(2025年7月2日付掲載)

下関市で開かれた有田芳生氏の講演会「山口県から政治を変える」(6月28日)
参議院議員選挙の公示日が迫るなか、下関市で6月28日、ジャーナリストで衆議院議員の有田芳生氏(立憲民主党)の講演会「山口県から政治を変える―安倍政治と統一教会―」があった。参院選山口選挙区には、立憲民主党山口県連の常任幹事である戸倉多香子元県議(65歳)が党本部の公認を得られず、無所属で出馬することになり、県連も早々に自主投票を打ち出している。連合山口が上関町の原発建設計画や使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設計画に反対する戸倉多香子を支援しない姿勢を示し、党本部がそれに呼応した形だ。こうした状況のなかで有田芳生氏は、未解決である統一教会と自民党・安倍元首相との関係を改めて提起。保守王国といわれる山口県の底流には反戦平和と自由を求める流れがあることを強調し、安倍元首相の銃撃事件をへて変化を始めた政治状況を大きく変える選挙を山口県で展開することに期待を寄せた。有田芳生氏の講演の要旨を紹介する。なお参院選山口選挙区には、そのほかに自民党現職の北村経夫、国民民主党の関谷拓馬、参政党の山崎珠江が立候補を表明している。
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講演する有田氏
3年前の2022年7月8日、午前11時31分に安倍晋三元総理が、奈良県の大和西大寺駅前で銃撃を受けて亡くなった。それをきっかけに自民党と統一教会の関係が社会問題になった。2023年にあった衆院山口4区(下関市、長門市)の補欠選挙で、私は立憲民主党の幹部から依頼され迷ったが、父と母が結婚したのが下関だったという因縁もあり、立候補してたたかった。1950年6月25日、朝鮮戦争が起きた。それによって日本は戦後復興を遂げていくが、同時に占領軍の共産党への弾圧、いわゆるレッドパージがあった。岡山で農林省に勤めていた私の父は一人で「朝鮮戦争反対」というビラをガリ版刷りでつくって汽車に乗り、デッキからばらまいたため、農林省を首になり、下関の保健所で働いていた母のもとに行って結婚した。長門にも母が一人で暮らしていた。そういう因縁があった。
私はこれまで7回の国政選挙をしてきたが、皆さんと一緒にたたかった山口4区補選が、もっとも楽しい選挙だった。選挙には負けたが、皆が心を合わせて選挙戦をたたかうことができた。志高く、皆が楽しく選挙戦をたたかえることが大事だと思う。
はびこるヘイトの土壌 差別的扇動で票集め

下関海峡メッセでおこなわれた安倍晋三の県民葬(2022年)
山上徹也の裁判が10月28日に奈良地方裁判所で始まる。おそらく年内に結審して、来年初めには判決が出ると思われる。もう一度、統一教会問題、安倍晋三元総理の銃撃事件については10~11月にかけて大きく報道されると思う。
同時に伝えなければならないのは、安倍元総理が銃撃されて3年たち、統一教会の問題が新聞やテレビでもほとんど報道されなくなっていることだ。今回、参院山口選挙区で立候補する自民党の北村経夫氏は、裏金問題を抱えていただけでなく、安倍晋三元総理との関係で、統一教会と深い関係を持たざるを得なかった。それについて山口県でも忘れている方々が多いと思う。
裏金問題も統一教会問題も曖昧になっているが、安倍晋三元総理が銃撃されて、日本の政治は大きく変わりつつある。象徴的なのが、3日前に清和政策研究会、いわゆる安倍派が解散届けを総務省に出したことだ。自民党のなかで派閥として残っているのは麻生派だけになった。安倍派は1979年に福田赳夫元総理が清和会をつくったのが始まりで、森喜朗氏がひき継ぎ、その後、安倍晋三元総理が率いてきた。自民党議員のなかで96人が所属するもっとも多い派閥がなくなったことは非常に大きな意味がある。
昨年の総選挙で、衆議院で与党が少数になり、国会の風景も変わった。今回の通常国会でも、政府・自民党が出した法案は修正、修正で変えざるを得なかった。法律は地味な世界なので、実感として感じることはできないかもしれないが、国民生活がよりよくなる方向への変化が国会でも起きている。東京都議会議員選挙では、自民党都議会議員の裏金問題もあって、東京都の自民党の歴史のなかで最低の21議席になり、野党が大きな得票を占めた。
今度の山口県の参議院議員選挙は、戸倉多香子氏のほか、国民民主党や参政党も出馬する予定だ。東京都議選で参政党が3議席を獲得したのは、日本全体のなかでも危険な内容をはらんでいると思う。私は衆議院法務委員会に所属しているが、日本保守党という非常に排外主義的な政党があるほか、参政党は7分ほどの質問のなかで法案とはまったく関係ないクルド人差別を必ず言葉として語る。「クルド人がいるから埼玉県蕨(わらび)市、川口市では犯罪が増えている」といった、事実とは異なる発言をする。それがインターネットに流れることで、多くの人たちが事実だと思い、差別や排外主義的な動きができていく。
来年、ヘイトスピーチ解消法の制定から10年を迎える。在日コリアンに対する差別的な言動、民族や人種を理由とした不当な差別的言動に対してこの法律が制定され、10年たって確かに在日コリアンを排撃するデモは圧倒的に減った。だが、集会は川崎や相模原でおこなわれており、在日コリアンに対する差別的な扇動に加えて、今やクルド人に対する差別、性的マイノリティに対する差別などの土壌が広がってしまった。その土壌の広がりのなかで、参政党などの非常に排外主義的、差別的な言動にひきずられてしまう日本人も多く、彼らが議席を獲得する危険な状況が続いている。
統一教会との関係では、アメリカを拠点に活動している七男(文鮮明の息子)のグループが参政党を公然と支持している映像が残っている。統一教会は2012年9月に文鮮明教祖が92歳で亡くなったことによって三つに分裂した。文鮮明氏の三男、七男、妻・韓鶴子氏だ。韓鶴子氏が日本と韓国の統一教会を指導している。七男はアメリカを拠点に活動しているが、ライフルを持って活動しているグループだ。日本では800人くらいおり、集会をするとき頭に鉢巻をして、ライフルの銃弾をかぶせている。トランプ大統領を支持する集団がホワイトハウスを襲撃したとき、そのグループもかかわっていた。非常に危険だ。まだ広く知られていないが、そういう勢力が、東京あるいは山口県でも、選挙を利用して排外主義的な言動を広めていく危険な状況が出てくると思われる。そういうなかで全国でも参議院選挙がたたかわれ、選挙結果によっては大きく日本全体の政治が動いていく流れになってくる。
いずれやってくる衆議院選挙が政権交代にかかわる重要な意味を持ってくるかもしれない。あるいは3年後にはまた参議院選挙がある。石破茂氏は党内的にも基盤が非常に弱い。参議院選挙はかなり厳しいだろうが、弱いから自民党のなかで石破氏が権力を保っていく可能性もある。昨年の総選挙で野党が躍進した状況のもとで、弱い石破政権が仮にあと3年続いたとしたら、3年後は本当の政治決戦になる可能性が高いとみている。つまり、3年後の衆参ダブル選挙で政権交代の可能性があると私は思っている。
奇兵隊の気構えを現代に 山口県に脈打つ歴史
2年前の補欠選挙に立候補するさい、山口県の歴史を選挙の基盤にしなければと思い、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』という本をまず読んだ。その第一巻が長州、山口県であり、吉田松陰、高杉晋作が出てくる。思想家としての吉田松陰、その思想を実践に生かした高杉晋作の2人は、『世に棲む日々』でも描かれている。当時、相撲取りも被差別部落の人たちも奇兵隊に参加した歴史を踏まえ、2年前の選挙は「第三奇兵隊」という幟をつくってたたかった。心構えとしては、令和の時代にこの山口県でたたかうには第三奇兵隊だ、世の中を変えていくんだということだった。
山口県は、岸信介―安倍晋太郎―安倍晋三の流れと同時に、共産党の委員長、議長であった宮本顕治氏が生まれ育った場所でもあり、反戦平和、自由を求める流れも持っていることを強調しなければならないと思う。そして、山口県には安倍寛という人がおられた。安倍寛は、安倍晋太郎氏の父親で、日置村(現・長門市)で生まれ育ち、衆院議員に2回当選した。当時は戦前で軍部の支配下にあったが、東条英機に対する批判も続け、総選挙で大政翼賛会に属さずに立候補して当選した経歴を持っている。残念ながら1946年に51歳で亡くなられたが、もし存命であれば、山口県の代表的な政治家としてもっと活動されたと思う。その心を安倍晋三氏がひき継いでいたら、また違った日本になっていたと思うが、安倍晋三氏は岸信介氏、安倍晋太郎氏の思想をひき継ぎ、経済問題も含めさまざまな問題を残して3年前に亡くなってしまった。
文鮮明上陸の地・下関 毎年「日臨節」を開催
統一教会の教祖である文鮮明(本名・文龍明)は1922年に現在の北朝鮮で生まれ、朝鮮半島の南にやって来て、そこでさまざまな社会問題を起こす。そして1954年7月、韓国・ソウルで統一教会(世界基督教統一神霊協会)を結成する。その信者の一人が1958年に福岡から日本に密入国して東京に行って信者を増やし、1964年に東京都の認証を得て、統一教会が宗教法人として認証された。
それが1950年代、60年代の話だが、下関とのかかわりでいうと、教祖である文鮮明こと文龍明青年が20歳のとき、初めて日本に足を下ろしたのが下関だ。彼は1941年4月1日、韓国・釜山から夜中2時に船に乗り、朝八時に下関に上陸した。統一教会にとっては今も4月1日は象徴的な日になっており、下関で去年も生涯学習プラザで「日臨節」という集会を開いている。昨年は800人ほど集まった。10年前は1300人ほどだったので、下関周辺でも信者が減っていることがわかる。日本に初めて教祖が足を下ろした日臨節を毎年開いており、統一教会にとっては今でも下関が聖地に匹敵する場所になっている。
その後、統一教会はさまざまな犯罪を起こしてきた。今年、下関市が日臨節に会場を貸さなかったため、統一教会とのあいだで問題が続いていると聞いている。前田市長は記者会見では、「今年の3月25日に東京地裁で解散命令が出たから会場を貸さなかった」ときれいごとをいっていたが、共産党の市議が情報公開をすると「日臨節で生涯学習プラザで集会を開くと、反対派が来てトラブルになるから貸さなかった」となっていた。これが本音のようだ。
東京地裁の解散命令は一言でいうなら「反社会的な団体だ」ということだ。今、東京高裁で争われており、9、10月には確定するはずだ。統一教会は最高裁にも訴えるだろうが、宗教法人法にもとづいて東京高裁で解散命令が確定する。すると、すぐ清算人の弁護士が選ばれて、統一教会の資産(不動産も含めて)は処分されていく。それが秋以降の話だ。統一教会は1136億円の資産があり、現金を800億円ほど持っている。霊感商法などで非常に多くの被害が出ているので、そのなかから被害者の救済に充て、足りなければ山口県にもある施設を売却していくことになるだろう。山上徹也の裁判も10月28日から始まるので、秋以降は統一教会問題がもう一度メディアを賑わせることになるだろう。
統一教会の信者にとっては、これからの信仰がどうなるのか、不安を持つ方も当然おられるだろうが、宗教法人法にもとづいて教団が解散になっても信教の自由は守られる。ただ、法人格は失われるので、山口県にある統一教会の施設、あるいは東京渋谷区にある豪華な建物などには、来年以降は固定資産税や法人税が発生するようになる。そうしたプロセスが続いていく。
自民党との濃密な関係 岸信介時代から同化

1973年11月、統一教会の教祖・文鮮明と握手する岸信介元首相(右)
問題なのは、統一教会と政治、自民党との関係が、風化はしているが、ずっと続いていることだ。自民党の国会議員の公設秘書、私設秘書のなかには統一教会の信者が入っており、何人いるかわからない。その関係は1980年代からできているものだ。
関係を遡ると、岸信介氏が総理大臣のとき、東京都渋谷区南平台に暮らしていた。その隣に統一教会の高校生たちが原理研究会という施設を持っていた。隣の空き地で若者たちが賛美歌を歌ったり、ラジオ体操などをしているのを見て、岸氏は「あれはなんだろう」と思っていた。A級戦犯容疑者として巣鴨刑務所に入っていたときに親しくなった船舶振興会の笹川良一氏にそのことを話すと、「あれは統一教会の信者たちだ」と教えられた。そこからのつながりだ。岸氏が住んでいた公邸は女優の高峰秀子さんの家だったが、岸氏が総理官邸などで暮らすようになると、統一教会が高峰秀子さんの所有物に本部を置くようになった。岸信介氏は、統一教会の信者は日本のために行動する愛国の青年だということで、統一教会の本部に行って「東アジアの平和について青年の使命」というような講演をする。韓国の統一教会本部に行って文鮮明教祖と握手をしている写真も残っている。そうした関係のなかで統一教会と岸信介氏、自民党との関係が深まっていく。
1961年5月12日に韓国で朴正熙の軍事クーデターが起こり、朴正熙政権が「勝共統一」を掲げた。1964年には文鮮明教祖が「勝共」を使い、韓国で「国際勝共連合」ができる。1968年には韓国に続き、日本でも国際勝共連合が生まれて活動を始め、政治家たちにつながっていった。教祖が決めた相手と結婚しなければならないような統一教会が政治家に近づけば、「なんだこの宗教は」となるが、勝共連合ということで近づいてきたから自民党も重宝がった歴史がある。イデオロギー的に自民党や日本会議などともつながっていったということだ。
1974年に東京の帝国ホテルで開かれた「希望の日晩餐会」で、現役の福田赳夫大蔵大臣が「東洋に救世主現る。その名は文鮮明」とスピーチをしている。そこには文鮮明夫妻も座っていた。その集会に来ていたのが衆議院議員の安倍晋太郎氏だった。岸信介氏は総理であり、その娘婿ということもあって統一教会は接近していき、1970年代に入ると安倍晋太郎氏を総理にしようと熱心に動いていた。
選挙にはお金もかかり、運動員が必要になる。統一教会の信者たちは、安倍晋太郎氏や北村経夫氏のために、朝9時ごろから夜8時ごろまで無償で電話をかけ続け、ポスター貼りをし、チラシを配る。信者30人がそのような動きをすれば、ものすごくありがたい。しかし、選挙に当選すればお礼をしなければならない。
文鮮明教祖は韓国を中心に行動していたが、アメリカでも暮らしていたことがあり、『ワシントン・タイムズ』を発行したり、日本からアメリカにハマチを輸出する会社などもしていた。アメリカには1970年代から寿司店があったが、それを始めたのは統一教会信者たちだった。韓国では宗教法人法がなく、今も財団だ。武器やメッコール(飲料)をつくったり、『世界日報』という新聞を出したりと、いろいろな事業団体がある。文鮮明教祖はアメリカで脱税をして1年6カ月の実刑判決を受けて刑務所に入った。そのときにレーガン大統領に宛てて「文鮮明という人は愛国者であり、世界の政治にとって大変な役割を果たしている人だから刑務所からなんとか早く出してくれ」という内容の手紙を出したのが岸信介氏だった。1年6カ月の実刑判決だったにもかかわらず、1年1カ月で刑務所から出ることができた文鮮明教祖は、1980年からまた活動を始めた。
アメリカで監獄に入る前の1975年7月、文鮮明教祖は日本の信者に「お金を送れ」という命令を出した。統一教会は初めは全国各地で廃品回収をして資金源にしていて、非常に質素な宗教団体だった。運営が難しくなってきて3枚1000円でハンカチを売ったり、夜の飲み屋に行って2000円で仕入れた珍味を3000、4000円で売ったりしていた。ノルマもあり、若い信者たちは世界平和のためにと、朝から夜までハンカチや珍味を売った。売れ残ると居酒屋に入って「リンゴの唄」の替え歌の「コンブの唄」を歌ったり踊ったりして販売し、あるいは街頭でカンボジア難民のためと偽ってインチキカンパをしたりしてお金を集めた。
もっとお金をとってこいということで1975年7月に始めたのが霊感商法だ。韓国でつくった壺などを日本に輸入し、「あなたが不幸なのは先祖の因縁があるからだ。因縁を絶たなければならない」などといって、原価40万円ほどの物を600万、2000万円などで売りつける。山上徹也の母親もそれで破産した。そうした霊感商法によって何千億円ものお金が韓国に送られた。
さらに日本の信者を励ましてもっと資金集めをしようとしたが、文鮮明教祖はアメリカで監獄に1年入っていたから、入国管理法の規定で入国できないはずだった。しかし、1992年に文鮮明教祖は日本に入国した。金丸信氏など統一教会と親しい政治家たちを動かし、法務大臣を動かして超法規的に入国したのだ。その前年、文鮮明教祖は電撃的に北朝鮮を訪問し、金日成主席と会談した。1989年に東西冷戦が崩れ、アジアには中国と北朝鮮が残っている。北朝鮮の指導者と会った文鮮明教祖の話を聞くのは日本の政治にとって非常に重要な意味があるという理由をつけて、法務大臣が超法規的に文鮮明教祖を入国させた。そして、東京、名古屋、大阪で信者たちを集めて激励し、その年、霊感商法の被害は広がった。そういう組織だ。
1986年に信者たちは京都の嵐山で秘書養成講座をおこない、それを受講した女性信者たちを中心にして、全国の自民党を中心とする国会議員の公設秘書、私設秘書に入っていった。そして今も入っている。2022年に自民党の大臣経験者と話したさい、今も信者たちは秘書でたくさんいるといっていた。人数はわからないが、今でも動かしている。

2019年10月の統一教会系団体UPFサミットで韓鶴子総裁(中央)ら教団幹部との記念写真に収まる自民党国会議員ら。左から3番目が北村経夫、4番目が江島潔(元下関市長)の山口県選出両参院議員(教団が配信したピースTVより)
安倍晋三元総理も幹事長の時期には、統一教会がしょっちゅう寄ってくるが、会わないといっていた。母親の安倍洋子氏も、霊感商法の問題があったので、厳しく止めていた。当時は自民党の議員たちも距離を置いていたが、1995年になるとオウム真理教の地下鉄サリン事件の問題が広がったために、統一教会に対する関心はなくなってしまい、その間を縫って、山口県でも自民党政治家たちに近づいていった。私は資料を持っているが、東京から福岡の方にやって来て、北村経夫事務所で北村選挙をたたかった女性たちがいる。組織をあげて北村経夫氏を応援していたのが統一教会だ。ただ、今のような状況のもとでは、もっと巧妙な形で北村経夫氏のために再び動くだろうと思っている。
山口県での変化に注目 教団系議員との決別
そういう問題も含めて、参議院選挙はもう目の前に迫っている。おそらく政党状況の関係によっては、3年後に衆参ダブル選挙で政権交代を争う一大決戦が来るだろうと思っている。
今、私たちが生きているこの時代は、歴史の圧縮過程にある。政治が変わらない状況が安倍晋三元総理の時代にはあったが、亡くなってから大きな変化が起きている。昨日が今日に、今日が明日というように、たんたんと続いていく局面もあるが、ぎゅっと圧縮して大きな変化が起きることもある。戸倉多香子氏のたたかいも、その歴史の圧縮過程をさらに圧縮させるたたかいになると思うので、党派をこえて北村経夫候補と競り合うたたかいをつくってほしい。組合はあるが、労働者の一人一人にどう声をかけていくのかが大事だ。どこの支持がないからなど気にせず暴れ回ってほしい。





















