(2025年10月1日付掲載)

2000年9月17日、電撃訪朝した小泉純一郎首相と金正日総書記は「平壌宣言」を発表した
日本と朝鮮を結ぶ全国ネットワーク(日朝全国ネット)が主催するシンポジウム「日朝ピョンヤン宣言から23年 国交正常化の進展を求めて」が9月27日、東京都千代田区の日本教育会館で開かれ、オンライン参加も含めて約170人が参加した。日朝全国ネットは、日本と朝鮮の民間交流を深めるための全国組織として今年2月に結成された。日朝全国ネットは日朝交流活動にかかわる全国各地の80以上の団体をつなぎ、日朝国交正常化を進めるための市民レベルでの機運を高めていくために活動しており、7月に朝鮮戦争の終結を求める集会を、8月25日には関東大震災・朝鮮人虐殺から102年目をテーマにフォーラムを開催した。今回のシンポは戦後80年企画第3弾として開かれ、和田春樹(東京大学名誉教授)、李柄輝(リ・ビョンフィ、朝鮮大学校教授)、乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)の3氏がシンポジストとして登壇した。3氏の講演要旨を紹介する。(見出しは編集部)
・日朝国交実現には日本と在日朝鮮人の共同が不可欠
東京大学名誉教授 和田春樹

和田春樹氏
平壌宣言が出されてから23年になる。そして日朝国交交渉開始を予告した1990年の三党共同宣言(自民党、社会党、朝鮮労働党)から35年になることを思い出し、35年たっても国交樹立に至っていない事態の深刻さを考えるべきだろう。日朝交渉についていえば、安倍首相が「日朝交渉断絶、敵対行動の開始」に進んでから20年になるのに、この安倍の呪縛を突き破ることができていない。
今年は日朝交渉を進める第3のチャンスがあったのに生かすことができなかった。岸田首相が2023年9月19日の国連総会で、「共に新しい時代を切り拓いていくという観点から」首脳会談をしようと平壌の指導者に呼びかけた。これに対し、金与正(キム・ヨジョン)副部長が2024年2月15日に、日本が「時代錯誤の敵対意識と実現不可能な執念」を引っ込め、「関係改善の新たな活路」を開く決断を下すなら、会談は可能だと答えた。ところが岸田内閣の官房長官・林芳正氏の発言が北朝鮮側を怒らせ、3月26日に金女史の決裂宣言が出た。
しかし、だからといってチャンスが終わったわけではない。日本では決裂宣言の翌3月27日に私たちの提言本『北朝鮮拉致問題の解決』が出され、議員とメディア関係者に200冊配られた。その席で私は、日朝交渉の第3のチャンス到来を語り、「安倍拉致三原則の破棄」を呼びかけ、拉致問題解決の道を提案した。これに対して与党、官僚、メディアの側からも好意的な反応があった。政権の側では、日朝交渉再開のためには朝鮮高校への高校教育無償化措置の適用が必要であることが認められていることが伝わってきた。同年9月の自民党総裁選で、北朝鮮との連絡事務所を設置したうえでの交渉を打ち出した石破氏が首相となった。韓国では尹錫悦大統領がクーデター未遂事件でたおれ、25年5月には李在明大統領が登場した。両国の市民運動は、日韓条約60年記念の日韓首脳会談声明で、日韓基本条約第2条は韓国側の解釈をとり、韓国政府の合法性に関する第3条は日本側解釈をとることで合意させ、韓国政府の支持のもとに日朝交渉再開へ向かう空気をつくりだすことをねらった。
しかし、石破首相は党内基盤を固めることができず、日朝議連の支えもなく、外務省の抵抗にもあって、日朝交渉の予備折衝すらできなかった。日朝議連の幹部はみな、石破内閣の閣僚になってしまったからだ。
石破首相も岩屋外相も救う会のブルーリボンバッジをつけるだけで、日朝交渉再開に進むことはできなかった。ついに石破首相は参院選敗北の責任をとって退陣せよと迫られ、その圧力に屈した。韓国の新大統領との会談がようやく8月23日に実現されたが、かろうじて新聞発表を出すところにこぎつけ、「石破総理は、1998年の『日韓パートナーシップ共同宣言』を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる旨述べた」というくだりを含めただけに終わった。9月30日の釜山会談にもはや期待はできない。
結局、石破氏は自分らしさを発揮して、懸案打開のプロセスに近づくこともできなかった。市民運動はこの状態を変えるための有効な手を打てなかった。こうして「第三のチャンス」は失われた。
日朝国交促進運動の壁 拉致問題解決急げ
日本の国家と社会は、「王様の新しい着物」的な催眠術にかかっている。これはアンデルセンの童話で、王様は裸なのにみんなが「新しい立派な着物を着て歩いている」といい、子どもだけが「いや、王様は裸だ」という話だ。われわれが生きている日本は、まさにそれと同じ状況だ。安倍首相は退陣直前に、「日朝首脳会談をやり懸案を解決し、平壌宣言にもとづき国交正常化に進む」とラッパを吹いたが、現実には拉致犯罪を犯した北朝鮮を許さない断交と制裁によって北朝鮮政権の崩壊を目指しているのだ。北朝鮮は13人を拉致した、8人は死亡、生存5人は帰国させた、さらに3人は入境していない、1人は生存しているが帰国を望んでいないと回答した。日本側は拉致被害者の北朝鮮での生活ぶりについて検証していないし、帰国した拉致被害者の聞き取りの内容も何も公表されていない。根拠もあげずに、北朝鮮のこの回答を受け入れず「全員即時一括帰国」という主張を押し立て、議会もメディア、国民もこれにただ従っている。実際はそうではないことをみな承知しているけれど、それを言わない恐るべき状態におかれている。
この状態から脱出するには、資料をそろえ、証言を集め、学術的に分析して、死亡と通告された被害者についての全面的な解明作業をおこなう必要がある。拉致問題の現実的解決を考え抜き、それを追求しなければならない。しかし、日本政府は北朝鮮人権法による北朝鮮への敵対行動を徹底的に進めている。これをわれわれは徹底的に批判しなければならない。拉致問題についての政府拉致対策本部の交渉活動を批判し、拉致被害者全員即時一括帰国という要求の非合理性、不当性を明らかにして、拉致問題の解決の合理的な方策を主張する必要がある。
拉致問題の解決のためには交渉をしなければならない。そのためには、日朝国交正常化交渉を再開し、そのなかで拉致問題を交渉しなければならない。交渉再開にあたっては当然ながら、ストックホルム交渉で合意された第3回の調査、在朝日本人悉皆調査の結果を受け取りたいと北朝鮮側に要請する必要がある。
日朝全国ネットに期待 積極的な街頭活動を
もう一つの問題は、北朝鮮の核武装の問題だ。北朝鮮は米国、韓国、日本と敵対的2国関係にある。北朝鮮は2017年に、不測の事態(つまりアメリカとの戦争)が起これば、日本にある米軍基地をミサイル攻撃する態勢をとっていると公表した。北朝鮮の核ミサイルを防ぐためには、なにはともあれ北朝鮮との国交を持ち、経済協力をおこない、植民地支配の清算をすることが必要だ。
北朝鮮をとりまく敵対関係を少しでも緩和して、この地域で戦争が起こる可能性をゼロに保つ努力を続けなければならない。正常な貿易関係を再開し、文化交流をおこなうことが必要だ。しかし日本の外務省のなかには、北朝鮮が核武装した以上、日朝国交正常化はありえないという考えが存在する。その考え方を突き崩さなければならない。ソ連とも中国北京とも核武装をしている共産主義国と日本は国交を正常化した。北朝鮮が核武装をしたからこそ、国交正常化が急務になると考えるべきではないか。北朝鮮を敵国視し、米国とともにミサイル攻撃防衛体制を整備したら、日本の安全が確保できるのか。それはまったくない。
日本海の沿岸には北から南まで、原子力発電所が並んでいる。この国で、北朝鮮を敵視する政策をとるということは致命的だ。日本海を平和な海にしなければならない。
日朝国交運動をこれから再建し強めていく必要がある。日朝国交運動を推進する全国的な中心組織が存在しない。2000年に創立された村山富市会長の日朝国交促進国民協会はそのような組織にはなれず、今はすでに解散した。平和フォーラムがつくった日朝国交正常化連絡会は2008年から2018年まで活動を続けたが、毎年9月に総会と講演会を開く活動を続けた。いくつかの有用なパンフレットを出したが、一度も街頭行動も、署名運動もしなかった。
新しく生まれた日朝全国ネットワークには、新しい運動を期待したい。日朝国交を実現するには、在日朝鮮人と日本の共同活動がどうしても必要である。全国ネットワークはその全国的な結びつきをもち、総連系団体との結びつきを強みとしている。全国一斉キャンペーンのような行動をやっていただきたい。
・日本と朝鮮の関係をめぐる課題――朝鮮からの視点で
朝鮮大学校教授 李柄輝

李柄輝氏
朝日(日朝)関係をめぐる課題を主に朝鮮からの視点で問題提起したい。日朝の政府間交渉が始まって35年、史上初めての日朝会談、平壌宣言から23年、日韓条約締結から60年目を迎える。日韓条約も2国間の交渉としては異例の長さで15年間を要したが、しかしその倍かかっても日朝関係のゴールが見えないどころか敵対関係が継続しているのはなぜか。今日のテーマはここにある。
今年は折しも終戦80周年、われわれにとっては80回目の解放の日を迎えた。そこを見つめる朝鮮、日本間の認識の齟齬(そご)が甚だしい。ここに根本的な問題がある。誤解を恐れずにいえば、拉致問題は、日朝関係が非正常なもとでおこなわれており、関係を正常化して解決していくほかない。それが平壌宣言の趣旨だった。ところが安倍政権が「拉致問題は日本の最重要課題である」「拉致問題の解決なしに国交正常化はない」「拉致被害者の全員帰国、つまり全員が生きて帰って来ること」という拉致三原則を前面に出し、この方針を誰もこえていくことができなかった。その脆さの根底こそが歴史認識の脆さにあるのではないか。23年をへて私はそう考えている。
解放80周年を迎えた平壌では、8・15解放記念日の大会がロシアをゲストに招いて盛大におこなわれた。金正恩総書記は、「8・15は自由と独立に対するわが民族の勝利の日である」と宣言した。これはレトリックではない。
今わが民族では、植民地戦争論という見方、考え方が注目されている。例えば19世紀末のアメリカとスペインの戦争でスペイン帝国は崩壊し、アメリカは領土を広げた。しかし、これは2国間の戦争であると同時に、キューバやフィリピンの抵抗運動との戦いでもあった。世界史は前者しか記憶していないが、後者こそもう一度掘り起こされるべきである。これが植民地戦争だ。
日清・日露戦争は清やロシアとの戦争だけではなかった。朝鮮農民軍や朝鮮義兵との戦いでもあった。その植民地戦争論というフィルターを通して、今一度近現代史を見つめていくと、日清戦争によって日本軍は甲午農民戦争(1894年)で農民たちを何千人と殺した。文字通りジェノサイドだ。そこから朝鮮の民たちは失った国権を回復するために1945年の8・15まで日本帝国主義に武装闘争を挑んで抵抗をやめなかった。この抗日戦争の記憶は南北問わず朝鮮人のなかにしっかりと記憶されている。
植民地戦争のなかで東北抗日聯軍の朝鮮人部隊を率いたのが金日成主席であり、抗日パルチザンが権力を形成した国家が朝鮮民主主義人民共和国であるから、対日戦争の勝利であるという観点で過去を見つめている。しかし、今の朝鮮側の記憶を、日本のマジョリティがどれほど受けとめられるであろうか。
戦後80年目の夏を迎えて、新聞、テレビなどのメディアはさまざまな特集をおこなったが、日本における戦後の「戦」とはどの戦争だろうか。『朝鮮植民地戦争 甲午農民戦争から関東大震災まで』を書かれた愼蒼宇氏によれば、江華島事件から今に至る150年戦争という概念を用いている。この見方は大事だ。少なくとも日清・日露戦争から1945年8月15日にいたる50年戦争の枠を記憶すべきだ。しかし今の日本にとっての「戦争」とは、1940年代の太平洋戦争に限定されている。しかもそれは被爆や空襲、占領期のひもじさなど悲惨な体験、加害者ではなく被害者としての記憶としてインプットされている。その意味で、時間性と立場性においてアジアの人々との記憶と断絶している。
日本が帝国の形成にむかう植民地支配と侵略戦争の歴史は国民的記憶から詐称され忘却されている。とくに第一次世界大戦後の大正期、この時代には戦争はなかったという見方が日本のなかにあるようだが、1920年代の大正デモクラシーの時代こそ3・1運動における弾圧(1919年)、その後の間島(中国の延辺地区)にいる独立運動家たちを3000人ほど殺している。その延長線上で東京の関東大震災における朝鮮人虐殺が続いている。太平洋戦争以前にさかのぼって日本の戦争の歴史を顧みる営みがなければ、朝日交渉の力を市民社会が得ることはできない。
さらに8・15以後、日本では平和憲法の平和主義のもと奇跡的な復興をとげたという国民的物語があったが、実は大日本帝国の崩壊後、かつての日本が植民地支配していた領域のなかでは脱植民地化をめぐる戦後の戦争がおこっている。インドネシア独立戦争(1945~49年)からベトナムのサイゴンが陥落するまでの30年、実質的には戦争が続いてきた。
とくにこのなかで朝鮮戦争(1950~53年・休戦中)はまだ終結していない。朝鮮戦争は朝中連合軍とアメリカを軸にする朝鮮国連軍の抗戦関係だったが、朝鮮国連軍の司令部は東京だった。朝鮮国連軍の後方基地は日本にある。つまり朝鮮側から見るとかつての植民地支配も清算せず、抗戦関係の側にいる敵国日本という認識をずっと持ってきている。
1948年の朝鮮政府発足翌日の金日成首相は、「外交部門において日本は敵である。日本の軍国主義の再生をもくろむ勢力は敵である」と演説した。これが敵、味方をめぐる基準だった。ソ連や中国も同じような認識を持っていた。日本にとっては主権回復の日といわれるサンフランシスコ講和条約の発効も、朝鮮は「これは新たな軍事協定の締結である」と批判した。日韓条約についてもアメリカが主導した日米韓の東アジア版のマルチな軍事同盟であると強く批判している。平壌から見る日本というのは一貫して、過去を清算せずに引き続き敵対的なポジションにいる敵国であった。この敵国関係を解消するための外交努力を必要とした。
朝鮮から見た平壌宣言 世界情勢は様変わり
朝日関係改善の契機は3回あった。1回目は1950年代半ば、ソ連のフルシチョフ政府や新興国のなかから冷戦的分断をこえて平和共存をしていこうという風潮があった。そのなかで朝鮮の南日外相が関係改善を呼びかけた。これは鳩山一郎総理の朝鮮に対する関係改善をめぐるメッセージへのレスポンスでもあった。久保田発言によって日韓交渉が中断したその隙間に、朝鮮は東京との関係を改善しようとしたが、この機運はしぼんでしまった。
2回目は1970年代だ。ニクソン、キッシンジャー路線によって米中和解が促進した時代だ。そのとき朝鮮は南北、日朝を同時に開こうとする。韓国とは朴正熙の与党、民主共和党とも会談する用意があるとし、日本では朝日新聞後藤編集長を通して「自民党とも会談する用意」があるという姿勢を示した。そして朝鮮は、日本に対しての民間外交(人民外交)を展開する。人民外交で仲介となったのが朝鮮総連であり、このときに日朝議員連盟が発足し、その主導で日朝貿易合意書が交わされ日朝貿易が始まった。ところが、これもニクソン政権による「二つの朝鮮を安定的に管理する」という分断の既成事実化策に絡めとられることを警戒した朝鮮が一歩引いてしまい国交正常化につながらなかった。
決定的に国交正常化で大きな前進があったのは、脱冷戦時代だ。1991年に南北は国連同時加盟に至る。そのなかで日本の金丸訪朝団を迎えて、朝鮮側が国交正常化交渉を呼びかけた。このときの「三党共同宣言」(朝日関係に関する朝鮮労働党、日本の自由民主党、日本社会党の共同宣言)によって、日朝間の政府間交渉が始まった。これは2000年までに10回交渉がおこなわれたが、8回までは頻繁におこなわれ一旦中断。9、10回目は北京でおこなわれたが、朝日間の齟齬は相当に深かった。
朝日間における交渉の朝鮮側の立場を整理すると、「公式謝罪と補償」「旧条約は不法・日本の請求権認めず」「補償問題=交戦国間の賠償形態と財産請求権形態の適用(戦後四五年の補償)、日韓経済協力方式の否定」「日本人『行方不明者』調査の実施」があった。とくに大きいのは補償問題だ。朝鮮はあくまでも朝鮮は国権を失ったけれども、抗日戦争を戦って勝利したから、交戦国間の賠償形態として補償せよといっている。財産請求権はもちろん、賠償請求権も求めるとしている。プラス戦後四五年の補償を日本に求めていくというものだった。これは、日本からすると受け入れられない。そこで交渉が行き詰まる。そこに拉致問題があらわれはじめて、まったく交渉が進まなくなった。
この行き詰まりを打開するために小泉総理が史上初となる訪朝を決断した。朝日平壌宣言では、「両首脳は朝日間のいまわしい過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが双方の基本利益にかない、地域の平和と安定に大きく寄与するとの共通の認識を確認した」といっている。これが宣言の基本精神だ。基本精神に従って朝鮮側も大局的な方針のもと、謝罪を前提に経済協力方式を受け入れた。
第10回交渉と平壌宣言は大きく変わっている。つまり平壌の立場は、原則論から現実論へと立場を転じた。外交なので、現実論へと転換して進めていくほかない。しかし日本側はこれをどう捉えたのか。これは朝鮮側が経済に困窮して、日本のマネーほしさに譲歩したのだ、だからどんどん追い込めば平壌は屈服するであろうという見方をした。日本の識者らは、「朝鮮は日本の経済協力資金が喉から手が出るほどほしいだろう」といった。人参をチラつかせながら、屈服させるやり方は絶対に朝鮮には通じないのだが、日本はその立場を死守一環してしまった。そして時が流れ、今となっては朝鮮は日本の経済協力もアメリカの制裁解除も期待していない。
崩れる米国の一極支配 日朝国交回復に活路
なぜか。朝鮮は今、アメリカ、日本、韓国との対話を通じて、経済制裁を解いて西側の資金を受け入れていくという構想から、中国やロシアや非西側世界との連帯のもと、アメリカ一極支配を過去のものにして多極化促進外交へと転じている。この変化を日本の外務省は読みとってほしい。朝鮮側の目から見ると、「新冷戦とは古い秩序に固執する勢力と自主的発展を志向する広範な国々との対決」であり「世界的な力学関係の劇的変化」にあるといっている。(『労働新聞』2024年10月15日)
バイデンがウクライナをめぐって「民主主義と専制主義とのたたかい」といって非西側世界との対決姿勢を進めた。しかしバイデンについたG7の政権は昨年の選挙ですべて与党が敗北し、政権交代の連鎖が起こっている。このなかで朝鮮は世界の多極化外交に向けて先頭に立っていくといっている。そのあらわれが、9月の天安門での習近平主席、プーチン大統領、金正恩総書記とのスリーショットだった。
今後は、むしろ日本こそが平壌宣言にしがみついていく必要がある。軽率にはいえないが、去年の金与正副部長の談話、その前のパク・サンギル外務次官談話では平壌宣言に言及していない。平壌宣言がいつまでもあると、あまり楽観しない方がいいかもしれない。今こそ平壌宣言にそって日朝交渉の強いメッセージを発信しなければ、朝鮮は本当に日本にそっぽを向くかもしれない。なぜなら別に今日本と交渉する切迫性は平壌にとってはないからだ。むしろ日本が世界の変化のなか、多極化の時代に対応するために、朝鮮や中国との関係を改善していく必要がある。
なぜ日本は、植民地政策の責任や戦争責任を果たさずして、国際舞台に復帰し、復興を遂げ経済繁栄を謳歌しえたのか。これはサンフランシスコ講和条約によるところが大きい。サンフランシスコ講和はアメリカ中心の連合国が敗戦国日本をどう処理するのか、本来ならば懲罰主義的に考えていたのだが、中国革命や朝鮮戦争の革命的変化のなか、日本に過去の免罪符を与えるかわりに、米軍の基地となることを求めたものだ。これがサンフランシスコ講和であり、サンフランシスコ体制であった。これはアメリカにとっては西側のパクス・アメリカーナという一極支配を守るためで、その地政学的な最前線である日本は、モスクワや北京や平壌と対峙する最前線の軍事基地として甘んじてもらうかわりに、過去に免罪符を与える。ところがこの体制が今揺らぎつつある。この時代の変化のなか、今こそ日本が平壌宣言にそって朝日国交正常化の道を進むべきである。そして朝日国交正常化が実現してこそ、大日本帝国の解体プロセスがようやく終わる。(朝鮮現代史)
・日朝国交正常化のためには日本人が変わらなければいけない
ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子

乗松聡子氏
カナダに通算30年住んでいる。結論を先にいう。今、米国中心の西側帝国主義が破壊的な戦争を続けている。ガザのジェノサイドはその典型だ。日本は、西側帝国に組み込まれたままの「名誉白人」国家だ。G7に非白人国家として一国だけ参加しているのが象徴的だ。
今、グローバルサウスによる、脱植民地の視野が広がっている。西側帝国に搾取され続けてきた国々が、もうやられっぱなしにならないと、手を結んでいる。対ロシア情勢やトランプ問題も、非西側の結束を高める結果となっており、世界の貿易の脱ドル化が進んでいる。そのグローバルサウスはいまやグローバル・マジョリティとも呼ばれる。朝鮮はグローバル・マジョリティの一員だ。逆に残っているのは米国の属国である日本だ。日本には、米国の呪縛を解き、アジアに戻ってもらいたいと思う。東アジアの平和を阻止する要素ではなく、平和をつくる一員となってほしい。そのためには朝鮮、中国、ロシアを理解し、尊重することは不可欠だ。日朝国交正常化のためには、変わらなければいけないのは日本だ。
「北朝鮮」という呼称 植民地化の名残
次に「北朝鮮」という呼称についてだ。国の名前でさえないこの呼称がずっと広がっている。これは朝鮮を国として認めていなかった植民地支配時代の名残だという批判があり、私もそう思う。韓国のことは国名で呼ぶのに朝鮮についてはそれを拒否する。
私は2019年に訪朝したときに、まず国名を説明された。朝鮮民主主義人民共和国、略すときは鮮やかな朝と書いて「朝鮮」であると。その旅のなかで、早朝にテドンガンのほとりを歩いたとき、朝日が差した川面の鮮やかさに眼を奪われた。その名前の意味がわかった。
日本戦争時代、北米にいた日系人は敵性外国人とされ強制収容所に送られ、ジャップと呼ばれた。今もカナダに暮らしていて、日系人コミュニティのなかにこの傷が深く残っていることを感じる。
日本メディアは、2002年日朝会談までは「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と、併記する方法をとった。これも問題だが金正日防国委員長が「拉致」を認め、日本国内で憎悪感情が沸き立っていた。その年末に朝日新聞が「併記はせずに北朝鮮を使う」と宣言し、NHKもそれに準じた。朝鮮は、「北朝鮮と呼ぶな」という要求をくり返し日本に対しておこなっている。日本は国交を正常化するためにも、相手国をその国の名前で呼ぶという最低限の敬意を示してこそ、出発地点に立てるのではないか。
拉致問題を内政利用 解決は先延ばし
拉致は重大な人権侵害だった。ただ、私が理解できないのは、事実認定と謝罪をすればそれが和解への始まりになると思うが、それがきっかけで逆に朝鮮に対するヘイトが増加したことだ。広島と長崎の原爆投下や都市空襲においては民間人が何十万人も殺されているが、米国は謝罪さえしていない。それにもかかわらず日本人の大半はアメリカが大好きだ。
訪問したとき、通訳ガイドをしてくれた金さんがいっていた。「あのころは日本との国交正常化の期待から日本語熱が高まった。けれど今は日本語の需要は減ってしまった」といっていた。この問題は、被害者中心主義でとりくまれたとはいい難く、日本の保守政治家や右翼運動家が、政治利用のために解決を先延ばしにしてきた。
しかし、拉致問題を利用して朝鮮を敵視する政策が、なぜ政治的プラスになってしまうのだろうか。日本の一般国民はそんなに朝鮮をヘイトしたいのだろうか。ここに根本的な問題があると思う。日朝平壌宣言では、植民地支配者で「朝鮮人民に多大な損害と苦痛を与えた」歴史への「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」にもとづいた、植民地支配者の清算と同時にとりくむ問題だったはずだ。
植民地支配時に約2500万人いた朝鮮人のうち3分の1、約800万人(韓国調査)が強制労働や日本軍性奴隷として動員され、多くの人が命を奪われた。これについて朝鮮側には償いや清算がまったくおこなわれていないのに、在日朝鮮人の人権侵害、朝鮮学校差別、ヘイトスピーチの蔓延という形で、解放後80年の現在も植民地主義が続いている。気の遠くなるような規模の植民地被害を語らずに、「拉致、拉致」とだけ叫ぶ日本メディアと日本人は、ダブルスタンダードであるとしかいいようがない。
日本に帰るたびに思うが、日本の人たちは拉致被害者や家族の名前をよく知っている。自分の家族か親戚かのように語る。メディアの影響があり、これは正直不気味で怖い。みなさんは、日本の植民地支配による被害者の名前を一人でもいえるだろうか。拉致問題は、日朝平壌宣言がいうように、日朝の間に横たわる多くの人権問題の一つであるという認識に立ち返る必要があると思う。そのためには被害者意識に偏った日本人の歴史認識を問い直さなければならない。
朝鮮学校の無償化排除 民族抹殺の一環
2019年9月、金丸信吾さんの訪問朝団が宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使と会ったとき、朝鮮学校無償化除外の撤回がない限り「日朝関係は1㍉も動かない」といっている。朝鮮学校差別は国交正常化への大きな障害となっている。
カナダでは日系人強制収容という歴史があったが、1988年にリドレスと呼ばれる、政府による謝罪と補償があった。それは個人の被害者に補償しただけではなく、民族としての存在の権利を保障された。そのおかげもあって、私はカナダで子どもを日本語学校に行かせ、日本文化に触れさせながら育てたし、差別されたことは一度もない。
私たちは好きでカナダに移住したが、朝鮮学校は、植民地支配があったゆえに奪われた文化や言語をとり戻すために作られた。本来は償いの意味も含め、他の民族にも増して手厚くするのがあたりまえだ。
しかし日本は正反対で、朝鮮学校を標的にして無償化から排除し、補助金を止め、存続の危機に追いやっている。これは民族抹殺、エスニッククレンジングの行為であると思う。この問題は他の問題に比べて、日本政府の決断だけですぐに変えられる、比較的容易な問題だ。明日にでも差別をやめるべきだ。
被侵略国を「脅威」と呼ぶ侵略国 BRICSは拡大
「朝鮮半島の非核化」と、「朝鮮民主主義人民共和国の非核化」はまったく違う概念であるのに、日本政府やメディアはこの違いをはっきりさせず、「北朝鮮の非核化」という概念を平気で語り続けている。朝鮮にだけ非核化を求めるということは、圧倒的に非対称な米国の核の脅威をまったく問題視せず、朝鮮にだけ身ぐるみはげということだ。相手の身になって考えてみればわかる。イラクやリビアのように敵視され指導者が残酷な方法で殺され、国を壊されたケースを見れば、朝鮮が核兵器をもって米国から身を守るのは当然のことだ。したがって、非核化を語るなら朝鮮半島における米国の核の脅威をなくすことが必要だ。
先日、李柄輝先生の講座にオンラインで出たとき、「『朝鮮半島の非核化』とは朝鮮にとっては具体的に意味があるのか?」と聞いた。答えは、「米国は、弾道ミサイルから爆撃機・空母まで、多様な手段を講じ、迅速に朝鮮に核攻撃できる体制を継続している。そのような核攻撃能力を排除することが朝鮮半島の非核化である」とのことだった。韓国と日本の米軍の存在自体が朝鮮にとっての核の脅威だ。
西側の言い分は、核のダブルスタンダードとしかいえない。西側の核はいいが、西側の敵の核は悪い。だから、ロシア、中国、朝鮮、イランの核は「悪い核」で米国や同盟国の核は「良い核」だということだ。イスラエルも核兵器を持っているのに、査察も制裁もない。アメリカだけは何をやっても許される、という例外主義を日本で内在化している。歴代の広島と長崎の式典での市長による平和宣言では、1回もどこの国が原爆を落としたかをいったことはない。
敵視というのは戦争の前段階だ。平和運動でさえ、政府と一緒になって特定の国を敵視するのだ。戦争につながる敵対構造をあえて強化しながら核兵器廃絶などできないと思う。
9月3日に北京で開催された「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80年記念大会」(以下9・3)では、習近平主席が、朝鮮の金正恩委員長とロシアのウラジーミル・プーチン大統領とともに祝った。しかし日本のメディア報道は、「良好な関係を誇示する」とか、「世界に結集を見せる」という語調ばかりで、そこには加害国としての反省も、敗戦国としての謙虚さも見えない。この大会は第一義的に、80年前の大日本帝国を倒した記念だ。日本人は米国と戦い、米国に負けたとしか思っていない人が多いので、この式典の意味がわからないかもしれない。朝鮮は、60年の植民地支配のなかで独立のために闘った。
今回、西側諸国がほとんど参加しなかったなかで、韓国からウ・ウォンシク国会議長が参加したのも、抗日戦争の勝者の一員であることを印象付けた。来賓の26カ国のうち、アジア太平洋戦争で日本の被害を受けた国は、他にもインドネシア、マレーシア、べトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオス等が参加していた。これらの国々は日本帝国主義を倒した日を共に祝う資格がある。米国、英国など他の連合国も参加すればよかったのではないか。
BRICSプラスパートナー諸国の20カ国は、いまや購買力平価(PPP)ベースで世界のGDPのおよそ半分に迫っており、人口では世界全体の過半数をこえる規模となっている。文字通り「グローバル・マジョリティ」になっている。習近平主席が9・3の演説でふれたが、BRICS側はウィンウィンの関係を求めているのに米国はゼロサムの関係、つまりみずからの覇権を維持することにしか関心がない。したがって米国は対決姿勢を強め、制裁や関税などで他国を疎外しており、それが結果的にグローバル・マジョリティの各国の結束を強めている。
先ほど敵視政策の話をしたが、米国は敵視どころではない。この8、9月だけでも、ウルチ・フリーダム・シールド(米韓)、フリーダム・エッジ(日米韓)、レゾリュート・ドラゴン(日米)という大規模演習をおこなった。米軍基地で中国や朝鮮をとり囲み、中国がいい出すわけがない「台湾有事」という概念を作りだし、戦争を煽っている。もしアメリカが、中国や朝鮮の目と鼻の先でやっていることを、中国や朝鮮が米国沿岸でやったらどうなのだろう。許されるはずがない。それなのに西側メディアは9・3の式典における閲兵式を、「米国主導の国際秩序に対する強固な姿勢」と批判した。逆に、日本や欧米が「国際社会」と呼んでいる西側諸国は、世界の人口の15%にも満たないマイノリティだ。9・3の式典に金正恩委員長が行ったことは、その世界の流れに朝鮮も確実に加わったという宣言にも見えた。
米国が始めたウクライナ戦争 NATOを利用
ロシアの特別軍事作戦について西側では、無挑発という枕言葉とともに、ロシアが突然ウクライナを危険にした戦争だというナラティブが席巻した。実際は違う。端的にいうと、この戦争は30年以上前にさかのぼる。ロシアではなくアメリカが始めた戦争だ。
アメリカのジャーナリスト、スコット・ホートン氏が昨年「Provoked」(挑発された)という分厚い本を出した。7000のソースを使った700㌻の本で、どれだけ米国がロシアを威嚇してきたか、パパブッシュからバイデンにいたるまで徹底的に記述している。冷戦が終結し、存在意義がなくなったはずのNATOは約束に反して東方拡大を続け、2014年、米国はウクライナのナチ勢力を利用してウクライナ政権を転覆させた。民主的デモを装って、その国を自分の思い通りになる政権にとりかえる米国の常套手段だ。それ以来、ウクライナの傀儡政権は東部ドンバス地方のロシア系住民を意識的に迫害した。グラートという弾丸で市民に対して無差別攻撃をおこなった。ドンバス内戦では、国連によると1万4000人が命を落とした。和平のためのミンスク合意も西側が踏みにじった。
2021年12月、ロシアから米国への安全保障のための条約案もすべて米国が拒否した。ロシアの目的はウクライナ征服でも欧州侵害でもない。自国とロシア系住民を守るためのウクライナ中立化、非ナチ化だ。ウクライナ戦争の根本の原因と目的を理解することは、朝鮮のロシア派兵を理解するためにも不可欠だ。ロシアと朝鮮は2024年、包括的戦略パートナーシップ条約を結び、その同盟関係のもとで朝鮮は派兵した。派兵先は、ウクライナに攻撃されたロシア国内のクルスクの防衛に限定された。朝鮮兵は100人以上が戦死したと聞いている。ご遺族のお気持ちを思うと、計り知れない悲しみであったと想像する。
ただ、朝鮮がロシアと連帯したことについては、正しかったと思う。ロシアの特別軍事作戦は、世界内政介入と戦争をくり返す西側帝国に対する、脱植民地主義の闘いの一つである。
帝国主義的な平和主義 暴力を補完
このような話をすると、絶対的平和主義の立場から、戦争はいけない、非暴力でやってはいけない、核兵器はいけない、というようなことをいう人たちが必ず出てくる。私はこのような見方を、平和主義をかざしながら、脱植民地闘争を抑えつけ、一種の帝国主義であると思う。それは平和主義でさえない。誰かを踏みつけたうえでの「平和」など、平和とはいえないからだ。(クォン・ヒョクテ『平和なき「平和主義」』)。
米軍基地を押しつけられている沖縄の人が「日本が受け入れると決めた米軍基地は、沖縄ではなく日本本土に置け」という当然の要求を、「基地はどこにも要らない」といって抑えつけるのはこのパターンだ。植民地支配しておいて、独立のために立ち上がる蜂起行動を「テロリスト」と呼ぶのもそのパターンだ。
パレスチナでのハマスの蜂起もいまだに西側ではテロリスト扱いしているが、膨大な非対称の構造で長年抑圧してきて、被抑圧のほうが少しでも抵抗すると、暴力的だ!テロだ!といって100倍返しをする。あらゆる平和的、外交的、政治的手段を奪われた民族が武装蜂起することを、奪っている側は受け入れることができない。
日本の人たちは「9条」「平和」「核廃絶」という、聞こえのよい言葉に乗せた「帝国主義的な平和主義」を振り返る必要がある。沖縄や韓国の軍事化を前提に語る「9条の平和」。米国の核の傘を前提に語る「核兵器廃絶」。日本を被害者として宣伝する「唯一の被爆国」という概念で、その暴力性は増幅する。
今こそ、日本人はやられた側に立って捉え直し、語り直すことが必要だ。日本はこのグローバル・マジョリティに対峙してこのまま米国の属国であり続けるのか、それともアジアに戻ってグローバル・マジョリティに迎え入れられるような外交の道をとるのか、その岐路に立たされていると思う。朝鮮と国家交流正常化は、日本がグローバル・マジョリティに受け入れられる可能性があるかどうかを示す、試金石になるのではないかと思う。それを可能にするため、日朝全国ネットは、朝鮮への理解と友好を推進する活動をどんどんおこなっていけばいいと思う。





















