなく、みんなが自分たちでやっていく」「国を守るためではなく、この生活を守る」という意識が根付いている。皮肉にもアメリカの経済制裁と軍事介入という圧力のなかでこそ、このような社会変革が発展を遂げた。

 

 チャベス大統領が「ボリバル革命」としてやってきたことは、グローバル世界で「標準」として展開されている経済社会や、「イノベーション(技術革新)」というブルドーザーの暴力を跳ね返しながら、いかにして自分たちの生活を守るか、あるいは作り直していくかというものだ。だから、ベネズエラで起きていることは、世界史的なものといえる。チャベス自身も「革命」と呼び、コムーナの人たちも自分たち自身が世界を作り直していると自覚している。

 

 このような社会変革が起きていることを日本を含む西側世界はまったく無視する。むしろ、これを忌み嫌い、憎悪し、このような社会主義政策は旧ソ連や北朝鮮と同じ「暴君」「独裁」だというレッテルを貼って常に攻撃する。なぜなら、それが世界を支配してきた西側イデオロギーの存立を脅かし、その破綻を促すものだからだ。

 

日本ベネズエラ訪問団を迎えるカラカスのバリオ(スラム)の住民たち(2009年8月、西谷氏提供)

西洋の世界化と破たん アメリカと欧州

 

 私が「西側」というと、「西とか東とかいうのは偏っている」といわれる。もうそんな時代ではないという意味だ。しかし今、あちこちで戦争が起き、仕掛けられている。

 

 「国際秩序が脅かされている」「侵略者がいる」「そういう国に勝たせてはいけない」…そのために「戦わなければならない」という風潮が再び当たり前のようになってきた。だが、よく見るとそのような気配が蔓延しているのは、世界といってもG7をはじめとする「西側」世界だけだ。「西側(先進国)」とみなされない国々は、自分たちもさんざん迷惑を被ってきた強国の「侵略戦争」を批判するとしても、戦争の切迫に備えよという「西側」の主張に同調することを避けている。そこには、はっきりと違いがある。

 

 西側とは何か? 18世紀以降のほとんどの戦争は、西洋諸国が世界化していくとき、征服や利権争いで起きたものだ。あげくに西洋諸国はお互いに内部抗争をやって「世界戦争」になった。「第1次世界大戦」などというが、それは「第2次」が起きた後に歴史家が名付けただけで、そのときはただ「大戦争」といった。

 

 つまり、当時から「世界」とは西洋、厳密にいえば欧州のことだった。だが、欧州が破滅的な大戦争になり、いよいよ自壊してしまうという危機を迎え、欧州から離脱していたアメリカに助けを求め、アメリカが欧州(西側)に戻ってくる。それからは世界を戦争で管理する勢力(アメリカと欧州)が「西洋」となった。もともとは古代ローマ帝国の東西分裂で、西側をオクシデント、東側をオリエントと区分したことが発祥なのだが、世界共通語が英語になったことでWESTとなり、日本では「西側」と訳される。

 

 東西冷戦が終わると同時に、西側の原理はグローバルに広がることになり、日本でも「西側と価値を共有する」とかいうようになる。だが、もはや世界中が「西側」だから、西とか東とかいう必要はなくなってしまったというわけだ。

 

 世界中みんなが「西側メガネ」をかける。その西側メガネから見えるものが「普通」とされ、そのメガネを取ってそれぞれ自分たちの地域の目で見えてしまうものは「時代遅れ」「非文明」「第三世界」「社会主義」だとレッテルを貼られ、あげくの果てには「テロリスト」などといわれる。今回のカリブ海での軍事作戦でも、ベネズエラやコロンビアの大統領を「麻薬テロリスト」呼ばわりしている。

 

 だから、私なんかは「テロリストの味方か?」といわれる。こういう倒錯した構造を明らかにするために今年『戦争と西洋』(筑摩書房)という本を書いたのでご参照願いたい。

 

「西側」世界のジレンマ 私的所有欲の「解放」

 

『戦争と西洋』(筑摩書房)

 なぜ日本や西側諸国で、ベネズエラで本当に起きていることが伝わらないかといえば、西側の社会そのものが新自由主義的な形で社会を合理化・効率化しなければ没落するというジレンマに陥っているからだ。だから、それに抵抗するものは、テロリストか専制独裁体制であり、「自由がない」というレッテルを貼る。

 

 

 その自由とは何か? それは、外からやってきて「ここは俺たちのものだ」といって土地を囲い込んで「所有権」なるものを設定し、そこで暮らしている先住民を排除・殲滅することによって生まれた「自由の国」=アメリカの自由だ。

 

 そんなものがやって来る前から、先祖代々みんなが助け合って生活し、そのために生きる糧を得ている自然(大地や川や空)に所有権を設定して売り買いするなどという概念がない先住民にとって、そんな「自由」の発想は馬鹿げたものでしかない。「自由というなら鳥が飛ぶようにどこに住んでもいいではないか」といえば、欧州人はそれを「野蛮な非文明」といい、自分たちの所有権をもとにした自由しか認めないという風にしてできたのがアメリカだ。

 

 これを彼らは「新世界」と呼び、そこでつくられた個人の私的所有権は、誰も制限できない神聖なものとした。だからこの自由を縛る制約や規制など必要ない、市場取引(市場競争)がすべてを決定する――それだけが正義なのだといって、社会的な規制を取り払ってしまうのが現代につながる新自由主義と呼ばれる考え方だ。ネオリベラリズムというのは、ハイエクだのミルトン・フリードマンだのの学者がいう経済理論よりももっと根本的に、欧州人が「新大陸」に行き、その「新世界」で創った経済社会ルールだ。

 

 このイデオロギーは、冷戦後、アメリカの経済社会原理が支配的になった世界に持ち込まれた。当然ものすごい抵抗を受け、この経済システムに従うことを嫌がり、邪魔する者たちが出てくる。

 

 第2次世界大戦後、人権という考え方が生まれ、普遍的人権が世界中の誰にも適用されるようになったはずだが、一番強い国(力で制しようとする国)にとっては、そんなものは邪魔でしかない。だから人権を認めなくて良い存在として「テロリスト」という新しいカテゴリーが、人間の外側(問答無用で殺してもいい対象)に設定された。これが「テロとの戦争」だ。

 

 「テロとの戦争」は、戦後築かれた国際秩序を全部チャラにした。だが、実際にはコストがかかりすぎ、面倒な問題も起きた。だからもう一度、国際秩序を立て直して、それぞれの地域や国に責任を持たせるため、新たな国際秩序の区分けとして世界を「民主主義国」と「専制主義国」のふるいにかけ、民主主義諸国は世界中を「民主化する」ために専制主義諸国の政権転覆をしなければならないという方針に転換した。これがバイデンのアメリカだ。

 

 トランプはもっとドラスティックだ。「アメリカは、破滅しそうな欧州を救うために世界戦争に介入し、国際秩序にも関与するようになり、その維持のためにものすごいコストをかけたおかげで没落した。だから、もうNATO(北大西洋条約機構)などはどうでもいい、グレートだった初期のアメリカのように『新世界』を基盤にして、それぞれの国とはタイマンでやればいい」という考え方だ。歴史的にいえば、モンロー主義のグローバル化だ。


 トランプになって多少変化はしたものの、アメリカの路線、とくにラテンアメリカに対する路線は変わっていない。脅しでいうことを聞かないもの(先住民)は殲滅する。今、カリブ海に立ち現れているアメリカはそういうアメリカだ。

 

新自由主義に抗う社会 私たちはどうつくるか

 

ベネズエラのコムーナは、生産、生活、社会福祉にいたるさまざまなコミュニティ・プロジェクトを住民自身の提案と合議によって決める

 ベネズエラではチャベスの死後(2013年~)、マドゥロ政権がその後を引き継いだが、国内に残存する旧支配層がCIAや米国務省と組んで仕掛ける不安定化に対応しながらの国家運営を余儀なくされている。

 

 国内経済の苦境(ハイパー・インフレ)に追い打ちをかけるアメリカの厳しい経済制裁にさらされる。2019年には、大統領選の結果に難癖を付けたアメリカが議会議長(フアン・グアイド)を「暫定大統領」にでっち上げ、二重権力状態にした。西側メディアはベネズエラの状況を「人道危機」と叫び、アメリカは「人道支援物資」といって秘密裏に武器を国内の反政府勢力に送る。このときも軍に呼びかけてクーデターを画策するが軍はそれに乗らず、2022年には反体制派は解散し、国外に逃亡した。

 

 これらの困難をチャベス以来の「ベネズエラ・ボリバル共和国」が乗り越えてきているのは、マドゥロ政権の統治体制によるというよりも、チャベスが種をまき、各地に成長してきたコムーナの「自立・共生・相互支援」システムがあるからだ。

 

 ベネズエラで始まっているコムーナは、新自由主義がグローバル化した世界のなかで、それに対抗する一つの社会形成のあり方を示すものだ。そこには、みんなが生きていけるように社会を組織するという力が働いている。アナーキーな反権力装置とは対極なのだ。

 

 コムーナは中央権力が統括するものではなく、むしろその統括に抗しても自立・自活する、環境に根ざした地域の生活共同体だ。自分たちで学校も運営するし、暮らし、仕事、医療、食料、金融にいたるまで自立的に生きる仕組みを作り上げている。中央政府の「コムーナ省」は、その形成・自立を支援する。

 

 また、このコムーナは、ボリバル共和国が脅威にさらされるとき、みずから武装して外敵と戦う姿勢を持つ。それは国を守るため(ナショナリズム)というより、コムーナ(と人々自身、その生活様式)を守るためだ。アメリカが破壊しようとするものは政権だけでなく、コムーナという人々の生き方そのものだからだ。

 

 ラテンアメリカは、北アメリカとも欧州とも違う歴史を、ここ200~300年の間で経てきている。現代の世界では、理論的材料としてマルクス主義やその他の西洋由来の理論しかないため、理論化のためにそれに頼る部分は大きいが、その本質は生活が共同的でなければ生き残ることができなかった「先住民」の生き方を継承・復活するものだと考えた方がいい。

 

ボリバル紙幣にも使用されているグアイカイプロの肖像

 チャベスが、「ベネズエラ建国の父」シモン・ボリバル(スペイン人)などの西洋系の指導者だけでなく、スペインの征服者と戦った先住民の首長グアイカイプロを国家の英雄として廟に加え、スペイン植民地時代以前の先住民の抵抗を国の歴史の一部として位置づけたことは、実は意味が深い。

 

 いわゆる西洋化(近代化)の現代バージョンが「イノベーション(創造的破壊)」であり、合理性、有用性、効率性を社会回転の原理に掲げるのに対して、先住の人々は、この自然の恵みとともに生きる自分たちの営みが「7代先まで持続するように」と考える。持続と継承が生存原理なのだ。

 

 ここ2、30年で西洋社会もそれに気がついて「持続可能的成長」などといい始めたが、成長は必ず飽和を迎えるため持続性の目を摘んでしまう。飽和して行き詰まった現実世界をバーチャルに転換してごまかすのが、デジタルIT化の一つの側面だ。これが今、世界を「デジタル・シュレッダー」にかけるようにして現実社会を崩している。必要とされる持続可能性の原理とは、西洋文明が一律に潰してきた近代化以前の先住民の生活のあり方ということになる。中南米では、その生活形態はさまざまに混ざり合いながら生き続けてきた。グローバル化の暴力に対抗する底力はそこから生まれている。

 

 アメリカはそこまで考えが及んでいないだろうが、アメリカ(EU諸国も追従して)が、今躍起になって潰そうとしているのは、彼らが「新世界」をつくるときに殲滅・抹消したはずの「古い世界」の地の底からの「復活」なのだ。

 

 トランプの復帰自体がアメリカの没落を象徴するものであり、かつてともに「西洋」を形成した同盟国にも高関税というケンカを仕掛け、欧米は二重にも三重にも分裂しながら自壊に向かっている(参照記事)。それは彼らにとっての危機であり、世界中に泥をまき散らしながら、それを取り繕う。その泥を被りながら、その廃墟のなかから、人間がどう暮らしを再建し、生きていくのかという「ひな形」のようなものをベネズエラの社会建設は示していると思う。

 

 アメリカは現在、地上軍派遣まで示唆してベネズエラへの圧力を強めているが、仮に本格的に軍事侵攻しても、ベトナムやアフガン戦争以上の抵抗に遭い、惨めな撤退を余儀なくされることは目に見えている。そのときこそアメリカは最終的な凋落を迎えることになるだろう。

 

 日本にはアメリカやG7の視点からの情報・研究しか流れてこないが、ベネズエラで起こっていることは、新自由主義支配からの脱却を目指す(共同的でなければ生きられない)われわれが生きる世界にとって極めて啓発的なものだ。

 

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 にしたに・おさむ 1950年、愛知県生まれ。東京大学法学部を卒業後、東京都立大学大学院(人文科学研究科)、パリ第8大学などで学ぶ。哲学者。明治学院大学文学部教授、東京外国語大学大学院教授(グローバル・スタディーズ)、立教大学大学院文学研究科(比較文明学)特任教授等を歴任。東京外国語大学教授名誉教授。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『「テロとの戦争」とは何か――9・11以後の世界』(以文社)、『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)など、訳書にブランショ『明かしえぬ共同体』、レヴィナス『実存から実存者へ』、ボエシ『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)など多数。

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この記事へのコメント

  1. 今、アメリカとヨーロッパが再分裂し、西洋の世界制覇の時代が終わろうとしている。アメリカこそが、ヨーロッパの世界進出のさなかで、先住民を無化したうえに建国された新しい「イスラエル」だったからである。
    第三世界の系譜をつぐBRICSと諸国の新たな関係を構築し、とりわけ隣国中国とは、こじれた関係を結び直す。西洋の没落後の世界作りに積極的貢献すべきと思います。

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