2024年1月1日に最大震度7の地震が襲った能登半島。この地震の震源地は、かつて原発立地が計画されていた能登半島の突端の町・珠洲市高屋だった。もしここに原発ができていたら、極度の揺れと海岸の隆起で冷却システムは破壊され、深刻な放射能の放出が起こり、土砂崩れで孤立した人々は逃げることもできないまま被爆し、名古屋や大阪といった大都市まで放射能汚染が広がっていたかもしれない。地震後、珠洲市で原発反対をたたかってきた住民のところに、「西日本を救ってくれてありがとう」「原発を止めてくれてありがとう」とのメッセージが多く届いたという。
珠洲市に原発計画が浮上したのは、1960年代の終わりだ。それは「過疎の町を振興する」という装いをとっていた。1976年には関西電力会長が「珠洲に1000万㌔㍗の原発基地建設構想」を発表。本格化したのが、なんとチェルノブイリ原発事故の2カ月後、珠洲市議会が全会一致で原発誘致を決議してからで、そこから住民たちが立ち上がった。そして17年後の2003年、関電などが原発計画の「凍結」を発表した。
この本は、1990年にテレビ局のディレクターとして珠洲の原発反対運動のドキュメンタリーを撮った著者が、能登半島地震後に改めて関係者の元を歩き、インタビューをおこなったもの。30年以上も経ちながら、当時の運動を昨日のことのように生き生きと語る住民たちに驚いたという。
市議会の原発誘致決議の3年後、1989年5月、関西電力は高屋地区で事前調査を強行。これを発見した住民たちが関西電力の技術者たちをとり囲み、作業をできなくさせた。
これを聞きつけて、事前調査を中止させようと珠洲市内外から多くの市民が集まってきた。なかでも運動の主力を担ったのが珠洲市最大の漁港・蛸島の漁業者たちで、とくに早朝に魚を荷揚げするとすぐに長靴のままかけつける漁協婦人部がその先頭に立った。
女性たちは、関電の作業員を乗せた車をとり囲んで立ち往生させ、駐車場に大勢が寝転んで「行くんなら、ばあば轢(ひ)いてから行け」といって譲らなかった。「放射能で奇形の魚できたら売れないんです」「孫子のために原発はやめてください」と関電社員に訴えた。その原点は、70年代に富山湾でPCB(ポリ塩化ビフェニル)汚染が起こって風評被害が広がり、太刀魚の値段が暴落して苦しんだ経験だったという。
著者はこれを、それまで地区労や革新系組織を基盤にしていた原発反対運動が、漁業者や僧侶、商店主や酒造業者や土木建設業で働く人たちがコミュニティを挙げて参加する市民運動に生まれ変わっていく瞬間だった、とのべている。
続いて、高屋地区での抜き打ち調査に怒った市民約300人が珠洲市役所に押しかけて市長や助役に抗議した。市長が「関電と話し合う」と退席すると、市長の回答を待つという名目でそれから40日間、市民たちは市役所の会議室を占拠した。
夜は代表が市内各所で現地報告会を開き、泊まり込んでみんなで話し合い、夜が明けると高齢の女性を残して現役世代は出勤し、高屋地区を守るグループもあった。放課後に母親を訪ねて小学生たちが市役所にやってくると、その場にいた先生たちが勉強を教え、それで子どもたちがたくさん集まるようになった。まるで老若男女が集う解放区である。
さらに、知識人も役割を果たした。浄土真宗大谷派の僧侶たちである。とくに高屋地区にある圓龍寺の塚本眞如住職は、久米三四郎、高木仁三郎、藤田祐幸などの科学者を寺に招き、原発についての勉強会をおこなった。また、福井県の原発先進地、敦賀、美浜、高浜で住民の生の声を聞いて歩いた。体を放射能で蝕まれている原発作業員の話も、そのなかで耳にしたという。
住民たちはまた、原発反対の世論を広げるために選挙にも打って出た。ほとんどのメンバーが選挙はズブの素人だったが、初めて候補を立てた1989年の珠洲市長選は予想外の善戦となり、それがきっかけになって1991年には1人の県議と4人の市議を当選させるまでになった。そのなかには現在、能登半島地震後の珠洲の復興で奔走している人もいるそうだ。
そしてその選挙を裏方で支えたのも、漁協婦人部をはじめとする女性たちだった。「あのときはちょうど太刀魚の時期で、早朝荷揚げをして翌日の準備をし、子どもたちの弁当をつくって朝ご飯の仕度をして、それから出ていって午前七時からウグイス嬢をやった」「お嫁さんはね、やっぱり家の者の理解がないとできない」「初めての経験って不安やけど、やってしまったら痛快なとこもあっておもしろい」とたくましい。
珠洲市の一人一人が創意工夫し、持てる力を思い切り発揮して、それが一つになって大きなうねりになっていったことがわかる。そのコミュニティの力は、能登半島地震のさいにも発揮された。
そのほか著者は、珠洲市で市議会議員を2期8年、石川県議会議員を5期20年務めながら最後の最後まで珠洲への原発立地にこだわった政治家にインタビューしている。彼は福島原発事故に衝撃を受け、「あんな事故を見たら、珠洲で(原発が)できんでよかったと思った」と語った。
政府の地震調査委員会は、南海トラフ巨大地震の今後30年以内の発生確率を「60~90%程度以上」(2025年9月見直し)としている。にもかかわらず政府は、まるで福島原発事故などなかったかのように、原発再稼働や新増設に舵を切っている。そうした時期に改めて珠洲の人たちの経験に学ぶ意義は大きい。いかに多くの政党が原発推進の旗を振ろうと、決定的なのは大多数の地元住民の意志なのだ。
(地平社発行、四六判並製・238ページ、定価1800円+税)





















