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食管法廃止がコメ不足の原因 市場原理に委ねて離農急増 生産者を守り、消費者の負担を減らす政策を

(2025年6月6日付掲載)

田植えをするコメ農家(山口県)

 昨年夏からの「令和のコメ騒動」はいまだに収束のきざしは見えない。スーパーの棚からコメが消え、米価は2倍以上に高騰したまま高止まり状態だ。政府は昨年も「新米の時期が来ればコメはある。米価は下がる」とくり返してきたが、いっこうに下がる気配はなく、今年の端境期にスーパーの棚にコメはあるのかと国民の不安は募っている。コメは日本人の主食であり、先進国で主食用の食物が2倍も高騰するといった異常事態が続く国はほかにない。また、大地震などの自然災害や極端なコメの凶作もないなかでのコメ騒動だ。折しも今年は1995年の食糧管理法(食管法)廃止から30年を迎える。コメの生産、流通が市場原理に任されてきた30年間のあいだにどのような変化があったのか。そのなかで起こった令和のコメ騒動の根本的な要因はどこにあるのかを見てみた。

 

 昨年夏にコメがスーパーの棚から消えたさいには政府は「新米の集荷時期がくればコメは出回る。価格は元に戻る」と説明し、また「卸業者がかかえこんでいる」などともいって特段の対策をとる気配もなかった。だが、現実にはコメは不足しており、価格は高止まりしたままだ。

 

 いえることは、政府はコメの生産量や流通量について正確な数字を把握していなかったということだ。「コメは余っている。減反だ」というのが政府のこの間のいわゆる「常識」であり、1970年代から55年以上も減反や生産調整を続けてきた。だが今回、政府の「常識」は通用せず、コメ不足は全国の食卓を揺るがす大問題になっている。

 

 政府がコメの生産量や流通量を正確に把握できなくなったのは、食糧管理制度の廃止と直結している。

 

 食管法は戦時中の1942年に制定されたが、敗戦直後の食料難時代に役割は重要性を増した。食管法のもとでは、農林水産大臣が毎年米穀の管理に関する基本計画を立てることになっており、この計画にもとづいて政府が管理するとしたコメを、政府が指定した集荷業者を通じて買い入れていた。これが政府米で、生産者から自家保有米を除いて全量を政府が買い入れていた。政府が買い入れる米価を生産者米価といい、生産者がコメづくりを続けられるように、再生産費をカバーできる水準で決められていた。また、消費者に売り渡す米価を消費者米価といい、当時の標準的な家庭の家計費でコメが買える水準に設定されていた。

 

 生産者米価は農家が再生産できる価格で設定され、消費者米価は生産者米価よりも安くして家計負担を軽減していた。その差額は政府が一般会計から食管会計に繰り入れていた。

 

 敗戦後の食料難のなかで、政府はコメの増産に力を入れた。農民の生産意欲の高まりとともに、干拓事業など農地造成も推進し、1967年には1400万㌧をこえるコメ生産を実現した。これは現在の2倍にあたる。他方でコメの消費量のピークは1963年の1341万㌧で、その後減少が続いている。

 

 日本人1人が1年に食べるコメの量は1962年の118・3㌔がピークでその後減少を続け、今日ではその半分以下の55㌔にまで減っているという。ちなみに戦前は、年間約一石(約150㌔)のコメを食べていたとされる。

 

 コメの消費量が減った大きな要因には、アメリカの戦後の「援助」という売り込みによる小麦や脱脂粉乳の輸出戦略がある。第二次世界大戦において戦場にならず戦火を受けなかったアメリカは、世界一の食料供給国となり、食料援助と軍事戦略を一体化する政策をとった。日本に対しては、1947年からのガリオア資金による小麦援助、1954年の「余剰農産物購入協定」、55年の「農産物貿易促進援助」にもとづいて、アメリカの余剰農産物のはけ口とした。

 

 輸入された小麦や脱脂粉乳は学校給食で使用し、子どものうちからパン食に慣れる契機とする思惑があった。「コメを食べると頭が悪くなる」などといった宣伝もやられ、日本人のコメ離れを促進した。

 

 コメの消費量の減少やコメ増産のもとで食管赤字は膨れ上がった。食管会計の赤字削減の名目のもとに1970年代から本格的な減反政策が強行され、生産者米価は1977年以降据え置かれた。

 

 食管制度廃止の直接の契機となったのは、1993年の冷夏によるコメ不作を口実とするコメの輸入自由化だった。日本は1993年にGATTウルグアイ・ラウンド農業合意でコメの輸入自由化に合意した。その背景にはアメリカのコメ業界団体の強い圧力があった。

 

 1980年代後半、精米業者と輸出業者でつくる全米精米業者協会が米通商代表部に2度にわたって日本のコメ輸入禁止について提訴した。日本政府はコメ市場開放を完全に拒絶することができず、1993年12月、特例として輸入量制限を続けてもよいとするかわりにミニマム・アクセス米の量を多くするという案を受け入れ、5年後の1999年には輸入量制限も撤廃した。

 

 コメの輸入自由化に合意したことにともない、1995年に食管法は廃止された。そのもとでコメは市場競争にさらされるようになった。それから30年を経過して今日があるが、コメの生産についても流通についても混乱をきわめており、市場原理にまかせたリスクが顕在化している。

 

 米価は食管法のもとでは原則として再生産費にみあったものであったが、市場原理のもとでは再生産費には関係なく、市場を支配する大手スーパーなどのいい値が基準となった。これは、食管法廃止でコメ販売への参入が自由化され、消費者のコメ購入先が米穀店からスーパーに移り、コメ市場を大手のスーパーが支配するようになったためだ。

 

 米価は1995年から一貫して右肩下がりで、 1992年には1俵=60㌔で2万円近かったが、2021年には1万3000円に下落した。

 

 これではコメの再生産はできず離農者は増えていった。食管法廃止前の1990年には農業就業人口は482万人いたが2020年には136万人になり、3分の1以下に減っている。しかも農業就業人口の70%は65歳以上であり、コメづくりがいつまで継続できるかは不安が残る。また、農家・農業経営体数は2005年に196万であったが、今日では100万経営体を下回り、半減している。

 

生産・流通量つかめず 安定供給に無責任な国

 

コメが消えたスーパーの商品棚

 こうしたもとでも政府は「コメの需要は毎年10万㌧ずつ減少している」という前提のもとで生産調整をおこなってきた。また、コメの生産量は年700万㌧という目安をもってきた。だが、2022~23年度の「民間在庫の推移」を見ると、秋の収穫期直後の11~12月時点での流通量が、これまで300万㌧台で安定してきたものが、減少に転じていた。この年にはウクライナ戦争で燃料費や飼料費の大幅な値上がりが始まり、多くの農家が離農したことが背景にあり、コメの生産量全体が670万~680万㌧程度に減っていた。

 

 さらに「民間在庫の推移」によると、2024~25年は2023~24年に比べて前年同月時点での流通量がさらに39万~50万㌧も少なく推移している。平均で1・5カ月分に相当する。

 

 1人の食べる量にあまり変動がないコメは、供給が少し増えても価格は下落し、逆に供給が減れば価格は高騰するという性格をもっている。また、コメ流通への参入自由化のなかで、実態の把握が複雑化しており、今回の農水省の対応の遅れにもつながっている。

 

 2023年産米は猛暑の影響を受け、一等米が過去最低を記録しており、高温障害で20万~30万㌧の供給が減少したとの推計もある。

 

 2023年産米の作柄は平年作以上(作況指数101)だったが、実際には生産量は減っていたといえる。だが、農水省はこれを認めず、「民間備蓄は十分あるので受給はひっ迫していない」といいはって備蓄米放出の要求にも応えず、かわりに卸売業者等に在庫の放出を要請した。

 

 だが、実際には昨年8月にスーパーやドラッグストアにはコメがなく、「令和のコメ騒動」となった。8~9月はコメの端境期で、コメ業界は不足分を在庫のとり崩しで対応しており、昨年8月の在庫は異常に低い水準になっていたのだ。

 

 さらに農水相は昨年「9月になれば新米(24年産米)が供給されるので、コメ不足は解消される」との見方を示した。だが、逆に米価は跳ね上がった。24年産米は本来であれば24年の10月から25年の9月にかけて消費されるものだが、コメ不足のなかで、24年産の新米を昨年8~9月にかけて先食いした結果、24年産米が本来供給される時期には最初から40万㌧はなくなっていたといえる。24年の10月、11月、12月の民間在庫は前年同月比でそれぞれ45万㌧、44万㌧、44万㌧減少していることからもそれは明らかで、コメ不足のなかで米価が急騰した。

 

 なお、今年1月にJA農協が卸売り業者に販売した米価は、60㌔当り2万5927円で、これは1993年の平成のコメ騒動のときの政府買い入れ価格1万6266円(自主流通米の米価2万3607円)をも上回る過去最高水準であり、コメ市場の混乱ぶりを示した。

 

 農水省の対応が物語っているのは、コメの生産量や流通量についてなにもわかっていないということだ。コメの生産も流通も市場原理に任せ、主食であるコメの安定供給、食料安全保障にはなんら責任をもたない姿を国民の前にさらしたといえる。

 

 さらに小泉新農水大臣は「政府備蓄米をスピード感を持ってどんどん放出する」などと目先をごまかしているが、そのこと自体、コメの流通に国が関与する必要性を認めることであり、市場原理にまかせていたことの破綻を宣言するものだ。同時に小泉はコメ不足に乗じてアメリカからのコメ輸入拡大なども企んでおり、農政改革の中身を注視する必要がある。

 

 このままコメ生産・流通を市場原理にまかせたままならば、米価の値下げ競争のなかで農家の離農はとどまるところを知らず、コメ生産の担い手そのものがいなくなる危機に立っている。「それは飢餓の時代への歴史的転機かもしれない」とし、今までの自由化、市場原理路線を抜本的に転換し、国がコメ生産・流通・消費に責任をもつ制度にすべきだとの専門家の指摘もある。

 

 日本人の主食であるコメが店頭から姿を消すなどという事態は、国として国民に対して果たすべき責任の放棄にほかならない。コメを安定的に生産し、適正価格で供給することは、安全保障の重要な一環でもある。そのためには、生産者には再生産可能な生産者米価でコメを買い上げ、消費者には家計の負担にならない消費者米価で販売する食管制度の復活を望む声も高い。生産者が安定して生産ができ、消費者が安心して買えるようにと、先進国の政府はどこも主要農産物については価格支持政策をとってきており、食管法もその一つだ。いずれにしても、コメを市場原理に任せるのではなく、国がコメ生産・流通・消費に責任を持つ体制が待たれている。

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