(2026年7月6日付掲載)

地震で高層住宅が倒壊したベネズエラ北部ラ・グアイラ州(6月26日)

西谷修氏
6月24日、ベネズエラ北部のカリブ海岸から首都圏周辺を襲った未曾有のダブル地震(M7・2と数十秒後にM7・5)から1週間、全国から集まるボランティアと近隣諸国から急派された救援隊の活動で、瓦礫の下から数千人の人びとが救い出されたが、多くの人が亡くなり、この大災害の被害・被災状況がほぼ明らかになった7月1日、デルシー・ロドリゲス暫定大統領は、犠牲者を悼み、被災した家族への連帯を示すため、7日間の「国民追悼期間」を布告した。
カラカスにあるスペイン語衛星放送局テレスール(teleSUR)によると、暫定大統領はソーシャルメディアを通じて、人命の損失とともに国民の心が引き裂かれていると述べ、負傷者や行方不明者のために祈りを捧げるとともに、被災した各コミュニティでこの悲劇に苦しむ人びとを支え見守るという、中央政府の揺るぎない決意を改めて表明した、とのことである。
この自然災害に向き合うときに忘れてはならないのは、地震が国の存続が脅かされるという前代未聞の危機の中で発生したということである。
去年秋から米南方軍が「麻薬戦争」の名の下にカリブ海に展開し、適当な「不審船」を撃沈してはマドゥロ体制に揺さぶりをかけ、キューバに石油を運ぶタンカーを拿捕して押収するという「強盗掠奪行為」(国際法上、合州国のこの行動を記述できる用語はない)に及んでいた。そしてついに1月3日、米軍は首都カラカスを最新軍事技術で一時マヒさせ、数十人の警備員を抹消してマドゥロ大統領夫妻を拉致し「犯罪者」として米国に連れ去ったのである(しかし、その後「裁判」などできるはずがない)。
北の超大国から国家の心臓部に超法規的な侵害を受けながら、それを耐え忍んでベネズエラの現体制は、デルシー・ロドリゲス副大統領を暫定大統領に充て(規定による)、国を「戦争化」して破壊することよりも、国民の「日常」を守り、「生活」を維持・継続することで国の実質的「自立」を確保してゆくことを選んだのだ(これを「屈服」とみなすのは、トランプと同じ発想による)。
この選択自体、生中な政府にはできないことだろう。直後に国連安保理事会が開かれたが、独善超国家アメリカの「国際法蹂躙」に対して「国際社会」は事実上何もできず、ベネズエラへの侵害は放置されるのである(もちろん、それを不当とみなしてさまざまな形で支援しようとする人びとや、少数ながら国々もある)。
トランプはこれでベネズエラを掌握し「奪われた石油も自分たちのものにした」と公然と言う(だからイランもそうなるだろうと甘く見て、イスラエルに乗せられてイラン攻撃をしたが――最初にまず「斬首作戦」をやる、そうすれば国は潰れる?――、そうは問屋がおろさず、今は収拾のできない苦境に陥っている)。
ベネズエラ政府の対応 米国の軍事圧力の下で
今回の大地震は、このような不可視の災厄によって困難なサバイバルの試練のただ中におかれたベネズエラを襲った。

このときデルシー・ロドリゲス(暫定大統領)政権の示した迅速・果敢な対応は見事だった。被害の甚大予測にただちに非常事態を宣言、救援活動を被害甚大だったラ・グアイラ地方に集中(この東方にシモン・ボリバル国際空港があり、幹線道路がカラカスにつながる)、駆け付ける近隣諸国の救援隊(U.S.Aではない、ラ米諸国やスペイン・イタリア等)の力を借り、軍とボランティアとが協力して救助活動をする(ベネズエラの軍は他国とは違うし、ここには米軍のつけ入る余地がない)。
そして1週間、それを目安として「国民服喪の週」を布告して、一旦人びとを追悼し悲劇を共有する機会を設ける(悲しみと癒しの時は続く)とともに、これからの被災者支援・「生活」復旧・復興にフェーズが移ることを共有させているのだ。
当初、重機が足りず人びとが素手で瓦礫をとり除ける様が伝えられたが、これは明らかに長く続く米国の厳しい経済制裁のためである。また、建物倒壊がひどかったのも「独裁政権下」で建築基準がいい加減だったというメディアのコメントが散見されるが、多くはチャベス政権以前に建てられたものであり、被害の大きさを現体制の「失政」のせいにするというのは(日本も含めて西側メディアの傾向で、朝日新聞は社説でそれを書いている)、この機会に「体制転換」をともくろむ「火事場泥棒」的ないいがかりだろう。
ロドリゲス暫定大統領のメッセージに「…被災した各コミュニティでこの悲劇に苦しむ人々を支え見守るという中央政府の揺るぎない決意を改めて表明」とある。「各コミュニティ」と英語風に言い換えてしまうと分からなくなるが、これはじつはチャベス政権以来ベネズエラが独自に育ててきた地域生活共同体「コムーナ」のことを指している。
ここでロドリゲス暫定大統領の言っていることは、被災したのは各々のコムーナ(つまり人びとの生活する基盤的共同性)であり、そこで苦しむ人々を中央政府は揺るぎない決意で支え見守るということなのである。
実際、機材も不十分な中で、人びとが助け合い救助活動が集中して行われたのは、ここでは人びとが孤立してはおらず、すでにコムーナが人びとを包摂していたからだ(だから西側メディアが伝えるのとは違って、ふつう災害時によく起るスーパーや商店の掠奪といったことはほとんど起こっていない)。被災者に対する食糧支援でも、全国のコムーナが主導して発災3日目には物資集積配給所が各所にできた。
コムーナは通常の国々のいわゆる行政機構としての地方自治体ではない。チャベスが人びとの自立生活を促すために推奨・育成しようとした地域的共同体で、それを国の中央政府が管理するのではなく、むしろコムーナに「権力」を持たせて中央政府にその育成支援の役目を負わせた。それがチャベスの「革命」のそれまでの「社会主義」とは違うところだ。
そのコムーナが米国制裁下で(グローバル経済から遮断されることで)、地域の自生・自活をベースにむしろ成長・発展し、人びとの生活創出共同体(とそのネットワーク)としてベネズエラの近年の「経済成長」を支えるものとなったのだ。

全国から集めた救援物資を運ぶコムーナの住民たち(ラ・グアイラ州、6月29日)

支援物資を受け取るために並ぶ被災者たち(ラ・グアイラ州、6月29日)
国の危機救うコムーナ 住民自治の地域共同体
コムーナの起源のひとつは、貧民窟の互助関係である。石油資源で繁栄する首都カラカスの周辺に、地方で食い詰めた人びとが集まり、周辺の山肌にバラックを建ててわずかな日銭を稼ぎながら折り重なるようにして住みつく。その規模は200万人とも言われる。そこは住宅地域ではないから生活インフラも整っていない。それを共同で工面しながら誰もが欠乏を補い合って暮らしてきた(バリオと呼ばれる)。その自生的な互助関係がコムーナのもとになる。
見かけの発展からとり残されたこのような人たちの圧倒的な支持を受けて、1999年チャベス大統領が誕生した。
チャベスは一部富裕層や企業が石油利権を独占して国中の貧富の差が拡大し、農村漁村も所有権者の放置のために荒廃にさらされている状況を抜本的に変えることを掲げて当選したのだ。そして、まず石油を国有化した。この「国富」を富裕層や企業の私的独占に委ねておくと、アメリカはそれを「自由経済」(市場開放)として求めたとしても、ベネズエラ社会は分断され大多数の人びとが貧困に打ち捨てられることになるからだ。そしてその収益をまず貧民の救済、とくに医療や教育に充てる政策を実行した(このときキューバから2万人を超す医療団が派遣され、カラカスのバリオや地方の無料診療所で働くことになった)。
富裕層やすでに守られた権利をもつ層は、それによって既得権益を失うことになる。彼らは石油資源への「自由」なアクセスを失った米国の後ろ盾を得て、2002年にチャベスの「独裁」打倒をめざしてクーデターを起こした。ところがこの「臨時政府」は、バリオからおり下って首都の街を埋め尽くした200万民衆の「チャベスを返せ」という抗議の叫びに押されて2日で瓦解することになった。
以後チャベスは、万人の共和国をめざした建国の父シモン・ボリバルを記念して「ボリバル革命」と呼ばれることになる社会改革を不退転に推し進めるために「コムーナ」の育成と拡大を呼びかけるようになった。
政府が貧民を一方的に支援・救済するのではなく、自分たちで生活を作り出し、それで自立してゆく地域共同体を作るのだ。その育成のために政府は資金も出すが、それを決定するのは各コムーナの評議会である。
要するに、貧しい地域に日常的に存在していた相互扶助協力の関係に、法的なステイタスを与え、そこに「権力」つまり中央政府から独立した実質的な自治権をもたせたのである。それは中央政府の代理機関としての地方自治体(コミューン)とは質的に違い、中央政府はコムーナを支え育成しなければならないことになっている。
農村の場合なら、不在地主が放置する土地を政府が買い上げ、コムーナに委ねる。すると、食い詰めて都会に流れなくても土地を耕せるようになった人々が、その地に適した作物を作り、そこに居ついて暮らすようになり、コムーナは学校も作って教育の基礎を作り、農具やその他の日用品を作る事業も始める。
そうして自立する各地のコムーナ同士がネットワークを作り、生産や流通の仕組みを組み上げてゆくことで、地域が「生きられる」生活圏に変ってゆく。それを政府が支援し支えてゆくのだ。それは、人びとが地域に協同で生きることのできる枠組みとしての地域生活共同体なのである。
ハイパーインフレが起き、その後もアメリカの強力な「経済制裁」(モノとカネの流通する経済の血脈を締めつける)のもと、一方で度重なる米を後ろ盾とする「体制転換」の試みや治安悪化に対する対策も強いられながら(その中で数百万の人口流出も取りざたされたが)、ベネズエラの2千数百万の人びとはコロナ禍も生き延びてきた。今では人口の8割近くがコムーナに属しているという。結局、チャベス革命が作り出したのはこのコムーナから成りコムーナが支える国家だったのである。
だから、トランプのアメリカが今にも侵攻するという気配をみせたとき、マドゥロ政権が反発したのはもちろんだが、全国の(とりわけカリブ海沿岸の漁村の)コムーナが800万の軽武装民兵を組織して、コムーナごとに抗戦の気勢を上げていた。
このときコムーナの人びとはほとんど「ベトナム化」することを怖れなかっただろうが、それは彼らがマドゥロ政権のために戦うのではなく、アメリカの侵攻がほかでもない「コムーナ」潰しであること、このような共同の生き方の抹消であることを骨身にしみて知っていたからだ。
計算と効率で私的なアクターの利潤を最大化することが有能の証しとされ、助け合いとか融通とか隣人のためとかいうことが「不正」とさえされる倒錯した「力」のシステム(それが「アメリカ」だ)、それを解消するためにこそ「コムーナ」は存在してきたからである。
生活を守る下からの力 現政権支える基盤

被災者と対話するデルシー・ロドリゲス暫定大統領(中央、6月27日)
だからこそ、デルシー・ロドリゲス大統領率いるベネズエラ現政権は、1月3日にアメリカ合州国という超国家によるもはや形容しようもない暴虐狼藉の屈辱を受けながら、あえて人びとの「生活」を守る(戦争にはしない)という途を選んだのだ。そして全国のコムーナはそれに従った。コムーナの目的は、すべてを破壊に委ねることとは正反対の、「できないところで人びとの生活を協同で作り出し支え合う」ことだったからだ。
そして、今回の大災害にあたって、持てる国家資材のすべてを動員して効果的な救援体制を作り出し(事情を理解する近隣ラ米諸国はただちに最大限の救援隊を組織して送り込んだ――じつはこれは米の「制裁」に違反することになるから普段ならできないし、われわれ市民の救援・支援資金さえ銀行取引の禁止のため制約がかかっているのだ)、1週間を経たとき、デルシー・ロドリゲスは、何よりこの救援活動を底辺で支えていたのがコムーナであることを明示的に示したのだ。
この20年来、ベネズエラをめぐって争われてきたのは、20世紀の「社会主義と資本主義」のイデオロギー的な闘いなどではなく、グローバル化した世界で世界規範となったアメリカ型の新自由主義統治と、それによって解体される違う生き方の世界――効率競争で挽き臼にかけられる人間本来の生き方を再興しようとする無名の人びとの小さな努力の結びつきの世界――との対立である(それを私は「先住民」的生と言いたい)。
要するにコムーナとは、その新自由主義統治の届かない「活力あるアジール」なのである。
米国のショック・ドクトリン 西側メディアが誘導
そのコムーナを「神話」だとして一蹴する「専門家」がいる。彼らにとっては私的権益を追求する企業活動だけが「公正」なルートであって、私欲や利潤競争などとは違う価値で人びとが結びつく「コムーナ」など「悪夢」でしかないのだろう。
朝日新聞(6月30日付)の社説は言う。「米国の責任は重い。トランプ政権は今年、マドゥロ前大統領を武力で排除し、ロドリゲス暫定政権を支えてきた。現体制に深く関与した以上、行政機能の立て直しやインフラ復旧、復興まで長期的な支援を担う必要がある。」
これはどういうことか? 去年ノーベル平和賞を受けたコリナ・マチャードが、火事場泥棒よろしく混乱のベネズエラに入ろうとして、米当局によって止められているそうだが、朝日新聞は、トランプ政権がマドゥロを排除したのに「同じ体制」のロドリゲスを後継に据えてしまった、だから地震の対処もできない、その責任をとって「行政機能の立て直し」と「インフラ復旧、復興まで長期的に関わるべきだ」と言う。あからさまに言えば、しっかり「体制転換」して、アメリカ管理で復興をやれ、と言うに等しい。まさに、マチャードが主張していることである。
この朝日新聞の社説執筆者は、アメリカの外交を語るのにナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』も読んでいないようだ。
「ショック・ドクトリン」とは、「急激なショックを与えて人格を解体し、空っぽの頭のなかに“自由”のお題目を叩き込んで、何でも言うことを聞く人格を作り出す」という、米諜報当局が作り出した「人格改造」の手法を、不都合な国家や地域に大規模に適用するという米対外政策の常套的「秘策」のことだ。
「ショック」としては、戦争による破壊や自然災害、経済破綻、クーデターなどが利用される。その機会に当該国や地域の、それまであった自生的な社会構造(いわゆる社会的なもの)を一掃し、その空白に利潤追求と競争だけを原理とする「自由市場」を据えつける。すると、そこは米欧のグローバル企業の自由な草刈り場となり、資源も市場も取り放題である。それにより一見、経済指標だけは大きく伸びるが、社会はまったく分断され統合力もなくして荒廃し、貧富の差は無限に拡大する。ニューオーリンズの大洪水、大津波の後のスリランカ、そしてもっと典型的にはイラク戦争が好例だ。
ともかくひとつの社会破壊を好機として、米グローバル企業がその地域の人びとの生活の底を浚(さら)うように全面収奪の生簀にする。そういう大企業の神輿として合州国政府は「市場開放」を推し進めるのである。
社会主義圏の崩壊そのものがこの手法の例だった(ソ連崩壊期にIMFがロシアに適用したのも「ショック療法」と呼ばれていた)が、ナオミ・クラインはチリのアジェンデ政権転覆とピノチェト独裁下での新自由主義の適用をその嚆矢としている。言いかえれば、新自由主義という経済統治のイデオロギーは、こうしてグローバル世界の不動の「ドクトリン」となったのである。
それ以後、この手法を使われたところは、社会がもともと備える自生的な力をすっかり失い、経済指標で示される見かけの成長と繁栄の「新世界」に作り変えられる。インディアンをすっかり追い払った後に、摩天楼の大都会ときらびやかな観光地、そして隅に押し退けられ無視される貧民街…、これがアメリカの歴史的な世界改造戦略である。ネタニヤフとその一派の虐殺を受けての「ガザのリビエラ化計画」というのは、そのトランプ版である。
この朝日新聞の社説は、現ロドリゲス政権を「作った」アメリカの「責任」なるものを捏造して、その「責任」をとるためにアメリカ主導で「行政機能の立て直しやインフラ復旧まで支援を担え」と言うが、まさにそれは、この大災厄を機会にした「ショック・ドクトリン」の適用を推奨しているに等しい。だがそれは、他でもない「石油資源がアメリカのものであった」チャベス以前のベネズエラをドラスティックに「取り戻し」、「コムーナ」的なものを一掃することに他ならないことを、この筆者は頭の隅にでも思い浮かべたこともないのだろう。いや、むしろ確信犯的にベネズエラの「新自由主義的解放」を求めているようだ。
米国の義務は無条件の「制裁解除」
アメリカが本気でベネズエラの災厄に「責任」をとるつもりなら、何よりまず、「惨状」をあらかじめ深刻化した長期にわたる「経済制裁」を無条件で解くことである。
重機が足りない、被災地への物資の供給がままならない、その第一の原因はアメリカによる長期にわたる執拗な「経済制裁」である。コロナ禍のときに医薬品が欠乏していたのも、アメリカがそのような必須の物資を禁輸対象にしていたからである(それでもベネズエラは主にキューバの支援でコロナ禍も乗り越えた)。
今回の地震後、さすがに各国の救援隊の派遣は邪魔しなかったようだが、今各国の市民から届けられようとしている義援金等も、通常のルートでは被災地やベネズエラ政府に届けられない。アメリカがあらゆるルート(貿易も金融取引も)を遮断しているからだ。
アメリカでも女性運動団体コード・ピンクは即座にキャンペーンを張っているが、アメリカのすべきことはどんな介入でもなく、まずこの「経済制裁」を即座に撤回し、介入どころかカリブ海の南方軍展開も含めてむしろベネズエラからこの際手を引くことである。西側メディアはなぜそういう主張をすることができないのか。これが現代世界の大きな問題である。
(小見出しは編集部)
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にしたに・おさむ 1950年、愛知県生まれ。哲学者。東京大学法学部卒業後、東京都立大学大学院(人文科学研究科)、パリ第8大学などで学ぶ。明治学院大学文学部教授、東京外国語大学大学院教授(グローバル・スタディーズ)、立教大学大学院文学研究科(比較文明学) 特任教授を歴任。東京外国語大学名誉教授。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『「テロとの戦争」とは何か』(以文社)、『アメリカ異形の制度空間』(講談社選書メチエ)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)、『戦争と西洋』(筑摩選書)など。訳書にブランショ『明かしえぬ共同体』、ボエシ『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)など多数。





















