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韓国と東アジアの未来を展望する―戦後体制の崩壊と市民革命の波  広島大学非常勤講師・李容哲

朴槿恵弾劾のキャンドルデモ(2016年12月)。ソウルの大規模な平和的集会は1年間で100万人が参加し、80年代の民主化運動以来、韓国で最大の規模となった。

 今韓国社会は歴史的といえる新たな変革期を迎えている。昨年は、第2次大戦中の日本の植民地時代をへて、その後も軍事独裁政権が続いた韓国にとって民主化30周年の記念の年でもあった。だが、朝鮮(韓)半島をめぐる軍事的な緊張が高まるなかで、韓国、日本、米国の三角関係はまるで現代版『三国志』の様相を呈し、韓国と日本はいぜんとして「近くて遠い国」と呼ばれる状況が続いている。そのなかで一昨年、韓国全土を席巻し、朴前大統領を弾劾した市民革命は、歴史的にも、国際的にも意義深い内容を含んでいると思われる。韓国社会がたどった戦後のあゆみをふり返りながら、韓国さらには東アジアの新しい春を展望してみたい。

 

民主化への長い道のり経て

 

 韓国の戦後史は、対外的には南北の統一、国内的には軍事独裁からの民主化が大きなテーマになってきた。35年続いた日本の植民地時代をへて、戦後も独裁政権の時代が長く続き、そこからやっと民主化運動が起きて民主化が実現しても、また軍事政権への後戻りがくり返され、少しずつ進歩しながらも、その道はとても長く遠い道であったように思う。


 1987年、民主化運動に対する血なまぐさい弾圧とのたたかいを通じて、軍事独裁を続けていた全斗煥(チョン・ドファン)大統領を追い落として民主化を実現させた。だがその後、文民政府樹立を唱えて大統領になった金泳三(キム・ヨンサム)は、もとは軍事政権に抵抗する民主化運動をしていた人物だったが、「大統領になりたい」という自分の夢を叶えるためにかつての独裁勢力と手を組んで新韓国党(その後セヌリ党)をつくった。


 1998年、民主化運動の活動家だった金大中(キム・デジュン)が大統領になって本格的な民主化が進むと思われたが、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指ししたブッシュ大統領が登場し、朝鮮半島の危機はさらに深まった。当時は、韓国で暴政が吹き荒れているときに米国では民主党政権で、韓国が民主政権になったときに米国は共和党になるという不運な組み合わせを嘆く人も多かったが、オバマ政権を経験した私たちは、米国の政権交代は韓国や日本の政治的安定には関係ないことを理解した。米国が民主党政権になったからといって東アジアでは平和政策は見られず、むしろ状況は悪化したからだ。


 南北問題では、金大中から盧武鉉(ノ・ムヒョン)まで続いた民主政権のときには、北朝鮮を含めた6者会談を開始した。韓国、北朝鮮、日本、米国、中国、ロシアが平等に席に着き、平和問題を話し合う一方、韓半島の未来は当事者である韓国自身がリードしていくものだという機運が高まっていた。


 朝鮮戦争以来、南北に分かれたまま会うことができなかった数千万人といわれる離散家族は、理念やイデオロギーとは関係なく、人道的な観点から面会することが認められた。文化やスポーツの交流、さらに金剛山観光、南北共同で運営する開城(ケソン)工業団地などを通じて経済協力が実現した。それは非常に画期的なことだった。


 私の小中学校時代の教科書には、北朝鮮について悪いことしか書いていなかった。子ども向けのアニメでも、北朝鮮側の登場人物はみんな獣だった。南北の交流を開始したことで、それまで「オオカミが住んでいる」としか思っていなかった北朝鮮に対して「同じ人間」だという認識を持つほど大きな転換をもたらした。軍事的つばぜり合いから融和へと、大きな前進を遂げた。ところが、ハンナラ党(のちのセヌリ党)への政権交代後、李明博(イ・ミョンバク)から朴槿恵(パク・クネ)にいたる保守政権はそれらの交流をすべてうち切ってしまった。


 昨年の大規模なキャンドルデモで朴前大統領を弾劾した民衆の力は、戦後さまざまな経験をくぐってきた韓国市民の歴史的な意識の変化を基礎にしており、自浄能力を失った政治を足元から揺さぶる市民革命であった。

 

戦後政治の象徴・朴正煕

 

日本総理官邸晩餐会での朴正煕(中央)と岸信介(左)。右は当時の池田勇人首相(1961年11月)

 戦後の韓国政治において、朴槿恵前大統領の父である朴正煕(パク・チョンヒ)は象徴的存在である。1962年、軍事クーデターによって大統領に就任した朴正煕は、1972年に北朝鮮の金日成と会談して「共同声明」を発表する。当初は期待もあったが、その関係はすぐに悪化する。


 この南北会談によって朴正煕は国民の支持を集め、最初は「就任しない」といっていた大統領を3期までやり、任期満了と同時にもう一度クーデターをやって国会を解散し、大統領制を「維新体制」なる総統制に変えた。同じ頃、北朝鮮でも金日成が一人独裁を宣言する。北が独裁なら、南も独裁で自己の政権の安定を図った。


 朴正煕はもともと大邱の貧農の生まれで、大邱師範学校を卒業して教師をしていたが、出世するために軍人を志して満州国陸軍士官学校に入り、成績が優秀だったため日本陸軍士官学校に入る。日本軍の一員として、満州で独立運動をする朝鮮人を逮捕・弾圧する仕事に従事していた。


 1945年8月、日本の敗北によって彼は身分を失い、南に米軍、北にソ連軍が進駐するなかで、日本軍から逃げ、履歴を隠して満州で臨時政府の光復軍(独立軍)のなかに投降する。だが、過去の経歴が暴かれたことから、ふたたび南朝鮮に逃げることになる。その後、彼の三兄が大邱(テグ)で有名な社会主義者として運動している途中、警察に殺され、兄の同僚らの勧誘で南労働党に入っている。


 だが九月になって米軍は、敗戦後に各地に逃げていた「親日派」(日本の統治に協力した)官僚や公務員の身分を保障し、「元の仕事に戻りなさい」と通達を出す。それによって朴正煕は、米軍政庁が設置した朝鮮警備士官学校に入り、韓国軍の前身である国防警備隊に入隊する。


 この頃、米軍と結びついた李承晩(イ・スンマン)の独裁政治に反対し、南北統一を目指すパルチザンによるゲリラが各地で頻発するようになる。南北分断後、南側の朝鮮労働党のリーダー朴憲永(パク・ホニョン)は北へ行ってしまったため南には共産主義組織がなくなり、李承晩政府はこれらの残党を一掃するために白色テロをおこなった。パルチザンの多くが韓国軍の中にいることが暴露され、李承晩政府はこれらの根絶やしに着手する。


 済州島で1947年から1948年4月3日に発生した騷擾事件、及び1954年までの武力衝突を「済州島4・3事件」という。そのなかで、1948年10月済州島へ出兵を命令された麗水・順天地域の14聯隊の左翼勢力が反乱(麗順事件)を起こして済州島まで逃げる。李政府はこのパルチザン勢力を掃討するために、警察部隊や北から逃げてきた右翼青年同盟なども送り込み、民間人も含めた無差別な大量殺戮をやった。島全土が焼き払われ、島民の5人に1人におよぶ6万人が殺されたといわれている。


 麗順事件の後、粛軍が始まり朴正煕も南労働党の一味と見なされて逮捕されるが、彼は自分の身を保障してもらうために内部情報を提供した。本来ならばここで軍人としての生命は終わるはずだったが、満州軍出身の先輩軍人らの救命運動もあり、すぐに韓国(朝鮮)戦争が起きてふたたび軍に登用される。このときの韓国軍の指揮官は経験の浅い30代だった。幹部の中で独立運動をしてきた人たちは少なく、朴正煕を含めてほとんどが戦時中に満州で日本軍に属していた軍人だった。


 本来、解放後の韓国で主体になれるはずのない日本帝国の遺物が韓国軍の主体になったこと自体、韓国の独立において大きなボタンの掛け違いだった。


 朴正煕は、韓国戦争が終わった後、米本国の陸軍砲兵学校に留学し、帰国後には司令官、少将となった。このときすでにCIA(米中央情報部)は彼のクーデターを察知していたという。クーデターにあたって彼は日本の「2・26事件」をロールモデル(模範)にしたといい、彼の独裁政権を「維新体制」と呼んだのも、日本との関係を強く意識したものだ。日本軍から南労働党員へ転身し、今度は米軍の影響下で大統領にまで上り詰めた彼の遍歴は、韓国の戦後の歪みを象徴しているといえる。彼らを第1世代とし、さらに民主化運動、学生運動をやっていた第2世代がセヌリ党などの保守党に入って国会議員になっていく。いずれの政治家もこの道に合流していった。


 大統領になった朴正煕は、経済復興の資金を集めるために日韓国交回復(韓国では日韓会談という)をやるが、そのときに使ったのが旧満州時代の人脈だった。岸信介(当時の商工大臣)もその一人だ。田中角栄や満鉄関係者の笹川良一、児玉誉士夫などとのつながりも駆使した。ロッテなどの日本企業が韓国に進出したのも免税などの優遇措置によるものだった。


 第二次大戦の終結によって「解放」されたはずの韓国では、その後も国内の統治には植民地時代の制度がそのまま利用された。戦時中の治安維持法と同じように、国家保安法をつくって独立運動や反政府的な思想を監視する。また、韓国戦争のさなかには、政治犯や北朝鮮出身者、共産主義者の家族たちを再教育するために「国民保導連盟」なる団体に入れ、「アカ」(共産主義)に戻る可能性のある人たちを監視した。政府は村の首長たちに強制的に名簿を提出させ、無関係の人たちまで情け容赦なく銃殺(保導連盟事件)した。民主化後、この事件の遺族会である「全国血虐殺者遺族会」が申告した資料によれば、およそ114万人という膨大な人人が虐殺されている。


 また、軍隊や警察のシステムも日本軍時代のものが今でも採用されている。例えば「手入れ」という言葉も、そのまま韓国読みで「手入(スイプ)」という言葉として使われており、私も日本語を知って初めてその意味を知った。それは、日本の総督府の行政末端にいた人たちが、米軍の庇護のもとでそのまま施政権を握り続けたからであり、戦前の独立運動の弾圧とまったく同じ手法で民主化運動も弾圧した。これが韓国の春を遠ざける大きな要因になってきたことはいうまでもない。

 

米国にNOがいえぬ関係

 

トランプ訪韓に抗議するデモ(昨年11月、ソウル)

 昨年11月、トランプ大統領が訪韓したさい、韓国の国会前では2つのデモがあった。1つは「反トランプ」のデモ、もう1つは「トランプ歓迎」のデモだ。後者は少数であるが、朴槿恵大統領の弾劾のときも、星条旗を振って朴大統領を支持した。


 これも第二次大戦の戦後処理の不徹底さに由来する。日本の植民地時代に「親日派」として地位を得ていた人たちは、日本の敗戦によって社会的地位を失った。だが米国が彼らを元の職場に復帰させた。しかも日本人職員が撤退したので、巡査だった人が署長になったり、課長が部長になったり大幅に出世した。それが「自分たちを救ってくれたのはアメリカだ」と信奉する基礎になっている。


 もう一つは悲惨を極めた韓国(朝鮮)戦争の影響であり、共産主義(北)の攻撃から資本主義(南)の方を守るために国連があり、その中心に米国がいたという定説によるものだ。司令官マッカーサーを「韓国を助けた英雄」と祭り上げて、米軍上陸地の仁川にはマッカーサーの銅像が建てられた。


 だが、2000年代に入り、米韓FTA(自由貿易協定)によって狂牛病(BSE)の牛肉を韓国に輸入したときに起きた大規模な反米デモでは、そのマッカーサー像が引き倒されそうになった。国民のなかに「米軍は韓国を守りにきたのではなく、植民地にするために進駐してきたのだ」と考える人たちが増えたからだ。


 米国内でBSEが発生したにもかかわらず、輸出牛肉の検査は、国ではなく民間の加工業者がやり、当時の李明博政権もそれを認め、韓国側でもこれを全量検査せず輸入することを認めた。この協定に対して国内では大規模な反対デモが起こり、とくに母親たちが「自分の子どもにこのようなものを食べさせられない」と乳母車を引いて参加した。


 韓国現代史における最大の問題は、米国に「NO」がいえないことだったといえる。韓国でも日本と同じように、米軍人が犯罪を犯しても韓国側には裁判権がなかった。


 2002年に京畿道楊州郡で2人の女子中学生が米軍の装甲車にひき殺されたが、米軍はそのとき運転手だった米兵を裁判にもかけず「過失なし」と無罪判定し、本国に帰らせた。このときも大規模デモが起こり、学生など若い世代も星条旗を燃やしたり、米軍基地撤去を要求するなど、反米機運が急速に高まった。当時は民主党の金大中政権だったが、やはり米国に対しては「NO」はいえなかった。

保守政治とキリスト教会

 

 戦後の韓国では、「親日」と「親米」という本来ならば敵対していたはずの2つの勢力が一体化して統治してきたという特徴がある。それを支えてきた勢力として無視できないのが、キリスト教(プロテスタント)の大教会である。戦後、韓国で拡大したプロテスタントは、1888年以来、米国内でもとくに保守色の強い南部地方から進出している。戦後の政治家には、その信者や米国留学のなかで入信した人、日本の植民地統治が終わった後に入信した人などが多い。彼らは一貫して保守政党の集票母体となってきた。


 単一教会として世界で1、2、3番を争うような大規模な教会が韓国に集中していることをご存じだろうか? 一つの教会に信者は何万人、何十万人とおり、日本の教会とは規模が違う。もともと韓国の宗教は日本と同じような自然宗教だったが、韓国戦争の後に北朝鮮から逃げてきた人たちがソウル周辺に教会を建てた。1960~70年代の経済成長のなかで勢力を伸ばしていった。経済成長とはいえ、市民レベルの生活は貧しく、都市部近郊で生きる活路を求めて入信する人が急増したからだ。韓国の現代史を考えるうえでは、これらキリスト教徒たちがなぜ親米的で、保守政権を応援するのかを解明しなければならない。


 この大型教会を持つ保守的な宗教家たちは、トランプが来たときも「米国は恩人だ」といい、教会では「米国はよい国であり、北朝鮮は絶対に悪い国だ」と日常的な教育をしている。朴大統領の不正が明らかになり、弾劾のためにキャンドル集会に出る人もいる一方、星条旗を振って朴槿恵支持のデモをやったのも彼らだった。キリスト教は「自由・博愛・平和」を唱えているが、北はあくまで「悪」であり、「十字軍たる米国が撤退すれば南は赤化する」と頑なに信じ、韓国、アメリカ、北朝鮮との関係を冷静に考えさせない。これも南北の長い戦争の歴史から尾を引く問題である。


 だが以前なら、一昨年のような大統領弾劾デモが起きると、必ず激しい対立になっていたが、今回は大教会も多くの人員を動員することができなかった。それだけ政治の腐敗がひどく、政治の正常化を求める市民の動きが大きな波になったからだ。

 

政治刷新を求める国民世論

 

 私の両親も含め、韓国には悲惨な韓国戦争の経験者たちがまだ多く存在する。同じ民族で血で血を洗った悲惨な戦争体験は、メディア、教育、噂を通じて、北に対する強いアレルギーを生み出してきた。北の人人を同じ人間とは見なさず、北との交流や対話を求めることは悪の味方をするものだという頑強な考え方に縛り、それが米国の要求を無条件に信じる土台になってきた。南北を二元的に分断し、一方的に「アカ」と決めつけてしまえば論議すらできない。そのような空気を政府やメディアがつくってきたといえる。


 だが同時に、「戦争をくり返してはならない」という世論も強い。70年間も戦争状態にあることが社会の全システムを規制しており、この状態が終わらない限り、韓国に春はいつまでもやってこないからだ。


 以前なら北朝鮮がミサイルを打ち上げれば、北朝鮮に抗議するために全国的に何十万、何百万人規模のデモが起きていた。だが、今はもうそれはない。日本のマスコミのように、北朝鮮の貧困や金正恩の私生活についてゴシップを書くメディアもあるが、多くの市民がそのようなニュースに見向きもしない。


 「3代目の王様」がなにをしようと、北のシステムがどのような状態にあろうと冷静に受け止める。長期にわたって熱湯と冷水の時期をくり返し経験し、不感症になっているという面も確かにあるが、南北問題は国が真摯にとりくむべきことであり、市民が一喜一憂しても仕方がないと捉える人が多いのが最近の特徴だ。軍事的圧力よりも社会の安定と政治の正常化を求める世論の方がはるかに強い。若い人の間には、米国についても以前のように無条件に信じるということはない。「なぜ?」という問題意識が常にある。一昨年の朴大統領弾劾のデモから国民の意識は少しずつ変化している。


 もちろん東アジアの平和と安定のためには韓日米の3国の連携が必要だと思っている人は多い。だが問題なのは、それを利用して米国の要求がますます大きくなり、韓国の主権が脅かされ続けていることだ。


 日韓の歴史問題、慰安婦問題などの強引な幕引きを図ったこともその一つだ。米国にとっては、興味のない日韓の歴史問題などは早く片を付けさせて、中国に対抗できる同盟関係を築きたい。そのために安倍首相と朴大統領に「日韓合意」をやらせた。慰安婦問題は、日韓両国にとっては大事な問題であり、なにより体験者たちがまだ生きている。にもかかわらず、当事者の頭越しに日本政府が10億円を拠出し、韓国政府が慰安婦支援の財団をつくってお金を配ることでこの問題にピリオドを打つことを決めてしまった。慰安婦の事実を認めない日本政府が「金をやるから黙れ」という屈辱的なもので、体験者たちは受けとりを拒否したにもかかわらず、朴政府が説得して受け入れさせた。それは慰安婦体験者の間にも分断を生んだ。これは決して正しい解決の方法とはいえず、「国による人権問題」として大きな社会問題になった。

 

主権回復と平和構築に向けて

 

文在寅と会談するトランプ(昨年11月)

 朴大統領を弾劾した力が押し上げた文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、難しい局面に立たされている。北朝鮮に関係回復のための対話を呼びかけているが、北は立て続けにミサイルを打ち上げる。そのたびにトランプ大統領からは電話がかかり、米日韓が一致して軍事演習をやるなど強い姿勢が求められる。だが、国内では平和的な解決を求める声が強く、米国の軍事戦略への無条件同調を許さない。世論調査(昨年12月1日現在)では、彼の支持率は75%に達している。「難しいなかでも最善を尽くしている」という現状評価だが、そのような国民世論に縛られながらの二刀流が続いている。


 昨年11月のトランプ大統領訪韓時、裏では同行した米国の閣僚たちは韓国の大企業と会談したという。トランプ大統領自身が「韓国がたくさん武器を買うように話をした」とわざわざ表明していたが、さらにトランプは北朝鮮問題を口実にして、武器購入だけでなく、在韓米軍基地の駐留経費を韓国が全額負担することを求めている。米軍は決して韓国を守る軍隊ではなく、このような韓国の主権を無視した政治や軍事における米韓関係こそが韓国社会の発展にとって桎梏になっていることを誰もが理解している。


 国民のなかでさらに関心が高いのが米韓FTA(自由貿易協定)の改定だ。このFTAによって韓国経済は大打撃を被ったが、トランプはより米国に有利な条件にもちこむため一方的に再交渉を求めている。


 内部告発サイト『ウィキリークス』が公開した外交文書によれば、FTA締結時の交渉担当者であった金鉉宗(キム・ヒョンジョン)通商交渉本部長は、米国との間で合意内容を上回る譲歩を裏で約束していた。そのような人物がふたたびFTAの交渉担当者になっている。自由貿易によって現代自動車が米国で売れて韓国も潤ったといわれるが、実際は米国法人が米国現地で製造して販売しているだけで、税金も雇用もすべて米国が得る仕組みだった。米国はさらに農産物を含めた関税撤廃を求めている。国民はこのような不平等な貿易協定ではなく、対等な外交交渉を文政権に求めている。


 大統領がかわったからといって安心できるものではない。朴前大統領と同じ不正を働いていた勢力は弾劾されることなく議席に居座り続け、今度は文在寅を弾劾しようと企んでいる。セヌリ党(韓国党に改名)からも3、40人ほどの議員が離党したが、今年の地方選挙に備えてそのうちの3分の2がまた復党した。彼らは、トランプの要求を「バイブル(教典)」にし、米国要求に抵抗する文在寅を責め立てている。だが、朴槿恵の陰に隠れている前任の李明博大統領も国家財産の私物化疑惑が多数浮上しており、今後は追及を免れないだろう。


 民主化の前進と後退を何度も経験してきた韓国では、政治の徹底的な改革を求める声は今後さらに高まる趨勢にあるし、長年の腐敗政治の遺物を清算するまで市民運動は続けなければならないと思う。大統領の弾劾あるいは政権交代で「勝った」と安心したとたんに逆襲を受けてきたのが戦後の歴史だった。


 金大中の民主党政権を継いだ盧武鉉大統領の時代も、日本での政権交代のように国民の期待を裏切る結果となった。韓国では、戦後も治安維持法と同じ国家保安法が施行され、政府批判をする人人を「共産主義者」「北のスパイ」として投獄した。民主化後の盧武鉉政府には、思想や表現の自由を侵すこの悪法を破棄するチャンスがあったにもかかわらず手を付けなかった。そのため保守政治に回帰した李・朴政府時代に、この保安法によって刑務所に送られた人たちが大勢いる。


 社会福祉の充実も大きな課題だ。韓国では、生活保障や医療や教育の無償化などには「共産主義的」というレッテルを貼っていたため、国民に対する社会保障は皆無であった。そのなかで時間をかけて国民的な議論を重ねながら築いてきた小中学校の給食費無償化や幼児の保育補助などの制度を、李明博政府は大幅に削減した。米国製の武器購入などに多額の税金を使い、国民の生活を顧みない政治に対する失望が朴政府弾劾のキャンドルデモの根底にあった。


 民主化から30年たった韓国で直面しているのは、民主化によって国民は自由と民主主義を勝ちとったかに見えたが、それ以上に一部の特権層の自由と権利が拡大した現実である。日本の植民地支配がそのまま米国支配となり、戦争状態を継続することで国の主権も、国民の民主的な権利も簡単に剥奪される。そして今ふたたび南北関係を悪化させることが、誰を喜ばせ、国民にとって何を意味するかについて若い世代を含めた多くの市民が気づき、行動を始めている。長い冬の時代をへて「ようやく春が来たかな?」と思ったときに吹き付けてくる冷たい風が現在の韓国の境遇とよく似ている。だが、それは決して冬が続くことではなく、春を迎えるまでの過渡期である。世界各地で起きている市民革命と同じように韓国でも市民の主権者としての意識は醸成しつつある。


 複雑に絡み合った韓国社会の現状については、韓国人でも知らない人はまだ多く、未解明な問題も多く抱えている。だが、平和を願う日本と韓国の市民が「近くて遠い国」ではなく、日韓でおきた過去の悲劇をふたたびくり返さないために、互いの歴史を学び、主権を尊重し合い、協力してアジアの平和な将来を築いていく絆で結ばれることを願ってやまない。 (おわり)

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