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沖縄県民の圧倒的勝利 過去最高得票で玉城氏が当選 

当選が確実になり、万歳を三唱する玉城デニー陣営(9月30日午後9時半)

 辺野古新基地建設を最大の争点にした沖縄県知事選が9月30日に投開票され、大激戦の末、オール沖縄が擁立した玉城デニー(前衆議院議員)が、自民・公明・「維新」などが全力で支援した佐喜真淳(前宜野湾市長)に圧勝した。

 

 事実上の一騎討ちとなった選挙戦は、安倍政府が権力と金力をフル動員し、あらゆる組織を取り込みながら県民世論に襲いかかったのに対して、73年続く米軍支配からの脱却を目指してたたかう沖縄県民との真っ向勝負となり熾烈を極めた。基地建設阻止の世論を封じるため、政府与党は2月の名護市長選の手法を踏襲し、争点ぼかしとなりふり構わぬ介入で知事ポスト奪取を狙ったが、島ぐるみで燃え広がった世論は鋭さを増し、揺らぐことのない意志を日米政府に突きつけた。沖縄県民の歴史的快挙は、対米従属構造とたたかう日本全国にも大きな指針を与えるものとなった。


 開票結果は、自民党が抱える佐喜真淳が31万6458票、オール沖縄が支える玉城デニーが39万6632票となり、その差は8万174票と大きく開いた。玉城氏の得票は、4年前の翁長雄志氏の得票を3万5812票上まわり、過去の沖縄県知事選における史上最高得票を記録した。


 選挙前日に大型台風が直撃しながらも、投票率は前回( 64・13%)並みの63・24%となり、知事選に対する関心の高さを物語った。なかでも期日前投票は前回(19万7325人)の2倍を超える40万6984人に達し、こちらも過去最高を記録した。当日の投票者数を上回り、全有権者の35%が選挙当日までに投票を済ませるという異例の選挙となった。選挙当日に台風の直撃が心配されたこともあわせ、組織ぐるみ選挙の傾向が強まるなかで、一票一票の熾烈なたたかいであったことを示した。

 

みんなでカチャーシーを踊って、勝利の喜びを分かち合う玉城陣営(9月30日)

 開票日、オール沖縄が支える玉城陣営には、投票終了の午後8時から続続と支援者が詰めかけた。玉城デニー候補、選挙母体「ひやみかちうまんちゅの会」の会長を務める呉屋守將氏、顧問の照屋義実氏(元沖縄県商工会連合会会長)、オキハムの長濱徳松会長などの経済界代表、知事職務代理者である謝花、富川両副知事、さらに城間幹子那覇市長、瑞慶覧長敏南城市長をはじめ、オール沖縄会議に所属する首長、県議、市議などが勢揃いして開票速報を見守った。


 開票前の午後8時過ぎごろから「優勢」の報道があいつぎ、そのたびに会場は拍手や歓声が飛び交い熱気に溢れた。午後9時半にNHKの当確が発表されると大歓声がわき起こり、玉城候補を筆頭に選対を担った若者たちも支援者もみんなでカチャーシーを踊り、万歳三唱をおこなった。涙を拭う人や指笛を鳴らす人など、あらゆる困難を乗り越えて県民自身の手で勝ち取った画期的な勝利を喜び合った。


 挨拶に立った呉屋守將会長は、集まった支援者の労をねぎらい、「玉城デニーの政策発表のときにわれわれの推すべき候補だと確信した。この勝利は玉城デニーのものであるが、うまんちゅ(万人の県民)の勝利でもある。最後の最後まで“危ないんです。あと一票、あと一票が大切なんです”という皆さんの努力が実った勝利だ。翁長県政を継承し発展させる重要な役割を玉城デニーは担った。しかし勝負はこれからです! もっともっと団結して頑張ろう!」と、口もとを引き締めて団結を呼びかけた。

 


 当選した玉城氏は、押し上げた県民の力に感謝をのべるとともに「この選挙を通じて、私たちが持つ生きる権利、学ぶ権利、平和に暮らす権利をもう一度沖縄から全国の皆さんに示すことができるのではないかと思ってきた。県民は、さまざまに降りかかる問題を全県的な奮い立つ思いで行動し、声に出し、いまもそれぞれの立場で行動を続けている。この誇りをあらゆる人々の人権と尊厳と生活に還元していくことを訴えてきた。誰一人として取り残さず、ウチナーンチュ(沖縄県民)のことはウチナー(沖縄)で決める。沖縄に愛情を持っている人たちも喜んで参画してもらい、みんなで私たちの未来を決めていく。それを沖縄で示すことができれば、それは全国の皆さんへの大きな支えにもなり、希望にもなると訴えてきた」と選挙戦をふり返った。


 さらに「そのためには平和が大前提であり、新しい米軍基地を造らせない、辺野古の新基地建設は絶対に認めない! 大切な自然を潰して耐用年数200年の基地を造られたら、二度と県民には戻ってこない国有地となる。一度渡してしまえば抗うことはできず、いま止めることが未来の子どもたちのためにできる私たちの世代の責任だ。このことを翁長知事の遺志を継ぎ、体を張って主張していく。普天間基地の問題は、戦争によって奪われた基地を撤去し、土地を住民に早く返すことが原点だ。閉鎖・返還こそ道理であり、それでも新しい基地が必要ならば日本全国で論議し、多くの国民のなかでこれ以上の米軍基地が必要ないとの結論になれば、米軍はアメリカ本国に引き取ってもらうのが筋だ。この道理を止めることなく、折れることなく正々堂々と主張していこう。そしてみんなで希望を描ける沖縄づくりを目指して堅調な経済を伸ばし、沖縄の地理的優位性を生かしてアジアへ、世界へ、ウチナーンチュ・ネットワークを生かして世界から褒められる沖縄県づくりを目指そう!」と訴えた。大きな歓声と拍手が鳴り響き、県民の手で国ぐるみの圧力を撃ち破ったことへの大きな確信に満ちあふれた祝勝会見となった。

 

硬い表情で開票速報を見つめる佐喜真候補と、自民、公明、維新の県内選出議員ら(9月30日、那覇市)

 自民党や公明党が丸抱えした佐喜真陣営では、実質選対を取り仕切った自民党や公明党本部の議員は顔を見せず、県内選出の自民、公明、維新の国会議員、県議、市議などが責任を転嫁されたかのような硬い表情で開票速報を見つめた。

 敗北が決まった9時半過ぎに出てきた佐喜真氏は、「私の力不足。自民党県連・本部、公明党、日本維新の会、希望の党など推薦をいただいた各党、経済界にお詫びする。“県民の暮らしが最優先”“結果を出す”という私の主張が県民に浸透しなかった」と呆然とした表情で敗戦の弁をのべた。


 玉城陣営と対照的に会場には空席が目立ち、選挙中には大集結していたあらゆる与党勢力の重鎮の姿も見えず、カメラのシャッター音とアナウンサーの声だけが聞こえる静寂のなか、わずか15分で会見を終えた。

 

言葉少なに会見場を後にする佐喜真候補(9月30日)

熾烈な選挙戦を制した県民の力

 8月8日の翁長雄志知事の急逝によって前倒しとなった知事選は、選挙日の決定から投開票日までわずか1ヵ月という超短期決戦となった。自民党政府が丸抱えした佐喜真陣営は、前回まで「自主投票」だった公明党(創価学会)が全面支援に乗り出し、そこに下地幹郎率いる日本維新の会、希望の党まで相乗りしてまさに死力を尽くした選挙戦となった。

 

 なかでも8万票の基礎票を持つといわれる創価学会は、全国各地から数千人の学会員を沖縄入りさせるなど自民党の集票マシーンとしての役割をいかんなく発揮したが、その介入が逆に下部の反発を招いたことを選挙結果は示した。組織された宗教票のコントロールを売りにして自民党政府に与してきた公明党(創価学会)にとっても致命的な敗北となった。


 辺野古新基地問題には触れず、「対立から対話へ!」「県民の暮らしが最優先」など大手広告代理店が得意とするワンフレーズを多用し、「全国最下位の県民所得の向上(所得300万円の実現、最低時給1000円など)」「保育料や医療費の無償化」などに加え、「プロ野球球団の創設」さらに「携帯料金の四割削減」までぶち上げて若年層への浸透を図ったが、県民の間では、4年前のUSJやディズニーリゾート誘致と同じく有権者を愚弄するものとして反発を強めた。争点ぼかしと「〇〇無償化」政策で市長ポストをもぎとった名護市長選方式を踏襲したものの、鋭さを増す県民世論を前にして、上滑っていたのが特徴だった。佐喜真陣営はもっぱら組織や業界の締め上げなど、水面下の票固めに力を注いでいた。


 それに対して、翁長知事の支持母体であったオール沖縄からは翁長知事の後継として玉城デニー氏が出馬表明し、翁長知事の遺志を継いで辺野古新基地建設阻止を貫くことを求める県民世論に突き動かされるかたちで挑んだ。沖縄の政財界はじめとした事情通の世界では「佐喜真勝利」が常識ともいわれる選挙構造のなかで、国策に抗う島ぐるみの力の結集が求められた。


 事前には、政府が辺野古工事を強権的に進めながら県民の諦めを誘うなかで、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票実施を求める署名がわずか2カ月間で10万人を超える勢いで集まり、翁長知事の逝去直後に開かれた8・11県民大会には風雨をついて7万人の県民が結集するなど、県民の決意は不屈のものであることを示した。「県民が心を一つにしたとき、想像を超える力を発揮する」(翁長雄志)の言葉通り、組織をもたない玉城陣営を押し上げ支えたのは、沖縄戦からつづく米軍支配と対峙し続けてきた下からの強力な県民世論であり、その力は政府の介入が強まれば強まるほど島ぐるみの熱気をともなって広がった。


 知事選は、未来永劫にわたって基地支配を押しつけようとする東京司令部(官邸)と、これを迎え撃つ沖縄県民との真っ向勝負の様相を帯び、中央からの介入が強まれば強まるほど、その構図は一層際立つものとなった。欺瞞を許さない県民世論のうねりが選挙戦を下から揺さぶり、過去最高得票という揺るぎない力を示して払いのけた。


 70年にわたって県民を米軍基地支配に縛り付けてきた「アメとムチ」政策は完全に破たんした。沖縄県民の力は、4年前にも勝る鋭さと勢いをもって、日米政府による企みを完膚なきまでに打ち砕いた。この歴史的快挙は、同じ対米従属構造のなかでたたかう日本全国を励ますとともに、その進撃方向を明確に示すものとなった。

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