いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『ワイルドサイドをほっつき歩け』 著・ブレイディみかこ

 英国イングランド南部のブライトンに在住する著者は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で、底辺中学校に入学した息子と友だち、家族の波瀾万丈の日々を通して、貧困や人種差別に負けない子どもたちの強さを描いた。本書はそのおっさん版である。おっさんとは現在60~70代のベビーブーマー世代のことで、英国メディアが「EU離脱派のレイシスト(人種差別主義者)」「若い世代から年金を搾り取っている既得権益層」と描く人々のことだ。だが、事はそんなに単純ではない。

 

 この本に登場するおっさんは、著者の連れ合いとその友人たちで、多くがリタイア後の今も非正規のトラック運転手や修理工、スーパーの店員などとして働いている。人生の出会いと別れを積み重ね、辛酸をなめてきた彼らの、他人に愛情深い日常がユーモラスに綴られている。

 

 そんな歳にもなると、やはり身近になるのが医者。ところがかつて「揺りかごから墓場まで」の象徴といわれた医療費無償のNHS(国民保健サービス)は、サッチャー改革、それを受け継いだ労働党ブレアの新自由主義、2010年からの緊縮政策によって惨憺たるものになっている。

 

 ある日著者の連れ合いが突然頭痛に悩まされ、近所の診療所で診てもらおうとする。そのためには朝8時の開院前から長蛇の列に並んで、専門医に振り分ける仕事をする主治医のGPと電話で話す予約をとらなければならない。予約をとっても、GPは突然電話してくるので、仕事中にかかってきてとれなかったりすると、診療予約すらとれないことになる。それは患者を減らすために導入されたシステムだ。がん科の予約すら9週間待ちだという。

 

 患者は仕方なく民間病院にかけこみ、医療費を100%払うことになる。それもCTスキャン1回で約7万円などの高額だ。最近では医療費のために消費者ローンで借金し、自己破産する人や夜逃げする人が増えているというから、アメリカ医療の現状と差はない。まして移民は金融機関の信用履歴がないので、借金して手術するなどしたくてもできないという。

 

 英国の医療現場はコロナでどうなったのかと思わず考えてしまうが、こうした現状への憤りが、EU離脱の是非を問う国民投票のなかで、EUに吸いとられるカネを国民医療に回せという要求となり、大きなうねりになったと著者はのべている。配送業のドライバーであるサイモンは、「俺たちのNHSは渡さない(完全民営化で米国資本が買収する噂があった)」という手づくりのプラカードを掲げ、25万人の反トランプデモの先頭に立った。

 

 また、著者の友人テリーはロンドン名物のタクシー、ブラックキャブの運転手だ。このブラックキャブを今、英国メディアが「邪悪なナショナリズムと排外主義」の温床だと叩いている。

 

 事の発端は、米国の配車サービス、ウーバーの英国進出だった。ウーバーのサイトにドライバー登録すれば、素人でも自分の車を使って収入を得ることができるし、利用者も普通のタクシーより2~3割安く、スマホで近くにいるドライバーを見つけてタップするだけで車が呼べる。シェアを拡大したウーバーが雇う運転手は多くが移民。一方、ブラックキャブの運転手には白人のイギリス人が多いので、移民の素人たちにごっそり客を持って行かれ、タクシー界の価格破壊までひき起こすことに反発している。

 

 だから彼らはグローバル化に反対するが、かといって移民の運転手に喧嘩を売ろうとしているわけではない。テリーと同僚との会話。「おめえ、ムスリムの女性ドライバーに失礼なこというなよ。酔ってるから心配だなあ」「俺を見くびるな。同業者には失礼なことはいわない。ファックなのはウーバー社だ。末端のドライバーじゃない」。

 

中国移民への嫌がらせ一掃 蘇る相互扶助

 

 こんな胸が熱くなるエピソードもある。

 

 著者が住む公営住宅地の一角に、中国人の移民が集団で住んでいた。ある日、10代の悪ガキたちが、その前の塀に「チンク(東洋人に対する蔑称)は帰れ」「KKKが君たちをウオッチしている」と落書きを始めた。

 

 このとき立ち上がったのが、スティーブらEU離脱派のおっさんたちだった。彼らは普段、「移民が増えすぎて学校や病院がパンクする」といってはいたが、目の前の外国籍の人たちには尊敬の気持ちを持って生活すべきという信条を持っており、雑貨屋のインド人の大将が刺された昔にコミュニティーを逆行させるような行為を大人として黙って見ているわけにはいかないという考えで団結していた。こうして80年代ファッションに身を包んだ、スキンヘッドでコワモテのおっさん率いる夜間パトロール隊が組織され、嫌がらせ行為は一掃された。

 

 著者は、こうした行動が生まれる背景に、政府が緊縮政策で公共サービスを次々カットしていくにつれ、貧民街に「国が助けてくれないのなら、自分たちで助け合う」という相互扶助のスピリットが蘇ってきている事実があるとのべている。その後のある日、パトロール隊のことをもれ聞いた中国人の若い女性がスティーブを見つけていきなりハグし、「サンキュー」といって家の中に帰っていった。その日以来、彼の胸のときめきはおさまらない。

 

 EU離脱というとき、メディアはその動きを移民排斥の右翼的、排外主義的なものとして報道したがる。そこには貧しい白人労働者と移民労働者を分断し、対立させて支配するという為政者の政治が貫いているといえる。それはアメリカの黒人差別にも共通する、今の社会の構造的な問題だ。だが、地べたの人々は理屈では割り切れない感情を抱え、葛藤しつつ、それでも互いに手をとりあって前に進もうとしている。その発展的な力を本書から読みとることができる。
 (筑摩書房発行、四六判・254ページ、定価1350円+税

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