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「コロナ禍の公共図書館と知性の力」 日本図書館協会図書の自由委員会委員長・西河内靖泰氏に聞く

西河内氏

 世界中が新型コロナウイルスの蔓延によって震撼している。日本国内でも全国で緊急事態宣言が出るなど、経験したことのない疫病への対処に社会全体が翻弄され、先行きの見えない状態が続いている。長引く小・中・高校の休校、公的施設の休業など、これまでになかった事態に直面している。今回、図書館業界に長年携わるだけではなく、元保健所職員で公衆衛生行政の第一線で感染症対策や障害者・難病患者の運動に関わり、現在も全国肝臓病患者連合会会長や広島県難病団体連絡協議会顧問を務めている西河内泰氏(日本図書館協会図書館の自由委員会委員長)に、コロナ禍で見えてきた公共図書館の課題と未来のあり方、またコロナがあぶりだした社会の姿とこれからの社会のあり方などについて語ってもらった。

 

公共図書館が直面した現実

 

山口県内の公立図書館

 新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策のため、全国の公立図書館が休館措置を講じています。日本図書館協会が掲げている「図書館の自由に関する宣言」を引いて、図書館が閉じていることを問題視する声もあります。確かに、図書館がこのような形で休館しなければならなかったことには、図書館員としては口惜しい、できれば開館していたいです。しかし、今の情勢で最大限に配慮すべきなのは人命の尊重を優先することであり、その上で実行できる方策を探り図書館の役割を可能な限り果たしていくことだと思います。

 

 全国の図書館関係者が、この状況のなかで図書館の社会的使命を果たすための方策を探っています。例えば、京都府立図書館は期間限定でカードがなくても利用できるようにして図書を無料郵送するサービスを始めました。山口県内でも予約による本の貸し出しや、ドライブスルー形式で利用者に貸し出しをしています。日本図書館協会は、新型コロナウイルス感染症に係る図書館活動について、日本書籍出版協会ほか9団体に対して協力依頼(公衆通信権等の時限的制限について)しています。各図書館で所蔵された資料を用いた読み聞かせやお話し会を録音または録画し、図書館利用者に対し、インターネットなどにより公衆通信することを認めるよう要望したものです。

 

発想を変えてみませんか?

 

 ここで、コロナ禍を経験した私たちは、思い切って発想の転換をしてもいいのではないかと思っています。図書館には人が集まります。そのことに着目して、公共図書館をあたかも人を呼び込む集客施設ととらえ、そうした方向で図書館をつくっているところも少なくありません。図書館のそこに行かなければ本が借りられないというシステムは、今の状況下では欠点となっているのです。

 

 反発があることも承知の上で、私としては提案をするとすれば、本というリアルなものとデジタルのものを対立して考えるのではなくて、両方を一緒に活かしていく発想が必要なのではないかと考えます。

 

 今日、様々な技術が開発されています。例えば、パソコン上に示された書棚の本をクリックすれば、その本(目次や前書き、あとがき)が読めるようなシステムもすでにあり、それを電子書籍とつなげればそのまま読むことも可能でしょう。図書館は紙の本というリアルを集積すると同時に、電子書籍ともアクセスできる環境をつくり、本と電子書籍版の両方を提供するのです。日本では年間8万点の本が出版されていますが、図書館は、本そのものを集積する基地として機能し、さらに図書館利用者は本でも電子書籍でもどちらでも読むことができるようにすれば、より多くの人が知性を磨き豊かにすることができる機会が増えるのではないでしょうか。

 

 また、ただ人をたくさん集める大規模な図書館ではなく、地域に身近な図書館を増やし、自分の住む地域でもっと気軽に利用できる環境にしていくべきではないでしょうか。移動図書館とつなげて、いろいろなサービスポイントで、予約した本を受けとれるサービスなど、(大規模集約型ではない)分散型のシステムでのサービスを増やしていくことを目指してもいいのではないでしょうか。それは「暮らしのなかに図書館を」という原点に、立ち返るということでもあります。

 

 まちづくりのあり方もそうです。郊外型の大規模なショッピングセンターではなくて、地域の小さな商店で必要なものを手に入れて持ち帰るシステム、地域の商店街の復権です。これからの世界は、大規模な形ではなくて、地域に根ざした小規模のシステム、それぞれの地域でつながった地域内での循環が大切だということをこのコロナ禍が教えてくれました。「もっと自分の身の回りに目をとめなさい」という、神様からの教示かもしれません。もっと、地域を大事にして、大規模なイベントや観光業での“にぎわい創出”とか“まちづくり”という発想は切り替えていきませんか、ということでしょう。これも、地域に根ざすという本来のまちづくりの原点に立ち返るということだと思います。

 

公衆衛生の立場から

 

 人類の歴史は、感染症とのたたかいの歴史でもあります。それは、いつどこで広がるかわからない未知なる病気に備えること、つまり、未来に備えるということです。本来、公衆衛生は感染症に対するとりくみがメインでありました。保健所はその第一線機関で、私はそこで感染症対策も仕事としていました。保健所は、医療機関とともに感染症とのたたかいの最前線です。

 

 ところが国は「これからは感染症の時代ではなく、慢性疾患の時代だ」といって1990年代から保健所を削減してきました。保健所は30年前から半減しました。私たちは感染症とかかわりの深い患者会の立場から、そのことに異を唱え、目先のことだけを追っていては、将来自分たちの首を絞めることになると警鐘を鳴らしてきました。私たちが警告したように、今度のコロナ禍で本当にあっという間に医療崩壊が起きています。これも、今をケチって、未来を損なうような、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の価値観が招いた結果ではないでしょうか。

 

マスク不足を引起こす要因

 

 新型コロナウイルス感染症への迅速な対応で評価されているのが台湾ですが、その対応は日本とは対象的です。台湾ではマスクの買い占めによる混乱を防ごうと、政府は国民が入手しやすいシステムを構築し、一人が購入できる枚数を制限して行き渡らせました。国がやろうと思えばできるのです。日本国内では福井県がマスク購入券を発行し、企業の協力を得て県民にマスクを行き渡らせるようにしました。自治体がマスクを購入し住民に配布するとりくみをするところも増えてきました。

 

 先の戦争中では、この国では政府がコメや食料の配給制度を実施しました。戦後もコメは配給制でした。今なら米穀台帳ならぬマスク台帳をつくり、市町村が窓口になってマスクを行き渡らせることは可能でしょう。自治体が企業と直に契約を結ぶことで買い占めを防ぎ、供給を制限でき、マスク不足も一発で解決するのですが、なぜそれをやらないのでしょうか。マスクの品薄感が強い方が儲かるという論理で、この期に及んで金儲けを考える強欲資本主義が邪魔をしているということなのでしょうか。

 

 台湾では、中国武漢市当局が原因不明の感染症の発生を認めた昨年末、武漢からの直行便の機内検疫を始めました。迅速だったのは水際対策だけではありません。マスク対策をはじめIT活用をはじめとした情報管理を徹底し、専門家に権限を与えて適切な対応をとり収束に向かっています。このような台湾の防疫体制の元をつくったのは、日清戦争後に台湾総督府民政長官となった後藤新平(第七代東京市長)であることも感慨深いものがあります。当時の台湾では、毎年のように数千人のコレラが発生し各種の疫病が蔓延していましたが、後藤は「伝染病の予防は上下水道の設置から始める」とのべ、敷設した道路ネットワークも活用しながら、上下水道の整備を進めたことで知られています。

 

優れた技術、人材活かすために

 

 日本は様々な優れた技術を持っています。先ほどの図書館のパソコン上での書棚ブラウジングシステムもそうです。学校教育へのタブレット導入(オンライン化)もしかりです。有効に活用することができれば、多くの人がより知性を磨くことができ、健康で豊かな生活を送ることができるでしょう。ところが、優れた技術に投資し発展させ、社会に還元して豊かにするという目的からではなく、特定の企業が金儲けをするための政策をおこなう構造ができあがっているのです。高い技術や能力をもった人材はいるのに、それを活かすことができない。それを阻んでいるのが、強欲資本主義に絡みとられたこの国の構造ではないでしょうか。

 

未来への準備とは

 

 新型コロナウイルス感染症への対応が示すのは、未来への準備をどうしていくのかということです。未来への準備とは、何が起こるかわからない、この先について最悪の事態を想定できるかどうかということです。いつ起こるかわからない自然災害、食料危機、疫病などについて準備ができるかどうかです。東日本大震災で原発事故が起きたときに「想定外」という言葉が出てきました。ですが、想定されないことを想定するために、私たちは過去に学んでいるのです。そして、それを受けて未来を見通す(そうぞう(想像・創造)する)。それには、様々なことを学んで知性を磨くしかありません。現在を生きるためには、知性が必要なのです。表に見えているものだけでしか判断できないようでは、あのタイタニック号のように沈没してしまいます。見える氷山はごく一部であり、下に隠れたものがどれだけあるかを考えることができるかどうかです。

 

藤子不二雄Ⓐの『まんが道』と、つのだじろうの『泣くな!十円』

 漫画家の藤子不二雄の『まんが道』では、手塚治虫から「漫画家は蓄積がないと描けない。勉強が大事だ」といわれたことに触れています。つのだじろうの『泣くな!十円』でも、漫画を描くこと以上に様々な勉強が大切だと述べられています。小説家や漫画家が作品を書くには、表には見えない下積みの勉強や蓄積がなければ書けないのです。

 

 図書館の仕事もそうです。図書館カウンターの仕事は表に見えますが、実は本の登録をしたり準備をしたりする裏方の仕事が9割です。利用者への直接サービスができるのも、みなさんが見えないところで努力をして、準備をしているからです。

 

 知性とは未来を考え、先を見通せる力のことです。新型コロナウイルス感染症対策への政府の後手後手の対応は、知性のなさからくるものでしょう。すぐに結果が見える政策ばかりに投資し、表に見えない部分を大切にしてこなかったからです。国を支えるのは、知性と教養に裏づけられた文化なのです。

 

危機乗越えるのも知性の力

 

 そして、現在のような危機的な状況を乗り越えていく力もやはり知性なのです。その手本は、山口県が生んだ偉大な先達である吉田松陰が示しています。吉田松陰は野山獄に囚われても希望を捨てることなく本を読み、勉強し学び続けました。知性の力によって人の魂は救われる、知性をみがくことによってよき感情が生まれ、人間性をとり戻すことができることを実証しました。絶望のなかで前向きに生きる力や希望は、学ぶことから生まれてくるのです。それは今、私たちがコロナ禍を乗り越えて、この先の未来を前向きに生きる上で学ぶべき姿ではないでしょうか。

 

 (なお政府は4日、緊急事態宣言延長に合わせて基本的対処方針を改定し公表した。そのなかで全国の図書館は再開を可能にすると発表した)

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この記事へのコメント

  1. 図書館ユーザーの1人です。
    コロナ災禍のため、ずいぶんと困りました。
    好みの本を利用することが全くできないためです。

    最寄りの図書館では、入場はもちろんのこと、閲覧も貸出も全てNGです。

    本好きの者にとっては、
    記事にあるように図書館に行かなくても
    書籍を閲覧、借用できるしくみが必要です。

    電子図書閲覧用の端末の貸し出しと利用したい本の宅配ができるようになれば、
    喜ばしいことです。

    無料が難しいのであれば、
    電子図書の端末貸し出しは、
    保証金(端末返却時に返金)で、
    図書の宅配は低額で利用できるようになると良いのでは?と
    思っています。

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