(2025年4月23日付掲載)

福岡大学で開催された小農学会の市民公開講座「もうすぐ農家がいなくなる! あなたはどうする?」では各地の小規模農家が問題意識を交換した(4月20日、福岡市)
小農学会は4月20日、福岡大学内で「もうすぐ農家がいなくなる! あなたはどうする?」をテーマに市民公開講座を開催した。3月30日に全国14カ所で同時開催された令和の百姓一揆は、この日をスタートに全国各地でシンポジウムや行動をくり広げ、大きなうねりをつくり出すことをめざしている。今回のフォーラムは令和の百姓一揆連動企画として開催したもので、農村から農家が消え、食料危機が現実のものになろうとしているなかで、それを乗り越えていく希望はどこにあるのかについて、映画『村に生きる』の上映や、農の現場からの報告を踏まえて闊達な議論がおこなわれた。九州を中心に農業者や市民、まちづくりにかかわって来た人など約150人が参加し、関心の高まりを示した。
小農学会は、農民作家の山下惣一氏と農学者の萬田正治氏を共同代表に2016年に発足した学会だ。「貨幣経済が発達し、人は都市に集中し、村の小学校が廃校となり、集落が消滅し農村が寂れていく」なかで、なおも営農種目の単純化、大規模化、企業化の道をおし進めようとする農政に意義を唱え、複合化、小規模、家族経営、兼業、農的暮らしなどの小農の道にこそ、農村社会の崩壊を押しとどめる力があることを提唱し、活動を続けている。
挨拶に立った世話人の徳野貞雄氏(熊本大学名誉教授、社会学者)は、小農学会について「食と農の問題に対して強い関心と危機感を持っている人たちが、そのまま日本の農水省や学者に任せていたら大変なことになるのではないかという意識で小農学会をつくった」とのべた。約9000年前に農耕が始まって以来、人類は生き延びるために家族や地域、さまざまな関係を築き、社会をつくってきたことにふれ、「この中心にある農の姿が変化してきており、食も変わってきている。そうなると社会全体が変わって行かざるを得ないという問題を考えていけたらと思い、この企画をした」と語った。

映画『村で生きる』
第一部では映画『村で生きる』(製作・中村朱里、小林瞬)の上映がおこなわれた。この作品は、阿蘇の雄大な草原が広がる熊本県産山村で、名だたる料理人から注文の絶えない「あか牛」を育てる牛飼いの親子に密着したドキュメンタリーだ。霜降り肉が評価される時代に逆行しながら村の草原を守り、地域循環型の畜産に挑戦する営みを、2023年4~5月に撮影した。井信行氏(89歳)と亡くなった妻シマ子氏、息子の井雅信氏(58歳)と妻ゆかり氏という一つの家族を通して、家族で営む農の豊かさや、苦悩、葛藤を通して「命をめぐる人間と牛との格闘」を描いている。
上映後、徳野氏はこの作品について、「日本から農民がいなくなったらどうなるかという問題が、令和の百姓一揆でメディアでもとりあげられたが、その中身はこの映像とまったく一緒だと思う。野菜も畜産も人間が農業をしているが、人間がだんだんといなくなっていく。この映像を見て初めて、家族や地域、自然などすべてが連なっていることがわかる。学者の言葉では“農業の多面的機能”と一言で済ませてしまい、みんなわかったつもりになっているが、この映像に出てくるのが“農業の多面的機能”の現物であり、それは簡単に提示できないものだ」と強調し、今後同作の上映会を各地で開催することを呼びかけた。
フォーラム 農業者たちが現場報告
第二部では、NPO法人田縁プロジェクトの川口進氏をコーディネーターに、フォーラム「令和の米騒動から探る未来」がおこなわれた。川口氏は元福岡県農業改良普及員で、80年代にいち早く減農薬運動に携わった。福岡県の地産地消課の初代課長でもある。福岡県の農業大学校の校長を務め、現在は糸島市の井原山で消費者と生産者が一緒になったコメづくりにとりくんでいる。
フォーラムは、川口氏が「令和の米騒動は収まるのか?」と題して米の基礎知識も含めて話したのち、大規模農家、中山間地域と、立場の異なる2人の農家が現場から話した。以下、話の要旨を紹介する。
■お米の基礎講座&令和の米騒動は収まるのか?
NPO法人田縁プロジェクト 川口進
毎日のようにコメが高いという報道がおこなわれ、今後はコメが安くなればいいとか、コメ問題を解決するにはスマート農業や大規模化、はたまた輸出をするのだという話が盛り上がっているような報道が目立つ。今日のフォーラムではコメの未来について、もっと大事なことを見落としていないか、これから私たちにできることはないのかをみなさんと一緒に考えたい。
①お米の基礎講座
まずは田んぼの単位。1反は10㌃(1000平方㍍)で、50㍍プールの広さになる。1町は1㌶(10反)で、1万平方㍍で、野球場のグラウンドの広さだ。1反でとれるコメの量はだいたい農家に聞くと8俵だという。去年の福岡県の平均反収は480㌔ということになる。だいたい今、年間に1人が食べる量が60㌔なので、1反で8人養えることになる。昔は1人120㌔食べていたということなので、1反で一家が食べていけるくらいの量ができるということだ。
お茶碗1杯分のコメの重さはおよそ65㌘といわれている。ということは5㌔のコメを買うと77杯分のご飯が食べられることになる。今、5㌔が4000円になって「高い」といわれているが、1杯に換算したら50円だ。たとえばペットボトル1本分(自動販売機)でご飯は3杯、ミスタードーナツ1個分で4杯食べられる。
最近よく、なぜコメが日本人の主食なのか、麦ではだめなのかといわれるが、雨が多い日本ではコメの方が安定してとれる。麦など畑作物は大雨に弱く、九州の方では麦の収穫時期にあたる5、6月はだいたい梅雨にあたり、非常に不安定だ。そのうえ畑作物は連作障害がある。
たとえば、福岡県の過去10年(2014~2023年)の反収を見ると、コメの場合、一番低かった年は416㌔、多かった年は518㌔だった。一方、麦は一番低かった年は272㌔、多い年が473㌔で、不作と豊作の幅が大きい。やはり雨の多い日本ではコメをつくることが一番理にかなっているといえる。
②令和の米騒動は収まるのか?
コメの価格は本当に高騰だったのか、少し長い目で見てみたい。マスコミなどでは「去年と比べて」と報道されているが、私たちは「去年は一番安かったときではないか」と思う。
過去80年間の生産者米価を見ると、1980~86年の1万8688円(60㌔玄米)が一番高い時期だ。一番安いのは2014年の1万1967円だ。1995年に食管法という生産者米価を安定させるための法律が廃止になり、市場に任せることになって以後、不安定になり、少し不足になると値段が上がり、多くなると値段が下がるようになった。
50年のスパンで見ると、1969年が8256円(60㌔)だったのが、50年後の2019年には1万5716円になった。つまり、生産者米価は50年間で約2倍になったといえる。わかりやすいように5㌔で見てみると、1969年は688円、2019年は1310円だ【表参照】。消費者米価にはこれにいろんな経費が入って、だいたい2倍以上になっていると思う。
ではこの間に物価がどれだけ上がったのだろうか。サラリーマンの初任給と一緒に見てみる。1969年の大卒初任給は月3万4100円。2019年は21万2800円で6倍になっている。サラリーマンの月給は6倍になったのに、米価はわずか2倍にしかなっていない。
この間の米価高騰で、去年のお米は今、2万2000円ほどになっている。5㌔換算すると1833円だ。それでも3倍にはなっていない。給料は6倍になったのに、米価はその程度しか上がっていないことを認識してほしい。
消費者物価指数で見ても、1993年から全体の消費者物価は値上がりしてきたが、コメは1995年の食管法廃止から物価を反映せず、ずっと安いままだった。だから農家は「今まで安すぎたのだ」という。やっと最近の値上がりで、他の物価の上昇に追いついてきたというのが真相だ。
とはいえ、「令和の米騒動」ということで今騒がれている。その原因だが、政府の見解は「令和6年産の生産量は需要量より10万㌧多い!」「価格高騰の原因は、事業者が大量の米を隠し持っているからだ!」というものだ。一方、「いや、実は米は不足している」というのが農家の肌感覚だ。なぜかというと、ここ2年、秋が暑すぎて非常にくず米が多いからだ。うちもくず米は1割以上。500㌔収穫すると50㌔はくず米になる。
しかも「生産量は多い」というが、政府が全国8000カ所で収量調査をするさいに使うふるいの網目幅は1・7㍉㍍で、現場の網目幅1・85~1・9㍉㍍より狭い。現場の農家はいいコメを出したいということで、農協などの意向を汲んで上記のような網目幅で出荷している。その差は5%ほどだ。何万㌧というレベルでいう5%は非常に大きな量になる。政府は生産量はできているというが、現場は不足しているという。コメの不足感はこのまま続くのではないかと思っている。
ではコメがまた安くなればいいのだろうか? 今私たちが一番に考えるべき問題は農家の減少だ。60年前に1000万人いた基幹的農業従事者、いわゆる農業の担い手の数が2020年には136万人まで減っている【グラフ参照】。なんと88%減だ。しかもうち3割が75歳以上で、65歳以上が全体の8割を占めている。現在、2020年からすでに5年が経過している。あと5年たてばどうなるだろうか。もうすぐ農家がいなくなるということが、近い将来、現実の問題になるのではないか。
コメ農家が「コメではメシが食えない」といっている。しかも、60年前は1人の農家が8人を養っていたが、今は1人の農家がなんと93人を支えている。これはどう考えても倒れる。
■平坦地の農村では今!
福岡県朝倉市持丸 近藤和幸
朝倉市は平坦地で基盤整備もかなり進んでいるところだ。私が住んでいる朝倉市持丸は昭和40年代にすべての田んぼの基盤整備がすんでおり、比較的つくりやすい、条件のいい場所だ。私は15年ほど農業機械の会社にサラリーマンで務めていたが、思いがあって21年前に農業を始めた。無農薬・肥料で作物をつくっている。
大規模農家の悩みは、価格が非常に高い機械代だ。私は田んぼが主力で、夏に大豆とイネをつくり、秋冬はレンゲソウをまいている。田んぼで作物をつくるうえではトラクター、コンバイン、田植え機が必要だ。私が使っている50馬力のトラクターは約600万円、父と息子が乗っている30馬力のトラクターは約400万円だ。稲刈りで使う四条刈りのコンバインは700万円。六条の田植え機は300万円ほどだ。

50馬力600万円(上)、30馬力400万円(下)のトラクター
そのほかに、畔を塗る機械や、代掻きの機械、大豆の種をまく機械などもある。また、田植え前に種籾をお湯で病原菌を殺菌する機械や、苗箱に土を入れて種をまく播種機など、さまざまな機械が必要だ。大規模農業には農業機械が必須だが、わが家の機械代は合計で約3000万円。しかも、早いものは5年で買い換えなければならない。とにかく機械代が高い。
さらに、最近非常に困ったことに、シカやイノシシの獣害が深刻だ。地域のみなさんと一緒に電気柵を張っているが、なかなか思うように被害を減らすことができていない。山間地はとくに被害が大きいが、最近はコンビニがあるところまでシカやイノシシが出てくるようになり、より町中でないとつくれなくなってきているという話もある。
一番心配なのは「農終い」をする農家が増えてきたことだ。私が農業を始めた20年前は、かなりの方が共同作業に出ていて人力がたくさんあったが、今は限られた時間で作業をこなさなければならず、建設機械や運搬車、ダンプなどもレンタルしてきて、1日である程度の面積を一気にやってしまうということもしている。
私の知っている農家でも30町、50町などの大規模農家もいるが、大規模農家はやはり設備投資が大きい。高性能な機械や、それを納める倉庫なども必要で、機械代の支払いが大きな負担になっている。高性能な機械は、今まで1時間かかっていた作業を45分でできるなど、時間短縮はできるので、たとえばこれまで4枚しかつくれなかったのが、5枚つくれるようになるということはある。だが、結局は人間が操作しなければならないので、それほど生産量が上がるわけではない。作業時間は短くなるが、収量が増えるわけではないので、大規模農家もみな非常に苦労しているようだ。
私は今10町をつくっている。数年前に12町まで増やしたことがあったが、仕事がうまく回せなくなり、作物のクオリティも低くなってきた。農業機械は移動速度が遅い。トラクターのハイスピードといわれるものでも時速30㌔くらい。普通のトラクターは15㌔までしか出ないようになっている。とにかく足が遅いし重量物なので、遠くに移動するのが大変だ。そこで遠くの田んぼを2町ほどやめて10町にすると、とたんに仕事が楽に回せるようになった。近年、猛暑や豪雨などのマイナス要因も多いので、農薬・肥料を使わずにつくれる限界が10町くらいだと思う。
地元の先輩方で、定年退職後に農業をしてくれると嬉しいと思っていた方が何人もいたが、誰一人やらなかった。逆にトラクターを売ったとか、「つくってくれないか」という方もいる。国は少人数の「担い手」といわれる農家に、大規模に安くつくらせるという方向性だが、実際にはそれでは水回りや水の管理、水路の関係など、さまざまなインフラ管理も含めて回せなくなっている。平坦な条件のいい場所でも人がいるということだ。
■中山間地の農村では今!
福岡県糸島市瑞梅寺 井上稔信
糸島市は福岡市の隣で、人口は約10万人の市だ。今年の3月までは朝ドラ「おむすび」で非常に人気が出て移住も多いが、15校区あるうち7校区、半分は人口減少が進んでいて、二極化が進んでいる。私が住む瑞梅寺地区の人口は114人、57世帯で、農家戸数は8戸だ。
私も定年退職後に本格的に農業に携わるようになり、有機農業をしている。おいしいコメができているが、大変なのが草刈りだ。年間4回から5回は刈るが、最近は暑いので朝7時ごろから始めて9時、10時ごろにはやめる。
もう一つはイノシシが暴れて大変だ。メッシュを張っているが、きちんと点検しておかないとイノシシが田んぼに入り込んでコメを食べてしまうので非常に困っている。イノシシにやられて水路が崩れているところもある。今から田植えをするまでに重機を入れて修理しなければならない。
集落では高齢化が進み、私たち70代がメインで稲作をしているが、年々、農作業に参加する人が減って非常に困っている。
今、「井原山田縁プロジェクト」で都市部のサポーターの方々も一緒に農作業をしてくれるので助かっているが、まだまだ農作業、共同作業は大変な状況がある。
集落の中心を流れる瑞梅寺川は、福岡県の管理なのだが、きちんと管理しないものだから、すぐにカヤやダンジュクがはびこり、イノシシの住処になっている。水もあるし藪もあるのでイノシシにとっては天国だが、私たちにとっては地獄。県に草を刈ってくれというが、なかなか予算の関係で刈ってもらえないのが悩みどころだ。
糸島市瑞梅寺は、標高100~200㍍の棚田が広がる中山間地だ。去年1月に地域のなかでアンケートをとり、瑞梅寺のなかで一番残したいところ、誇りに思うものを聞くと、棚田の風景がダントツだった。蛍も舞うし、彼岸花の時期には彼岸花が咲く。こうした風景が一番大事という共通の思いがある。残念ながら、この風景は海外から輸入できない。
そこで今考えているのが、都市と農村が力を合わせて棚田を守ることだ。勉強に行った八女市黒木町では「私はコメをつくる人」「私はコメを食べる人」とわけるのではなく、お互いに連携して力を合わせて棚田を守ろう、暮らしを守ろうというとりくみをしている。私たちも幸いに2004年に設立した「井原山田縁プロジェクト」があり、約3㌶の棚田を150世帯の市民の手で守るとりくみをしている。こことチームを組めば希望が見えてくるのではないかと最近考えている。

2004年から始まった「井原山田縁プロジェクト」。約3㌶の棚田を150世帯の市民の手で守る
「田縁プロジェクト」は都市と農村の力を合わせてやっていく農業だ。「業」にはならなくても、農を守ることが私たち中山間地域の一つのテーマとしてあるのではないかと思う。棚田なので規模は小さいが、昔からの農地や田んぼを守りたいという思いがあり、そのためには「つくる人」「食べる人」ではなく、お互いに対話のなかで関係性が豊かになっていくような地域づくりが大事ではないかと思う。「田縁プロジェクト」を始めた20年前は、田舎は残念ながらよそ者には用心して、ウェルカムという雰囲気にはならなかった。私も覚悟はしていたが、出る杭は打たれるというところも確かにあった。しかし、今では田縁プロジェクトがあって助かっているという雰囲気が出てきている。
もう一つ、やはり今地域で悩んでいるところを行政の力やJAの力など、お互いが真摯に向き合って対話をしながらもっと前に進めていくような場づくりがあった方がいいのではないかと思う。
■参加者との意見交換 「かかりつけ農家」という発想も
2人の農家の報告を受けた意見交換では、質問も含めて活発な議論がおこなわれた。「機械を共同で使ったらいいという声もあるが、現場の状況はどうなのか」「実際に田植え機などの機械は何時間くらい使えるのか」といった質問も出て、現場の実情をまじえて農家が回答したり、地域に人がいなくなることで、学校や病院、ガソリンスタンドなどのインフラが失われ、住むことができなくなっている状況なども議論になった。
筑紫野市から参加した男性は「中山間地域の問題は根が深い。今、地域計画をつくっているが、国も県も大規模化、集約化、スマート農業でドローンを飛ばして若い者を呼び込み、農業をやっていこうなど、かっこいいことばかりいう。耳障りはいいが、日本の四割は中山間地域で、そこでスマート農業などできない」と話した。
また、地域でもつくる人がいない農地が出てきている実情にふれ、「提案しているのは二拠点住宅の推進だ。都会の人で農業をしてみたいという人を、農地付きの空き家に呼び込んでつくってもらい、農機具は行政で貸し出し制度をつくってはどうかと提案している。中国は1年間の備蓄政策をとっている。日本は1・5カ月だ。サプライチェーンが止まったら日本は食料危機だ。中山間地をどうしていくのかアイデアがあったら聞いてみたい。そうでないと日本の農業は持たないし、本当に食料危機が来る」と発言した。
これを受けて、令和の百姓一揆では農家への直接支払い制度の充実を大きな要望として掲げたこと、中山間地を守るうえで、その実現がなければ中山間が荒れ地になってしまうこと、日本の全人口の99%を占める消費者が声を上げていくことの必要性も議論となった。
食と農の現場が乖離してきたが、米騒動を通じて消費者の関心も高まっている。「井原山田縁プロジェクト」への申し込みも今年度増加しているという。消費者がさまざまな形で農業にかかわりを持つこと、「かかりつけ農家」をつくり、地域のなかで市民の健康を農家が守り、農家の生活を市民が支えるような関係づくりができれば、一番強い農業になるのではないか、との提案もあった。