いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

共謀罪 追い詰められ保身で強行採決

共謀罪法案の採決で起立する与党議員ら(6月15日朝)

国会まで私物化した姿を暴露

 

 多くの国民が寝静まっていた14日深夜から15日早朝にかけて、国会は与野党がさも激しく争っているかのような茶番劇をくり広げつつ、自民党、公明党、維新の党が多くの議席を占めている状況下で共謀罪を強行採決した。

 

 一般市民の会話や行動を平時から警察が監視し、反政府的な言動があれば逮捕・処罰できるようにする国民弾圧のための反動的な法整備であり、2年前に強行した安保関連法案や四年前の秘密保護法などと連動して機能し、対米従属の鎖につながれた戦争国家を形作っていくものだ。政党政治がまるで信頼を失い、世論の受け皿が乏しいなかで、あだ花のように再登板した安倍政府が傲慢極まりない暴走をくり広げ、国会は委員会採決すら省略するような横暴が当たり前のようにまかり通っている。こうした情勢をどう見るか、記者座談会を持った。

 米国のための戦争動員態勢作り

 A 15日早朝の強行採決は、奇襲ともいえるものだった。加計とか森友といった首相周辺への便宜供与が一方で問題視されながら、これらはことごとく隠蔽し、同時に共謀罪を国会で審議するという裏腹な事態が続いてきた。国有財産の私物化や国家の私物化はまかり通り、国民の取り締まりは強化するというダブルスタンダードだ。首相周辺へのあからさまな利益供与がとり沙汰されてきただけに、「オマエたちの共謀罪はとりしまられないのか?」と世間も疑問視してきた。


  やり方がいかにもといった感じで、最後は恥も外聞もかなぐり捨てて慌てまくして強行採決に持ち込んだ。国会が自殺行為に及んだような光景だ。日本の国会運営は委員会審議が原則で、いかなる法案も参院法務委員会で不安を解消する審議をして委員会採決をおこない、参院本会議で採決するのが最小限守るべきルールとされてきた。だが自民、公明両党は参院法務委の審議をうち切り、直接、参院本会議で採決する「中間報告」という異例の手段を使った。しかも多くの人人が寝静まった真夜中に、内閣不信任案否決などの採決準備をすべてすませ、出勤時と被さるもっとも多忙な時間帯を狙って強行採決した。採決結果は投票総数235票のうち、賛成が165票、反対が70票。頭数だけなら自民、公明、維新の会などでどうにでもなるのが現状だ。批判意見や疑問を数の力で封じ込め、国民の目に触れぬところで勝手に成立させるやり方に全国で怒りが噴き上がっている。


  共謀罪の強行採決は、都合の悪い問題は一切審議させない政府の姿勢も浮き彫りにした。共謀罪の審議時間を見ると衆院は30時間25分で参院は17時間50分だった。衆院では多数の刑法学者や弁護士が「なぜ共謀罪の取り締まり対象が一般市民ばかりで国会議員や捜査機関、大企業などにかかわる犯罪が対象外なのか?」「テロ対策の法律はすでに整備されており共謀罪法は必要ない」と指摘し、国連特別報告者まで懸念を表明していた。だが衆院は時間稼ぎばかりに終始したのが実態だった。無意味な審議時間を浪費して積み上げ「十分審議した」といった。そんななかで加計学園の獣医学部新設問題で「総理のご意向」と書かれた文書が明るみに出て、文科省が再調査に追い込まれる事態になり、安倍首相の関与をごまかせなくなると、今度はさっさと国会を閉会してあらゆる政府批判を封じる方向へと舵を切った。会期延長になるとたまらないから、針のむしろから逃避するために禁じ手を使った。共謀罪という重大な問題を扱っているのに、その強行突破の動機が「これ以上加計学園問題で追及されたくない」なのだから、どこまでも自分中心の男だ。


  国民の目から見れば森友学園問題、加計学園問題、元TBSワシントン支局長の準強姦もみ消し疑惑、PKO日報、文科省天下りなど、徹底的に真相を解明すべき問題は山ほどある。「共謀罪法の成立より、前川前文科次官の証人喚問や首相が出席した集中審議の方が先だ」「森友学園や加計学園のように自分の仲間にだけ国民の税金を使うようなことが許されていいのか」とどこでも大話題になっている。このときに「いつ採決しても変わらないので今日採決したい」(松山政司参院国対委員長)といって参院審議をうち切る動議を提出したのが自・公の与党だった。そして山本地方創生相、金田法相の問責決議案、山本順三議運委員長解任決議案と内閣不信任決議案をみな否決し、あっという間に共謀罪法を成立させていった。早急に国会を閉じてしまうことで公的な追及の場から逃げ、後は報道を統制して批判世論を封じ込めて幕引きを図ろうとする意図は露骨になっている。


  国会は「国権の最高機関」であり「国民の代表機関」などといってきたが、その国会まで私物化されていることを物語っている。ここまでくると、真面目に法治国家がどうとか立憲主義について唱えたところでバカらしいものがある。正当な批判をくり広げてきた知識人はおおいに役割を果たしたと思うが、一方で聞く耳がないのもあるが、糠に釘というか暖簾に腕押しで、権力を握っている者が現憲法において定められている三権分立の理念であるとか、法の支配を掲げた統治であるとかの建前上の概念すら持ち合わせていない。馬の耳に念仏だ。このような権力に対抗してまともな社会を築いていく力をどう形にするかが、日本社会にとって最大の課題であることを感じさせている。

 暴走は必ず反作用生む 窮地に立つのは誰か

  共謀罪法を強行採決した日、国会周辺では夕方から続続と抗議する人が結集し、深夜でも約7000人が抗議行動を続けた。集会に参加できず路上でプラカードを掲げた市民もいた。首都圏だけでなく全国各地でも共謀罪反対の抗議行動がおこなわれた。訴えている内容は「共謀罪反対」だけではなく、「自由を守れ」「未来を守れ」「安倍政府退陣」などだ。強行採決後は「採決無効!」の声が上がった。怒りの矛先は、安倍政府の露骨な議会制民主主義否定、国民の声を一切反映しない政治構造全体に向いている。


 C こうした抗議行動について「安保法制反対の時より抗議する人の人数が少ない」「今後はファシズムで物がいえなくなる」と報じ、恐怖感や失望感を煽る大手メディアも目につく。だが各界から出ている声明内容や抗議集会の内容を見ると人数の規模だけではなく、ここ数カ月間で大きく問題意識が発展している。当初は共謀罪の中身に対する批判が主な内容だったが、衆院や参院の審議や強行採決まできて、なぜ国民が反対の声を上げても無視され続けるのか、どうすればいいのかと問題意識は鋭さを増している。野党への幻想も剥げ落ち、韓国で大統領を退陣させたように全国民的な直接行動を求める機運が充満している。それは共謀罪法の成立で決して終わりにはならないものだ。安倍政府は歴代政府が成立させることができなかった共謀罪を強権的な手口で成立させたが、その反動が何倍にもなってはね返ってくるのは必至だ。


  何事も目の前の局面だけを見て悲観したり絶望してはならないということだ。反動の道を突き進んだことへの反作用が必ずあるし、国民が黙っていないという状況をつくり出さなければならない。安保関連法案が国会を通過したからとか、共謀罪が通過したから世の中がお先真っ暗になって、「弾圧される!」「弾圧される!」と危機感ばかり煽っても仕方がない。へっぴり腰ではどうにもならない。共謀罪なり秘密保護法にしても、強面でやれば国民が自分たちを恐れるのだという感覚を基本にごり押しをはかっている。権力の側がかつての天皇制軍国主義のような恐怖支配を願望している。それで逮捕されて泣きべそかいているようでは思う壺で、それこそお先真っ暗にしかならない。ただ、恐怖支配の反動がすさまじいレジスタンスや抵抗運動に発展することは世界の事例を見てもわかりきったことだ。一つの局面で終わりにはならない。


 共謀罪の強行採決は確かに反動の道で、国民弾圧を容易にするためのものだ。学者やさまざまな運動勢力が対抗したが押し切られた。だからこそ、そこから課題を見出して、よりよい日本社会にするためにみなの力をどう束ねるか、新しい政治勢力を台頭させなければならないというわかりきった課題にどう挑むかが問われている。生ぬるい平和状態は過ぎ去り、それこそ戦争の危機のなかで生き死にをかけて権力国民との矛盾が先鋭化する時代が到来しようとしている。諦めるのではなく腹をくくって挑まねば日本社会全体に不幸を強いてしまう関係だ。


  森友問題にしても加計問題にしても、今時は覚悟を持って権力を告発するような人物に社会全体が喝采を送る空気がある。前川事務次官であれ、籠池&著述家、豊中市議であるとか、恐れを知らない行動に世間がワッとなる。国会もメディアもだらしがない時代に、こうした力が一匹狼的に呼応しあってかぶりついていく。そして困り果てた安倍晋三が大慌てで国会を閉会してしまう。どっちが追い詰められているのかは冷静に見ないといけない。客観的に見て、追い詰められているのは安倍晋三だろう。腐敗しきった権力の姿を炙(あぶ)り出され、安倍昭恵の国会証人喚問にも応じる度胸がない。文科省文書にしても逃げてばかりいる。ムキになって国会で反論するのも追い詰められている証拠だ。「敗北の美学」というのがあるが、潔く敗北を認める行為を知らないというか、恐らく育ちの過程で経験したことがないのではないか。ジャンケンでも勝つまでやるとか、おべんちゃらをされたら警戒するのではなく真に受けて有頂天になってしまうとか、そんな類いであることを思わせている。これほど私物化政治が暴露されていながらいい訳をくり返しているが、当たり前に見ると安倍政府は終わっている。ところが抗って恋恋と地位に固執し、国民弾圧法のゴリ押しを自己保身のためにやった。そうした振る舞いをすべて国民が見ている。

 背後の黒幕はアメリカ世界から孤立する道

  国家の私物化をしている側が、国民には共謀罪を適用し、自分は野放図に「男たちの悪巧み」をしながら、恐怖政治で乗り切ろうという厚かましい社会だ。安倍昭恵の振る舞いにしても「厚かましい」の一言に尽きる。公共性を否定してみな「オレのもの」だと思っているようだ。しかし、税金を納めている一般国民からすると、みんなが汗水流して納めた税金に安倍晋三の界隈が寄生するなど言語道断だ。それが是とされるなら、納税の義務についても根本から考えなければならない。安倍晋三のために国民は税金を納めなければならないのだと。そして、日本社会は法治主義ではなく人治主義の国なのだと世界に報告しなければならない。憲法改正も九条にとどまらず、安倍晋三とか日本会議を頂点に頂く国家にするのか否か、正正堂堂と問い直して国民投票に持ち込まなければならない。そのような問題だ。


  担当大臣が答弁もできないような法案が真顔で通過していく。法案そのものの細細した問題点もあるが、要するに警察がどうにでも民間人なり反政府的な人間をとりしまることができる法律だ。その警察は家族殺しであるとか、スカートの中をスマホで盗撮したとかの破廉恥が後を絶たず、終いには警察署から8500万円が消えたりしている。権力の腐敗を真似するように腐敗しきっている。こんなものが国民の取り締まり権限だけを強化されようとしている。安倍政府の再登板から今日まできて、社会がぶっ壊れていく様を見せつけられているような感覚がある。


 A そもそも共謀罪を必要としているのは誰なのかだ。本来なら倒壊しておかしくない腐れ政府が持ちこたえ共謀罪をゴリ押しすることで保身を図る。これは安倍晋三の実力などではない。その力量をはるかに超越した支えがあるからだ。安保関連法案の際にも「安倍憎し」が強まるのだが、あんな男は使い走りみたいなもので、背後の財界や米国にとって使い勝手が良いからにほかならない。特定秘密保護法も安保関連法も共謀罪も、みなアメリカが日本を戦争動員するために糸を引いてきた関係だ。従って、何も考えずに強行突破する人材が首相ポストを与えられ、仲間内への利益供与が如何に泥棒猫みたいなみっともないものであっても、その意向を実行するという限りにおいて目をつむるし、やらせている。


 トランプにゴルフクラブを握りしめて面会に行ったり、かと思えばオバマに叱られて真珠湾を訪問したが、日本の為政者が心配しているのはアメリカにどう見られるかだけだ。


  共謀罪が戦争動員のための弾圧法であることははっきりしている。その戦争とは、72年前の「天皇陛下万歳」ではなく、アメリカ本土の盾となり、日本の若者や自衛隊員が米軍の鉄砲玉として最前線任務を担わされるものだ。この間、稲田朋美が米艦防護を自衛隊に命令して朝鮮半島にくり出す米空母を自衛艦が守ったりしているが、現実の一触即発の危機とセットで戦争動員のための法律が整備されている。朝鮮半島をめぐる軍事緊張の解決は交戦状態の終結が最大の課題なわけで、そのためにはアメリカがつくり出す核の脅威、軍事緊張を除去しなければ実現できない。東アジアにとっての最大の脅威はアメリカだ。その尻馬に乗って日本列島をミサイル攻撃の標的に晒(さら)すことを厭わない者が、軍事挑発に加担しつつ「逃げる訓練」を国民にやらせ、そのための戦争動員法を整備している。米軍基地が標的になるのに、その米軍基地に出て行けといっている国民を標的にするのが共謀罪だ。


 A 昨今の情勢のなかで、アメリカのおかげで戦争の脅威に晒されるのが日本社会だ。この手先になって孤立するのではなく、近隣諸国との友好関係を築いて東アジアで生きていく道を進まなければ、没落するアメリカと共に日本社会は世界からとり残されてしまう。戦後72年が経過したが、アメリカの意向を忖度しまくってきた為政者や統治機構が、終いには肉弾にされても構わないといって火の海に飛び込むような真似をしている。この植民地的退廃の極みが安倍政府で、日本社会が音を立てて崩れ始めた感がある。対米従属構造から脱却しない限り、アジア各国との関係もまともに切り結べないし、世界的にもアメリカのポチとして笑いものにされていくほかない。

 新鮮な政治勢力結集へ 「左」の消滅は必然的

  共謀罪は国会を通過した。これは終わりではなく始まりだ。安倍政府の終わりの始まりにもしなければならない。戦争の災いを切望するような政治を終わらせ、真に独立した平和で豊かな日本社会を築いていく営みを後退させるわけにはいかない。戦争をさせない力を結集しなければならないが、同時に日本社会はどう進んでいくのか、世界情勢や行き詰まった資本主義世界の行方とあわせて真剣に模索しなければならないところにきている。


  戦後72年にわたって、世界でも稀なる対米従属国家としてやってきたが、いまやパクスアメリカーナそのものが終焉を迎えつつある。軍事力を裏付けにして世界最強を誇ってきたアメリカであっても、その地位は永遠のものではないし、絶対的なものではない。日本の為政者も対米従属一辺倒でしがみついていたのでは世界から浮き上がらざるを得ない。イギリスのEU離脱や労働党の躍進、米大統領選でのサンダース現象、韓国の大統領弾劾行動など、各国で民衆の闘争が高揚して支配層を突き上げているが、こうした世界的な新自由主義・グローバリズムと対抗した民衆のたたかいと連動して、「まともな社会にせよ!」のうねりをつくっていくことが課題ではないか。


 目先だけ見ていると、政党政治が死滅した感じで息をしていない。野党にしても国民からの信頼が乏しい。そのもとで、叩きつぶされたはずの自民党がゾンビのように復活して、教育勅語を奨励したり大暴走しているに過ぎない。自民党の全有権者からの支持率は二十数%で、かつてなく基盤は乏しい。小選挙区制度の選挙ゲームを制したというだけだ。政治的にはきわめて歪(いびつ)で空白になっているところを突き、野党の貧弱さに助けられ安倍自民党が調子付いている。


  あと、昨今の右傾化とかかわって、日本会議が急速に力を付けてきたとか国民が右翼化したという代物ではなく、それ以上に左翼がオールド化してくたびれ果てている問題を指摘する声もある。なるほどと思うものがある。イデオロギー的に右とか左ではなく、正確には上下の矛盾で階級関係は成り立っていると思う。そのなかで、どんな日本社会を築いていくのかという未来への展望を諦めて、もっぱら政府批判をしておけばよいとか、いつも自己主張や自己顕示をして酔っているとか、被害者でなければ気が済まないとかを含めて、われわれも嫌というほど見てきた光景だ。リベラルとか左といわれる世界の混迷ぶりもひどいものがある。誰も相手にしていないのに観念的な言葉を弄んで自己満足しているとかも含めて話にならない。しかし、ありがちなわけだ。現実社会なり世論を動かしてなんぼという基準がなければ、さらにシーラカンス化が進んで自然消滅することは疑いない。


  消滅すべきは消滅し、淘汰されて、そのなかから新しい政治状況を作り出していくほかない。戦前の共産党は、もっとも大衆が苦難に置かれたなかで、天皇制軍国主義の弾圧もあったが大衆と結びつけずに自然消滅していった。その教訓を深刻に考えなければならない。大衆のために身体を張ってたたかうし、そのために奉仕するという立場を貫く政治勢力を結集していくことが重大な課題になっている。戦争情勢を切り開くというならなおさらだ。

関連する記事

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterEmail this to someone

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。