いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

首切られるべきは安倍政府 「イスラム国」が人質殺害予告  「十字軍に進んで参加」と非難 

 「イスラム国」を名乗るグループが20日、人質として捕えていた民間軍事会社経営者の湯川遥菜氏と、フリージャーナリストの後藤健二氏の2人について、日本政府が72時間以内に2億㌦(235億円)の身代金を支払わなければ殺害すると警告するビデオ声明をインターネット上に公表した。オレンジ色の装束に身を包んだ二人の人質をひざまづかせ、砂漠のなかで予告するという、これまで首をはねられてきた欧米各国の人質たちと同じ形式のもので、対応如何によっては実行しかねない事態となっている。声明では「日本の首相よ、おまえはイスラム国から8500㌔離れた場所から、進んで十字軍に参加すると約束した。おまえは自慢げに寄付すると話した。われわれの子どもたちや女たちを殺すため、またムスリムを攻撃するための資金としてー。この日本人は同じ額に値する」といい、安倍晋三が外遊先のカイロで「イスラム国」対策としてイラクなどに2億㌦の支援をおこなうと表明したことを非難し、同額を求めている。
 
 中東外遊の挑発行為が導火線

 拘束されている日本人のうち、湯川遙菜氏については昨年、本人が欧米寄りの自由シリア軍とともに戦闘に参加し、武器を所持するなど傭兵のような行動をしていたさいに人質になっていた。米国などから軍事物資を輸入して自衛隊に納入する仕事に携わっていた人物で、昨年1月に民間軍事会社(PMC)を立ち上げていたこと、会社の顧問には元茨城県議で自民党水戸支部事務局長をやっていた男性のほかに、外務省でベネズエラ大使などを歴任した後、09年の衆院選で自民党から比例東京ブロックに出馬した人物(山口県出身、田母神とともに「日本戦略研究フォーラム」の評議員をつとめている)が名前を連ねていたこと、田母神俊雄(安倍ブレーンの元航空自衛隊幕僚長)とも接点があった可能性が取り沙汰されたが、その後はまったく報道されなくなっていた。


 後藤氏はフリージャーナリストで、イスラム国によっていかに住民が迫害を受けているか、本人がテレビへの露出を増やしながら伝えてきたことが知られている。昨年10月に自身のツイッターでシリアで取材中であることをつぶやいたが、その後の更新が途絶えていた。今回はじめて人質になっていたことが世間に対して明らかになったが、実は昨年11月に家族に対して10億円の身代金を払うようメールが届き、日本政府が海外捜査機関に問い合わせるなどして、メールの発信元がイスラム国メンバーのものと一致することがわかっていたとされている。


 事態を受けて、エルサレムで記者会見に応じた安倍首相は、「人命を盾にとって脅迫することは、許しがたいテロ行為であり、強い憤りを覚える。2人の日本人に危害を加えないよう、そしてただちに解放するよう強く要求する」と表明した。


 今回の殺害予告は、中東に出かけた安倍晋三の振舞が直接の契機になっている。この間、17日に訪れたエジプトのカイロでシシ大統領と会談し、430億円の財政支援を表明したのとあわせて、「イスラム国」の勢力拡大を踏まえたうえで、「活力に満ちた、安定した中東のためにはエジプトが繁栄し、中東の希望の星となるべきだ」と指摘。「イスラム国」対策に2億㌦の財政支援を表明していた。


 18日に訪れたヨルダンの首都アンマンではアブドラ国王と会談し、ここでも「イスラム国」対策として1億㌦(120億円)の財政支援を表明したほか、イスラエルではネタニヤフ首相と会談し、フランスにおけるテロ事件と関わって「卑劣なテロはいかなる理由でも許されず、断固として非難したい」と「イスラム国」を指して非難した。また、中東世界でももっとも凶悪なテロ国家であるイスラエルの国家安全保障局と日本の国家安全保障局との会合をおこなうことで合意し、自衛隊幹部にイスラエルを訪問させ、防衛当局間の交流を深めることなども表明した。さらに会談のなかではシナイ半島に展開している多国籍軍の支援に104万㌦を拠出することも表明した。


 こうした振舞に激怒したのが「イスラム国」で、調子に乗って得意のバラマキ外交をやりつつ、挑発行為をくり返した結果が跳ね返ってきている。わざわざ日本から中東に出かけて行き、関係もないくせに「イスラム国」対策でしゃしゃり出て恨みを買うという、信じがたいような愚かな行為がくり広げられた。本来、イスラム世界やムスリムとの矛盾などないはずなのに、欧米列強が作り出した現地の矛盾に顔を突っ込んで片棒を担ぎ、腹を立てさせることとなった。


 中東は歴史的に親日的な国が多いことで知られてきた。その理由は、明治維新において欧米列強の圧力に屈することなく独立を守り通した民族としての強さや、第2次大戦で米国から原爆を投げつけられながら戦後復興に立ち上がっていった経験が、中東における米国及びヨーロッパ各国の横暴な振舞とも相まって、民族的に重なるものとしてあった。戦後でも、イラン・イラク戦争で経済封鎖されている最中に、米国の意に反してイランの港から出光が油を運んだことは、長く信頼関係の礎になってきた。


 ところが近年は小泉政府の時期に自衛隊をイラクへ派兵するなど、米国のいいなりでイスラム世界を敵に回し、その信頼や築き上げてきた信用をみずから手放してきた。イランとの関係でも多額の資金を投じて開発にあたってきた、アザガデン油田の権利を米国に追随して手放してきた。


 安倍政府になると、既にバラマキ外交とかお粗末という次元を通り越した。無力なくせに出しゃばって挑発行為をくり返し、その挙げ句2人の日本人を盾にされて、首相自身がその振舞への落とし前を迫られ、揺さぶられて飛び上がっている。「テロに屈しない」云云以前に、そもそも過激派であれ何であれ、日本民族がイスラム世界と敵対関係になる理由などない。独裁者然として勝手に支援金を配って回り、行く先先で「イスラム国」を非難したことが直接の導火線である以上、首相みずからが身代わりになるなり、責任ある対応をすることが迫られている。


 人質になった湯川氏については、みずから「イスラム国」との戦闘行為に明け暮れ、死にに行ったという側面も否めない。しかし理由がどうであれ、この2人が首をはねられた場合、そのきっかけをつくったのは安倍晋三以外の誰でもない。「邦人の命を守る」のであれば、イスラム世界の矛盾に顔を突っ込むような行為は即刻やめること、欧米各国の手先のような振舞をやめることが待ったなしとなっている。ただ、現実問題として、「イスラム国」の敵対国として首相みずから中東世界で自己紹介して回った結果、日本国内が欧米のようにテロの標的にされる危険性も高まる。「邦人の命」を危険にさらしてばかりいる者が首相として君臨し続けることができるのかどうか、国民世論の審判にさらさなければならない。切られるべきは安倍政府である。


 安倍政府になって以後、集団的自衛権の行使に道を開き、自衛隊が米軍の鉄砲玉になって中東やアフリカなどの戦闘地域に投げ込まれることが現実問題として迫っている。そのなかで、まるで先取りをするかのように、みずから海外に人殺しをしに行った挙げ句拘束される者も出てきた。そして首相みずから火に油を注いだ。テロが良いか悪いかといった問題以前に、関係ない者が他人の争いに割り込んで殺されるという、信じがたい行為が真顔でくり広げられている。そして、それが日本社会に甚大な被害を与えかねないところまできた。



 西欧の横暴な侵略の歴史が流血の惨事導く イスラム問題の本質

 フランスの週刊新聞『シャルリー・エブド』編集部に対する襲撃・殺害事件は、その後仏大統領オランドが中東に向かう空母の艦上でイスラム過激派との戦争を宣言し、昨年から「イスラム国」の空爆を続けてきた米大統領オバマがシリアに米軍を派遣すると発表するなど、きな臭さを増している。安倍首相も「イスラム国の脅威を食い止める」といって中東へ2940億円をバラまくとともに、自衛隊をいつでも海外に派兵できるよう恒久法を準備し、ジプチにある自衛隊拠点をアフリカ・中東の有事やテロに備える海外基地として強化することを狙っている。イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画から発展した事態と関わって、問題の本質を明らかにするために、ヨーロッパとイスラム諸国との関係を歴史的に見てみたい。


 現在の中東の国境線は、第1次大戦後、ヨーロッパの列強が支配権をはっきりさせるために引いたものである。この地域で、今日に至るまで戦争や紛争が絶えないのは、この地域がアジア、アフリカ、ヨーロッパの3大陸を結ぶ経済的軍事的要衝であったこと、数千年前に文明発祥の地となるほどに肥沃な土地に恵まれていたこと、そして世界の石油埋蔵量の3分の2を占める資源豊富な地域であったことが背景にある。


 イスラム教の起源を探ると、地中海の東のパレスチナの中央に位置するエルサレムが、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地である。この三つの宗教は姉妹関係にあり、ユダヤ教は旧約聖書を、キリスト教はそれに加え預言者イエスをとおして神から啓示されたといわれる新約聖書を、イスラム教はそれに加えて預言者ムハンマドによるコーランを持つ。当初パレスチナに住む人人にとっては、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、人種概念ではなく、たんなる宗派の違いに過ぎなかった。みな似たような顔をし、同じアラビア語をしゃべっており、7世紀頃のアラブ支配下のパレスチナでは宗派の違いによる迫害はおこらなかった。


 この地が宗教間の流血の惨事に見舞われるのは、11世紀の十字軍来襲のときであり、本格的には19世紀後半からヨーロッパの列強が押し寄せてきてからである。


 十字軍は、ローマ法王がキリスト教の支配を広げビザンチン帝国の富を略奪するために、「エルサレムをイスラム教徒から解放せよ」といって始まった。十字軍はパレスチナやシリアを占領し、女子どもを含めたイスラム教徒の大量虐殺と掠奪をおこなった。2001年の9・11事件のとき、「テロの首謀者はイスラム過激派アルカイダであり、この戦争は十字軍だ」といってアフガンへの戦争を始めたのが前米大統領ブッシュだったが、キリスト教の凶暴で侵略的な振る舞いがそもそもの矛盾の発端だった。


 第1次大戦による中東の分割と植民地支配は、イギリスとフランスの二重外交の結果だった。イギリスは対オスマン・トルコ帝国との戦争にアラブ諸民族の軍事的支援を引き出すために、メッカの首長ハーシム家(ムハンマド直系といわれる)のフセインに「アラブの反乱」を起こさせた。そのときの条件は、現在のシリアを除く全域のアラブ人の独立を承認するということだった。


 ところが、英仏はこれと矛盾する2つの条約を結んでいた。一つは大戦中に結んだ「サイクス・ピコ協定」(1916年)という秘密協定で、イギリスは現在のイラク南部とヨルダン、パレスチナを、フランスはレバノン、シリア、イラク北部などを植民地にすることを決めていた。もう一つは1917年のイギリスのバルフォア宣言で、「パレスチナにユダヤ人国家をつくる」というヨーロッパ在住ユダヤ人のシオニズム運動を支持し、それによってロスチャイルドなどユダヤ系大資本家の戦争協力をとりつけ、当時パレスチナで生活していた60万人以上のパレスチナ人と対立させようとした。フセインとその息子ファイサルらの「アラブの反乱」は勝利したかに見えたが、彼らはフランス軍によって追放され、アラブの独立はついえた。


 その後、イギリスのパレスチナに対する委任統治が始まると、世界恐慌で職を失ったヨーロッパのユダヤ人移民がそこに押し寄せ、1929年には15万人をこえた。その頃、ドイツでヒトラーが権力を握った。ヒトラーのナチス・ドイツは、米英仏と対立するもう一方の帝国主義陣営を形成し、ヨーロッパ諸国を次次と侵略・併合するとともに、「反ユダヤ」「民族浄化」の排外主義を煽り、各地でユダヤ人狩りをおこなってガス室送りにし、600万人を虐殺したといわれる。


 第2次大戦後、弱体化した英仏に代わって中東に乗り出したのがアメリカである。アメリカは中東の豊富な石油資源を狙って、トルコに支配権をうち立てるとともに、建国したユダヤ国家イスラエルを真っ先に承認し、カネと武器を援助して、四度にわたるイスラエルのアラブ諸国に対する戦争を後押しした。また、サウジアラビアやイラン、エジプトなどで親米政府をつくり、人民の自由も民主主義も奪ってきた。この過程で土地を奪われたパレスチナ難民は100万人をこえ、その後一貫して反米・反イスラエルの武装斗争が頑強にたたかわれてきた。


 それが1979年、アメリカの中東での橋頭堡となっていたイラン・パーレビ王政が革命で打倒され、1991年の湾岸戦争後はアメリカを敵とする「ジハード(聖戦)」が国境をこえて広がり、アメリカのイラクやアフガニスタンの侵攻も頓挫。チュニジアやエジプトでは親米政府が人民のたたかいで打倒された。第2次大戦後のアメリカの中東支配が崩壊するところまできた。

 ユダヤ迫害とそっくり

 最近、マスメディアがことあるごとに「イスラム過激派のテロ」をとりあげ、人人の不安を煽っている。しかし、イスラム教が元元テロや戦争をこととする攻撃的な宗教でないことははっきりしている。


 研究者によれば、イスラム教とは「神(アッラー)を信ずる者は血統、身分の上下、肌の色(民族の差別)なくまったく平等な兄弟だ」と主張するものであり、信仰の告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼という五つの勤行についても、「神への奉仕として貧者に恵むとともに、相互扶助の意味」(喜捨)だという。だからこそ、その下でアラブの民族的統一も可能になった。メディアは「宗教戦争」のように描くが、欧米の大国が侵略戦争をやり植民地支配をおこなっていくために、他民族をペテンにかけ難民にすることも虐殺さえも辞さないというのが歴史の事実である。そのために第二次大戦ではユダヤ人を迫害したが、今度はイスラム教徒を対象に同じことをやろうとしている。


 「イスラム国」やボコ・ハラムなどイスラムを標榜する一連の勢力について、その背景は不透明だ。CIAを裏切ってロシアに逃げたスノーデン曰く「(イスラム国指導者は)CIAとモサド(イスラエル諜報機関)が育てた」という指摘もある。彼らが住民を虐殺したり処刑したりする反人民性については、決して正当化することはできない。また、一連の行動によって、欧米諸国でイスラム教徒が迫害を受け、アメリカやフランスなどがイスラム諸国に軍事行動をとる口実を与える効果にもなっている。


 研究者のなかには「イスラム国」について、それがイラク国軍が武器を捨てて逃げてしまった結果であり、「これは完全に米国の自業自得」だとのべている人もいる。そしてメディアの報道について、「ある組織がイスラム過激派だといわれるときには、慎重に裏をとらなければならない」と警告している。


 また、今回の襲撃事件への対応をめぐって、「表現の自由」が強調されていることについても、その欺瞞性が浮き彫りになっている。「表現の自由」「言論の自由」は、ときの支配権力に対して人民の側から掲げられるものである。ムハンマドなり他人が信仰している宗教をけなすための「表現の自由」を、ときの支配権力であるフランス政府が掲げ、イスラム教勢力との戦争に国民を動員するために使っているのだから、本末転倒も甚だしい。1789年のフランス革命は、封建貴族とカトリック教会の横暴なる支配をくつがえし、封建的身分制を撤廃して、「人は生まれながらにして自由で平等な権利を有する」と宣言した。そのフランスで時代を逆戻しするように反イスラムを掲げたカトリック的なファッショ体制があらわれ、フランスだけでなく欧米各国が行き詰まった資本主義社会のもとで、新たな戦争を渇望する情勢となっている。戦争の道を進むか、世界人民の連帯した斗争によって平和を勝ちとるかが、抜き差しならない緊張感を伴って迫られている。


関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。