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E判定の身にもなってみろ 下関市役所で導入された人事評価制度 無意味な業務や競争煽る

 下関市役所で今年度から人事評価のボーナス(勤勉手当)への反映が始まった。すでに6月の勤勉手当の査定結果が個々人の手元に届き、自分の評価や人の評価がどうだったのか、ボーナスがカットされる、アップするといった話が飛びかっている。2014(平成26)年の地方公務員法の改定で人事評価の処遇への反映が明文化されたのち、総務省の音頭により全国の地方自治体への導入が進められているものだ。勤勉手当への反映は2021(令和3)年12月段階で管理職で72・2%、一般職で66・5%に達している。下関市でもこのたび組合との交渉がまとまり、導入することとなった。しかしその制度があまりにも理不尽であることから「ぜひとりあげてほしい」という声が多数寄せられたため、かかわる記者たちで問題点を論議してみた。

 

夜中でも残業で電気が灯る下関市役所(午後9時半頃)

E判定ならボーナス10%カット

 

  4月の中旬から市役所のなかを歩いていると、「6月のボーナスがカットされることが決まっている」「コロナもあって、休みもなく必死で仕事をしてきたのに…」といった話題をあちこちで耳にするようになった。ボーナスの発表はまだ先なのに、なぜもうそんなことが決まっているのだろうか? と疑問に思って聞いてみると、今年から人事評価がボーナスのうち勤勉手当に反映されることになったのだという。

 

 昨年度の評価が今年度のボーナスに反映されるということだ。新年度からボーナスカットがわかっていたら、モチベーションが下がるのは当然だ。評価する管理職の側も「お前のせいでボーナスがカットされた」と恨まれるのだから、たまったものじゃない。一般職も管理職も、「これはやめてほしい」という声が大半だ。管理職のなかに「今回はさすがに組合が許さないのではないか」という声もあるが、組合との交渉があっけなく成立して導入に至ったということのようだ。

 

  人事評価そのものは早くから始まっていたが、この度それがボーナスに反映されることになり、A~Eの判定がつくことになった。批判の声が噴出しているが、手元に届いた結果に一喜一憂するというよりも制度を問題視する声や、誰にとっての評価なのかという疑問を語る人が多い。ある職員は、「給料が減るから怒っているのではない」といっていた。支所や総合支所を含めた窓口業務、保健所、福祉、農林漁業、商工業、港湾、環境など市役所にはさまざまな部署があり、部署ごとに職務内容もまったく違う。企画・立案する「花形」といわれる業務もあれば、日々事務仕事を正確にこなしていく業務もある。市民の実情に向きあい相談に乗るなどの業務もある。それを単純に比較などできない、という怒りだ。真面目にやってきちんと評価しても一列に並べられることでD・Eの判定になる。仕事を侮辱されたような気持ちだろう。

 

配置部署によって優劣

 

  下関市職員課によると、人事評価はA~Eの判定になっていて、Aが勤勉手当10%アップ、Bが5%アップ。Cが変わらずで、Dが5%カット、Eが10%カットになるそうだ。職員課は教えてくれなかったが、市役所内で聞いていると、点数を並べて「上位0%がA判定」という感じで割合が決まっていて、かりに全員が同じように頑張ったところで、みんながAになれるわけではないということだった。点数は低くないのにD判定を受けている人もいるようだ。人件費総額は変わらないとなると、A・Bの人がボーナスアップすれば、DやE判定されてボーナスカットされる人が必ず出てくるわけだ。ボーナスをかけた熾烈なイスとりゲームだ。

 

 A 職員課はボーナス反映の目的は「人材育成基本方針に掲げる目指すべき職員像に近づけるため、職員に応じて期待される能力を発揮し、組織として期待される業績、成果をあげることで住民サービスの向上に資するため」だといっていたが、仕組みを聞く限り、むしろ職員の士気を下げ、住民サービスを低下させる内容だ。というより現実に士気を下げている。

 

 どうやって点数が出るのか? だが、人事評価には「業績評価」と「能力評価」がある。業績評価の方は部、課、個人の目標があり、部の目標に沿って課の目標があり、課の目標に向かって個人の目標を立てるそうだ。個人目標は「極力、数値化すること」とされていて、昨年以降は働き方改革に沿った内容を入れるようにという通達が下りている。市役所の仕事は市民相手の仕事だから数値化できない業務の方が多い。どんな目標を設定しているのか聞いてみると、たとえば、「昨年1年かけてやった仕事を今年は効率よく進める(=10月までに○%は進めておく)」「残業を昨年の○%に減らす」「有休を〇日取得する」などのような目標を設定しているようだ。

 

 「能力評価」は役職に応じた項目を評価する。仕事内容によらず係長、課長などの役職でチェック項目は同じだ。大項目のなかに三つのチェック項目があり、それぞれA~Cで採点し、三つともAであれば大項目の評価はSになる。三つのうちAが一つでもあればA、あとはBやCとなる。採点については「業績評価」「能力評価」をまず自己評価し、その後直属の上司に当たる二人が第一評価者、第二評価者となって評価する。業績評価と能力評価の合計が点数化され、点数順に並べられA~Eの判定が出る。

 

  「業績評価」の個人目標には難易度(A~C)があり、Aは企画的・政策的なもの、Bは標準的な目標、Cが庶務的なもので、同じ達成でもAの目標を達成したほうがBの達成よりも評価が高い。ゲームか? とも思うが、問題は、難易度Aの「企画的・政策的な目標」を設定できる部署は限られることだ。支所や市民サービス課などの窓口はAの目標を設定しづらいため、Bの目標しか設定できない。AとBでは同じ達成をしてもAの方が評価が高いため「どの部署に配属されるかによってボーナスが決まるようなものだ」ともいわれている。企画課など、市長の肝いり事業などを担当している課はそもそも「難易度が高い仕事」として目標設定がしやすく、窓口サービスなど決まった事務を粛々とするような、しかし市民にとっては大事な仕事は「難易度が低い」目標しか設定のしようがないということだ。人事異動で配置された課の仕事をまっとうするのが公務員であり、どの仕事も市民サービスに必要だから存在しているはずなのに、「難易度Aのボーナスが上がる課」「難易度Bのボーナスカットになりやすい損な課」と序列ができていく。

 

  そもそも、「企画的・政策的な目標」を掲げやすい課は、あるかぽーと開発だとか、星野リゾート誘致のためにまわりに遊び場をつくるだとか、いうなれば楽しい業務も多々あるように見受けられる。それが、たとえば生活支援課のケースワーカーのように1人80人抱えて粛々と日々生活の相談に乗る仕事や、窓口で印鑑証明を出したり、住民票を出したりする業務よりも難易度が高いとは思えない。職員課はおそらく「担当する課で新しい企画や立案をすれば、難易度Aの目標を立てられる」というのだろうが…。

 

  さらに、難易度Aの目標が設定しやすい部署であっても、設定できる数には上限があり、みながみなAを設定できるわけではないという。人事評価システムから「これ以上Aは設定できない」とはじき出されるそうで、高い目標を立て達成させることで自分の評価を上げようと思ってもそれはできない。さらに意味不明なのが、点数化したのちに部内で点数の平均値を出し、A判定~E判定にまんべんなく分散するように調整がおこなわれているという。それまでの評価はなんだったのかという話だ。自己評価・第一評価者・第二評価者の段階ではBであったのに判定結果はDになったという話もざらで、「頑張っている職員を評価する」といいながら、制度的に大きな欠陥があるとみなが指摘している。

 

 B 部のなかで割合が決まっているから、「あの職員は子どもがいて、今お金がかかるだろうからボーナスカットはかわいそうだな」といった判断で、管理職側が自分をD判定にして、部下はカットされないようにした部もあると聞いた。そんな人事評価にいったい何の意味があるのだろうか?

 

  県や県内他市も導入していたりするが、ボーナスがマイナスになる人はほとんどいないというケースも少なくないようだ。下関の5%、10%カットというのは、あまりにも割合が大きすぎて、「DやEになった場合懲罰ではないか」と驚かれている。

 

数値化の基準は何か?

 

 B 個人目標を数値化するというのもバカげているともっぱら話題だ。それぞれの部署が対象は違えど市民を相手にしており、数値化できる職務はほとんどない。支所や市民サービスなどの窓口業務、市民税や資産税など課税する部署など、あたりまえに仕事をして100%の場所はとくに数値化は難しいのではないかと指摘されている。目標を数値化する建前は、「評価者の感情に左右されることなく正確な判断ができるようにするため」ということだが、それで無理やり数値化するのであれば本末転倒だ。福祉系の部署なら「生活保護の事務処理を昨年よりも効率的にすすめる」、環境なら「一人で〇㎏のゴミを集める」、農林であれば「鳥獣被害額を〇%減らす」、市民サービスなら「住民票を昨年よりも〇%多く出す」などとなるのだろうかと失笑を買っている。納税課が収納率アップを目標にかかげて、市民の実情にお構いなくバンバン差し押さえをし始める可能性もある。

 

  数値化しやすい目標としては、「一日何人の人に対応する」といった件数に関するものが考えられる。たしかに、それで数をこなせば目標達成できるが、では困っている市民の話にじっくり耳を傾ける職員はダメな職員なのか? ということだ。市民にとってはありがたい職員だ。また「ミスを昨年より〇%減らす」という目標も立てやすい数値目標だが、そもそもミスを一回一回記録する人はいない。目標達成のために「ミスを数える」という仕事が増えることになる。バカみたいな話だ。世界的に新自由主義のもとで「ブルシットジョブ(くそどうでもいい仕事)」が増えてきたことが書物にもなっているが、このあほみたいな人事評価の仕事こそ、ブルシットジョブの典型といえる。

 

 C このような個人目標を大真面目に「達成できた」「できなかった」と判断しなければならない評価者も大変だ。評価者からしても本人がつけてきた評価を下げたり上げたりすることは安易にできない。たとえば能力評価で「私は法律を守る公務員である」という内容の設問があり、A~Cで自己評価する。その場合、本人がBとしたら、評価者が「あなたはよく法律を守っているからAのはずだ」とか「あなたはあまり法律を守っていないからCだ」などとはいえないのだ。傾向として、謙虚な人ほどBをつけ、自己評価の高い人は全部A評価をして出してくるそうだ。「頑張っている人みんなにAをつけたいのにそれができない」というのが評価者の悩みのようだ。曖昧な評価で部下の処遇が変わるのだから神経も使う。

 

 A 今回、会計年度任用職員についてはボーナス反映の対象ではない。しかしなかには、少しでも評価をあげようと早朝に出勤して掃除などを頑張っていた職員もいたようだ。しかし評価はCだったため、「頑張っても仕方ないんだと思った」とも話になっていた。

 

市民生活あっての業務

 

  ボーナスに影響するとなれば、自分の評価を上げるために上司にとり入ったり、他者が失敗することを喜んだり、職場内の団結が破壊されるのは目に見えている。“ゴマすりが増える”といわれているし、“あんな奴にこんな評価をされた”という怨嗟や、“あんな奴と同じ評価だなんて…”といった疑心暗鬼も生まれるのは必至だ。職員課は評価者、被評価者ともに研修をしているから、感情によって評価が左右されることは考えられないというが、すでにそういった内容の疑心暗鬼は起こっている。判定が不服な場合は異議申し立てができるようになっている。その苦情受付係として人事評価苦情処理委員会という組織がわざわざつくられた。今回の判定結果を受け苦情は殺到するとみられ、対応に追われる職員はそれこそ本来の仕事も手につかなくなるだろう。

 

  だいたい職員は評価しておいて、トップの前田市長はだれが評価するのか? 議会で寝てばかりいるからE判定なのでは…と話題だが、特別職の評価はない。ちなみに、話題の政策顧問については、会計年度任用職員なのでボーナスへの反映はないそうだ。

 

 B どの部署も市民生活があって仕事がある。いくら組織の個人目標を立てても、市民生活すなわち社会の変化によって仕事内容も量も変わるものだ。「残業を減らす」と目標を立てても場合によっては残業が必要になるかもしれない。そうしたときに「目標を達成できなかった」となるのだろうか。仮に達成したとしても、何のための目標なのか? ということだ。

 

収益重視で薄れる公共

 

  同じパイを職員同士で奪いあう仕組みについては問題視しないわけにはいかない。今、下関市政を見ると、収益をあげる部署は良しとされ、福祉・教育など支出が多い部署は肩身が狭い思いをする実態がある。どうにかして稼がなくてはいけないと、ネーミングライツで市の所有する財産の命名権を売却して収入とするようなことまで始まっていて、数十万~数百万の金額を得て喜んでいる。また「うちの部署ではなにも収益性がないからどこかの施設をできないだろうか」という心境を持つ部署もある。こうしたことを聞くと、稼ぐ者=善、稼がない者=悪ということに職員自身が麻痺してしまっている感が否めない。市民のために働くのが公務員という意識が薄れている。

 

  「頑張っている職員を評価する」「頑張っていない職員はボーナスを下げられて当然」「民間企業も人事評価を給料に導入しているではないか」といった論調も職員のなかで一定数あるが、頑張っているか頑張っていないかの物差しは人それぞれ違う。得手不得手もある。職員の得手不得手を把握し適材適所を進めるのが人事の仕事でもあると思うし、それこそコロナ禍でエッセンシャルワーカーが世の中を支えていることが明らかになったところだ。公務員は紛れもなくエッセンシャルワーカーであり、その職務内容に貴賤の別はない。不真面目で仕事をしない職員がいるなどといわれるが、職場内で「市民のため」の意識を高めること以外に解決の道はない。なにもいわずにこっそり評価を下げるような性格の悪いことはそれこそ評価できない。

 

  一連の仕組みを見聞きしているとめちゃくちゃだ。職員課は下関市のようなやり方が一般的だというが、他の自治体がどうしているのかは見る必要があるように思う。職員のモチベーションを下げるうえに、職場内に分断を持ち込み、無意味な仕事を増大させるものが果たして「市民サービス」の向上といえるのか。職員一人ひとりが真剣に考えなければならない問題ではないか。実情にあっていないのであればとり入れるべきではないし、国がやれというなら「このやり方は間違っている」「これでは職員のモチベーションの向上にならない」とはっきりいわなければならない。

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この記事へのコメント

  1. リタイヤ says:

    この成果主義(実績、評価による人事考課)の評価制度は、人件費抑制を目的として経団連の音頭とりで20年ほど前より各企業に導入されてきた制度によく似ています。目的も問題も同じでしょう。評価の基準があいまいでばらつきや評価者の資質が影響しやすく、評価の割合を数値で縛ることにより、自由自在に人件費をどんどん抑制できます、それも毎年のごとく続けて。この制度は非人間性に基づく、いわれのない差別化が根底にあるように思います。もちろんモチベーションは下がり、ミスや不手際が増えていくでしょう。でも彼ら(導入する側)はそんなことは気にしません。目的が人件費抑制にあるのですから組織や制度が崩壊しようが職員が鬱になろうがやめません。日本の民間企業の保有技術や技能、遵法意識が低下(結果として不正や犯罪につながる)したのはこの制度やその根本の発想の影響が大きいと思います。

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