いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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支持率17%が議席6割を得る仕組み  非自民分裂、低投票率、小選挙区制に支えられ

自民にできぬ芸当やってのけた小池

 

 解散総選挙を巡って、昨日や一昨日の評論や評価がたちまち古びてしまうほど政局が日日流動している。モリ&カケで行き詰まった安倍自民党が解散を宣言したところから始まった今回の騒動は、その安倍自民に対抗する装いで小池新党が登場したものの、政治的には安倍自民と大差ない改憲勢力・右派政党にほかならないことや、その狙いが野党解体にあったことが民進党解党や右派糾合の過程で暴露されてきた。そして、ふるいにかけられた民進党のなかからは立憲民主党を立ち上げる動きがあらわれた。公示を一週間後に控えるなかで、この情勢をどう見るかをめぐって、再度記者座談会を開いて論議した。

 

  政局の変化が激しいので、再度記者座談会を持つことにした。連日の新聞が座談会形式で読者の皆さんには申し訳ないが、記者1人が頭をひねって評論的にいくよりも、複数が問題意識を自由にぶつけ合った方が深まると思うのでご容赦願いたい。まず、動きを簡単に整理してみたい。

 

  モリ&カケで困り果てた安倍晋三が解散して、そこに小池新党があらわれた。まず、これをどう見るかが一つの焦点になった。都議選の経緯もあってメディアが「反自民」の旗手であるかのようにプロモーションするものだから、一般の人人のなかで混迷もあった。しかし、もともとが安倍自民と同じ穴のムジナで、ただの改憲勢力ではないかという認識も浸透してきた。何か胡散臭いぞと。この小池新党が民進党を解党に追い込み、安倍自民にはできない芸当をやってのけた。そして、改憲や安保法制等で踏み絵を迫って民進党左派を排除するなど、女王様が選挙前にして野党殲(せん)滅で大活躍した。そうして「解散総選挙」の前にまず民進党が解散してしまい、安倍自民に対する批判票の受け皿を有権者からとり上げた格好になった。

 

  一番みっともないのは民進党党首の前原だろう。カネも組織も差し出して、自分たちが選別される道を進んだ。対等合併ではなく惨めな吸収合併だ。しかし、この言動には多くの人人が不可解さを感じている。どうせ民進党を出て行くなら代表選に出馬しなければよいのに、党首になったうえで解党に持っていった。行動において民進党なり野党殲滅の下手人になったわけだ。「前原さんは欺されたんだ!」という声が民進党内にあるというが、バカをいうなと思う。欺されて弄ばれたというなら相当に低レベルな男が党首をしていたということになるし、わかっていて野党殲滅に加担し、功績が買われてみずからは小池新党で与党ポストを得るというのであれば、それもまた有権者からドン引きされるものだ。とにかく不可解すぎる解党劇だった。これは前原一人が独断で決めたなどというものではない。相当に上からの力が働いていることを伺わせている。いずれにしても、選挙直前にして「敵なし」状態を安倍晋三にプレゼントしたことには変わりない。民進党が良いとか悪いとかの判断を抜きにして、批判票の受け皿をとり上げたわけだ。

 

  ここにきて小池百合子の厚化粧が剥がれ始めているのも特徴だ。巷でも結構な勢いで小池新党を批判している声を耳にする。「反安倍」みたいなポーズをしていたが、結局のところもっとも安倍自民党を補完している。民進党に踏み絵を迫ったり、上から目線で傲慢にやっているが、この過程で墓穴を掘ってもいる。政治意識が高まっている分、世論は敏感にその辺りの性質を捉えている。「緑のタヌキ」の情熱が「反安倍」ではなく野党解体に向けられ、得意になっているのがありありだからだ。態度があからさますぎる。山本太郎が「裸の王様の次に裸の女王様が出てこられても困る」と発言していたが、言い得て妙。そうやってにわか作りの女王様の厚化粧が剥げ落ちて、小池新党の低空飛行がまた安倍自民党を有利にしている。

 

  都知事選でも石原や舛添が悪玉となって輝いただけで、都議選でも安倍自民党をいかに懲らしめるかという力が都民ファースト圧勝の原動力だった。受け皿として成り代わったというだけだ。その世論が全面的に小池支持というものではない。反自民票がそっちに雪崩を打っただけなのだ。本来なら、対立していないがもう少し反安倍を表現しなければならないのに、堪えきれずに本性をさらけ出して世論が急速に離れている。これは劇場型を仕掛けた側も誤算なのではないか? 欺瞞するならもっと真面目に欺瞞しなければならないが、役不足ということだろう。都民ファ圧勝の原動力をはき違えて傲慢になったことが災いした。豊洲を投げ出し、東京五輪を投げ出し、国政に舞い戻るということにでもなれば東京都民は激怒するだろう。政治や行政をオモチャにしているわけだから。

 

 D この流れで喜んでいるのは自民だ。下関でも安倍後援会の幹部などは当初青ざめていたが、小池に批判が高まっていることや民進党解党を見て「ひょっとしたら自民党が安泰の選挙なのではないか?」と喜んでいる有様だ。対立する政党や喧嘩相手がいない「敵なし」を大歓迎している。それ自体、政治理念とか志などあったものではないが、冷静に見てみると、野党解体ショーですったもんだしている間に、自民党は必死で組織選挙を展開している。本当にずるい。立憲民主党など新しい動きもあるものの、野党の側は公示一週間前にして東京の動きに釘付けにされ、各選挙区はポスターの手配とか選挙態勢がどうなるかもわからない状態に置かれている。身動きつかないわけだ。

 

 山口県の選挙区を見ても歴然としているが、自民党代議士の後援会組織に比べて野党は組織力など持ち合わせていない。市民団体や一部労働組合などが烏合の衆といってもいい状態で寄せ集まっており、これが自民党組織に勝つような選挙を展開するのは至難の業だ。風頼みに近い。その傍らで、自民党陣営は企業関係などをフル動員して名簿集めや電話攻勢などをガンガンやっている。しっかりと支持者を固める選挙をくり広げている。選挙は風だけではどうにもならないのに、世論を組織していくという運動なしに野党の側は風頼みで挑まなくてはならない。安倍政治への批判世論も強烈だが、選挙として見るなら相当なハンデだ。

 

  解散劇全体が謀略じみている。小池新党とか野党解体の過程でモリ&カケは吹っ飛んでしまい、批判世論にさらされるべき安倍政府は脇役みたいな顔をしている。メディアへの露出も減っている。そして、こっそりと組織戦を展開している。メディアがすべきは安倍政治の検証であるはずが、すっかり野党のごたごたに時間が割かれている。相撲でいうと横綱がネコ騙(だま)しを使ってまわしをとりに行っているようなせこい光景だ。争点なり中心問題をすり替えている。ずるい嘘や黙殺、問題のすり替えがいつも横行する。

 

安倍自民に鉄槌が争点 改憲勢力独占が狙い

 

  支配の側の願望としては安倍自民と小池新党という右派政党の二刀流で選挙後の構想を持っていることは疑いない。どっちに転んでも改憲勢力が3分の2を占める状態に持っていくための選挙が仕組まれている。従って、有権者としては受け皿がまことに乏しい状況のなかで、どう意志表示するかが問われている。立憲民主党の善し悪しがどうかとか、他の野党がつまらないというのはわかっている。「枝野なんて、福島事故の時に“直ちに影響はありません”をくり返していた男じゃないか」という意見もある。まったくその通りだ。しかし、こうして政党への信頼が極めて乏しいなかでどうするかだ。棄権すれば思う壺なのだから。日本社会をより良い方向にもっていくために、どう判断するのかという選択の問題になる。「つまらん」といっているだけでは力にならないのも現実だ。

 

 自民党が低得票率ながら国会で6割以上の議席を保つことができているのは、一つには非自民が分裂していることが絶対条件だ。前回選挙や前前回選挙では、自民党補完勢力の維新が民主党を食って、自民の大勝につながった。民主党の自滅でもある。今回もまた、非自民が壊滅状態に追い込まれている。安倍晋三からすると小池百合子に足を向けて寝ることなどできない関係だろう。二つ目に欠かせない条件が低投票率だ。無党派層が嫌気がさして投票に行かないことによって、絶対得票率17%(比例)の自民党が公明党の組織票に支えられて勝つ。支持基盤が崩壊しながらも勝てるのは、要するに他の政党に負けない程度に得票があれば、小選挙区では最大政党になれる仕組みになっているからだ。40%以上が棄権する「選挙」において、政党間競争で一等賞になれば、絶対得票率が17%でも議席がどっさり舞い込んでくる。そのような選挙制度になっている。

 

  自民党の支持基盤について見てみたが、政党としては間違いなく弱体化している。全有権者のなかで占める得票の割合を絶対得票率というが、1950年代末には40%をこえていた。それが70~90年代初頭には30%台前半まで下がり、90年代からは20%台に突入する。いまや比例では17%だ。これは自民党に限らず、野党にもいえることだ。これほど無様に弱体化している自民党を上回る政党がいないために、かつてなく数字としても低レベルでありながら「一強」などというものが出来上がっている。自民党以上に旧社会党の流れや野党の側が弱体化している事実にも目を向けないといけない。一言でいえば政党政治が国民から浮き上がって遊離している。自民党員の数は90年代初頭には540万人いた。それが2015年段階には100万人を割っている。国民の1%にも満たない数字だ。それが国会の6割を独占している。創価学会の票田が600~700万票といわれているが、はるかに組織率としては上だろう。別に誉めているわけではなくて、そのように自民党という政党は国民的基盤を失っているし、野党はそれ以上に基盤が乏しいということがいいたいわけだ。

 

  しかしテクニックによって政権をとると、改憲、増税、戦争に向かってまっしぐらに突っ走る。この大暴走をやめさせ、安倍自民に鉄槌を食らわせるかどうかが選挙の中心争点だ。しかし同時に、なぜこれほど政党政治が劣化し腐敗堕落したのか、突っ込んで考えてみる必要がある。目の前だけ見ていると確かに自民党に鉄槌をくらわせなければならないが、その他の野党が素晴らしいなどと思っている人も殆どいない。期待する政党がないなかで、ボロボロの政党が不可解な駆け引きや離合集散をくり広げ、限られた選択肢のなかで有権者は「どっちにしますか?」と求められている。不味い飯を持ってこられて、「どっちにしますか?」といわれたら、怒って席を立つ人が居ても自然だ。拒否したくもなる。本当ならもっと期待できる政党なり政治信念を持った政治家に対して支持を表明したいのに、それができないというジレンマがある。まさに政党政治の劣化だ。有権者にとっては残酷な現実といっていい。

 

  何度もいうように、自民党もボロだ。しかしもっとボロと見なされている者しか選択肢として残されていない選挙だ。無党派層が広範にいるなかで、残念ながらその展望になっていない。そして、政治が腐敗堕落したのとセットで、安倍晋三とかお友達あたりがせっせと私物化に励むようになった。低俗極まりないにもかかわらず、内閣総辞職にもならずに「丁寧に説明します」といって逃げていくようなことが許される。締まりもなければケジメもない。このような劣化状態がなぜもたらされたのかだ。これは政党政治の変遷とも関わった問題を内包している。野党についても「受け皿」としてしか見なされていない。その政治理念や姿勢が素晴らしいから支持するというよりも、安倍自民を懲らしめるために投票するという意味合いが強い。それはそれで必要かもしれないが、こんなことを続けていたのでは無党派層はますます増え、それこそ低投票率で自公が勝ち抜けていくような選挙がくり返される。

 

55年体制崩壊後の変化

 

  政治が国民の手から離れて遊離していると先程から論議になっているが、55年体制のもとで自民党VS社会党だった時期とも様変わりしている。あの時期は、財界が自由経済への保険などといって自民党にテコ入れし、それに対して社会党側に労働組合などがつくという構造だった。支配の枠組みとしては右と左の二刀流だ。しかし、1989年に冷戦が終結し、91年にソ連が解体するというなかで55年体制も必然的に崩壊していった。労働運動も下火になり、連合は労資協調路線で企業の利益を代弁する装置に成り下がった。いまや見る影もない。下関の連合などまるで安倍派の別働隊だ。自民党も組織崩壊は著しいが、これに対決していた格好の野党側も変質して、有権者に見捨てられた。従って、圧倒的な国民は依存したり支持する政党がなくなった。それが国内で大半を占める「支持政党なし」の無党派層として存在している。

 

  ただ、実はこの無党派層が選挙において決定的な力を握るようにもなった。政党組織の固定票だけでは勝てないし支持基盤は乏しいので、選挙で人為的に風を作り出すようになった。メディア依存の劇場型が多様されるのはそのためだ。

 

  90年代初頭といえばバブル崩壊の時期にも重なるが、米ソ二極構造が崩壊して、財界としては何が何でも自民党を政権与党にし続けなければならない理由もなくなった。そのなかで、利益誘導の族議員がいたり、旧い自民党体質は経団連にとって商売の邪魔にもなった。そして財界が「政権交代のある民主主義」とか「政治改革」を求め始めた。転機になったのは1988年のリクルート事件だ。佐川急便事件もあった。そうした混乱のなかで、93年には自民党を飛び出した小沢一郎らが新生党や新党さきがけを結成し、非自民連立政府で細川が首相になった。しかしこれも佐川急便に1億円借金していたことが発覚して総辞職に追い込まれ、その後は自民党が社会党をとり込んで自社さ政権が成立した。そして村山富市が首相になった。

 

 かつて55年体制で非和解的な政党のように見なされていた自民党と社会党が連立政権をつくるのだから、世間を大いに驚かせたし、社会党の裏切りに批判世論は高まった。そして、社会党は今日の社民党を見ればわかるように泡沫政党になっていった。ちょうど与党願望でとり込まれていく、今の民進党みたいなものだ。土井たか子といっても議長ポストを持ってこられたら飛びついていった。支配の枠組みのなかで立ち回っていたに過ぎないことを自己暴露した。いわゆる左とかいうものが自民党批判勢力のガス抜き装置みたいな役割を果たしていたわけだ。55年体制はある意味、冷戦構造のもとでの二刀流だった。支配の側にとっては、それが都合よく機能して政治の安定を保っていた関係だ。

 

  これは世界的にも共通している。ソ連や中国の変質とともに左翼も変質してしまい、「労働党」などと名乗りながら支配層の代弁者となったり、政権を持たされると裏切ったりして、大衆から見限られている。その結果、新自由主義による強欲な搾取に対して、まるで対抗する力を持ち合わせていない。大衆が困難に見舞われているのに、現実の外側に机を置いて評論したり、眺めている傾向も強い。観念の世界を彷徨っているのもいる。しかし大衆的な反抗もすごいから、イギリスでコービンが熱烈に支持されたり、アメリカでサンダースが脚光を浴びたりという動きにつながっている。

 


  55年体制は保守VS革新といわれたが、元をたどれば総評も占領軍がつくったものだ。共産党や社会党の存在を合法化したのもGHQで、意図をもってしたことだ。GHQは意識的に労働組合をつくらせ、左翼も台頭させて、今につながる支配の枠組みをつくった。戦後の政治を見るときに、決して財界の意向だけで事は動いていないこと、対米従属構造のもとで、その支配を犯さない限りにおいて、自民党であれ革新であれ飼い慣らされてきたことを見ないわけにはいかない。

 

 そして結局のところ、政党政治の劣化とか腐敗堕落というけれど、政治家や官僚が実行しているのはアーミテージレポートなり年次改革要望書というだけではないか。自分で何かを考えて実行しているわけではない。そのような主体性を失った植民地従属国の政治が漂流し、モリ&カケのような浅ましい私物化政治にまで行き着いた。全政党が信頼を失っているのをいいことに、安倍晋三みたいなのがテクニックによって選挙を切り抜け、大きい顔をしている関係だ。

 

  国民や有権者は個個バラバラの状態に置かれている。このなかで政治は誰のため、何のためにあるのか、混沌のなかから問うことが重要だ。現局面ではどの政党に委ねるか、どの候補者に託すかにもなるが、政治の主人公に大衆自身が登場しないといけない。ボロ政党でありながら民主主義を犯すというのであれば、民主主義を貫かせなければならない。そのような民衆の力を突きつけることが必ず必要になってくる。ここまできてはっきりしたことは、あなたまかせでは時代は動かないということではないか。与えられた選挙構図のなかで騙されないようにするだけでなく、作り出していく努力がどうしても必要になってくる。

 

  この選挙で安倍自民党には「たかだか17%が何を勘違いしているのか」とお灸を据えなければならない。安倍晋三を退場させることは第一に重要だ。しかし同時に、「がんばれリベラル!」というだけではなんとも説得力がない。これもまた、どうしようもないほど反対のための反対に安住してきたし、安保法制の時に国会包囲に出てくる議員たちを見ても顔に嘘くささがにじみ出ていて、これでは安倍自民に勝てないわけだと痛感させられた。

 

 選挙結果がどっちに転んでも、それで終わりであるとか幻滅していたのでは話にならない。その先を見据えた場合、やはり棄権し政治に幻滅しきっている40%に働きかける政治運動をつくっていくことが必要だ。17%に勝る力を結集すれば、安倍自民党みたいなものは吹き飛んでいく。投げ与えられた政治ではなく、下からつくっていく力を強めることしかない。世界各国でも、そのように自覚した大衆の行動と憤激が盛り上がって政治を突き動かしている。選挙はまだ始まってもいないし、終わってもいない。みんなが政治的自覚を高めて動いていくことが大切だ。

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