連日のように日本列島のどこかで起こった熊の出没情報がニュースとなって世間を騒がせている。なかには襲われて死傷者が出るなど痛ましい事例も発生しており、身近に熊が生息している地域の住民にとっては他人事では済まない事態となっている。大型野生動物である熊に急襲されて生身の人間がパワーで敵うわけがなく、極力身の安全を考えて遭遇を避ける以外に予防方法はないが、如何せん今日のように市街地であってもいつどこから出没するかもわからぬ状況のなかで、防ぎようもないのが実態だろう。走って逃げるといっても、熊の全速力に敵うわけなどないのだ。
日頃よりニュースに触れてきた身として過去20~30年を振り返ってみても、今日ほど熊の出没で列島あげて大騒動しているのは稀であり、ちょっと記憶にないほどである。過去に特殊な事例としての出没はあったにせよ、今日ほど普遍的にあちこちで熊が出没するようなことはなかった。昔から人間の生活圏とは距離を置いた奥山の大型野生動物であり、彼らが日常生活を脅かすことなどめったとなかったのである。
では、本来奥山に生息していたはずの熊たちは、なぜこのように一斉に里山や市街地で出没するようになったのだろうか。どのような自然環境の変化があって奥山を追われ、こぞって里山や市街地に繰り出してきているのだろうか。目下のように、出没した熊たちを端から猟銃で捕殺すれば解決するのかというと、それはあくまで対処療法に過ぎず、なぜ熊たちが市街地にまで出てくるようになったのか、奥山で何が起こっているのかという環境の変化を捉え、この根本原因を解決しなければどうにもならないはずだ。熊たちも居場所がないために生息域を追われ、彷徨っているからである。
熊出没の原因としてもっぱらいわれているのは、奥山の餌不足であり、異常気象とも相まって好物のクヌギ(ドングリ)やミズナラ、ブナ、クルミといった木の実類が凶作となり、餌を求めておりてきているというものだ。それはそうなのだろう。ただ歴史的に振り返ってみて、木の実類が凶作だった年は他にいくらでもあったろうに、今日のように『進撃の巨人』みたく熊が里山を襲うという出来事は聞いたことがないし、そのように恐ろしい出来事があったならば郷土史や民俗資料等にも克明に記されて、先人の知恵なりが言い伝えられているはずである。餌不足が一因であることは確かだろうが、それがすべてとは言い難い。
熊の生態を観察してきた人々曰く、「奥山の生息地から里山、市街地へと生息地を移動させてきている」のだという。戦後からこの方の奥山開発、過剰な人工林の植樹、ダムや大規模林道の整備に加えて、近年は温暖化に伴うナラ枯れや昆虫類の減少が続き、奥山がすっかり衰退して豊かさを失っているのだという。さらにここ10年来で尾根筋には大規模風車が設置され、メガソーラーで大規模な森林伐採がおこなわれるなど乱開発が加わり、ますます奥山は荒廃してしまっているのだと――。こうして生態系を侵した結果、奥山の環境が激変し、熊もまた居場所を求めて里山や市街地寄りに生息域を移しているというのである。
東北や北海道は近年、大規模陸上風力や洋上風力、メガソーラーといった再生可能エネルギービジネスの草刈り場と化し、秋田県はその筆頭ともいえるほど凄まじい勢いで開発が進んだ地域だ。熊に限らず、こうした奥山の開発が施された地域から野生動物が生息域を追われ、彷徨っているというのはどこでも普遍的に耳にする話で、餌不足にもまして実は影響を及ぼしているのではないかと思うほどである。解決の方策は奥山の再生以外にはなく、野生動物たちの生息域を侵さないことも重要だろう。「再生可能」を標榜しながら「再生不可能」を実行するというのでは本末転倒である。
吉田充春

















