「グローバルサウス」という言葉がマスコミを賑わすようになったのは、つい最近のことのように思われる。それは、単にこれまで「開発途上国」とか「第三世界」などと呼ばれてきた地域を、そのようにいいあらわすようになったものだろうか。この言葉には、世界史の発展段階の今日的な特徴と未来を把握するカギがあるようだ。
本書では歴史哲学・思想、国際政治学、国際報道・ジャーナリズムの専門家4氏が学術、フィールドワークの実践をもとにこの問題に挑んでいる。昨年開催された学術セミナーの講演と議論をもとに編纂されたものだが、専門分野の異なる視点から重層的に論じられる各章を総合すると、共通する見解、評価が浮かび上がってくる。
その一つは、グローバルサウスとは単なる南半球の地域や、多くが「南」に位置する発展途上国の集合体ではなく、つまり、民族国家としての国家群の図式ではとらえられない実体も持つことだ。本書から、グローバルサウスを理解するうえでは、現時点での地政学的な視点ではなく、国境をこえた歴史的な視点、とりわけ「社会不平等、階級的抑圧、権力構造の周縁におかれた集団や空間」に目を向けることが不可欠であることを知ることができる。
日本を含む西側メディアがグローバルサウスに注目するようになった一つの契機として、ロシアへのウクライナ侵攻に対する国際社会の対応が大きく分かれたことが上げられる。西側諸国は経済制裁を強めることで、ロシアを弱体化させることができると踏んでいた。だが、BRICSはもとより、アジア、アフリカ、中南米諸国の多くが「専制主義vs.民主主義」の図式に与せず「等距離外交」をおこなったことで、その目論みは失敗した。
それにとどまらず、「制裁」の矢はブーメランのようにはね返り、西側諸国の経済危機が深まった。一方で「一帯一路」を掲げる中国を中心にした経済圏の拡大、ドル決済からの離脱、非同盟諸国の発言力の強化が顕在化した。そのもとで西側先進諸国(G7)は、これまで搾取・収奪の対象として蔑んでいた発展途上国をとり込むことに力を入れ始めた。日本政府が中国の市場化に対抗して「アフリカ開発会議」に積極的に乗り出したのも記憶に新しい。
西側政府・メディアが使用する「グローバルサウス」という言葉には、このように地政学的、地経学的な視点からである。そこにあるのは地理的経済的に「南」に位置する国家群に向けて、自国の安全保障、経済的利益、つまり国益を追求する眼差しである。したがって、旧態依然の「第三世界」「非同盟諸国」などの概念から抜けきれない限界を抱えているといえよう。
時代遅れの西側の認識
本書の論者たちはグローバルサウスについてのこうした認識がいかに時代遅れの現実から離れたものかを、さまざまに論じている。そこに共通するのは、新しく台頭するグローバルサウスに内在する帝国主義・植民地主義への批判、従来の南北間の経済的不平等への対抗を、歴史的な厚みにおいてとらえる視点が欠如しているという批判だ。さらにグローバルサウスが国境で区切られない、国家に包摂しきれない「人々のまとまり方」「ガバナンスのあり方」を探る契機をはらんでいることを見ることができないという指摘である。
本書は、現在のグローバルサウスの形成にいたる歴史的に蓄積されてきた帝国主義・植民地主義への「対抗的な視座」について、とくにバンドン会議(1955年、インドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議)以来の非同盟運動の曲折をまじえた発展を戦後世界史における米ソ冷戦構造とその終焉、その後のグローバリズムの展開において時系列で展開している。また、グローバルサウスを「資本主義の長期の展開のなか世界中で生み出されてきた搾取・抑圧・貧困・不平等の総体」としてとらえるよう提起している。
大航海時代から500年来の西洋の植民地主義を理解するうえで、資本主義が「市場と原料」という原始的蓄積を必要としたことを見過ごすことはできない。アメリカ大陸を含む世界の諸地域の原住民を虐殺し、土地を強奪し植民地に編入することなくして、資本主義は成立し発展することはできなかったのである。また、綿花や砂糖のような世界商品を生み出したヨーロッパ中心の国際分業体制は、アフリカから拘束された奴隷によって担われたことも消し去ることができない。当時の「奴隷貿易」で「積み出された奴隷」の数は1200万人から2000万人、南北アメリカに「陸揚げ」された奴隷は800万人から1050万人に及んだ。
自国中心主義と対極
論者たちは、こうした時間的空間的な密度を持つグローバルサウスが発露する未来への志向が、いわゆる「グローバルガバナンス」(一国では解決できない地球的規模の多様な問題に対する国際的な意志決定の新たなシステムのあり方)を示唆するものとして注目している。それは西側諸国にまん延する自国中心主義とは対極の、国境にとらわれず地域的に連帯する(それによって自民族の利益につなげる)という考え方だ。
またそのような志向が、グローバルサウスの民衆運動に見られる「ノース(北)の支援」に頼るのではなく「グローバルサウス内の“サウス”」の連帯を重視し、西側諸国の移民問題に対処するうえでも「ノース」における「サウス」と協働して現実に社会変革の担い手にみずからを組織しようとする意識と連動していることがわかる。
(文眞堂発行、B6判・232ページ、2200円+税)





















