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映画で若い世代に伝えるガザ地区の「素顔の日常」 ユナイテッドピープル代表・関根健次氏の講演より

映画『ガザ 素顔の日常』の一場面

 福岡県立ひびき高校(北九州市戸畑区)の生徒らによる映画『ガザ 素顔の日常』(ガリー・キーン、アンドリュー・マコーネル監督。2019年公開・92分)の自主上映会が17日、北九州市戸畑区の九州工業大学でおこなわれた。上映後のアフタートークで、映画配給会社ユナイテッドピープル代表の関根健次氏が講演した。以下、講演要旨を紹介する。

 

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関根健次氏

 僕が今ここでお話するのも、今から25年前に、ある福岡県出身の看護師の女性・藤中かおりさんという方と約束をしたからだ。当時、僕は大学を卒業したばかりで卒業旅行をしていた。トルコのイスタンブールの次に訪れたのがイスラエルで、滞在中にエルサレムに行った。そしてエルサレムからヨルダンに行こうと乗り合いタクシーに乗ったところで出会ったのが藤中かおりさんだった。

 

 タクシーの中で「よかったら私の住んでる場所に遊びにこない?」といわれたのがガザ地区だった。ガザと聞いて、紛争や戦争で怖いというイメージがあったので最初は断ったのだが、彼女はこういった。「今のガザは平和で日本人のことをみんな大好きだから。騙されたと思って来て欲しい」と。そこまでいうならばと、僕はガザ地区に行った。

 

 僕が行った1999年1月当時のガザは安全だった。1999年というタイミングは、イスラエルとパレスチナが双方の存在を認めて共存していくという文書を交わした1993年の「オスロ合意」から6年後で、平和ムードがあった。映画の前半に出てくるようなタクシーの運転手さんのように、ひょうきんで明るい人たちばかりだった。商店街に行くと、みんなからお茶やコーヒーやお菓子を勧められ、ごちそうしてくれた。日本から来たといえば「おお! 歓迎だ」といわれ、なんて優しい人たちが住んでいるんだろうと思った。それが最初にガザに入ったときの印象だった。映画のとおりだ。

 

 藤中かおりさんは両親が医者で、彼女は看護師として紛争で傷ついた人たちのために医療ボランティアとして現地の病院で働いていた。当時24、5歳で、僕は22歳。同世代の人が「自分の役割は誰かを助けることだ」と語る姿に感動した。彼女からは「ガザで体験したことを、できる限り多くの人に伝えて欲しい」と託された。その約束を果たしているのが今日だと思っている。

 

 ガザでは、難民キャンプや、完成したばかりのガザ国際空港の管制塔にまで入れてもらった。彼女はガザ南部のハンユニスにある大きな病院に勤めていた。病院の先生方はみんな英語も堪能だった。ということは、いつでもヨーロッパやアメリカに移住して、医師としてたくさんの給料を得る生活ができるわけだが、「私たち医者がガザから海外に行ったら、誰が紛争で傷ついた家族や親戚、同胞を治療するんだ。私たちがいなければいけないんだ」と話していた。このように多くの使命感を持った人たちに出会った。

 

 そして僕は病院の前でサッカーをしている少年たちと話すなかで、ある意味、衝撃的な出会いをした。イスラエル占領下の小・中学生の子どもたちの夢を聞いてみると、学校の先生、医者、救急隊員、消防士などたくさんの夢を語ってくれた。身近で戦争を経験している彼らは誰かの役に立ちたい、誰かを救いたいという夢が多い。そのなかで当時13歳の一人の少年が「僕の将来の夢は、できる限り多くのユダヤ人やイスラエル人を虐殺することだ」といった。僕は信じられず、とてもショックを受けた。

 

 彼は4歳のときに目の前で叔母さんがイスラエル人、ユダヤ人の兵士に銃殺されたという。叔母さんは街角に立っていただけなのに、血だらけになって息絶えたそうだ。4歳にして家族が殺されるという悲しい体験をし、成長するにつれてそれはトラウマから憎しみに変わっていった。あるときイスラム教の礼拝をしていたら大人たちに声をかけられ、仲良くなるうちに、「俺たちと一緒に武器をもってイスラエルと戦おう」といわれたそうだ。

 

 戦争の結果、悲しみや憎しみが生まれて子どもながらにして兵士になろう、敵国と戦おうという夢を持ってしまう残酷な状況を初めて知った。僕は「やめよう。自分の家族が殺されたからといって、君が敵と思う誰かを殺してしまったら、その人たちが君と同じような体験をするようになる」と彼を説得しようとした。だが彼は「あなたが今いってくれたことは正しいと思う。でも僕はやってしまうと思う。いつか僕は実際に敵を殺して、そのことで国際ニュースに出る日がくると思う」といわれた。それが彼との最後の別れだった。彼がもし生きていたら今38歳だ。僕の記憶が正しければ、中学生にしてハマスのメンバーになってトレーニングを受けていた。もし彼が生きていれば、10月7日におこなわれたイスラエル侵入攻撃の指揮をとっていたかもしれない。

 

 彼のような夢を持たせてはいけないし、彼も戦争や紛争によって自分の家族が殺されたその行為の犠牲者だ。彼との出会いから僕は、彼や彼の友だち、パレスチナ人に限らず、世界中のすべての子どもたちが子どもらしい夢を描ける平和な世界をつくりたいと思うようになった。そう思って、ユナイテッドピープルという会社を経営し、映画を通じて世界の現実を伝えて、気付いてもらって行動を変えてもらいたいと思っている。

 

 今、ガザではこの瞬間に爆弾が落とされている。僕が出会った少年のような、両親、兄弟を殺され、家を破壊され、すべてを奪われる人たちが今この瞬間に増えている。悲しみだけではなく、新たな憎しみのタネも生まれる。この戦争を止めないといけない。憎しみの連鎖を断ち切らないといけない。

 

10月7日以降に何が…

 

イスラエルによる砲撃で廃墟となったガザ地区南部ハンユニスの居住区

 現在のガザの状況を話したい。10月7日以前から悪い状況は続いていたが、今回の戦争の発端となった10月7日以降に何が起きているか。映画には2014年と2018年の戦争シーンがあるが、今回はそれとは格段に違うレベルの過去最悪の攻撃がおこなわれている。ガザは「天井のない監獄」といわれてきたが、現在のガザは地上の地獄になっている。これまでのイスラエルによる空爆や地上侵攻で命を落としたガザの人たちは1万9000人だ。ガザ地区の人口は約220万人だが、この2、3カ月の戦争によって人口の1%が命を落としている。ガザ地区すべての人たちにとっては、自分の家族、親戚の誰かが殺されているということだ。どれだけの悲しみを抱えているだろうか。

 

 経済封鎖によって監獄になっていたガザ地区は、今回の戦争によって完全封鎖に切り替わった。水、医薬品、食料、燃料、人道支援物資すべてが入らなくなった。水がない状況で、わずかに売っているペットボトルの水を買ったり、わずかにある給水所で水を汲んだりして、ないときは汚水を飲んでいる。汚水を飲むと感染症が拡大する。WHOが11月下旬に、「これからのガザ地区は爆弾、攻撃によって死ぬよりも感染症によって死ぬ人が増えるだろう」と警告した。家を追われた人が220万人の人口のうち190万人だ。

 

 映画には漁師のバクル家のみなさんが出てきたが、彼らは今家を失うだけでなく船を失っている。漁港も空爆された。NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが最近「ガザの農場もブルドーザーや戦車によって潰されている」と投稿した。戦争が終わってまず家に帰ろうとしても家がなく、農家も漁師も生き抜くための術を失っている。国連職員だけでも100人以上、学校の先生は約200人が命を落としている。今朝、国際ニュースではジャーナリストが90人以上命を落としていると報じられた。2023年に殺害されたジャーナリストの3分の1がガザ地区だ。

 

 ガザの病院では電気がないため懐中電灯で手術をしているような先生方の映像も見られる。病院では人工呼吸器が止まったり、透析の患者が透析できなくなったりしている。ガザ地区の人たちは、もはや病院に運ばれても病室はなく、廊下で外科医の先生たちが麻酔なしで治療している。ガザには5万5000人の妊婦がいて、1カ月以内に出産を迎える人が5000人いるが、麻酔なしで帝王切開で出産をしており、安全に子どもを産む環境がなくなっている。攻撃ではない方法でガザ地区の人たちは命を落としている。今朝の報道でぞっとしたのは「ガザの半分の人が空腹で大変な状況になっている」ということだ。私たちはこの状況を知って、強く停戦を求めていく必要がある。けっしてガザのことは遠い問題ではない。ヒューマニティーの問題だと思う。今起こっていることは究極の人道危機だ。

 

映画の登場人物たちは今…

 

映画『ガザ 素顔の日常』のDVD

 この映画に出てきた登場人物たちは今どうなっているのか。僕は戦争が始まってから女子大生のカルマのフェイスブックにメールを送ったが、返信はなかった。その後、東京の映画館で、カルマさん家族と親しいという日本人家族と出会い、状況を知ることができた。カルマのお姉さんはイタリア人と結婚しイタリアに逃げることができ、カルマたち家族は無事にエジプトに逃げることができたそうだ。ただそれはとても稀なケースで、エジプトに逃げるためにも賄賂が必要だということを聞いた。逃げられるのはごく一部の人たちで、ほとんどのガザの人たちは閉じ込められて逃げ場がない状態だ。

 

 映画製作に携わったカメラマンの一人のユーセフはガザ出身の31歳の若者だ。2人の子どもがいる。彼はジャバリア難民キャンプといって、今回一番攻撃を激しく受けている地域の出身だ。彼は映像作家、ジャーナリストとして成功し2軒の家を建てていたのだが、戦争が始まって間もなく家は空爆された。幸い命は助かり、今ガザ南部のハンユニスに避難中だが、今回、1週間ほどの休戦が終わってハンユニスが地上侵攻、空爆を受けている。ユーセフも今、命の危険にさらされている。ユーセフはすでに2人の家族も失っている。やっと立ち始めたぐらいの義理の甥っ子が、避難先の空爆で殺された。

 

 数字ではあらわせないが、ガザではすでに7000人以上の子どもたちが亡くなっている。ガザの人たちは、「あと何人の子どもたちが死ねば、あなたたち国際社会や海外にいるみなさんは本気でこの戦争を止めてくれるのか」といっている。

 

 数日前にはユーセフの義理の父親も殺された。彼の友人のジャーナリストも殺された。この悲劇に対して国際社会の一員として、日本から戦争を止めようともっといっていくべきだと思う。私たちができることの最大のことは声を上げることだと思う。地元の国会議員へ、日本の政府へ、そして政府が外交として世界に伝えていく。国際的な世論形成が重要だと思う。

 

■質疑応答より

 

 Q イスラエルはパレスチナ人を抹殺しようとしているのか?

 

 関根 抹殺という表現だが、具体的に起きている行為について検証しなければならないと思うが、僕自身は今ガザ地区で起きている現実は民族浄化、虐殺という表現をしてもいい状況に陥っていると思う。国連機関の多くが警告をしているが、学校、病院、民間人の家屋もターゲットにされている。完全に損壊した学校の数が339校だ。これは国際法違反の状況である。

 

 今、世界がこの戦争をどう見ているかだが、12月12日におこなわれた国連総会で、153カ国が人道的な即時停戦に賛同している。世界のほとんどの国が戦争を止めるべきだと賛同している。12月8日にグテーレス国連事務総長の要請によって国連安全保障理事会の緊急会合が開かれ、ガザでの大量虐殺を止めるための即時停戦決議の採択がおこなわれた。そのときは約100カ国が停戦決議案の共同提案国となった。常任理事国のアメリカが拒否権を発動したことにより否決されたが、世界の半分の国々が停戦すべきではないかと声をあげている。

 

 国際社会のマジョリティがこの戦争がおかしい、止めるべきだといっている。残念ながらイスラエルもアメリカもこの決議に反対しているが、何回拒否されても私たちは声を上げ続ける必要があると思っている。

 

  10代、20代の若者たちへのメッセージを。

 

 関根 現在も過去も対立を続けてきたイスラエルとパレスチナだが、根底にはイスラエルによるパレスチナの占領政策、入植問題がある。どうやったら両者が平和的に共存していけるのか。それはこれまで何十年かけても解けていない問いだ。しかし30年前には、オスロ合意という合意ができた。これはノルウェーの首都オスロでおこなわれ、ノルウェー政府がイスラエルとパレスチナの間に立った。時間はかかると思うが第三国の役割はこういうことだと思う。

 

 日本は平和主義を掲げ、戦争の痛みを知っていて、原爆を二度、投下されている。「3発目の原爆投下をガザ地区にしてもいい」とイスラエル現職の閣僚が発言しているが、それはまずいよと日本がきちんと声を上げ、地理的にも宗教的にも遠い第三国の日本だからこそ、両者のあいだに立って中立な立場で平和へ導いていくことが大事だと思う。

 

 若い世代のみなさんに今後、この問題の根っこを勉強し、過去の成功事例を研究していただき、未来に向けて平和な方向へ導くような行動を期待している。平和構築のやり方はいくつもある。政治という手段、文化という手段もある。日本のピースフィールドジャパン(PFJ)という団体は、イスラエルとパレスチナの女子高生を日本に招待して、山梨県で合宿をさせて寝食を共にして相互理解を深めている。食や旅行、文化を通じて友好を深めることもできる。これは民間でできることだ。

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