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広島「原爆と戦争展」主催者会議 熱気高まる市民論議束ねる

被爆者や学生が参加した広島「原爆と戦争展」主催者会議(6月18日・広島市)

 8月上旬に広島市内で開催される第16回広島「原爆と戦争展」の主催者会議が18日、広島市西区の己斐公民館でおこなわれた。被爆者や被爆二世、主婦、社会人、学生などが参加し、被爆から72年目の原爆記念日を迎えるなかで、全市民の願いを束ね、全国・世界から結集する人人とともに戦争阻止の力を広げていく大交流の場にすることを確認した。

 全市を基盤に全国・世界に発信

 はじめに原爆展を成功させる広島の会の高橋匡会長が挨拶した。「先日、国会と呼べないような国会が終わった。その終わり方は、傍若無人で国民を無視した独裁的なもので、与党は共謀罪への国民の疑問に何一つ応えないまま、議員の頭数だけで横暴に強行可決した。われわれ被爆者としては、あくまでも被爆の真実を次世代に伝承しなければならない義務がある。子や孫のため、生きている限り、実情を伝えていきたい。今年の総まとめとなる8月の原爆と戦争展を大成功させたい」と呼びかけた。
 続けて、共催する下関原爆被害者の会の大松妙子会長のメッセージが紹介された。
 次に広島の会事務局がとりくみの概況を報告。昨年から安倍政府が、安保関連法案施行など戦争に向けた体制づくりを進めるなかで「いまこそ広島の経験を伝え、原水爆戦争を阻止する力ある平和運動をおこしていこう」という市民の意欲は強く、安佐南区や廿日市、修道大学など昨秋以降の県内各地での原爆と戦争展で、若い世代120人が新たに賛同者に加わり、スタッフとしての参加を申し出ていることを報告した。賛同者500人への協力依頼を先行して進め、現在までに大学生なども含めて100人から賛同の申し出が返っていることを明らかにした。
 論議では、被爆者、遺族、被爆二世などそれぞれの立場から、今年の原爆と戦争展にかける意気込みを語り、「いまこそ全力を出そう!」と強い熱意が飛び交った。
 9歳5カ月で被爆した婦人は、原爆の廃墟の中からバラック小屋を建てて人間らしい暮らしをとり戻していった戦後の生活を振り返り、「アメリカの生活をモデルにした高度成長期をへて物資や食料も溢れるようになったが、一方で、原爆や戦争は遠い昔のこととして当時の体験を語ることもはばかられる時代だった。72年過ぎたいま、秘密保護法で国民に真実を隠し、安保法制によって平和主義の国是を覆して武力行使を可能にし、自衛隊を米軍の後方支援で海外にいかせる時代になり、共謀罪で国民の言論の自由さえ奪おうとしている。まさに開戦前夜という感覚がしている。あれほど苦労した戦争の経験を忘れて、また戦争に利用されることはあってはならない。私たちは草の根の運動を広げ、声を大にして戦争を食い止める努力をしないといけない」と強調した。
 11歳で被爆した婦人は、今年も市内の小学校や修学旅行生に体験を語りに行った経験から「子どもたちには、被爆して熱かった、痛かったという話だけで終われない。現在の世相の動き、なぜ戦争がはじまったのかということに触れなければ平和の意味が伝えられないし、いまの子どもは納得しない。迫ってくる戦争の足音を伝え、それを食い止める思いを伝えなければ死んでも死にきれないものがある。力を出すのはいまではないか!という思いで、老いも若きも引き連れて団結して八月に向かっていきたい」とのべた。
 男性被爆者は、「現在の政府は、北朝鮮のミサイル攻撃を想定して全国の自治体で避難訓練をさせているが、また空襲警報を鳴らし、国民を防空壕へ避難させることを本気で想定しているのかと唖然としている。戦争当時は、どの家庭にも地下に防空壕を掘り、毎日のように防空訓練をやっていたが、いまはそんな地下設備もなければ知識もない。アラーム一つで10秒、20秒で安全な場所に逃げることなどできない。学校はどうするのか、家庭はどうするのか、食料はどう確保するのかまるで考えもなく、ただ形式的な避難訓練をしている。原爆投下のときには頭の上をB29が飛んでいるのに空襲警報すら発令しなかった。いくら国民が訓練していても、政府や行政があの有様では国民の命は守れない。坊ちゃん独裁者のいいなりで、反対する議員も官僚もいないのでは話にならない。このような幼稚な考えで戦争などしてはならないことを若い人にもしっかり訴えていきたい」とのべた。
 上海で終戦を迎えた婦人は、戦後、引き揚げた広島は燃えさしとガレキの山となっており、「母親はみんな戦災未亡人になり、原爆孤児が街に溢れている。古市駅に復員列車が到着するたびに、子どもたちが“お父ちゃんが帰ってくる!”と駆けだしていっては悲しそうな表情で帰ってくるという毎日だった。一億総貧乏、総空腹というのが戦後の姿だった。日本が実力もないのに戦争を仕掛けた。満州事変では中国の盧溝橋、瀋陽で爆破事件を起こして中国の仕業にして侵略を進めた。そして最後は、太平洋戦争を仕掛けて原爆投下までされた。大学生だった従兄弟は、学徒出陣で召集され、戦争が終わる直前の8月11日にバラック建てのトイレにこもり、壁一杯に東条英機の悪口を書いて自殺した。被爆直後に、たくさんの遺体をリアカーに詰んで宇品港まで運んだ友人からは、リアカーの上で死後硬直でバンザイをする死体に驚き、生き返ったと思って声をかけた話や、似島でその死体を燃やした話を聞いている。それは、哀れとか、悲しいとか、辛いなどという言葉だけで言い表すことはできない」とのべた。「戦争には貧乏と悲しみがつきものであり、七七年生きてきて痛感するこの思いを若い人に伝えたい」と力強くのべた。

 大戦の失敗繰り返すな 次世代に伝える教訓

 フィリピンから引き揚げた沖縄出身の男性は「父はフィリピンで現地召集されたが送られた1万人の1個師団で生きて帰った兵士は100人程度だという。ほとんどはマラリアで死んでいる。だから戦争体験はほとんど話したことはない。だから戦後世代は知らない。戦争はだれが起こしたのか。なぜしたのか。南方では、マレーシアからニューギニアまで広域を占領したが、翌年の昭和18年には総反撃を受けて日本軍の艦船は半分も残っていなかった。考えれば当たり前のことだ。あれだけの広範囲を日本が占領しつづけることなどできない。そんなことをなぜ決定し、なぜ食い止めることができなかったのか。それをいま徹底的に伝えなければいけない」と話した。
 父親がビルマ・インパール作戦で戦死した60代の男性は、「ビルマでは八割以上の兵隊が亡くなり、白骨街道ができたという。また、母の兄が呉の海軍にいて、その奥さんが原爆投下後に広島に救援に入って亡くなった。そのことは家族の中で戦後ずっと口止めされていた」とのべた。
 また、「原爆と原発の関係について調べたところ、中曽根や正力は、原爆をつくるために原発を設置したことがわかった。すぐに原爆に転用できるプルトニウムを製造しているため、世界から日本は核兵器の潜在的保有国と見られている。世界では原発廃炉が流れなのに、被爆国であり、あれだけの事故を起こした日本だけが再稼働をしている。広島でも目と鼻の先に四国・伊方原発があり、事故が起これば瀬戸内海全域が壊滅する。秘密保護、戦争法、共謀罪、そして憲法改悪がはじまろうとしているが、汚れきった政党政治を追い落とすため、ただ現状を嘆くだけでなく、阻止に向けて一歩踏み出していきたい」と力を込めてのべた。
 平和公園での街頭展示に参加した女子学生は、「パネルを見ている人たちにアンケートを依頼する活動をはじめてしたが、全国各地の人、外国人からも“戦争は起きてはならない。平和が一番だ”という回答をもらえた。これから戦争展に向けて少しでも力になりたい」とのべた。また、「幼少期から原爆資料館には行ったが、自分のこととして考えていなかった。大学での展示会で被爆者の方の話を聞いて、はじめて自分の頭で考え、行動しようと考えた。英語を勉強しているので、米国人や海外の人に必ず被爆者の思いを伝えていきたい」とのべた。
 同じく広島出身の女子学生は「海外や他県からきた同世代の人たちが真剣なまなざしでパネルを見て、長文の感想を書いていた。それを見て自分ももっと真剣に勉強し、被爆者のみなさんから聞いた真実を伝えていきたいと感じた。とくに同じ世代や年下の世代に伝えたい」とのべた。
 開幕までの1カ月間、市民のなかで旺盛に宣伝活動をくり広げ、被爆体験の継承と戦争阻止を求める全市民の思いを束ねて形にしていくことを確認して会を閉じた。

 広島「原爆と戦争展」の概要
 会期 7月30日(日)~8月7日(月) 午前10時~午後7時(5、6日は午前9時半~午後9時 最終日は午後5時まで)
 会場 合人社ウェンディひと・まちプラザ(旧市民交流プラザ)北棟4Fギャラリー

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