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教育の質低下生んだ改革 梅光学院の関係者による座談会

教師の首切り、外部委託に拍車 人件費を1億円削減し管理経費は2倍に

 

 下関市にある梅光学院(幼稚園、中高校、大学)で、現経営陣の改革に対して同窓生や教職員、保護者などが異議を唱え、運動を開始して3年になる。教職員、保護者など複数の関係者に集まってもらい、梅光学院の現状はどうなっているか、またこの改革をめぐる問題についてどのような思いを持っているのか、本音を語り合ってもらった。

 

  中高校では有効な教員免許のない先生が授業を担当していたことが2年連続で発覚し、生徒が補習を受けなければいけなくなった。今月11日に、この問題について山口県学事文書課に申し入れに行った。学事文書課の担当者と県教委の担当者計4人が対応したが、聞くと2年連続でこんなことが起こったのは中国地方5県と福岡県で山口県だけ、梅光学院だけということだった。学院の経営陣は「補習をした」と報告すれば許されるので、あまり深刻に考えていない。来年また同じようなことが起こる可能性があるので、厳しい指導をするべきだと申し入れた。とくに中高の改革担当理事を呼び出して指導すべきだと伝えたところだ。

 

  大学でも子ども学部の保育士資格取得の1年生向け科目「スポーツ実技」で、厚生労働省から授業時数が足りないという指摘を受け、8月の土曜日に2回、学生を集めて補講があった。簡単にいうと、本来は講義90分×15回、実技90分×15回が必要なところを、講義も含めて90分×15回と、半分の時間しかやっていなかったようだ。学校側のミスで2、3年生は1年生の授業の補講を今になって受けないといけなくなった。学生たちのなかでは「補講だ」と話題になっていたが、今回もきちんとした説明はないままだ。

 

 しかも当日の補講は、1年生から3年生までを体育館に集め、「猛獣狩りに行こうよ」とかバドミントン、コマ回し、竹とんぼなど半分遊びのような形で終わったようだ。出席カードを出せばいいということで、2日目は参加していない学生もいたといわれている。時間を潰せばいいという感じだ。「文科省や学事文書課は、ごめんなさいといえば許してくれる」というくらいで、行政指導など真剣に受け止めていない。

 

 どんどん雇い止めをして、新しい先生たちを集めるというのをくり返しているから、こんな低レベルなミスも起こるし、質が下がっていく。大学の教員でない人も多く、授業をきちんとしておらず、後期に一からやり直さないといけないケースも出ている。中高はとくに入れ替わりが激しい。「次世代型教師力」という新しいパンフレットに中高の先生の顔写真が載っているが、知っている先生はほとんどいない。樋口学院長はキリスト教主義をうたいながら、中高のクリスチャンの先生をみんな首にしてしまい、今は1人か2人だ。

 

  文学部も日本文学の専門でない人が教員になっているので、文学を学ぼうと入学してきた学生から不満が出ている。あまりにも評判が悪くて別の学科に移る教員もいるようだ。中野新治元学院長が来年3月で退職することもあり、新しく日本文学の専任教員を募集している。

 

  子ども学部では近年、現場力がないというのが課題になっている。ダンスを踊ったり、子どものためにお面をつくる授業もあり、そういう授業は学生たちにとって達成感もあって楽しい。なかには授業評価を上げるためにそういう授業をやる先生もいるのだが、樋口学長は「それが授業だ」と思っていて、座学などがなくなっているので本当の力がつかなくなっている。応用が利かないとか、自分で考えることができない、いわれたことしかできない、問題が起こったときに自分で解決できないなどの点を保育現場の方などから指摘を受ける。行政の動きを理解することも含め、本来勉強しなければならないことはたくさんある。力のない専門職が生まれることは、専門職養成機関として深刻だ。

 

 背景を考えると、教育を外部発注してきたことがあると思う。以前は採用試験の対策も教員みんなで協力して指導していたが、東京アカデミーに委託したり、面談も就職指導室でやるようになっている。入学直後の大学生活に慣れるための合宿行事も教員がしていたのをラーニングバリューという業者に100万円で委託するようになった。これは今年からやめたという話だが。

 

 東京アカデミーにしても、無償で補講をやろうという先生たちがいたのに、それを切って入れた。最初は「TOEICで何点とったら奨学金を出す」などの条件をつけ、お金で釣るような方法で学生を集め、次第に助成金を削っていく形だ。学内でやれるのをわざわざ外部発注する仕組みをつくってしまった。中高も授業で「塾へ行きなさい」といわれるそうだ。教員の負担軽減といえば聞こえはいいが、それは学校なのだろうか。

 

  中高の保護者に様子を聞くと、ICT機器はそろっていても、校内の草刈りがされていなかったり、落ち葉で歩けない場所があることや、9月1日の梅光祭のプログラムが8月末に配られたり、合唱祭のプログラムも1日前、引率者名のない学外行事のお知らせが配布されるなど、疑問点が多く寄せられている。

 

  教育内容の「改革」でタブレットを導入したりしていることがどういう効果を生んでいるのか気になっていたが、中高の保護者の意見のなかに「皮肉にも予備校の授業、スタディサプリの充実で質の高い授業を受けられている」という意見があって気になった。

 

  確かに、スタディサプリとスタディサポートという大手2社の同じようなアプリが導入されていて、北予備の先生の授業も導入され、そうした部分では充実しているかもしれない。だが、それをうまく利用できる生徒は一桁だと思う。お母さんたちと話していると、「やれ、やれ」と山ほどいろんな物が与えられるが、課題として与えられるわけでも、宿題になるわけでもない。「どんどん自分でやっていいよ」というだけだ。勉強の仕方を習えていない子も多いので、自分でする子は少ない。そもそも、アプリで勉強するなら学校ではないと思う。自分で契約すればスタディサプリも使えるし、塾にも行ける。中高という学校で学ぶのはそういうことではない。目前、子どもの教育環境が充実しているように見える保護者もいるだろうが、そういう視点が抜けていると思う。

 

象徴的な制服変更問題 皆の意見聞かず突然

 

  中高の父兄は、いろいろ感じても公にできない。生徒を人質にとられているようなものだからだ。今の中高は実力をつけていないので、卒業後の進路は学校の推薦に頼るしかないと思う。そうするとよけいに首根っこをつかまれていえなくなる。それを考えると、2017年の同窓会誌に入っていた制服変更についての緊急アピールに、在校生が制服変更に対する思いを書いてくれたのはすごく貴重だ。同窓生からもっと反応がほしかったが、500人くらいしか反応がなかった。私自身も忙しくて反応できなかった1人なので、じくじたる思いがある。

 

 制服変更は今の梅光問題の象徴のようなできごとだ。一つの伝統ある学校の伝統ある制服を変更するときに、同窓生にも在校生や父兄にも意見を聞かず、突然持ち出してきて「A案とB案どちらがいいですか」という手法だった。洗濯がしにくいのであれば、これまでのものを生かして材質的にかえるというのが筋だと思うし、時間をかけて検討すべきことだ。下関の町の一つの財産でもある梅光の制服がこの町から消えていく。これは梅光問題の象徴だ。勇気を持って書いてくれた在校生のアピールを大切にしたいと思い、市民の方に読んでいただいているところだ。

 

  制服の変更については理事会の議事録にもないという。重大な議題なのに、理事会にかけられているのだろうか。

 

  中高の保護者会ではT氏が説明した。個別に質問したときは「理事会決定だ」といっていたが、説明会で「理事会がいつあったのか」という質問が出ると、「理事会ではなく常任理事会だ。ただ全員集まっていない」といわれた。聞くたびに答えが変わっていたが、結局2、3人で決めている。「ゆっくり決めてほしい」「なぜこんなに早く意見も聞かずにしないといけないのか」という質問に対しても「今梅光は危機なんだ」の一点張りだった。保護者会で質問をした人はそこから目の敵になった。

 

  中高の現場の教員も知らないというのが普通の組織では考えられないことだ。

 

  情報公開が本当になくなった。常任理事会の議事録も公開しないといったこともあるし、教授会の議事録も教授に見せない。以前はネットで議事録を見れるようにしていたが、あの首切りがあったころから完全に見れなくなっている。「部外者の立ち入り禁止」という看板も立った。

 

  コール梅光も同窓会の下部組織として、これまで大学内のスタージェスホールで練習してきた。設立から17年になるが、これまでは中高の講堂や山田記念ホールなど学校の方が便宜をはかってくれる形でコーラスの練習を続けてきた経緯がある。しかし、昨年9月にスタージェスホールの使用許可願いを出すと、「学院の教育活動以外では貸さない」という返事が来た。樋口学院長からは「部外者には貸さない」といわれた。同窓会として借りることもダメだという。「同窓会は部外者」といわれたのは初めてだ。

 

 学校施設を借りるのに電気代などもかかるので、毎年15~20万円は寄付として納めてきたし、その他の献金も協力してきた。樋口先生がカンボジアに教会をつくるという話を聞いてそれにも献金した。精一杯の協力をしてきたと思っていたが、もういらないと捨てられてしまった。その話をしたとき樋口先生は、「そういうものはいただいておりません」といわれたから驚いた。領収書もあるのに…。クリスマス礼拝のフィナーレでハレルヤコーラスを学生と一緒に歌うのも、2002年に宗教主任だった樋口先生の要請で始め、10年以上続けてきたが、一昨年「学生だけでやるからいらない」といわれた。同窓生のなかで「樋口先生は人が変わったね。権力が人を変えるのかね」と話している。

 

  教育設備だから、学生を優先するのはもちろんだが、使わせないというのは今までない。開かれた大学で、あってはならないことではないか。同窓生は関係者だし、関係者でなくても図書館は市民に開放している。私立大学といえど、税金をいただいているから市民のみなさんや他大学に開放することを推進しているはずだ。

 

  結局、樋口先生の気に入らないことを同窓生がしているのが問題なのだろう。コール梅光が部外者といわれたというが、何よりメモリアルデーが学内でおこなわれなかったというのは本当にショックだった。

 

  広津先生や佐藤先生など諸先輩あっての今なのに、先人を思い起こすためのメモリアルデーを校内でやらせなかった。そこまで学校を私物化してしまっている。梅光の今まで蓄積されたものや貢献された方方を踏み台にして勝手気ままにしていいものだろうか。

 

 H クリスマス礼拝は昔から大学にとっても同窓生が集う場、大きな学校行事の一つだったから必ず土曜日にしていた。コール梅光も拒否されたという話だが、今は平日にやるので若い卒業生も参加できない。なぜ今伝統を簡単に変えてしまうのか理解できない。

 

 B 樋口先生も以前はそうではなかったが、学長・学院長になるところっと変わって、自分が法になってしまった。

 

「赤字」といいながら外部委託には大金

 

  梅光は2011年に子ども学部の入学者が減った。2016年の梅光誌だったと思うが、中野学院長が「財政の崖っぷちだ」と書いていた。崖っぷちから、2011年の秋に雇った非常勤のT氏を、半期後に統轄本部長に据えた。当時の様子を知る1人のクリスチャンとして素朴な疑問だが、本当に助けを必要としている学校を助けようとして乗り込んで来たのであれば、クリスチャンならまず「私は学院長から嘱望されてきた。みなさんを助けたいと思う。新参者だが、どうぞ協力してほしい」「財政の現状はこれだけ厳しい。一緒にやりましょう」というと思う。

 

 だが最初にやられたのは従来の教員一人一人へのヒヤリング、取り調べのようなことだった。突然名もない知らない人が来て、そんなトップに据えられたらみんなおかしいと思う。「なぜT氏がそんな態度をとったのか」が素朴な疑問だが、反対にいえば危機ではなかったのではないか。おそらく資産や現金もあった。だから来たのではないかと疑わざるを得ない。

 

  あのとき赤字は中高だけだった。生徒に対して先生が多く、毎年1億円くらいの赤字になっていたが、首にするのではなく、定年を迎えた先生から順に人数が減っていけば十分やっていける体質だった。だが、岡崎学院長が辞め、中野学院長1人では何もできない。渡りに船でT氏が来たから、改革をしてもらおうとしたが、彼らがどんどん好きなようにやり始めた。初めは中野先生も「おかしい」といっていたのだ。だが、社労士なども含めた会議でぼろくそにやられた。最後は訳がわからなくなり、恐ろしくなったのか、態度を翻した。

 

  2011年にT氏が来るとき、履歴書にも不自然な点があり、先生のなかでも反対があった。T氏はマンチェスター大学のドクターを持っているといっているが、催促しても証明書など記録を出さない。普通は認められないが、その後自分が事務局長になり、統轄本部長になったので請求する人がいなくなっている。そういう人を中野先生が反対を押し切って採用した。そして2012年には車いすの佐藤先生を呼び、自分たちが学長や統轄本部長になることを理事会で認めさせた。そして2015年、先生の大量首切りをするか否かというときに、また中野先生の大きな判断ミスでここまで来た。

 

 今大学で図書館学や博物館課程など、文学部のベースになっているものを「役に立たない」といって削っているが、以前には短大でも同じように教員養成課程をなくしたりして、学生が1000人いたのから、最後は40~50人まで減った。そのときも中野先生が副学長、樋口先生が学生部長だった。これまで失敗したことをまたやっている。

 

  当時、英語科の改革がなかなかできなかった。日本文学や子ども学部は独自で改革しようとしていた。ところが英語科の改革ができないという話だった。それである先生が名城大で英語改革をしたというT氏を紹介し、中野先生が飛びついてしまった。すると英語科だけでなく学院全体の改革に乗り出してきた。おそらくT氏は赤字もない経営状態を見て「ここでやれば何とかなる」と思ったのだろう。それまで梅光学院大学は先生方の力に期待して改革しようとしていた。しかしT氏たちは高総研というコンサルタントを連れてきた。うちの学校にそういう発想はなかった。

 

  北川透先生の文学立て直しもそうだし、学校訪問、企業訪問などもみんなでおこなっていた。でも、T氏たちがやったのは、コンサルタントに年間900万円くらい支払ったり、専門職員をひき抜いてきたり、すごい金を使った改革だった。「じょうれいくん」という600万円のソフトも突然T氏が買わせたが、そうやって自分たちの力でやらず、全部外の力を借りてやる手法を持ち込んだ。中野先生もそれにびっくりしたのではないか。株の運用と同じで、一般企業の資本を投下して回収していく市場原理を大学に導入するやり方だ。学校教育法改正や有期雇用法など制度の切れ目を利用されたところもある。

 

 H 学長の権限が強化されるなど、大学改革の流れにも乗った形だ。

 

  先生たちの大量解雇から3年がたとうとしているが、最近T氏が授業を放り出して突然イギリスに行ったと話題になっている。次の就職先のために履歴書の準備をしに行ったのではないかという人もいる。というのも、財政の逼迫が予想されるからだ。

 

 梅光には彼らが来る前までおよそ30億円の現金資産があったが、20億円かけて大学の新校舎建設が始まり、今、土地・建物のほか現金預金を担保に私学事業団に3億円、三井住友銀行に7億円、西中国信用金庫に3億円を借金している。株の運用に回していた約13億円も校舎建設のために一部解約したものの、まだ7~8億円あるようだ。毎年の学費収入や人件費などを考えると、返済が始まったとき、資金繰りに使える現金が不足する可能性が高いと思う。それも踏まえてT氏たちがそろそろ先のことを考えて動いているのかもしれない。

 

 結局のところ彼らは「改革」で先生たちを切って人件費を約1億円削減したが、その分、自分たちが使いやすい管理経費に回しただけだ。管理経費は「改革」前の約2倍になっている。これは「改革」とはいえないと思う。

 

  大学にせよ中高にせよ、「改革」といってさまざまな器具・機材や外部講師の導入をしてきて、結果生まれているのは教育の質の低下だ。一人一人はどうでもよく、物を与えておけば先生の質なんかどうでもいいということに徹して改革が進められている気がする。それは本来の梅光ではない。まったく別の学校になってしまったと思う。教育力を無視して外からの力を導入しているが、傍から見るとわからないので、パンフレットなどを見て「いいことをしている」と思う人もいる。しかし、教育とは本来そういうものではないのではないか? という問いかけをしていかないといけない。教育は機材を与えればできるのか、人間はどうでもいいのか、先生はどうでもいいのか、名目さえあれば学校現場というのは成り立つのか? という問いを突きつけられている。

 

 今年の同窓会総会で、「一番大事にするものは教育なのか、管理なのか、宗教なのか」という質問が出たとき、樋口学院長は「宗教だ」と答えた。学校で一番大事なのは宗教ではない。教育をどう考えるのかがない学校になってしまっている。これだけ人が失われ、立ち上がれないほどになっているなかで、そこがとり戻せるのかという問題だ。教育は人の力だし、教育をしたいという情熱だと思う。それが本当に復興できるのかという恐れも感じるが、周囲の人に伝えていくしかないのかなと思う。

 

  最近、大学内であった理事長主催の研修会で、本間理事長が「中高は定員10人を割っても潰さない。今後も存続していく」という発言をしたそうだ。前後にどのような話があったのかはよくわからないが、この話を聞いて、3年前に1万7000人筆の署名を集めて理事長に提出したことは無駄ではなかったのではないかと思う。あの筆数が頭にあり、簡単に潰すといえなくなっているのではないかと思う。

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