いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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二刀流で改憲めざす詐欺のような選挙  民進党解体でリベラル殲滅

支配の安定求め小池新党を演出する背後勢力

 

 衆議院が解散し、10月10日公示、22日投開票の解散総選挙に向けて政局がめまぐるしく動いている。今回の解散はモリ&カケ隠しといわれるように、目に余る私物化政治が暴露されて身動きがとれなくなった安倍政府が、その自己都合から突破をはかって仕掛けたものだ。ところが、目下、安倍晋三の意図やコントロールを離れたところで「安倍政府VS小池新党」であるかのような装いで批判世論や争点をそらした劇場型選挙が動き始め、何が何だか分からないうちに野党を解体し、選挙後はより右傾化した総翼賛体制にもっていく動きがあらわれている。米日支配層にとって、総理大臣が安倍晋三であるか否かなどどうでもよい問題で、支配の枠組みを維持し安定させるために、自民党とガス抜き装置としての小池新党その他を両天秤にかけながら、彼らを転がして総選挙後はいかようにも体制を確保していく狙いを暴露している。記者座談会をもって情勢を論議した。

 

  今回の解散劇は、第一に安倍政府がにっちもさっちもいかなくなったことを暴露している。国会の3分の2の議席を持っていながら解散せざるを得ないほど、世論から総スカンをくらって追い込まれている。モリ&カケではぐらかしや誤魔化しを続ければ続けるほど無様な状態に追い込まれ、安倍自民の「一強」では政治を安定化させることができない。これは単純に国会の頭数の問題ではない。あまりにも程度が悪すぎるというかポンコツ過ぎて、世論を欺瞞することができなくなったという支配側の判断が動いている。腐敗堕落が知れ渡ってしまった政治構造に対して、国民的な憤激が盛り上がればどうなるものかわかったものではない。忖度官僚やメディアをもってしても守り切れず、保たないわけだ。

 

 だから、安倍自民の議席数が減ったとしても、政策的にはさほど違いのない別の勢力を作り出して、無難に着地していくことを求めている。小池百合子をことのほか持ち上げ、ジャンヌダルクのような扱いをして有権者をたぶらかしているが、要するに二刀流で切り抜けようとしている。これを察知した民進党の右派をはじめとした勘のいい与党願望勢力が、我先にと「希望の党」の門戸を叩いている。自民党がダメになった時は、第2自民、第3自民という形で新党結成に発展する動きはこれまでにもあったが、その二番煎じ、三番煎じをまるで一番煎じのように作り上げている。安倍晋三の脳味噌の力量をはるかに超えた力が動いていると見るのが妥当だ。というか、解散を仕掛けた安倍本人を置き去りにして一気に事が動いている。

 

  何が何だか分からないうちに総選挙にもつれ込もうとしている。既存の野党や与党の枠組みをいっきに破壊して、大胆な政界再編をしている。一種のショック・ドクトリンだし、有権者の頭を引っかき回している。いったい何が動いているのかを凝視しないといけない。目下、目立っているのは野党解体が急速に進んでいることだ。自民党が空中分解するならまだしも、「小池新党」を一つの軸にして、もっぱら手を突っ込まれているのは野党の側で、この解体が進んでいることに特徴がある。民進党は党首の前原がみずから解党を牽引し、小池百合子率いる「希望の党」に合流する動きを見せている。この間の離党ドミノは泥船からネズミが逃げ出すような光景でもあったが、そうして先行して離党した長島昭久とか細野豪志などと同じさやにおさまる。連合もその選挙応援をする勢力として糾合されるという。これは党内議論を経た解党ではなく、党員の頭越しに進んでいることだ。民主主義的な意思形成によってそうなったのではなく、上から大きな力が加わっている。そして、党首の前原自身が無所属で出馬するし、民進党のカネや組織力を「希望の党」に注ぎ込み、候補者公認まで委ねるという不可解さだ。野田が安倍自民に大政奉還して自爆解散したが、これも嬉嬉として自爆解党を仕掛けている。なぜか? だ。

 

 C 民進党の中では旧社会党出身とかリベラル派といわれる部分が踏み絵を迫られている。「希望の党」に参加するには安保関連法や憲法改定、小池百合子と同じ歴史認識に同意しなければ認めないという形で、これらの「左」がかった残存物を一挙に路頭に放り出す戦略だ。そして、前原をはじめとした根っからの民主党右派が「希望の党」に合流していくというものだ。これらの新自由主義政治の申し子といってもいい政治家たちは、民主党時代から憲法改定であるとか、消費税増税、法人税減税、日米同盟等等で自民党と大して変わらないことを主張して支配層の代弁者を務めていた。アメリカやネオコンとの関係も切り結んできた部分といっていい。バカなことばかりくり返している安倍晋三や自民党に変わって、「それなら私たちが!」と番頭争いに名乗りを上げている。有権者に見限られて日の目を見ることがないだろう民進党を投げ捨て、新しい投機先を見つけて野党解体に乗り出したわけだ。躊躇がなく嬉嬉としているのはそのためだ。むしろ、今がチャンスと見なして政治生命をかけた大立ち回りをやっている。その「希望の党」に、長年冷遇されてきた小沢一郎も加わるような報道だ。

 

 D 選挙に勝てば主導権を握れると見込んだ離合集散だ。しかし、離党ドミノを見ていて節操のなさを感じている人人も多い。通常、いかなる政党であっても、党員ならば党内で侃侃諤諤(かんかんがくがく)の争いをして、みずからの結集した党を建設し、政治理念を実現するために尽くすものだろう。それが古巣を簡単に見限ってプイッと出て行く。ヤドカリみたいに新しい宿探しをしている。つまり、政治家でありながら政治理念などまるでないわけだ。選挙に当選してバッチをつけることが最大の目標で、そのためには政策も所属政党もどうでもよいという性根を暴露している。
小池新党がどのような政策や綱領を掲げるのかすらあやふやな段階で「小池新党との合流」「極秘裏に接触」等等がニュースを賑わせていた。小池百合子にどのような背後勢力がついているのか、奥の院の政界再編も含めたプログラムがどう動いていくのかを敏感に捉えて投機している。その意味で嗅覚だけは発達しているといえる。

 

右派二大政党制の企み

 

  支配層は明らかに二刀流で乗り切ろうとしている。それが安倍自民と小池新党だ。小池新党は無党派層をとり込むために反原発を掲げたり、安倍自民との違いを出そうと苦心もしている。しかし小池百合子は自身の公式サイトでも「日本も核武装の選択肢は充分ある」と明記していたくらいで、原発再稼働や原発輸出にも賛成していた。防衛大臣をしていたが、日米安保とか安保関連法案についても自民党員として賛成してきたし、その政治スタンスは安倍自民と何ら変わりがない。それがいかにも救世主であるかのような持ち上げられ方をして、無党派層をとり込んでいくシンボルに祭り上げられている。

 

  都知事選や都議会選挙で都民ファーストが大勝したが、自民党をなぎ倒していく痛快さに有権者が雪崩を打ち、その反自民票を自民党と何ら変わりない者がきっちり回収していく構造だ。小泉の郵政選挙と似ている。一種の詐欺みたいなものだが、他に受け皿がない状況のもとで目くらましをしつつ、すべてをとり込んでいく装置になっている。都知事選では石原慎太郎と喧嘩するようなポーズを見せていたが、選挙が終わればノーサイドで責任追及などしていない。

 

  支配層からすれば自民党がダメになった後のリリーフ役は維新の橋下でも良かったかも知れない。しかし所属議員はデタラメなのばかりで、維新が賞味期限切れになって芽がなくなった。既に化けの皮が剥がれて、「自民党の補完勢力じゃないか」という見方が浸透してしまっている。そこで小池百合子に白羽の矢が立ったような印象だ。小池は日本新党→新進党→自由党→保守党→保守クラブ→自民党→都民ファーストの会→希望の党と政党を渡り歩いてきた。小泉政府の時期に防衛大臣も務めていたが、散散政界渡り鳥をした挙げ句に今の地位まで登り詰めた。都知事選以後のうなぎ登りは、本人の実力というよりはメディアや背後勢力の力によるところが大きい。政治が腐敗堕落している状況との対比で、女性リーダーという斬新さを売りにして人為的に「期待」をつくり出している。今回の解散でも、テレビやメディアが「小池劇場」をお膳立てしている。あまりにもあからさまだ。電波を惜しげもなく使って、「希望の党」をプロモーションしているし、空気をつくり出して瞬間風速で持っていく戦法だ。

 

  2月には特許庁に「希望の党」の商標を出願し、9月1日に登録されていたこともわかっている。相当に早い段階から準備している。「小池新党」に政界を再編していく構想が早くからあったことをあらわしている。安倍自民党が倒れた後のバトンリレーみたいなものだ。このプログラムを察知している人間がいなかったというものではない。自民党のなかでも民進党のなかでも「安倍がボロボロになった後」を先回りしている人間はいたわけだ。

 

  「希望の党」には「日本のこころ」の中山恭子・成彬とか、日本会議の現会長である田久保忠衛なども加わっている。安倍自民とどちらが右かを張り合うようなメンバー構成だ。これらはみんな改憲勢力だ。選挙がどっちに転んでも改憲に持っていく布陣といっていい。右派政党が二大政党制を敷くための選挙が仕組まれている。

 

 A 安倍晋三は過半数が目標なのだといっている。自民党の議席が3分の2から2分の1に減っても構わないと見なしている。結果如何によってはボロ負けの責任をとって退陣すべき状況に追い込まれるわけだが、それで安倍晋三が袋叩きにされようが支配層には関係のないことだ。安倍が持ち堪えるもよし、自爆するもよし。選挙がどっちに転んでも右派二大政党制という保険をかけて、安倍が仮に退場に追い込まれたとしても、これで改憲と増税、戦争の道へと突き進んでいく仕組みだ。民進党解党を通じて残存していたリベラルとか左派といった勢力が壊滅に追い込まれて、「野党共闘」も崩壊させた。選挙後に安倍自民と小池新党のどちらが主導権を握ろうが、背後勢力にとっては都合よくコントロールでき、野党としては「日本共産党」がガス抜き担当という配置だ。世論を欺瞞しつつ民主党に任せてみた2009年段階とも様相は異なる。

 

  ただ、選挙は始まったわけでも終わったわけでもない。最終的に判断するのは有権者だ。とはいえ、いまのところ支配側の願望が選挙構図として投げ与えられ、それに対して下から候補者を押し立てたり、有権者の受け皿となり得るような政党が台頭したりする時間的余裕などない。そうした条件のもとで、どのように有権者が判断を下すかにかかっている。反自民を小池新党が吸い上げて、どちらに転んでも同じ政治を実行していくというふざけた構造のなかで、どう民意を表現していくかが問われている。

 

 A 低投票率によって自民党の「一強」は担保されてきたが、そもそも政党政治が有権者から浮き上がって今に至っている。国会という小さなコップのなかでの「一強」は現実を反映していない。それなのに調子に乗るから安倍晋三は浅薄なのだ。今回の解散にともなう政界再編もいわば「コップのなかの大騒ぎ」であって、1億2000万人の国民の意思とは別世界でくり広げられているものだ。仮に自民と小池新党の右派二大政党制を敷いたとして、一時しのぎにしかなり得ないのは目に見えている。しかし、支配の側はこれで改憲と増税、戦争の道に踏み込もうとしている。アメリカなり独占企業からすれば、対米従属構造のもとで引き続き安定した支配を求めているし、その統治を司るトップが誰であるかなど二の次なのだ。国民の憤激が過剰に高まらない程度に政治を安定させ、支配側の意図を代弁する限りにおいては誰でも良い関係だ。

 

  「反安倍」のなかに安倍憎しで「小池新党」に希望を抱く流れもある。安倍自民を懲らしめろ! という思いを否定するものではない。しかし、考えなければならない。「あれ」がダメだから「これ」が良いというような代物ではない。現実にはどうにもならないほど政党政治が腐敗堕落し、有権者としては票の持って行き場がない。それは如何ともし難いものがある。民主主義的に下からボトムアップする形で政党政治が機能しているわけではなく、現状では上からコントロールされて政党が解体したり離合集散し、有権者としては選択肢が限られてしまう。

 

  資本の剥き出しの支配が貫かれている社会にあって、労働者なり民衆の願いを束ねて立ち向かう政党など見当たらない。スペインでポデモスが台頭したり、アメリカ大統領選で社会主義者を標榜するサンダースが旋風を巻き起こしたが、「まともな政治家(政党)が出てこないものか」という思いは鬱積している。しかし、悲しいかな受け皿として台頭するまでに至っていない。個人的には山本太郎あたりが何かやらかさないものかと期待もしているのだが…。野党殲滅といっても、小池新党に振るいにかけられて泣きべそをかいているようでは政治家失格だ。むしろこの選挙を裏返すと野党こそが目立つチャンスなのに、何を湿気ているのかと思わせる。反対のための反対というか、支配の枠内に安住して、飯の種にしているからだらしがないのだ。野党がなぜ足腰立たないまでになったのかという問題についても、歴史的に振り返ってみる必要がある。なぜ大衆から相手にされなくなったのか、遊離したのかだ。自民党が強いというより、野党が弱すぎる。だから、1人であっても山本太郎の方が目立つ。国会の質問でも面白いから毎回チェックしているんだが、当たり前のことを言っているだけで、突飛なことを主張しているわけでもない。

 

 C 過渡期でもある。政党政治が腐敗堕落してどうしようもなくなっているが、ある意味で弱体化していることの反映でもある。人人を率いて、その支持を基盤にして社会を運営していくというものではなく、如何に低投票率にして自公が勝ち抜けるかという選挙をくり返してきた。この低俗極まる政治が最終的に行き着いた先が安倍政治といえる。ここからどう次の安定につなげていくか、支配の側も四苦八苦だ。

 

 A 日本社会にとって議会制民主主義といっても、明治維新から150年しかたっていない。しかも維新後は絶対主義天皇制のもとで戦争に次ぐ戦争をくり返し、第2次大戦後は対米従属構造につながれて「アメリカ民主主義」の真似事をしてきただけだ。その歴史だけ見ても僅か72年に過ぎない。「民主主義の歴史が浅い」というが、いつ民主主義を経験したといえるのかも疑問だ。しかし、戦後長らく続いた自民党でも、全有権者のうちの支持率17%で公明党に支えてもらわなければ選挙に勝てないというような低レベルではなかった。一定の基盤をもって成り立っていた。何度もいうように、安倍自民などというものは小選挙区のテクニックで国会の議席は占めているが、国民のなかでの基盤は乏しいわけだ。まさに弱体化だ。そこで、劇場型のテクニックによって切り抜ける戦法がはびこり始めた。いまさら「小池新党」というが、「みんなの党」「維新の党」と大差ない。

 

  民主党が政権与党になっても自民党と同じことを始めるし、その昔は社会党も村山が首相になったら自民党と同じことをやって自爆した。対米従属構造を犯しさえしなければ、支配の側にとって誰が首相であるかなどどうでもよいし、そんなものなのだ。狡い争点のすり替えがやられているが、総選挙という目先だけでなく、その先の展望を持って大衆的な動きを作り出さなければならない。それこそ、アメリカ大統領選すらエスタブリッシュメント(既存の権威)が震撼するような大衆行動が盛り上がったが、日本でも社会の根底に蓄積された大衆の怒りは半端ではないものがある。真に国民の受け皿となり得る新しい政治勢力を登場させることが避けがたい課題になっていることを痛感させる。すぐに幻滅したり絶望するのではなく、総選挙後の政局の変化も含めて過渡期を客観的に見据え、よりよい日本社会にしていくための努力をしなければならない。どの党に投票したら良くなるか、ましかというだけでなく、視野を広げて考えることが重要ではないか。小手先ではどうにもならないほど政治が行き詰まっているのだ。

 

  とはいえ、安倍自民を叩き潰すことが第一だ。その力をもって次に主導権を握る連中も縛り上げることが重要だ。国民を舐めきっている者を退場に追い込み、泣くような目にあわせなければ痛みにならない。前回選挙の自民党の支持率が17%なら、10%以下くらいまで叩き落として二度と起き上がれない状態に追い込んだ方がよい。泡沫政党になった途端、「一強」は崩壊する。その後のことはその後のことだ。きりがないかもしれないが、一つずつ物事に落とし前をつけていく作業も必要だ。国民と政党との力関係を思い知らせるような選挙にしなければならない。

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