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れいわ新選組、もっとやれ! 近づく勝負の参院選 本気で戦う勢力を国会へ 山本太郎の全国街宣より

(2025年6月13日付掲載)

山本太郎氏の街頭での対話集会に集まる人々(5月21日、東京・阿佐ヶ谷駅前)

 コメ不足や物価高などが家計を直撃し、石破首相が物価高対策の一つとして消費税減税を検討する可能性を示唆したことをきっかけに、7月の参院選に向けて各党が消費税率の引き下げを選挙公約に掲げ始めた。2019年の結党以来、消費税廃止を主要政策として訴え続けてきたれいわ新選組(山本太郎代表)は、全国で減税を求めるデモ、街頭や屋内での対話集会を積み重ね、世論によって争点化した減税の流れを単なる選挙パフォーマンスに終わらせないために、有権者と繋がって本気でたたかう政治勢力を国会に送り込むことを訴えている。自民党の支持率が低迷するなか、政治に背を向けた有権者が主体として政治に参加していく機運を高めていくこと、「失われた30年」をとり戻す国民運動として、れいわ新選組が役割を果たしていく決意が聴衆を惹きつけている。最近の対話集会のなかでの山本代表と参加者とのやりとりの一部を紹介する。

 

演説する山本太郎参議院議員(4日)

 山本 れいわ新選組は、2019年に山本太郎が一人で旗揚げし、たった6年で14人の国会議員、50人をこえる地方自治体議員がいるグループになった。バックに宗教も組織も大企業もない。一人一人が横に広げてくださったことで国会議員14人の国政政党になったが、それでも国会議員が700人いる国会では小さなグループだ。「生きているだけで価値がある社会」を作りたい。生産性で人の命の価値が決められてしまうような生きづらい世の中を変えたいというのが理念だ。さらに強くなるために応援をお願いしたい。

 

 皆さんは国会議員と直接話をされたことがあるだろうか? あなたの疑問や不安、さまざまなことでコミュニケーションをとったことがあるだろうか? 一般的に国会議員は選挙前にならなければ姿をあらわさず、選挙になって姿をあらわしたかと思えば、話したこともないのに馴れ馴れしく手を握ってくる非常に迷惑な存在として認識されているかもしれない。だが、これでは困る。国会議員は日頃から皆さんが抱えている問題や社会の問題を直接お聞きし、それを国会の中で是正していく存在でなければならない。だから、皆さんにマイクを握ってもらいやりとりさせていただいている。

 

 今の日本はどうなっているか? 入口のテーマとして物価高をとりあげる。総務省の消費者物価指数で、2018年の平均と今年4月を比較すると、鶏肉は14・3%、国産牛は15・5%、電気代は17・8%、紙オムツは20・3%、都市ガス代は22・6%、ガソリンは25・4%、調理カレーは25・6%、食パンは26・8%、コーヒー・ココアは27・9%、国産豚肉は28・3%、マーガリンは29・4%、魚介類は32・5%、ハンバーガーは36・7%、トイレットペーパーは41・4%、灯油は41・5%、食料油は45・5%、小麦粉は46%、米類は103・4%……とにかくすべてが値上がりしている。

 

 ところが、先進国の中で日本だけ30年間も経済不況が続き、実質賃金は右肩下がりのマイナスが続いている。苦しいのは、物価高だけではない。この国の失われた30年に、コロナやこの物価高が加わって大惨事になっている。この三重苦から国民や事業者をどう守るかという議論が国会の中でされなければならないが、そんな様子はみじんも感じられない。そんな議論はしないことになっている。気がついているのに問題を物価高だけに矮小化している。

 

 この国の病に対して、対症療法しかしないのか? 荒れた肌の表面にクリームを塗って終わりか? その奥に潜んでいるとんでもない病の治療をしなければだめだ。まずは、弱った経済の底上げをしていくために、徹底した個人消費を喚起する。去年よりも今年、先月よりも今月、先週よりも今週、あなたがさらに必要なものを買える状態にする必要がある。あなたの消費が誰かの所得に変わって経済は循環していくのだから。この循環が弱った30年をとり戻すことをまず初めにやらなければいけない。

 

世論で消費税が争点化 失われた30年の根源

 

下北沢駅前での街頭集会(4日、東京都世田谷区)

 質問(東京・下北沢) 日本を豊かにするために消費税廃止が根本的解決策になるというが、消費税廃止を掲げる政党はれいわ新選組以外にもあると思う。他党と手をとり合うつもりはないのか? できないとしたら、その要因は何か?

 

 山本 消費税廃止は、私たちの1丁目1番地だ。消費税は社会保障に使われているというようなことが流布されているが、それは事実ではない。これまで消費税が上がるたびに法人税が減税されてきた。つまり、直間比率(直接税と間接税の比率)の是正に消費税収の61%が使われている。一部大企業の利益を増やすために、あなたがわざわざそれを負担するのか? という話だ。

 

 それよりも消費税は廃止して、皆さんが年間20万、30万円の使えるお金を手元に置いておける方が、この国の失われた需要(消費と投資)を動かしていく一歩を踏み出せるのではないか。消費税を廃止しただけで日本が豊かになるかといえば、そうではない。この国で圧倒的に足りていない需要を換起していく第一歩の政策として必要だと考えている。

 

 では、消費税廃止を唱えている政党は他にあるか。国会内で今、消費税廃止を訴えている政党は少数政党だけだ。その勢力だけで実現できることではない。そのうちのどの党と手を組むかを考える前に、まず、れいわ新選組が旗揚げされた2019年に時を戻して考えてほしい。

 

1990年代の公明党ポスター

 2019年当時、「消費税は廃止」といっている政党はなかった。消費税がスタートした1989年以降、しばらくの間は「消費税はやめるべきだ」という論調は強かった。たとえば、公明党の当時のポスターを見ると「消費税は悪だ」「消費税はきっぱり廃止」と書いてある。だが、その後、公明党は自民党と民主党と一緒に消費税を上げた。魂を売り渡したに等しく、党の背景を考えると天罰、仏罰が下る話だ。

 

 他にも消費税廃止をいっていた政党はあった。たとえば共産党は、おそらく一番長きにわたって消費税廃止ということをいってきた政党だとは認識している。たとえば、2025年5月13日、前委員長の志位さんが「日本共産党は消費税が強行された1989年以来、一貫して廃止を求め続けてきた党だ」とSNSで発信されている。でも、これはちょっと事実と違いませんか? と私は考える。実際に2016年以降、共産党が消費税にどういうスタンスであったかを同党のマニフェストから見ていきたい。共産党をディスっているわけではなく、あくまで事実関係の確認だ。

 

 2016年の共産党の参院選公約では、消費税増税について「先送りではなく、きっぱり断念を」と求めている。「確保した財源の一部を充てることで、消費税を減税し、消費税廃止に向かう展望も開けます」との記述はあるが、廃止は求めていない。増税を断念させるということがメインテーマだったということだ。

 

 2017年の衆院選の公約では「増税の中止」を求めるのみで、消費税廃止の文言は一度も出てこない。公約の中でいわなければ、有権者は消費税廃止を主張しているとは認識できない。2019年の参院選公約では、消費税廃止については一度も触れられていない。

 

 消費税は30年続いてきた税金だ。自動的にとられるので、みんな払うのが当たり前の感覚になっている。だから当初は廃止すべきといっていても、だんだん言いづらくなるという気持ちはわかる。だから公明党も魂を売って増税に回った。共産党は頑張ったが、途中から廃止とはいわなくなった。公約に載せなくなったというのが事実だ。

 

 つまり、2019年時点で国会の中では、消費税減税だの、消費税廃止だのというのは、与党にも野党にも現実的とは捉えられてなかった。つまり、国民の多くがそう捉えているということの鏡みたいなものだ。

 

 そこに対して、「消費税廃止だ」という旗を改めて揚げたのが、れいわ新選組だ。「でも、お前たち、最初の選挙で2議席しか得られていない状態で、どうやって廃止するのか?」と散々いわれた。だが、数の問題ではない。そういえるのは、国会内ではすでに滅びていた「消費税廃止」をもう一度俎(そ)上に乗せたうえで、それを実現するために国民の皆さんと一緒に運動していくことを始めたからだ。

 

 その結果どうなったか? 現時点で消費税の減税に触れていないのは自民党だけだ。だから、小さな風穴を開け、その穴を国会の内と外から広げてきたという自負が私たちにはある。

 

 一方、最近になって廃止をいい出した政党もある。つい最近まで「消費税廃止? 本気かよ」「人気取りのためにいってんだろ」「無理に決まってる」と軽口を叩いていたじゃないか、みたいな細かいことはいわない。過去は関係ない。ジャッジの基準は、消費税廃止を私たちに負けないくらい本気度高くやってくれるか? その一点だけだ。

 

 その本気度をさらに高めるために何が必要かといえば、消費に対するペナルティーである消費税を廃止することによって日本の景気が喚起され、みんなの使えるお金が増え、その一部が消費に回ることによって経済の循環が大きくなるという当たり前の政策を国民の皆さんが強く求めることだ。政治がそれを実現するためには、国民からの猛烈な後押しが必要になる。

 

 現在の野党のなかで消費税廃止まで主張しているのは、一握りの小さな政党だ。そこで小さくまとまれという話ではなく、2019年には国会の中で死んでいた消費税廃止の論議をもう一度俎上に乗せて、世論を喚起してきた者たちを先頭に立たせてほしい。拡大させてほしい。

 

 現在、各党の公約で「一律5%減税」とか「食品だけ1年限定でゼロ%」という話が並んでいるが、これをさらに深めていくためには国民の「もっとやれ!」の声が必要だ。

 

 消費税をやめることによって、あなたの財布(平均的な4人家族世帯)はどれだけの負担が軽減するのか? 第一生命経済研究所が公表した試算から紹介する。まず立憲民主党が出している「1年間限定で食品のみ消費税ゼロ%」の場合では、年間で6万4000円、1カ月に直すと5300円。ないよりマシだが、これでは全然足りない。

 

 次に国民民主党などがいう「消費税一律5%減税」の場合は、年間で14万1000円、1カ月にすると約1万2000円。さっきよりはマシだ。だが、前回の衆院選で消費税減税をマニフェストにまで載せた国民民主も、減税をいっていた維新も、選挙後の国会では、重要局面である予算審議のあいだに減税に触れる質問をしたのは1回だけ。減税は選挙のためのニンジンなのか? という話だ。

 

 そして、消費税廃止では、年間29万8000円、1カ月で2万5000円の負担軽減になる。最低限これぐらいは必要だ。みんなの払った消費税が、みんなの社会保障として戻ってくるのではなく、組織票と企業献金をくれた大企業のための減税に使われていることを考えれば、こんな税制はもうやめるべきだ。消費税がこの国を弱らせた。誰かの消費が誰かの所得に回るという循環を弱らせたのが消費税だ。

 

 不況の中にあって消費税を上げるという自殺行為をやったのは世界中で日本だけだ。消費税がどれくらい消費を弱らせたのか? まず民間最終消費支出の減少額を見る。個人消費がどれだけ落ち込んだのか? というものだ【グラフ①参照】。

 

 「100年に1度の不況」といわれた2008年のリーマン・ショックでは、個人消費は年間マイナス4・1兆円という落ち込みだった。だが、1997年の消費税5%への増税では、マイナス7・5兆円だ。そして、2014年の消費税8%への増税後は、その後の1年間でマイナス10・6兆円も落ち込んでいる。リーマン・ショック2回分以上だ。そして、2019年に消費税を10%に引き上げた後は、マイナス18・4兆円。そこにコロナ禍まで襲ってきて大惨事となった。

 

 落ち込んだ景気が元に戻るまでにどれだけの期間がかかったか?【グラフ②参照】。リーマン・ショックでは、回復までに1年9カ月かかった。だが、消費税5%で落ち込んだ景気が回復するまでに3年9カ月だ。消費税8%への増税後には、5年経っても回復しなかった。

 

 回復しなかったのに政府はさらに増税した。消費税を10%に上げた後は、4年経っても景気は回復していない。「狂ってる」以外の言葉が見つからない。景気が悪い時には、まず消費税を下げるのが世界の常識だ。

 

 「失われた30年」を誰が作ったか? 政治に決まっている。「カネがない、カネがない」といいつつ、軍拡のためにはポンと60兆円出す一方で、国民に必要なことには底上げをしようともしない。そして、何よりも30年の不況をさらに深めてしまう、絶対にやってはいけない消費に対するペナルティ(消費税)を上げ続けた結果、経済の回復が進まなくても増税だけはしていく社会にしてしまった。

 

 それで広がったのは国民の貧困だけではない。雇用を破壊し、税の取り方を歪めた消費税の拡大によって、この国の製造業が弱った。この30年で日本がどうなったのか。

 

 その一つの目安として、世界のGDP(国内総生産)における日本のシェア【グラフ③参照】を見ると、1995年に日本は17・2%を握り、巨大なロシアを含むヨーロッパの5倍、米国の7割におよぶ経済規模を誇っていた。それが2023年には4%にまで縮小した。国内で多くの人たちの困難を生み出したということだ。

 

 一人当りのGDPを見ると、2000年に日本はルクセンブルクに次いで世界2位だった。2010年には18位、2020年には24位、2023年には34位にまで転落した。このように国を食い荒らし、利益を懐に入れ続けた経済界と政治が今もあぐらをかき続けている状態だ。この先さらに消費税を上げようとしている。何のためか? 一握りの人たちに減税させるためだ。狂っている。これは絶対に止めなければいけない。消費税は廃止するしかない。その手前でなにがしかの減税が実現できるのなら、その議論には応じるというスタンスだ。

 

国債を発行すれば可能 消費税廃止の財源は?

 

 質問 日本には負債がある。消費税を減税するための財源はあるのか?

 

 山本 やり方は二つある。一つは、もうすでにたくさん持っている人たちから税としていただく。もう一つは国債発行だ。国債発行というと、国の債務(借金)をこれ以上増やしていいのか? という心配があると思う。だが、先進国でも、どんな国でも債務は増え続けるのが常識だ。

 

 国(政府)の債務(国債発行)という形でお金を作りだして国内に流していくことは、国家が社会にお金を供給する行為だ。だから、その債務残高は、国が社会に対してどれだけのお金を供給してきたかという足跡にすぎない。個人の借金と同じように、国の借金を考えるのは間違いだ。個人が抱えた借金は借りた相手に返さなければならない。一方、国の借金は皆さんから税金を集めて返済しているわけではない。国債の償還期限が来ると、借り換え(新たな国債発行)をくり返す永久債という形で返済する。自国通貨建て(日本の場合は円)で国債を発行しているのなら、借り換えをくり返して返していくことをどの先進国もやっている。自国通貨を発行する政府にはそれができる。

 

 だが、テレビや新聞、政治家も「これ以上借金を増やしたら大変なことになる」「破綻する」という。では、いつになったら破綻するのか? どれくらいまで増やしたら破綻するのか? 国が破綻すると煽る専門家はいるが、この質問に答えられる人は一人もいない。「破綻する、破綻する」といいながら、ずっとハズレが続いている。

 

 個人の債務と国の債務を同じように語ることはできない。この考え方が日本国内では共有されていない。驚くべきことだが、国ごと嘘をついている状態だ。

 

 たとえば、コロナ禍には、皆さんに10万円の給付金が配られた。国全体で13兆円かかっている。それで国が13兆円の赤字になったとして、誰が黒字になったのかといえば国民だ。赤字があるなら、必ず黒字がある。誰かの負債は、誰かの資産だ。全員赤字にはならない。当たり前のことだ。

 

 それを頭に入れて、一般政府総債務(国の債務)と家計金融資産(民間の資産)の推移【グラフ④参照】を見ると、国の債務は右肩上がりに増え続けているが、それにあわせて民間の資産も増え続けている。政府の借金は民間の資産である関係がわかる。つまり、これだけ社会にお金が増えたという足跡でしかないものを「国の借金はみんなの借金なんだ!」といって脅迫する洗脳を、私たちは財務省や新聞・テレビからすり込まれ続けている。だから、こんな話をしても簡単には理解されない。

 

 無限にお金を刷り続けることができるのかといえば、そうではない。上限はある。お金を作りすぎるとインフレが悪化する。つまり上限は、その国の供給能力、モノを作る力だ。モノが作れなくなれば物価が上がって悪いインフレに繋がるからだ。それまではお金を供給することができる。

 

 コロナ禍が深刻化した2020年度の当初予算は32・6兆円だった。その後、コロナ対策が必要になり、4月の第1補正予算で25・7兆円上積みした。さらに5月の第2次補正予算で31・9兆円を上積みした。12月中旬の第3次補正予算では、約20兆円程度を上積みし、ここまでで112兆円だ。しかも、このとき翌21年度本予算として43・6兆円の支出を決めている。国は破綻したか? これが原因でとんでもない円安になったのかといえば、なっていない。要因は別にある。国が破綻寸前になれば上がるはずの金利も、ずっと歴史的な超低金利が続いている。

 

 早い話が、とっとと国債発行で手当てすればいいだけの話なのだ。それによって消費税がなくなれば、国内の景気はよくなる。景気がよくなれば、税収が増える。税収が増えたなら、その翌年の国債発行額を減らせばいいだけだ。さっさとやれ! という話だ。まったく危機感がないのだ。

 

 一方で、戦争のためであれば、いくらでもお金が出てくる。日本では軍拡予算として43兆円を出して米国から武器をローンで買う。プラス10兆円で総額60兆円にもなる軍拡予算については、財源の議論は一瞬しかされていない。(43兆円の)2年目以降の財源は決まってもいない。それなら、なぜ26兆円の消費税廃止には「財源がない」となるのか。なぜ介護労働者の10万円の給料アップさせるための3兆円が出せないのか。なぜ大学院までの教育費無償化に必要な5兆円には、財源が出てこないのか。

 

 兵器購入に関して60兆円がポンと出せるのは、自国通貨を発行しているからだ。「ギリシャの二の舞になる!」という人もいるが、ギリシャが財政破綻したのは、自国通貨を捨ててユーロを共通通貨とするグループ(EU)を作ったため、自分たちの通貨政策がおこなえなかったからだ。だが、日本には日本銀行があり、国内でお金が足りていないときには国がお金を増やして社会に投下し、逆にお金が溢れすぎれば、インフレが行きすぎないようにお金を間引く徴税をおこなう。それを安定的に運用していくのが経済政策だ。

 

 「これ以上国債を刷ったら、子や孫の世代に迷惑を掛ける」という認識は間違っている。6人に1人が貧困、国民の6割が「生活が苦しい」という国の状態を放置し、「失われた30年」を「失われた40年」にしてしまう方が、将来世代に厳しい未来を押しつけることになる。であるなら、今、徹底的に手当てし、底上げしなければならないというのが、れいわ新選組の考え方だ。

 

一年放置された米不足 生産を絞ったうえ

 

宮城県仙台市での「山本太郎とおしゃべり会」(6日)

 質問(札幌) コメ不足で小泉農相の備蓄米放出について、やり方や適正価格について疑問がある。山本さんならどう対応するか?

 

 山本 コメ問題は、2023年時点で不足することがわかっていながら、1年以上放置されてきた。古くて味も落ちる備蓄米を2000円で売るというのも問題だが、それ以前に早いうちに給付金を出して、何を買うかは消費者が決めればいいと思っている。要するにコメの値段が上がっても消費者が買えるようにカバーすることだ。

 

 今回のコメ騒動を時系列で見ると、『日本農業新聞』がすでに去年2月に「米需給にひっ迫感」と報じている。2023年産米の需給がひっ迫し、その不足感から業者間の取引価格も上昇していた。相対取引価格を見ると、昨年6月にはすでにかなり上がっている。

 

 一方、昨年5月時点で坂本農水大臣(当時)は、「現時点で主食用米の需給がひっ迫しているとは考えていない」とのべている。嘘をついているか、座敷牢に入れられて情報を一切入れてもらっていないかのどちらかだ。

 

 すでにかなり米価が上がっていた6月にも「主食用米の需給はひっ迫していない」「価格も上昇していない」といっていた。7月には「さまざまな対応をするという状況にはない」との認識を示し、やっとコメの供給不足を認めたのが8月末だ。それでも備蓄米は放出しなかった。10月には、「備蓄米を放出しない決断に誤りはなく、適切だった」とのべ、石破政権が始まる前の退任のご挨拶みたいな感じで自分を正当化した。

 

 12月には、江藤農水大臣(当時)が「備蓄米放出の状況には該当しない」とのべ、今年1月末になって、後から政府が買い戻すことを条件に備蓄米放出を正式決定した。3月には「備蓄米放出を決めたので、夏のコメ不足は発生しないように対応する」と答弁している。また「5㌔で3000円ほどであれば値ごろ感」などと発言したが、コメ不足になる前は5㌔2000円台だった。

 

 4月には「いずれ流通は改善し、価格も安定してくる」(江藤大臣)といっていたが、備蓄米が放出されても店頭価格は下がらず、4月半ばに全国のスーパーで販売されたコメ5㌔当りの平均価格は、前年同期比の2倍超となる4217円。一体この1年間は何だったのか? という話だ。そして、4月末に10万㌧を放出し、18週ぶりに値下がりしたが、下がったのは19円だけ。

 

 そして5月、江藤大臣は「コメは買ったことない。支援者の方がたくさんくれるので、私の家には売るほどある」と発言。なるほどコメの流通がどうだこうだといっていたが、全部大臣の家に行っていたのか、という疑いが生まれる始末だ。

 

 そして華々しく小泉大臣が就任して急にコメの価格が下がったかのように見せているが、逆にいえば1年間何をしていたのか? 先回りして手当てをするのが政治の役割ではないか。コメに関しては、この数十年ずっと生産を絞り続け、今回の騒動では学校給食の確保も難しくなった。こんな国は終わっている。コメが主食であることを考えるならば、生産を拡大し、供給能力を拡大するべきだ。余るくらいが当たり前というぐらいにコメをどんどん作ってもらい、生産コストに見合う価格で国が買い上げる。余れば食料援助でも出せる。だが、政府の動きを見ていると、備蓄米を放出して、足りなくなったらアメリカ様から買わせていただきますという方向だ。結局、日本のコメが海外に出て行く流れを作る入口に入ったのだろうと思っている。いい加減にしろ! と思う。

 

 小泉大臣になったから、何かが急に変わったわけではない。前の大臣も、そのまた前の大臣も自民党で、そして総理大臣は石破さんだ。1年間放置したあげく、今なにかしらの方針を変えて店頭にコメが並ぶようになって喜ぶというのなら、こんなに舐められた話はない。それも税金で買って、古くなったコメをまたさらに高い価格で売るという馬鹿げた話だ。

 

 コロナのときもマスクが手に入らず、とんでもない値段で転売ヤーが売っていたような話があったが、コメも一緒だ。なぜこんなに品薄になったのか。圧倒的な量のコメがあれば、こんなことにはなってない。減反政策でコメ農家が減り、国内で生産するコメの絶対量がどんどん減ったからだ。

 

 「農家が作った物は全部買いとる」「農家の収入に対しては、国が直接支払いする」くらいの状態を作り、農家が損をしないことを担保していく。不作の年があったとしても、本来できていたはずの作物に対して支払いをする。農家の平均年齢が70歳になり、10年後には農業の存続が危ぶまれるということを考えるなら、新規就農者を増やさなければならず、そのためには経済的な安定を担保しなければ労働力移転は起きない。

 

 だから、農家の所得のうち国が補償する割合を大きく上げていく。全部買いとるくらいの手厚い政策で農業を守る。それが安全保障の1丁目1番地だ。ミサイルで国は滅びなくても、食料が途絶えたら滅びるのだから。

 

 日頃から「国防だー」「安全保障だー」といっている国会議員はいっぱいいる。「中国がどうした」「北朝鮮がどうした」「今こそ台湾有事がどうした」とはいうが、食料の問題を同じ熱量で発言しているのは聞いたことがない。食料こそ安全保障の要ではないのか。

 

 輸入物価の高騰でコストが上がり生産者も消費者も大変な状況にある。民間や個人の力でどうにかできる話ではない。だから減税と給付金をセットにして、事業者が事業を存続でき、消費者も食料を含めて必要なものを買える状態にするのが国の役割だ。減税が制度的に時間がかかるならつなぎの現金を出せ! くらい要求しなければいけない。それで備蓄米を買おうが、高いコメを買おうが個人の勝手だ。お金に余裕がないということだけで備蓄米しか食べるものがないという選択肢はやめろということだ。

 

みんなで立ち上がるとき 有権者こそが鍵握る

 

 質問(高円寺) 山本太郎さんやれいわ新選組の長いものに巻かれない姿勢には共感するが、それが信用に足るものなのか確信が持てない。

 

 山本 それを判断してもらうために1年中、私たちは路上に出てやっている。こうやって、あなたにもマイクを渡してやりとりしている。700人国会議員がいても、それぞれキャラクターがわかるわけではない。こいつは嘘つくんじゃないか? 適当なことをいっているんじゃないか? いつか裏切るんじゃないか? とか、これまで政治にさんざん裏切られ続けてきたことで、政治に対して距離を置いたり、疑ったりすること以外はもうできないという人たちの方が多いと思う。

 

 でも、それは誰にとって得になるのか? あなたにとって得ではない。だって、この30年間、この国は壊されてきたし、壊されるだけのルール変更がさまざまにおこなわれてきたからだ。そう考えたときに、誰かを「信じる」「信じない」ではない。政治なんて信じたらダメだ。たとえ、あなたが支持しようと思ったものでも、その関係性は宗教でもないし、アイドルとファンの関係でもない。応援したいものが見つかったとしても、シビアな目で見ながら、道を誤った時には「そこじゃないよ」という言葉が必要だし、頑張っている時には「もっとやれ!」というエールが必要だ。

 

 国会議員に丸投げで、この社会はどうなったのか? 「失われた30年」だ。だから、あなたも一緒にこの国を変えるために行動するときにもう来ているのだ。

 

 私たちは「私たちに任せてくれ」なんていわない。「一緒に変えていきましょう」ということをずっと言い続けてきた。だから、私のこと、れいわ新選組のことをもっと知ってもらったうえで、一緒に変えていこうという風にしていきたい。細かいことはどうでもいい。政策なんてすべての人が理解できるわけじゃないし、政治はものすごく幅広いから、掘り下げていかないと理解に到達しないところもある。でも、それを待ってから政治に参加するんだったら、もう手遅れになる。

 

 だから、究極はれいわじゃなくてもいい。興味なかった政治に関わる入り口を見つけたことだけでもお役に立てたならば、私はそれでいいが、できればれいわ新選組を推してほしい。なぜなら、こんなに身体を張って無茶苦茶なことを国会内でやってたたかう人たちはいないからだ。私たちは国会でプラカード掲げただけで、議員資格寸前の処分を受けるほどのプレッシャーがかかっている。

 

 一方、国会内では、みんな空気を読み合って、自分が職場(国会)で居心地いいように、揉めごとを起こさないようにテーブルの下で手を握る。いかに自分たちが議員であり続けるために、長期間その場所で働けるか、選挙で邪魔されないように…とか、いろんな調整をしながら議員で居続け、うまいメシを食い続けることが一番のテーマなのだ。こちらはそんなことではない。うまいメシが食えた仕事を置いて、ここに来ている。ここまでやりまくったら、芸能界なんて戻れるわけない。スポンサーから総スカンだ。

 

 選ぶのは、皆さんだ。ただし、政党、政治家を信じるべきではない。それがれいわであったとしても、立憲であったとしても、国民民主、共産、自民であったとしても一緒だ。政治家であるというだけで疑わなければいけない。ただし、疑うだけで終わったら、何も話は始まらない。自分が望む社会を作るために、一緒にやらなければダメだ。一緒に伴走して変えていこう。そうしなければ、もう間に合わないところに来ている。

 

 この30年、かつて世界の先進国でもトップ集団だった日本、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるほどのものづくり大国だった日本は、いまや東アジアの没落国になってしまった。これだけ勤勉な国民がいて、真面目に働いて国を豊かにしてきたのに、その国を食い潰してきたのは大きな資本と政治だ。それを考えるなら、奪い返すしかない。まずやるべきことは、一人一人の購買力、生活力を高めていく必要がある。あなたの消費が誰かの所得になって社会にお金が回るのだから。子ども手当でも、年金でも、減税でも、最大限あらゆる形で底上げしていくことを私たちは約束している。

 

 あなたこそがこの国のオーナーだ。あなたこそが力を持っている。総理大臣などは雇われ店長にすぎない。みんなで目にものを見せてやろう。それができるのが選挙。政治で壊された社会は政治でしか変えられない。どうか私たちをその先頭に立たせてもらいたい。

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