「二十四の瞳」などで知られる作家、壺井栄の戦争末期短編集『絣の着物』が琥珀書房から出版された。標題の「絣の着物」を含む13編(うち3編は国内未発表)を収めている。敗戦間際の1945年6月、紙不足などの国内事情から中国の北京で刊行されたが、戦後は作者の壺井栄ですら手にできず、埋もれたままであった。このほど、北京外国語大学の日本文学研究者、秦剛教授が北京大学の図書館に所蔵されていたのを発見し、80年ぶりの復刊となった。
「絣の着物」は、一人息子のために絣(かすり)の反物を買って着物に仕立てた母親が、息子を病死で失い精神的に追い詰められるが、夫や親戚、近所の住民と心を通わせるなかで、希望を見出していく様子を描いている。大事に育てた息子は学徒出陣を前に病気で亡くなった。駆逐艦の兵役についていた甥が従兄弟の死を悼み、絣の着物を着たいという。母親はその願いに応えようと仕立て直しをする矢先に、戦死の知らせが届く。絣は結局、女学校を卒業し挺身隊として軍需工場に出る妹のモンペとなる。
一つの絣の着物をめぐる戦時下の庶民の悲哀、気持ちの揺らぎを一人の母親の体験を通して映し出している。母親は息子の自宅での死が、戦場での最期でなかったことを「不幸」と感じ、周囲への後ろめたさから「神経衰弱」になる。母親を思いやる近隣の勧めもあり、隣組の活動に力を尽くすことで心を晴らそうとするのだが、そうした様子も戦時下の苦境に置かれた名もない人々の細やかな心理とともに描いている。
短編集にはいずれも女性を主人公に、銃後の人々が直面したできごと――学徒出陣、防空演習、工場への学徒動員、少年航空兵、食糧や物品の不足と配給、寺院の釣鐘の献納、戦地への慰問の手紙、夫や息子の戦死、老人の労働など――を織り交ぜたしなやかな文章でつづった作品が並んでいる。しかもそれらは、当時の厳しい言論統制、検閲という制約のもとで、戦意高揚、一億玉砕の風潮とは一線を画した市井のつつましい暮らし、戦争をめぐる心の葛藤に目を向けたものとなっている。
「霜月」という作品は、東京郊外の町会による「仮想火災に向って真剣の体当り」をする防空訓練の様子を臨場感をもって描いた小説である。そのさなか、退避所で一抹の静寂を得た母と10代の娘、息子が盛り土の草の根から芽を出す様子を見て、「人間世界に防空騒ぎがあらうとも、草はおどろいてやしないよ。ちゃんと来年の支度をしてるんだね」と語り合う場面がある。そこで、主人公は「この静かな、しかも休みない自然のいとなみをみてゐると仮想敵をとらへようとする人間世界の騒然さも、その中へとけこんでゆく」のを感じるのである。
「村の運動会」は、村と国民学校が一体となった秋の運動会の盛り上がりを通して、戦争遺族の悲しみを描いている。東京に住む主人公の弟は船員として軍事徴用され、南方で戦病死する。義妹からの知らせは、「覚悟していた」などと「立派な」内容で、主人公には若い妻の嘆きも悲しみの影もないように見え、一瞬寂しい気持ちになる。だが、帰郷してみると乳飲み子を抱えた義妹は、痩せ果てて痛々しいほどの弱りようで、大粒の涙をこぼすのだった。それを励まし、いっしょに参加した運動会で、義妹が競技で地域の子どもたちと明るく振る舞う姿に、主人公は涙を禁じえない。
運動会のプログラムには、学童の防空演習、女子の予科練遊戯、男子の航空体操、大人と子どもが協力しあう村民競技「産めよ殖やせよ」などがあり、正面の来賓席に隣接した遺族席も設けられていた。このことも含めて、戦時下特有の村のにぎわいが伝わってくる。商船と海員の多くが徴用され軍役のさなかに撃沈され、海に投げ出された。この小説のほかにも、海辺の村の母子家庭で立派な船員に育てた一人息子を戦時徴用船にとられた母親の生き様と心理を描いた「産衣」などの作品がある。
巻末には、秦剛教授の解説を掲載している。それによると、戦局が悪化し多くの雑誌が廃刊され、多くの作家たちの作品発表の場が著しく制限されるなかでも、壺井栄は刊行が続いた女性誌や少年誌などに多くの作品を書いていた。その執筆依頼には、「闘う少国民の姿」や「勤労を主題にした時局的な小説」などの条件がつけられたが、壺井はそのような小説は「借り物のような美辞麗句が並んだりして、活字になってもいつまでも後味が悪い」と考えていた。
いつの世にも通づる文学を
壺井栄は当時、「正直の喪失――筆を捨つる勿れ」と題する文章で、「いわゆる時局的読物には正直さが欠けてはいないだろうか。もしくは銃後生活の虫眼鏡で見ている傾向はないだろうか」と問いかけていた。そこでは、次のように続けている。
「今日の状態では作家は正直に物をいうこと、すなわち文字にすることについては充分の自重を要する。しかし作家が正直な眼で見、まことの心であったならば、その言葉の裏や、文章の行間にあふれるものがある筈である。私たちは、いつの世にも通用する文学を生まねばならない。文学をもって報国せんとする作家はどんな場所にあっても筆を捨ててはならないと思う。腕をもがれたら足でかき、足をくぢかれたら口でかく程のしつこい作家魂をこそ、今こそ培う時ではないだろうか」
(こはく文庫、B6判・194ページ、2200円+税)





















