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基地ない沖縄を厳粛に誓う 翁長雄志・前沖縄県知事の県民葬

翁長雄志前沖縄県知事の県民葬(9日、那覇市)

 辺野古新基地建設阻止を掲げて最後まで日米政府と対峙し、任期中に逝去した翁長雄志前沖縄県知事(享年67歳)の県民葬が9日、沖縄県那覇市の県立武道館でおこなわれた。県内外から3000人が参列し、亡き前知事の死を悼むとともに、その遺志を引き継ぎ、新基地建設を阻止し、基地のない沖縄をつくることを誓う厳粛な場となった。県民葬は屋良朝苗、西銘順治、大田昌秀の三知事に続く4回目となった。

 

 会場に用意された2400席は、県内外からの国会議員や市町村議員、招待客、一般参列者で埋まり、献花をするために訪れた参加者の列は会場外にも溢れた。

 

 実行委員長を務めた玉城デニー沖縄県知事は、昭和25年に那覇市に生まれ、那覇市議、県議、那覇市長などを歴任してきた翁長前知事の略歴を紹介し、市長在任中に沖縄の歴史認識に係る教科書検定問題やオスプレイ配備など「沖縄が断じて容認できないことについては、県民の心を一つにして国に訴える」ため先頭に立ち、超党派による「オール沖縄」を牽引したこと、知事就任後は「辺野古に新基地をつくらせないことを県政運営の柱に掲げ、埋め立て承認のとり消しなど、あらゆる手法を駆使して新基地建設の阻止にとりくみ、国と対峙しながらも沖縄の民意を強く訴え続けてきた」ことに敬意をあらわした。

 

 また「沖縄は今東アジアの中心として世界に枝を広げ、人人を魅了してやまない伝統文化と多様な個性が輝く場所として根を張ろうとしており、翁長知事の目指した大きな(ガジュマルの)木になるため、一歩一歩着実に発展を続けている。われわれ県民は遺志を引き継ぎ、ウヤファーフジ(先祖)を敬い、自然を愛し、他者の痛みに寄り添うチムグクル(肝心)をもって自立と共生と多様性の沖縄を創りあげ、生まれてくる子どもたち、明日を担う若者たちに、平和で豊かな誇りある沖縄を託せるよう一丸となって努力し続ける」との誓いをのべた。

 

 その後、首相代理として参加した菅義偉官房長官が「命懸けで沖縄の発展のために尽くした翁長知事の功績に心から敬意を表する」「政府としても基地負担軽減に向けて一つ一つ確実に結果を出していく。県民の気持ちに寄り添いながら、沖縄の振興発展のために全力を尽くしていく…」との安倍首相の弔辞を代読すると、読み終わらぬうちから「嘘をつくな!」「帰れ!」「知事の命を奪ったのは誰だ!」などの抗議の声や怒号が会場全体から飛び交った。遺影を前にしながら白白しく飾られた言葉は、県民の圧倒的な民意を無視して辺野古新基地工事を強行し、知事選へのなりふり構わぬ介入を目の当たりにしてきた県民の抑えられぬ怒りに油を注ぐものとなった。

 

 続いて友人代表として金秀グループ会長の呉屋守將氏が挨拶した。訪問先のブラジルで翁長前知事の訃報を受けとった呉屋氏は、6月23日の沖縄慰霊の日での平和宣言、7月27日の辺野古埋立承認撤回の正式表明で、病とたたかいながら体力を振り絞って対応していた翁長前知事の姿を偲んだ。

 

 「4年前、“これ以上の基地負担は我慢ならない”との多くの県民の思いを受け止め、“イデオロギーよりアイデンティティ”と敢然と知事選に挑み、36万票余りと圧倒的支持を獲得した。まさに沖縄の自己決定権を主張し、確立しうる期待の政治家の象徴的な誕生だった。しかし、それからの4年間は覚悟していたとはいえ、政府との厳しい対峙の連続であり茨の道だった。折に触れての懇談の場では、2年先輩として苦言も含めていろいろいわせてもらったが、あなたは自分の苦しみを少しも吐露せずに信念を淡淡と語っていた。共有したのは“これ以上の基地負担は百害あって一利なし”との沖縄県民としての思いだった。“私の夢は那覇市長だったので、それを実現させてもらった今の立場は付録のようなもの。失うものはなにもない”といっていたが、今思えば命をも投げ出す覚悟だったのだ」とのべ、その早すぎる死を悼んだ。

 

 また知事在任中には、沖縄の地理的優位性やソフトパワーを生かしたアジア経済戦略構想の推進、IT・観光産業の推進などの県経済発展に心血を注ぎ、深刻な子どもの貧困対策にいち早くとりくんだことをあげ、「瀬長亀次郎、西銘順治両氏に並ぶ沖縄が誇る偉大な政治家であった」とのべ、「民意を受けてあなたの遺志を継ぐ新知事が誕生したが、今後も沖縄の厳しい状況が続くことは想像に難くない。われわれ沖縄県民は、あなたの思いをしっかりと受け止めて歩んでいく。“負ケティナイビランドー(負けてはいけない)、マカラルヤンドー(今からが本番だ)”との叱咤激励の声を胸に。ニライカナイから沖縄県を見守ってもらいたい」と遺影に語りかけた。

 

 その後、翁長知事の生前の姿をまとめた映像が放映された。特に、「粛粛と工事を進める」といった菅官房長官を前に「そのような上から目線の言葉を使えば使うほど県民の怒りは増幅する」と対峙する場面や、今年7月の記者会見の場で「何を守ろうとして辺野古新基地をつくろうとしているのか。これから以降の何十年先も、沖縄に基地が置かれていいのか。そこのところをよくご理解いただかなければいけない。思いがないとこの問題には答えられない。この思いをみんなでどのように共有し、何十年後の子や孫に(手渡すのか)、私たちの沖縄は何百年も苦労してきたのだから。今やっと沖縄が飛び立とうとしているのだから。“振興策をもらって基地を預かったらいいですよ”というものがこれから以降も続くようなら、沖縄の政治家としては容認できない」と語る場面では会場から大きな拍手が沸いた。

 

 最後に「負ケテーナイビランドー! ワッターウチナーンチュヌ子ヤ孫、守ッティイチャビラ、チバラナヤーサイ!(皆さん、負けてはいけません! 私たち沖縄の子や孫を守るため頑張ろう!)」の翁長知事の呼び声で締めくくられると、大きな拍手とともに「ありがとう翁長さん!」「お疲れ様でした!」の声も飛んだ。献花の列は会場の外まで伸び、式次第終了後1時間たっても途絶えることがなく続いた。

 

 

献花するために訪れた参加者の列は会場の外にも続いた

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