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劇場型と黙殺型の二刀流 ~選挙におけるメディアのお作法について~

 大手メディアときたら、劇場型選挙を仕掛けるときはショスタコーヴィチの交響曲第5番(第4楽章)なんぞをBGMで流しながら、まるでプロレス中継のように永田町の暗闘を腕まくりして盛り上げるくせに、今回の選挙はつとめて寝た子を起こさない作戦に徹している。恐らく低投票率にして自民党が勝ち抜ける選挙にするためのお膳立てなのだろう。どの局も新聞も初日に与党優勢を報じ、暗に「選挙に行っても無駄なのだ」と印象付けた後は、実にしれっとして冷めた態度で傍観しているのである。

 

 山口選挙区を見ても、街頭では覇気のない選挙カーを何度か見かけただけで、既存の与党も野党も呆れるほどやる気がないのが特徴だ。その熱量は市議選、県議選以下であり、素人でなければわざとやっているとしか考えられないほどである。こうして国政選挙が幕を開けた気配すら乏しく、この静けさはいったい何なのだろうか? と思うほど冷めきっているのである。自民党側はもっぱら組織票固めの電話作戦に終始し、雲隠れしたかのよう。一本化した野党共闘の側はというと、労働組合の連合を筆頭に随分と足腰が弱まり、端から投げている印象だ。そしてここ山口県の巷では、「新撰組」の響きにいささか150年来の抵抗感を感じつつも、「れいわ(新選組)は山口県から出ないのか」と話題になっている。期待するものがなにもないなかで、とりわけ既成政党の枠外にいる大半の有権者にとって、選挙区はいかにもつまらないものに映っているのである。こうした政治不信の延長線上にあるのは、それこそ5割もの有権者が投票を棄権し、おかげで低投票率狙いの自民党がほくそ笑むずるい世界なのである。

 

 目下、政治不信を吹き飛ばす勢いで台頭しつつあるのが、ネットを中心に日日存在感を増している“れいわ新選組”だ。大手メディアがこぞって黙殺するなか、山本太郎を中心に劇場型をみずから仕掛け、街頭から無数の力を束にして這い上がろうとしている姿が注目を浴びている。虐げられた側、あるいは困っている国民の側を代表するかのように各分野の当事者やプロフェッショナルたちを擁立し、首都圏だけではなく日本全国の津津浦浦で街頭から議論を起こし、その斬新さと本気度に注目は高まるばかりである。恐らく10人当選など本人たちも考えていないのだろう。しかし、今回の参院選は次の衆院選やその後の政治勢力結集への呼び水となるデビュー戦であり、さながら閉ざされた国会の門をこじ開けに行く群衆一揆のようにも見える。思い切った本気の行動力に「もっとやれ!」の応援が広がっているのである。

 

 5議席ないしは比例の2%を奪取して国政政党として立ち上がるという目標は決して容易ではないかもしれない。しかし、四谷本部事務所に入りきらないほどボランティアが手伝いに押し寄せ、東京選挙区では1万4000カ所のポスター貼りをやりきり、街頭演説会になると自民党や他政党をはるかに上回る聴衆を動員しており、間違いなく旋風を起こしている。よほど目をつむり、耳を塞いでいない限りは情報が飛び込んでくるはずである。

 

 ところが、メディアは右へ習えでしれっと黙殺している。取材にはあれだけの人数が来ているのに、記者が書いても報じられないのだ。閉塞した政治状況に風穴を開け、社会を下から突き動かしていく端緒になるかもしれないのに、これに鈍感であったり黙殺することはジャーナリズムにとって自殺行為以外のなにものでもない。というより、切実な問題に突き当たる度にいつも事の真実を歪めたり、しらじらしい嘘やずるい黙殺、問題のすりかえに終始するというのは、“社会の木鐸(ぼくたく)”などといわれたジャーナリズムが武器であるはずのペンをみずからへし折るか投げ捨て、権力を監視するはずが忖度を生業として、社会のかさぶたとして剥ぎ取られなければならない有害物に成り下がっていることを意味する。

 

 情けないかな、劇場型と黙殺型という二刀流の作法に昨今のメディアの堕落した本質が滲み出ている。誰に何を伝えるかではなく、黙殺する--。すなわちジャーナリスト・ジャーナリズムとしてのみずからの存在意義を抹殺して「誰にも何も伝えない」を選択しているのである。そのようなくたびれて腐った世界や組織から解き放たれ、願わくば金銭の嘆きもなく、ジャーナリストたちが真実の報道を貫くことができる社会がくればと思う。ぶっちゃけた話が、スポンサーのカネに支配されて、見猿、聞か猿をしているのである。見たことや聞いたことを伝える相手がいない、ボツにされてデスクからゴミ箱に捨てられるというのは、本気であればこそ記者としては最も燃える瞬間ではないのか。「マスゴミ」と呼称されるなかにあって、その矜持を持ってふんばっている現場の記者たちには全力で連帯したいと思う。

 

 山本太郎といえば、小学生の頃に見ていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!』のダンス甲子園でブレイクしていた「メロリンQ」が脳裏に焼き付いて離れない。当時、目立ちたがり屋でお調子者の男の子たちがこぞって真似をして、親や教師からひんしゅくを買っていたのを覚えている。大人になった「メロリン」が大真面目で一世一代の勝負に出ていることに、おそらく同世代の30代後半~40代は反応しているのだろうし、あれから30年近くを経て、無邪気にふざけている場合ではないある意味ふざけきった世の中について考えているのだと思う。  吉田充春

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