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疲弊する下関市職員の難儀 好き放題始めた三期目の前田市政 行政機構の崩壊危惧するOBたち【記者座談会】

(2025年11月5日付掲載)

下関市役所

 下関市の前田市政の崩壊状態を懸念する声が高まっている。本紙はこれまで、下関市の教育現場のボロ校舎問題をはじめ、下関市立大学問題、前田市政のハコモノ・開発偏重の市政のあり方などさまざまとりあげてきたが、これらすべての問題に通ずることとして、行政が機能を果たさなくなっており、下関市の行政機構が崩壊しつつあることが市役所OBをはじめ行政関係者から指摘されている。3期目を迎えた前田市長が、「最後だから好き放題させてもらう」といって、行政機構を破壊しながら言葉どおり好き勝手を始めているからだ。そのもとでもっとも肝心な市民の安心・安全な暮らしや営みを守ることや、公平・公正な市政運営が置き去りにされ、お友だち政治が横行していることに危機感が広がっている。「前田の下ではもう限界だ」という声が上がる切迫した状況から、記者座談会をもって問題提起することとした。

 

市立大学の私物化進行 民主的意志決定なし

 

 A 私物化や暴走が段階を画しているのが市立大学だ。「下関市立大学の暴走がひどすぎる」「下関市のコントロールが効かなくなっている」という声が市役所内外で聞かれるようになっている。定款変更し、教員を除外して理事会の好きなように大学運営ができる仕組みをつくったのが2019年。翌2020年に韓昌完(ハン・チャンワン)現学長を雇い入れて以降、この4、5年で経済学部の7割の教員がやめていった。それに対する十分な教員の補充もないなかで、新しく採用される教員が誰でどんな人なのかも互いに知らない。教授会もないに等しく、非常に風通しが悪くなり、閉塞感が漂っている。大学崩壊のスピードが著しいことで全国的にも有名になる一方で、表舞台では2024年4月にはデータサイエンス学部、25年4月には看護学部と立て続けに新学部を設置し、メディアを利用した派手なプロモーションをおこなっている。初期の検討にかかわっていた市職員もびっくりのスピードだ。しかし、そういう表面的な華やかさと実態が乖離し過ぎていることを多くの関係者は心配している。むしろ崩壊が進行しているなかで、学生を騙(だま)すことにもなりかねないからだ。

 

  「崩壊」の中身として直近の出来事だが、4月に経済学部長になった教員が、6月末で「体調不良」を理由に学部長職を解かれた。その教員は、前任校では「市立大学の運営に関われるんだ」といって市大に来た人物といわれるが、90分授業することができず、学生から意見が上がっていたという。どのような基準で採用したのかもあるし、本人の資質の問題はあるにせよ、急激な教員の入れ替わりと、客観性を欠いた教員採用のひずみが垣間見える。後任の学部長職も「心ある人はみな断った」といい、結局は3月まで学部長を務めていた教員(現副学長)が兼務で学部長を続けている。やり手がいないというのだ。

 

 9月末には経済学部の教員が1人やめた。年度途中での退職はあまり例がなく、ゼミも担当していたためゼミ生十数人を誰がかわりに受け持つのかで学部長が走り回っていたという。どのゼミもすでに定員14人を受け入れており、転ゼミ生を受け入れると定員オーバーになる。それを追加で2人まで受け入れてほしいということで緊張が走っていた。結局しわ寄せは学生にいっている。誰からとは書かないが、やめる前に「エセ○○学者」といわれて腹を立てた教員もいて、結局その教員は国立大学にかわっていったなど、学内の混乱ぶりをあらわすエピソードは枚挙にいとまがない。

 

  表面化している経済学部内のゴタゴタは、経済学部の7割の教員がこの数年で入れ替わり、教員同士の意志疎通もはかられない状況が常態化し、トップダウン型の大学運営がおこなわれるなかで発生している。「韓学長は自分より秀でた教員や楯突く教員を忌み嫌う」とも語られているが、どんな組織でもイエスマンやお友だちばかりを集めれば暴走が始まるし、それ以上の発展は見込めなくなる。最近では、行政機構を理解していない前田市長と二人三脚で、行政を飛びこえて大爆走を始め、歯止めがきかなくなっているといわれている。

 

  最近でいえば、9月の市議会総務委員会で大学院に新しく研究科(院)を4つ設置する計画と、大学院生全員の入学金、授業料を無償化することが報告されたことがある。2027年度に地域サステナビリティ学研究科・博士課程(入学定員5人)、データサイエンス学研究科・修士課程(同15人)を、2029年度にデータサイエンス学研究科・博士課程(同5人)、看護学研究科・修士課程(同5人)を開設し、26~31年の6年間、大学院生全員の入学金と授業料を無償化するという内容だ。大学院の入学金は28万2000円で、授業料は26万7900円だ。無償化で減収になる計約2億5000万円を市が運営費交付金で全額補填するという。

 

前田晋太郎市長

  これは今年3月の市長選で前田晋太郎が公約に掲げていたものだ。「未来に向けて! さらなる総合大学の充実」として、「リカレント教育等推進のため市立大学院無償化」を盛り込んでいた。それを「半年で実現した! 実行力がある!」というつもりなのかもしれないが、大学院の無償化に2億円超の市予算を注ぐことが妥当なのかどうかなど、熟議がなされた形跡はない。

 

 さすがに報告を受けた議員から「市全体の課題が山積するなかで、大学院の全額無償化というのはやり過ぎではないか? それだけの市財政を投入して下関市にメリットがあるのか?」という指摘が上がったが、執行部の答弁は要領を得ない。「より多くの方に大学院に入っていただき、地元企業、地域課題の解決などのために研究成果を市に還元していただくため……」というが、入学者は自分の研究が目的であり、「市が願望するような研究をするのか?」と突っ込む意見も出ていた。百歩譲って、市大生がそのまま大学院に上がって研究を続けることを支援するのならわかるが、今年4月の大学院(経済学研究科)の入学者は13人で、うち市立大学からの進学者は1人だ。その他、海外大学からの留学者2人、市内・市外の社会人10人となっていて、市外からオンライン等で学ぶ社会人に対して市税を投入する理由がどこにあるのだろう? というのは当然の疑問だ。

 

  議員にとっては納得できない説明だったところ、前田市長が乗り出してきて、「大学院無償化は私が韓昌完学長と話して、グローバルな視点に立って決めた。大学ランキングを意識しながら多くの学生に目指される学校になりたい」と力説し始めた。「優秀な学生が集まれば優秀な研究結果を提供でき、優秀な企業が集まる。世界トップ大学のオックスフォード大学やケンブリッジ大学は田舎にあるが、優秀であるがために企業が集まり、優秀な学生が集まって町が形成されていく。市大は下関市にとって武器であり、地方において(大学院を無償化)は例がないので手をあげるべきと思った」といった。大学の状況を知る人からすると、市立大学をオックスフォードやケンブリッジと並列で語ること自体「何いってんの?」ということだが、議員たちはホーという顔をして黙ってしまった。

 

  こうした総務委員会のやりとりを見ても大学院無償化は「市長案件」で、職員の頭越しに進んできたであろうことがわかる。だからなのか、職員の方が無償化の妥当性を必死で説明しているようで、なんだか気の毒だった。

 

 行政関係者のなかには、「韓学長と私(市長)が話して決めた」という発言を聞いて「3期目なのに行政の仕組みを本当に勉強していない」と指摘する人もいた。地方独立行政法人だから、中期目標は市が決めて議会の議決をへて大学側に指示するものであるし、それにもとづいて市立大学が決める中期計画は、評価委員会の意見を聴いたうえで市長が認可することになっていて、議会でも報告がおこなわれる。市長が公約に掲げたとしても、行政機構として進め方のルールがあるわけだ。そして、今年2月に総務委員会に報告された「中期計画」には大学院無償化なんて入っていない。市長選後に突然動き出して、あれよあれよという間に予算措置まで決まってしまった。

 

大学院入学者だけ無条件で無償化

 

1億7000万円かけた下関市立大学のプロムナード

 C 総務部は、大学院無償化を実施している公立大学は、東京都立大学、大阪公立大学、兵庫県立大学の3校といった。調べてみるとそれらの大学は無償化の要件として、住所や国籍など最低限の要件をもうけている。当然といえば当然だ。ところが、下関市立大学は大学院入学者に対して無条件で無償化するという。「スーパーで売れ残った弁当の半額セールじゃないのだから」と揶揄する人もいる。リカレント教育とは、要は社会人が働きながら学ぶことだ。学ぶことを否定はしない。ただ、今回の無償化について韓学長の専門である教育経済学の視点から費用対効果を科学的に分析し、下関市の成長にどう貢献するのか、みずから試算してもいいのではないか。

 

 B 9月に大学院無償化を発表したが、実はすでに4月に大学院への入学者に対しては無償化を実施している。大学のお金でやりくりしているから市も知らないうちに始まっていたようだ。

 

 さらに、2021年に設置した特別支援教育特別専攻科の授業料27万3900円を今年度から全額無償にしている。特別支援専攻科といえば、2019年に9割の教員が「設置のプロセスが民主的ではない」といって反対した経緯がある。韓昌完氏とその研究チームメンバーの採用ありきの専攻科設置だったからだ。それが今どうなっているか。9月に公表された大学評価委員会の報告を見ると、2025年度は応募が少なかったから、授業料をゼロ円にして第2次募集をかけたところ、1人入ったということだ。この専攻科の定員は10人だが、在籍者は4人で毎年大幅な定員割れだ。

 

 こうした経緯から、今回の大学院無償化も「学費をとれるほどの教育内容が担保できないからではないか」と指摘する声もあるが、専攻科がゼロ人脱却をはかるために無償化した経緯を見ると、その指摘はあながち外れてはいないのではないか。博士課程を新設すると、いわゆるマル合(高度研究者)を持った教員がいるという。「厳密な業績審査もおこなわれるため、果たしてそれに耐えうる教員がいるのだろうか」という疑問も学内外から上がっている。

 

  市立大学は公立なので、経済的に裕福ではないが学習意欲のある学生が全国から集まる大学だった。今もその家庭状況に変化はない。大学院より前に、そうした学生の経済的負担を少しでも減らすならまだ納得がいく。だが経済学部の方は、教員配置などがガタガタになっているなかで、高等教育の基礎である「アカデミックリテラシー」教育がなされなくなって、積み上げができない状態になっているという。能力はあるのに基礎が教えられていないから、「2、3年になって基礎から教えている」という話もあった。奨学金を活用し、あるいはバイトしながら学ぶ学生への教育体制が整えられていない。

 

 一方で「授業料無償化」というと聞こえはいいが、大学院にはこれまで大学執行部側のお友だち周辺や大学職員が通い、「特命助手」とか「准教授」になって研究室を持って勤務している事例があるから、大学院無償化や「リカレント教育」というのに胡散臭さを感じている人は多い。6年間限定ということもあり、今度はどのお友だちをひいきしているのだろうか? と。

 

  このような2億円超の市財政を投じる政策が、熟議もないまま決定事項として市議会への「報告」で決まってしまった。本来は、経営に関することだから、学長よりも理事長が手綱をとってやることだが、元副市長である三木理事長の存在感はかなり薄い。2019年の定款変更を一言でいえば、教員も含む教育研究審議会と経営審議会の権限を制限し、市長の任命する理事長や、理事長の任命する理事で構成された理事会の意向で大学を好きなように運営できる仕組みに変えるものだった。しかし、教員たちを排除して市の意向に沿うような体制をつくった結果、歯止めが効かなくなっているのが現状ではないか。

 

 B 行政機構を飛びこして、前田市長と韓昌完学長の2人の話でいろいろと決まっていく事例が多発しているところが「市立大学の私物化」といわれるゆえんだと思う。だから大学院無償化に限らず、総務課が「詳細は把握していない」みたいな答弁をする羽目になる。今年、キルギス国立農業大学と学術交流協定を締結し、キルギス共和国内に「日本学術研究センター」を設置することも発表したが、これについても市総務課は「詳細は報告を受けておりませんで…」と総務委員会で答えている。キルギスには駐在責任者として教員1人が派遣されている。派遣するさいに「特攻隊の覚悟で行ってほしい」などといわれたそうで、教員仲間たちのなかで教員の扱いのひどさが話題になっている。海外に拠点をもうけて教員を派遣するのにどれだけ経費が必要なのかとか、金銭面にもかかわってくる話だ。「中期計画」に盛り込んでいないような大きな事業が市役所や市議会の頭越しに進んでいく。

 

  市立大学は「地域連携」も掲げているが、関連する市の部署に直接、韓学長が乗り込んできて、無理難題を持ち込んでくるという話も語られている。しかるべき筋を通して市としてとりくむことが決まるなら、担当部署も対応できるだろうが、学長が突然乗り込んで来るとなると担当者が困惑するのも無理はない。普通に考えて越権行為だろう。しかし、部長連中は市長と学長の蜜月ぶりを認識しているから物申すこともなく、結局現場の職員たちが板挟みになるのだ――ということも指摘されていた。そんな状況から、「三木さん(元副市長、現市立大学理事長)は何をしているんだ!!」という声も上がっている。

 

  それもこれも2019年9月議会で市大の定款変更をしたことから始まっている。6年でこれほどまで大学は崩壊するのか……と驚くほどだ。今、市議会で自民党議員たちも意見をいっているが、彼らは当時賛成した面々であることは忘れてはいけない。賛成マシーンになり切った議会がもたらした結果に対して、責任持って解決にあたるべきだろう。

 

安倍派企業への税減免 「K社」のみ船舶特例

 

  前田晋太郎の目玉政策でもある市立大学を舞台にトップ2人が大暴走をくり広げ、現場職員をして「もう限界」といわしめる状況を生み出している。どう見ても前田晋太郎のせいなのだ。そして今まで彼らに加担してきた人々でさえも「これはどうなのか…」という状況になっている。

 

 前田市政になってこの手の話が多くなっている。特筆すべき案件の一つが、税制というもっとも公平・公正であるべき分野で発生したK社(安倍後援会の有力者)への税制優遇だろう。本紙でもとりあげてきたが、今まで「機械設備」として固定資産税を課税してきた作業台船(非自航型作業船)を「船舶」とみなして内航船舶特例を適用し、2分の1(金額にして数千万円といわれている)に軽減したという事件だ。物価高のなかで、業界全体に同じ条件で軽減措置をとるなら話はわかるが、特定の1社だけとなると話は変わる。市長選前の昨年末ごろに話が持ち込まれ、選挙直前に市長の一存で要望を飲むことが決まったという経緯を客観的に見ると選挙買収ともいえる。

 

  税3課(納税、資産税、市民税)の職員は、みんな真面目だからこんな危ない案件に関与させられるとなると抵抗したに違いない。だって納税課なんて「公平・公正」を掲げて滞納者の差し押さえもしているわけで、サジ加減で一部の人だけ減税されるようなことを許してしまえば「公平・公正」が崩れ、市民に対して説明できない。12月に話が持ち込まれてから、何度も関係者で協議が持たれたようだが、市長も参加した協議の場で、前田市長が「自分の責任でやる」とか「下関が率先してやったらいいじゃないか」などといってやらせたといわれている。しかも、「自分の責任で」とかいいながら、市長決裁ではなく課長決裁で、自分の名前を残さない卑怯な手段をとった。なんてひどい! と思うが、出世願望のある課長ならば、市長のために泥を被ることもいとわないのかもしれない。

 

船舶特例を受けたとみられる作業台船(下関市あるかぽーと)

  6月市議会の本池市議の一般質問で前田財政部長(前田市長とは親戚ではない)が答弁するのを聞いていた市役所OBたちからは、「苦しさがよく見えた」「前田さんらしくなかった」などと財政部長を気の毒がる声が本紙に非常に多く寄せられている。そして、前田市長が途中で腹を立てて「通告してないじゃないか」と本池市議の質問を遮ったあたりで「あ、やってるな…」と思ったという声も共通している。歴代市長の下でダークな部分を担ってきた世代はなおさら、やらかした案件であることを敏感に察知している。前田市長としては「本池市議がおかしなことをいっている」光景を演出して追及を止めようとしたのかもしれないが、OBたちを含む行政関係者の目はごまかせなかったといえる。

 

 B 今回の事件は、この作業船が「推進器を有している」「動いた」というのが船舶特例を適用する根拠になっている。つまり、推進器を有しているとか、動いた証拠などが行政側にとっては正当性を主張するうえでも不可欠な証拠になるはずだ。ところが、この事件について情報公開請求をすると、「現地確認書類」は不存在だった。部長が市議会で「初めて現地確認に同行した」と答弁しているが、それほど異例の判断を下した案件について、肝心要の現地確認書類がない。

 

 このことについて資産税課長に聞くと、「今回は最終決裁者である部長もご同行いただいていたので…」といいかけて、「最終決裁者ではなかった」と訂正した。つまり、部長も同行しているから、わざわざ文書の報告書をつくる必要はないといいかけたのだろうが、実際の最終決裁者は課長だ。それに気づいて訂正したのだろうが、実際には幹部レベルで動いていたことを示唆している。いずれにしても現地確認の記録がないというのはあり得ない。

 

  先日「あるかぽーと」岸壁で、問題の作業台船と思われる浚渫(しゅんせつ)船の一般公開があったので、見学させてもらった。たしかに大きな台船だったが、浚渫作業のさいにはサイドスラスタとポンプジェットを使いながら、3本ある柱を交互に海底に刺したり抜いたりしながら、匍匐(ほふく)前進する感じでじわじわ動いて場所を変えていくものだそうだ。

 

 船自体は自力で航行するものではなく、移動するときには曳(えい)船など他の船が引っ張ったり押したりして移動する。「自走できない」というのは社員も含めて共通認識のようだ。事件が発覚した当初に同じ業界の人たちがいっていた説明とまったく同じだ。自走できる「船舶」にしてしまうと定期的な検査費用などが必要になってむしろコストが上がるから、「船舶」ではなく「機械設備」の扱いにして、固定資産税くらいのコストで維持しているということだ。

 

 A 市側は「推進器があり、動いたから船舶とみなせる」といっているが、どの程度動いたら船舶とみなすのかといった基準はない。さらに船舶特例の適用を受ける漁船や内航船舶などはみんな船舶証明書など必要書類をそろえて、「船舶であること」を証明したうえで軽減措置を受けているが、作業台船は「船舶」ではないから、証明する書類の提出も求めていない。前田財政部長をはじめ担当者が「推進器があり、動いたことを確認した」ことのみをもって特例の適用が決まっており、極めて不透明だ。

 

 C 庁内協議の回数も「内部協議でちょろちょろやったのが連続しているからわからない」みたいな説明だったが、今までの他の案件の執行部答弁を見ると、庁内協議を何度おこなったか明確な答弁がなされている。こんな重要案件で庁内協議をいつしたかもわからないような状態(本当は記録があるかもしれないが)そのものが行政機構としてあり得ないことだ。そのように、本件はあり得ないことだらけだ。

 

 B 情報公開請求で公開された文書も黒塗りだった。情報公開は個人情報などを除いて、「市民にできる限り情報を公開する」のが前提の制度だ。しかし、他の自治体に作業台船に船舶特例を適用しているかどうか照会した記録は、自治体名まで黒塗りにしてあった。あるOBは「公の仕事を市民に公開するのは当然のこと。黒塗りが当たり前に出てくることは、公の仕事がどんどん閉鎖されたものになっていることをあらわしている」といっていた。審査請求(不服申し立て)の期限の説明が二転三転して、結局「やっぱり期限切れでした」という返事が来たことも含めて、公開を嫌がれば嫌がるほど怪しさは増すというのが概ねの評価だ。

 

  安倍政府になって、国会もモリカケ桜あたりから黒塗り文書が乱発されるようになって、行政が歪められていることが問題になってきたが、下関も右へならえでそういう流れが強くなっているのではないか? と行政マンたちはいっている。少なくとも以前の常識では考えられない対応が増えている。「歴代市長もいろいろ癖はあったけど、この人(前田晋太郎)だけはちょっと別格」とOBのなかでも話題になっているようだ。江島市長の時代も警察が動くべきではないかという黒い話がたいがい出回って市民のなかで話題になっていたが、前田晋太郎が別格ということは、それ以上なのだろう。

 

  こうした悪事に職員が巻き込まれていくのは看過できない。5月に平岡望県議を囲む会みたいなのが開かれて、そこに自称「県議の弟分」の前田市長を筆頭に、建設部と都市整備部の幹部職員が総勢15人も呼ばれていた案件もあったが、特定の県議と市幹部職員が私的につながり、親分子分みたいな関係づくりが強要される。職員が「公平・公正」が担保できない世界に引きずり込まれていくのだ。

 

 C その会合で前田晋太郎が「好き放題させてもらう」「怖いものはなにもない」とか、「市議もたいしたことはない」とかいっていたそうだ。まさに市立大学にしろ、船舶特例の案件にしろ、行政機構のあり方とか、公の利益とかそっちのけで好き放題している。飲み会といえば、9月議会の終了後に打ち上げと称する懇親会が市長の音頭で開かれたようだが、そこに部長が推しの課長を1人か2人連れて行くみたいな話もあった。ここ1、2年で始まった懇親会だが、スタイルが私的だ。全員に声をかけて行きたい人が参加するならわかるが、見方によっては部長のえこひいきにも映るし、忖度する職員を増やすだけだ。

 

続々と辞めていく職員 昨年は自己都合退職47人

 

夜中でも残業で電気が灯る下関市役所

  そんなことだから職員がどんどんやめていくのではないか。ここ数年、「人が減りすぎてヤバい…」という絶望のため息、「もう限界だ」という悲鳴が市役所内で聞かれるようになった。そして、自己都合退職者が増えている。直近5年の自己都合退職者を見ると、2020(令和2)年…32人、2021(令和3)年…24人、2022(令和4)年…39人、2023(令和5)年…35人、2024(令和6)年…47人となっていて、令和6年に至っては50人近い規模に膨れ上がっている。自身のキャリアアップや地元への就職等で若手がライトに転職していくという昨今の風潮はあるにせよ、あまりにも多い。

 

  その背景の感情としてあるのが市役所の仕事が「やりがいがない」「息苦しい」というものだ。詳しい実態を聞いていくと、まず業務の多いこと。平成17年からの定員管理計画によって2005(平成17)年に3508人いた職員は、2023(令和5)年には2464人となった。市立大学や市民病院の法人化などの影響もあるほか、学校給食調理員や公務技師などの技能労務職員の「退職者不補充」による減少も大きいが、部門別でも1~2割の幅で減っているし、多いところでは3割をこえている。こうしたなかで1人当りの仕事量が増えていて1人がいくつもの業務を抱えながら、期限に追われながら、働いている。

 

 C 職員削減は行財政改革――要するにコスト削減で進められたが、さすがに減らしすぎたとかで最近は削減から一転して一定の職員数を維持・確保するのだといっている。ところが少子化の影響もあって、市役所が選ばれる職業ではなくなってしまっている。2025(令和7)年度は、計画職員数を2558人(再任用含む)として、それを維持していく方針だ。

 

  すさまじい人員削減がされた結果、負担が増えるし、直接市民と対峙する部署になると時間に追われ丁寧な対応がしにくくなって、結果苦情も増える。仕事に追われて殺伐とすれば職員間の関係性が悪くなることはあってもよくなることはないだろう。

 

 B 職員削減が大前提としてあるものの、何より一番苦しいこととして、目の前の市民にとって切実な課題があったとしても、それを下から「こうしたいです!」と上げていく雰囲気ではなくなってしまったことがある。これは一定の経験を積んでいる職員の多くが感じているようで、トップダウンの業務ばかりが押し込まれてモチベーションを維持することが難しくなっているようだ。「市民の役に立つことが公務員のやりがいだが、そこがなくなると、今だけ、金だけ、自分だけしか残らないから辞めていくんだ」とある職員がいっていた。部長によっては市長に忖度して現場の声が伝わらないから、諦めの空気が蔓延しているといわれている。市立大学も似たような状況のようだ。そして真面目な職員ほど病んだり、口をつぐんだり、飛ばされたり、切られたり、みずから去って行く。

 

 A とくに前田市政2期目ごろからトップダウンやお友だち市政じゃないかという指摘が本紙に対しても増えてきたし、人手不足や職員の疲弊とあいまって、より切実な思いを持って語られるようになっている。安倍晋三が逝去し「安倍事務所がなくなれば、市長の好き勝手も少しは変わるかもしれない」「林芳正が下関を含む山口3区の代議士になったから、今年の市長選で林派が市長交代をさせるかもしれない」と期待していた市職員もいたようだ。しかし林芳正は、長門や萩で安倍派とバトルして自民党支持者を失ったこともあって、下関では揉ませない路線をとり、市長選も「次は前田君で」と手を打ったのだとか。で、安倍事務所のように市政に手を出すこともないから歯止めがきかなくなっているというのが実態だろう。要するに、安倍事務所がなくなって頭の上がらなかった元上司の配川秘書もいなくなり、解放された前田晋太郎が好き放題しているというのが現状の評価だ。

 

統制を失った行政機構 狂った予算配分

 

下関市あるかぽーと地区に建設中の星野リゾート「リゾナーレ下関」

  しかも、ちょっとは行政機構について勉強すればいいが、勉強するタイプでないことは周知の事実だ。OBたちからいわせると、最近の市役所は行政機構の体をなしていないという。だから、常識では考えられないようなぶっ飛んだ案が出てきたり、効果や必要性がよく議論されていないのが明白なもの、職員の合意形成すらできておらず、ごくわずかな一部の人たちを優遇するようなものが次々と出てくるようになっている。そして、悲しいかな、議会が執行部の説明を鵜呑みにして賛成していってしまう――と。

 

 一例でいえば、「あるかぽーと」の海水を使った大噴水の事案が議会で蹴られた件がある。「日本に前例がない」といっていたが、海水をあたりにまき散らすなんて、迷惑極まりないからどこを見渡してもないわけだ。事業を提案するに当たって、事前に事務レベルで地域住民に与える影響、法的な問題点、費用対効果などの検討・協議がなされて議会に出て行くのが当たり前なのに、部局を横断した協議がまったくないまま、港湾局や消防も困惑した状態のまま、議会まで話が行ってしまった。以前なら、手前で裁いている話がまったくされていない。そんな恥をかきに行くようなことはなかったとOBたちはいっている。そのように行政機構が劣化しすぎていることを憂いている。こんな状態で予算がつく予定だったのが驚きだ。

 

  職員のなかでは、やらなければならないこと、やりたいことは山ほどあるのに、市民の生活に直結したものや、安心・安全な暮らしを保障するために必要なものに予算がなかなか付かない。そのかわりに、星野リゾート進出とかかわった「あるかぽーと」開発、火の山整備、市立大学、駅前開発など市長のおし進める「聖域化」された部分には湯水のごとく財源が注がれる。予算配分の優先順位がおかしいという声も、ここ最近ものすごく高まっている。

 

 A 前半で市立大学について話したが、前田案件の総合大学化に注がれた市財政を見ると、データサイエンス学部棟…7億9385万1300円、看護学部棟…20億1890万400円、プロムナード…1億6933万1800円、駐車場(約100台分)…4300万8900円、新しい部室…8548万2100円、駐輪場…4227万800円となっていて、総額で30億円をこえる。新学部棟は必要としても、おしゃれな大学にするためのプロムナードなんか普通に考えて後回しだ。さらに市財政を投入して大学院の無償化までしようとしている。

 

  一方で、小・中学校は築60年とか70年のボロボロの校舎をあと30年なり40年、計100年使うという。外壁が剥がれ落ちたり、床板が浮いたり抜けたり、雨漏りする状態がいつまでも放置されて解決の糸口が見えない。建て替え計画すらないままで「犠牲者が出ていないのが奇跡」といわれる状態だ。緊急度の高い工事が発生すれば、決まっていた改修が後回しにされて放置される。あんまりにも扱いが違いすぎやしないか? だ。プロムナードとかおしゃれなカフェとか、そんなのをつくる前に、小中学校のボロ校舎をなんとかするのが先ではないか? という疑問はかなり渦巻いている。

 

 B 小・中学校なんて、日々の運営費すら心許ない。物価が高騰しているのに、児童数に合わせてむしろ予算が減額されるケースもあり、3万8000円するコピー機のトナー代をどこから捻出しようかと頭を悩ませていたり、冬の燃料費が足りるだろうかと心配していたりする。市立の就学前施設でも、年度末になるとトイレットペーパーなどを買うお金が足りなくなるから、園同士で連絡をとりあって残っている園が融通するという話も耳にした。行政機構として、全体の状況を見ながら予算を配分し、何を優先するべきかバランスを見ながら判断する機能が働いていない。「昔は総合政策部などが全体の調整をしていたのに…」と嘆く声もある。「教育施設」という括りで見ても、明らかに大学院より小・中学校の方が急がれるのだ。

 

 A 火の山再整備は90億円、そのうち山頂トイレ(2カ所)だけで1億円だ。星野リゾート関連の道路整備で約14億円、海響館のライトアップで5400万円などなど、前田案件には大盤振る舞いだ。ボートレースの財源=あぶく銭であることが、市長裁量が横行している要因の一つでもあるようだという指摘を聞くと、ギャンブル財政の弊害も感じるところだが、いずれにしろ前田晋太郎の財布ではなく市民の財産だ。

 

 「50年先、100年先を見据えた街づくりが必要なのに、いつも4年先の市長選を考えた実績づくりとか、市長の支持者の要望などで街づくりがおこなわれていくからだめなんだ」と市の関係者がいっていた。そうして考えている現場職員や関係者はたくさんいるのだが、最近は、意見をいうと前田晋太郎がキレるらしい。職員だけでなく民間からも「キレられた」という話をよく聞くようになった。トップに立つ者として、自分と違う意見を受け入れて考えてみることは大事な要素なはずだが、もう前田晋太郎にそれを期待することは難しいように思われる。

 

 市政の主役は市民だ。そこをはき違えたままトップの座についた者の悲しい最後ではあるが、前田晋太郎が引退した後も下関市民の暮らしは続いていく。これ以上崩壊させないためにも、現場職員もOBも市民も黙ってないでおかしいことはおかしいと、声を上げていく必要があるのではないか。

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この記事へのコメント

  1. たっくん says:

    何年も前からバンド仲間の友人が経営する婚活会社にも、市から補助金出して優遇してるでしょ。裏でなんかあるのかなぁ?

  2. 福田 寿史 says:

    いつも下関市政に関する市民が知っておくべきことを報道いただきありがとうございます。福岡県だと西日本新聞があり広島県だと中国新聞があって地元行政に関する情報もそれなりにありますが、山口県には残念ながらそういう地元の日刊紙がありません。シーモールの裏にある某地元新聞には市民の視点から行政をチェックするような記事は載りません。前田市政はこのまま順調?に行くと、あと三年半近く続きます。そうなると市政のチェック機能を果たすのは市議会と報道機関即ち貴紙が頼りです。全国紙の地方版は紙面も予算も人員も減ってますし。あっ、それと市政は勿論市民自らもチェックしないといけませんけど。

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