いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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銃乱射への深刻さ伴わぬ幼稚性

 米国の高校銃乱射事件で警官がなかなか動かなかったことに批判が高まっているのを受けて、トランプが「私なら武器を持っていなくても現場に突入した」と大言壮語して失笑を買っている。丸腰の70代が狂気に満ちたライフル銃に敵うわけなどないのに、どうしてこの男は子どもでも恥ずかしくなるような「オレなら○○できた」を平然といえるのだろうか? と違和感を感じていた。あえて割り込んでいく必要などない場面で「私なら」「私が」を過剰に自己顕示する行為は、それだけでも見苦しいものがあるが、銃乱射というアメリカ社会にとってきわめて重大な出来事に対して、その発言ににじむ深刻さをともなわぬ幼稚な精神構造に唖然としていた。

 

 乱射事件が起こった後、高校生や家族を招いた場で「銃器を上手に扱える教師がいれば、攻撃をたちまち終わらせられるかもしれない」とのべて、教師の銃携行とボーナス支給をうち出したのもしかり。学校まで戦場にする気かと思うような驚くべき言動だ。子どもが銃で乱射をくり広げ、教師が銃で応戦する学校など聞いたこともないが、もはや教育とは何か--等等の本質など吹っ飛んだ、『バトル・ロワイヤル』(担任が「今から殺し合いをやってもらいます」といって子どもたちに殺し合いをさせる映画)そのものの世界である。知育だけでなく徳育や体育を伸ばしつつ、人間的成長を促していくはずの学校が、殺し、殺されることを前提にして運営されるというのである。

 

 銃規制を阻害しているのは、世界を股に掛けて戦争をくり返してきた米軍産複合体にほかならない。人殺しの武器を商いの具にしている者にとっては、世界中で戦争の火種が燃えていることが株価を押し上げる材料となり、商品(武器)の消費行動を促進するのに不可欠となる。そのためにはマッチポンプすら厭わないし、人間が血を流すことによってドルを稼ぎ、この軍事的脅威が消え失せて平和な時代が到来すれば商売はあがったりの関係だ。銃も戦争もない平和な社会を望む人間が圧倒的多数を占めている一方で、こうした死神のような戦争狂いが流血沙汰に寄生し、社会発展の桎梏になっていることを見過ごすことはできない。

 

 アメリカでは未来ある10代の高校生たちが「二度とくり返すな!」をスローガンにして行進を始めた。「立ち止まっていても何も変わらない」「死なないために私たちは行動するのだ」という彼らの真っ直ぐで切実な思いに、大人たちはどう向き合うのかが問われている。くたびれた細胞であきらめとその日暮らしに安住していたのでは、世の中はちっともよくならないし、よくなるわけがないと私は思う。

 

 この高校生たちの行進が元凶である軍産複合体に向かって進んでいくなら、東アジアの軍事的脅威で矢面にさらされようとしている日本社会にとっても、中東その他でアメリカの軍事戦略によって血を流してきた地域や人々にとっても、行進すべき相手は共通のものだといえる。大言壮語する反知性主義者の背後に本丸は潜んでいる。吉田充春

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