いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『世界マネーの内幕――国際政治経済学の冒険』  著・中尾茂夫  

 本書は日本の敗戦を出発点として、バブルとその崩壊、そして冷戦後日本の転換点としての不良債権処理、リーマン・ショックを、世界マネー戦争という視点で描いている。そのなかで浮き彫りになるのは、戦後世界で基軸通貨となり覇権パワーを発揮してきた米ドル体制の終焉(えん)である。著者は、大阪市立大学や明治学院大学などで教員を勤め、現在は国際金融研究家としてかずかずの著書を出している。

 

 ドル覇権といっても、大昔からそうなのではなく、戦後の70年程度のことだ。それ以前はパックス・ブリタニカ(大英帝国の覇権支配)を背景に、英ポンドが基軸通貨として力を発揮していた。

 

 ドル体制のはじまりは、日本の敗戦より1年以上前の1944年7月、連合諸国44カ国が集まったブレトンウッズ会議の決定による。米ドルだけが金兌換を許され、ドルによる固定為替相場制が確立した。英ポンドは兌換なきその他通貨へ転落した。それは、戦場にならなかった米国だけが持つ巨大な生産力と、世界の3分の2以上を占める圧倒的な金保有量によるものだった。

 

 当時のヨーロッパは、戦争による死者総数は3650万人(収容所や飢餓、病気による死者は含まれず)で、生産力は破壊し尽くされていた。ドイツの首都ベルリンの建物の75%は居住不能、ベラルーシの首都ミンスクの80%は破壊され、ウクライナのキエフは瓦礫と化し、ポーランドのワルシャワの家という家、街という街は退却するドイツ軍によって爆破されていた。

 

 この荒廃したヨーロッパの復興のために投下されたのが、マーシャル・プランによる膨大な米ドルで、それによってヨーロッパの市場に米ドルが流通し始め、基軸通貨米ドルの覇権を実現する経路がつくられていった。今回のウクライナ危機で明らかになったように、在米ドル口座を凍結すれば相手国を締め上げることができる。それは国際取引の決済通貨を握る基軸通貨国の特権となる。

 

 もう一つの契機は、スエズ危機に象徴される大英帝国の後退だ、と著者はいう。1956年、英国はエジプトの国有化措置によって、大株主として支配していたスエズ運河を失い、エジプトからの撤兵をよぎなくされた。かわって中東を支配したのが米国だ。米国自身は原油産出国だったが、米系石油メジャーが中東原油の採掘権を握り、それを西ヨーロッパや日本に供給する生産者兼ブローカーとなって、経済成長に必要な原油供給元を支配するという権力を握った。

 

 一方、英国は、衰退する英ポンドを捨てて国際決済通貨を米ドルに乗り換え、米ドルの取引市場をロンドンに開設した。そこには、在米口座なら封鎖されるがロンドンの米ドル口座はそういう不安がないことを知った海外諸国(とくにソ連)の動きもあったようだ。こうして第二次大戦時に7億人以上といわれた旧大英帝国のポンド圏は米ドル取引の膨大な需要を発生させたが、それと同時に発達したのがタックス・ヘイブンだった。

 

株式金融資産の拡大と破綻

 

 このドル支配体制が揺らぐ大きな契機はニクソン・ショックだ。1971年8月、ニクソン米大統領は金・ドル交換停止を発表した。戦後のブレトンウッズ体制は、米ドルは金と1オンス=35㌦で交換できる唯一の兌換通貨であり、各国通貨は米ドルと固定され、そのもとで世界貿易が発展してきたが、その仕組みを否定する敗北宣言を出したわけだ。

 

 その原因の一つは、各国経済が復興する一方、米国の国内経済は空洞化して輸出国から大消費国に転化し、大幅な貿易赤字=ドル流出が進んだことだ。決定的だったのはベトナム戦争の敗北で、膨大な軍事支出で財政赤字も莫大なものになった。こうしたなかで各国通貨当局が保有ドルの金交換を急ぎ始め、ついに米国はパンクした。

 

 それ以来、実体経済とかけ離れた株式や債券などの金融資産が爆発的に拡大し、通貨危機・金融危機をくり返して、リーマン・ショックに行き着くことになる。9・11後の対テロ戦争にも失敗し、ベトナムに次いでアフガニスタンから撤退した米国に、かつての覇権国家の面影はない。

 

 著者は現在をドル体制の終焉と見る根拠をめぐって、次の点を指摘している。

 

 まず、EUが1999年にユーロを採用したことは、基軸通貨米ドルに対する挑戦だった。現在、ユーロは米ドルに次ぐ第二の国際通貨の座を確保している。

 

 次に、中国の動きだ。中国人民銀行総裁はリーマン・ショック後の2009年3月、基軸通貨米ドルの退場と新しいブレトンウッズ体制を提唱して世界を驚かせた。「世界経済の安定のためには各国通貨から独立した国際的な通貨単位が必要で、IMFの会計と信用の単位であるSDR(特別引出権)が有力候補だ」というものだ。IMFが2015年に発表したSDR通貨構成比で、初登場の人民元は、米ドル、ユーロに次ぐ第三の通貨の地位を獲得した。中国の貿易に占める人民元建て取引は、金額においても比率においても急上昇している。中国は数年後にはGDPで米国を抜くと予測されている。

 

 さらに中東における新しい動きがある。イランはヨーロッパへの原油販売について、ドルの代わりにユーロでの支払も受け付けると提案した。著者は、石油を輸入するユーロ側と、輸出するOPEC諸国側の利害が重なり合って、一定の「脱米ドル」へ向けた共闘が結成されつつあると指摘している。

 

 こうした世界で大胆にくり広げられている通貨戦略に目を向けず、衰退著しい米国にのみしがみつき、思考停止状態を続けるなら、日本の未来はない。その米国では、2015年に安倍首相(当時)が日本の現役首相としてはじめて米議会で演説したとき、『ニューヨーク・タイムズ』が、「米国の前で卑屈な露払い役を務めるABE」と揶揄する風刺画を掲載したという。対米従属から脱し、独立国として日本独自の平和外交を展開する道に進むかどうかの分かれ目にきている。

 

(ちくま新書、398㌻、1150円+税)

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