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「駅前開発」して駅前壊滅 どうなるシーモール下関 閉店や撤退相次ぎ空きテナント拡大 血税で賑わったのは誰?

「シーモール下関」(下関市)

 年の暮れから年始にかけて、各地のショッピングモールは大晦日の買い出しや初売りで賑わいを見せた。そんななか、下関駅前のショッピングモール・シーモール下関を訪れた客たちのなかで、「シーモールは大丈夫なのか?」が大話題になっている。空きテナントがそこかしこに増え、さらに複数の店舗で閉店セールがおこなわれており、店舗の空洞化に拍車がかかっているからだ。西日本最大級の複合商業施設として1977年に誕生して47年が経過したもとで、近隣にできた複合商業施設との競争で淘汰されるかのような光景である。江島市政のもとで下関市、山口銀行、JR西日本がシーモール下関と隣接する駅前開発・駅舎改築計画をぶち上げてからおよそ20年。下関駅舎の焼失によって前倒しされた「下関駅前にぎわいプロジェクト」には多くの税金が注ぎ込まれてきたが、駅前開発どころか、完成から10年余りで壊滅状態となっており、築40数年の巨大な建物を抱えたシーモール下関は危機的な状況に陥っている。経済の低迷やコロナ禍の影響もあるとはいえ、惨憺たる現状は「結局のところ、血税で賑わったのは誰だったのか?」を問いかけている。

 

 1月末での撤退が明らかになっているのは、1階の正面玄関横のレディースファッション「ORBENE(オルベネ)」、バッグなどの専門店「GRAN SAC`S(グランサックス)」など4店舗で、比較的長期間シーモール下関で営業してきた店舗もある。また、昔から下関の音楽好きや若者たちが楽器を買ったり楽譜やCDなどを買いに行っていた街の音楽店でもあった「新星堂」が2月14日の閉店を告知しているほか、撤退の意向を持っている店舗が複数あるといわれ、3月末ごろにさらに閉店が増える可能性があると語られている。跡地へのテナント誘致は難航している模様で、関係者はやきもきしている。

 

 ユニクロが撤退(2022年10月2日)した影響は大きく、跡地に新たなテナントが誘致できないまま空き店舗になっている。この2階フロアは、洋服の青山も撤退(2021年5月9日)し、跡地に入っていた雑貨屋は1階正面玄関付近の店舗が撤退した跡地を埋めるために移動したため、大半が空き店舗になっていて、『ABCマート』がぽつんと一軒とり残されている。5階のクリニックゾーンは、医院も薬局もなくなって閉鎖されたままだ。1月末から2月にかけて、閉店店舗がこれに加わることになる。買い物をする店がなくなればなくなるほど、客足が遠のき、それがまたテナント誘致を困難にするという悪循環だ。

 

空きスペースが拡大する「シーモール」(右)、「リピエ」(左)

 かつては5、6年単位でテナント契約するのが普通だったが、現在の状況のなかで身軽に撤退できるよう1年更新を選択するケースも多くなっているといわれ、撤退に拍車がかかることを懸念する関係者は少なくない。ただでさえ、コロナ禍とそれに続く物価高で消費者の財布の紐は固くなっており、店主たちは「コロナの最中より状況が悪化している」と話している。そこにシーモール下関を運営する下関商業開発(株)が抱える問題もからみあって、現状では打開の方策を見出せないまま空きフロアが拡大していく状況が続いている。

 

 隣接する大丸下関店の状況も芳しくない。土地代など固定経費がかからないという好条件もあって今のところ撤退話は浮上していないものの、あまりに業績が悪ければ本部が撤退の判断を下す可能性も否めない。「かりに大丸が撤退を決めればシーモールも共倒れ」という危機感は広く共有されるところとなっている。

 

 そうしたなかで昨年10月、下関市(前田晋太郎市長)は突如、市長名で「下関駅前応援宣言」を発表。昨年12月補正予算で、「下関駅前応援事業」として、商店街等競争力強化事業費補助金7000万円を計上した。

 

 ①駅前商業活性化事業
 ・プレミアム付き商品券事業(総額1億円)のプレミアム分3000万円を補助(1月2、3日販売、同10日再販)。
 ・市郊外や市外からの送客バスの借り上げ経費の補助(1台10万円、50台分の500万円)。


 ②駅前商業施設魅力向上事業
 ・トイレなどの整備、改修1件につき500万円(3件分の1500万円)の補助。
 ・テナントを誘致するうえで、出店にかかる経費をデベロッパーに対して補助(総額2000万円。人気店舗や市内初出店などの店舗は1店舗につき上限1000万円、市内業者の第2店舗やローカルチェーンなどは1店舗につき上限250万円)。

 

 といった内容だ。関係者が市長のもとに陳情に行ったのだという話も囁かれているが、市としては駅前が危機的だということで急きょ補助金の支出を決めたという。ただ、それはそれで「他の商店街はどうなるんだ?」という声も上がっている。

 

 シーモール下関が創業40周年を機に大規模リニューアルを実施したのは2017年で、翌年のリニューアルオープンからまだ六年ほどだ。リニューアルを機に地元店舗中心から大手チェーン中心へとシフトしたが、資本力のある大手チェーンはむしろ撤退も身軽ということもあって、撤退するたびにテナント誘致にかけずり回らなければならない状況に陥った側面もある。なんとか賑わっているのがフードコートくらいともいわれ、迷走したリニューアル事業の影響も影を落としている。

 

 下関商業開発やシーモール下関で営業する商業者、大丸下関店の側がこの状況に危機感を募らせている一方で、悠長なのがそれ以上に惨憺たる状況にあるはずの駅ビル「リピエ」を運営する中国SC開発(JR西日本子会社)だ。この駅ビルは2014年に複合ファッションエリアとして開業したものの、レディースファッションをはじめ有名どころのテナントは早々と撤退。空き店舗に入った百均まで撤退するなどして、長らく廃墟のような状態が放置されていた。最近になってペットショップやフィットネスクラブが入ったり、ドトール跡地に吉野家が入ったものの、駅から人工地盤に続く通路では、サンマルクカフェやセブンイレブンが撤退して空き店舗になったまま。下関駅に降り立って、建物の新しさと裏腹の侘びしさに言葉を失う帰省者は多い。

 

JRの利権事業に 放火で駅舎改築拍車

 

放火により焼失したJR下関駅舎(2006年1月)

 こうして空洞化著しい駅前界隈の商業施設であるが、この20年来、「駅前にぎわいプロジェクト」などといって金融機関や行政が巨額の資金を注ぎ込み、「にぎわい創出」を錦の御旗にして都市開発してきた場所だったはずだ。

 

 下関駅前開発は、江島潔元市長が2005年末にJR西日本、山口銀行とともに駅舎改築計画を打ち出したことに端を発している。この当時、長府駅整備に30億円、梶栗駅整備に5億円など、江島市長のJR利権が花盛りだった時期だ。仕事はJRの仕事を一手に請け負っていた広成建設が請け負い、選挙になるとJR西日本関係者や広成建設社員たちが江島市長の応援に走り回っていたのは誰もが目撃してきた光景だ。そのメインディッシュが下関駅前開発だったといえる。

 

 「下関駅改築プラン作成協議会」が駅舎や乗務員センターを更地にしてビルを建てる改築計画をぶち上げた10日後(2006年1月7日)、実にタイミングが良い形で下関駅が放火され、三角屋根を持つシンボル的な存在だった木造平屋建ての駅舎約4000平方㍍が全焼。出所間もない74歳の男性が、「刑務所に戻りたい」という動機で放火したものだったが、国鉄民営化後に保安要員が削減されていたり、初期消火のスプリンクラーを設置していなかったことなど、宝塚線の脱線事故と並んで民営化後のJRの利益最優先で安全軽視の経営姿勢がもたらしたといっても過言ではない大火災となった。

 

 ただ、駅前開発をしたい者にとって、この火災はもっけの幸いにもなった。およそ2週間後には「がんばろう下関駅再生に向けて」と称した式典が鳴り物入りでおこなわれ、新たな駅ビルづくりに市民の税金を注ぎ込むべく、当時の江島潔市長、安倍晋三官房長官、林芳正参議院議員ら(いずれも当時)がJR西日本とともに気勢を上げ、下関駅舎建て替え計画は前倒しされた。

 

江島市長(当時)と安倍官房長官(同)も参加した下関駅舎再建式典 2006年1月21日

 2009年には「下関駅にぎわいプロジェクト」が5年計画で始動。江島潔はこの年の市長選への出馬断念をよぎなくされ、林派の中尾友昭に市長の座は明け渡されたが、江島市政下で練られてきた計画は中尾市政にひき継がれ、総事業費150億円(うち市の負担は55億円)の一大事業がおこなわれた。行政や金融機関が前のめりになるなかで、もとは及び腰だったはずの下関商業開発も、この計画に組み込まれてシネコン建設を担当することとなった経緯がある。

 

 「下関駅にぎわいプロジェクト」と銘打ったこの開発は、蓋を開けてみると結局のところ「JRにぎわいプロジェクト」だった。南口や西口など、もともと国鉄の財産だった土地を市が買い上げて交通広場や通路、駐輪場などを整備。JR西日本不動産開発が建設した駅ビルには、補助金がおよそ6億円注がれたほか、3階部分は「ふくふく子ども館」(児童館)を下関市が整備することを理由に市が8億円で買いとった。さらに当初の契約では、下関市が施設の管理経費・共益費などを含む費用として年間2600万~3000万円(年間の総経費は7500万~9000万円)、JR西日本の所有地を利用するための敷地利用権という名目で年間1300万~1500万円、1・2階通路などの管理負担金として年間1400万~1600万円、屋上使用料として年間700万~800万円を支払うこととなっていた。さらにエレベーター代その他、駅ビルの維持管理費にかかる費用の3分の1を下関市が負担することとされており、年間の支払いだけで1億円以上が税金から支払われているとみられている。

 

 一連の開発計画のなかで最終的にいったいどれだけの金額が下関市からJR西日本に渡り、また渡り続けているのか、全容は明らかになっていない。ただ、駅ビル「リピエ」を運営する中国SC開発が、空きテナントだらけなのに悠長でいることは、こうした市からの固定収入が十分にあるからなのではないか? という指摘もなされてきた。ゼロ店舗でも税金でガッチリ収入が固定されていた場合、お隣のシーモールのようにとくに慌てる必要などないのだ。

 

郊外にも駅構内にもイズミ誘致 不動産バブル謳歌

 

区画整理事業により、「ゆめシティ」をはじめ大型店が集中出店した川中地区(2011年)

 こうしてJR西日本に膨大な税金が注がれる一方で、「中心市街地活性化」とは相反する無秩序な郊外開発が活況を呈したのも同時期だった。金融機関とその界隈が不動産バブルを謳歌し、郊外に広大な区画整理事業を展開した結果、そこに広島からイズミがやってきて郊外型ショッピングモールを建設し、必然的に商業地や市街地形成を分散させる結果となった。郊外型の街作りで疲弊しきった中心市街地を「活性化させる」といいながら、郊外開発と市街地活性化という相反する政策が同時進行し、一貫性のない街づくりがくり広げられてきたのが下関だ。シーモールの顛末を見たとき、とくに大きな影響を与えたのが2009年の「ゆめシティ」オープンだったことは誰の目にも明らかなのだ。

 

 イズミグループは江島市長時代の2007年にあるかぽーとに出店する計画を持っていたが、地元商業関係者の反対運動が盛り上がり頓挫した。その後、市がかかわった区画整理事業で生まれた伊倉地区の広大な土地に、敷地面積約6万1000平方㍍、延床面積8万8000平方㍍の巨大なショッピングモール「ゆめシティ」(商圏人口40万人を想定)を出店。2013年にはやはり区画整理事業がおこなわれた新椋野地区に、食品スーパー「ゆめマート」と大型専門店を集積した「ゆめモール」(商圏人口約30万人を想定)を出店したほか、下関駅改札口にも出店するなど、地元系スーパーも含めて駆逐しつつ下関の商圏を抑えてしまった。

 

 イズミグループを金融機関や行政があえて招き入れてきたのは、山口銀行が広島や北九州に商圏を広げるために下関を売り飛ばしていったという側面とともに、「イズミの代表が安倍晋三の後援者だからだ」という指摘もなされてきた。下関を拠点に九州地方に攻め込むという位置づけで同社が商圏争奪に勝利し、シーモールを淘汰しつつあるというのが現状だ。

 

 2000年の大店法撤廃を契機に、スーパーやディスカウントストア、近年ではドラッグストアの増加と、下関の商業も様変わりしてきた。2007年ごろにはまだ大型店の無秩序な出店に反対するまとまった動きをしていた商業界も、今ではなすがままである。人口減少がトップクラスで進行する下関市において、コロナ禍、物価高による消費の減退、インターネット販売の拡大という消費行動の変化なども加わって、商業をとりまく環境は悪化し続けているが、下関駅周辺の惨憺たる状況は、こうした全国と共通した動向だけでなく、政治や金融機関の都合でもたらされた結末であることは見逃せないものとなっている。

 

 総額にしておよそ150億円も注ぎ込んだ「にぎわいプロジェクト」でにぎわったのは誰なのか? お粗末な市街地開発の結末について、厳重な総括が求められている。駅前の惨憺たる空洞化は、下関の行政や政治、経済の中心を動かしてきた者たちの脳味噌の空洞化を映し出しているともいえ、なるべくしてなった結末ともいえる。

 

 「祭りの後」みたいな虚しさを漂わせており、付け焼き刃で補助金を注いだところでどうこうなる状態ではない。当初からわかりきっていた商圏争奪で地元商業が淘汰される構図であるが、イズミ誘致にこだわってきた政治家たちや金融機関の責任も大きい。

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この記事へのコメント

  1. シーモール4階の人工芝のエリアはエキマチ協議会と市役所の企画でチャレンジショップとなっていまして、微々たる力ではありますが、いろんな方と日替わりでイベントをして、盛り上がっています
    下関を盛り上げようと頑張っている人がいるので、
    そこも拾ってもらえたら嬉しいです♥️

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