いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

『やまぐちから考える世界史:歩いて、見て、感じる歴史』 編著・岩野雅子、長濱幸一、安渓遊地、藤村泰夫

 日本は極東の孤立した島国であり、一時の鎖国政策と相まって、世界史の流れとは独立した歴史を築いてきたかのように考える向きがある。それは、「日本を世界史の枠外に置いて例外的な歴史を紡ぐ絶海の孤島と考える歴史観」と結びついている。近年、世界史教育において、こうした傾向を克服する課題が提起されてきた。

 

 本書は「地域から考える世界史」のシリーズの山口版として、高校生や大学生、さらには一般市民に向けて刊行された。今日の山口県という地域や、そこに暮らす人たちが古代から中世、近代、現代にいたるまで歴史の折にふれて、世界の国や地域とどのように繋がっていたのか。山口県の高校教師、大学教員、学生、生徒ら約40人が、現地を「歩いて、見て、感じる歴史」を学べるように執筆している。

 

 山口県域は日本のなかでも、地理的にも朝鮮半島や大陸と近接していることから、おもな国際交流の場となり、歴史的にも重要な位置を占めてきた。北浦の土井ヶ浜遺跡や綾羅木郷遺跡は、朝鮮半島や大陸から来た渡来人たちが先住の縄文人と混血して弥生文化を生み出し、現在の日本人の祖先となったことを教えている。

 

 本書では、秋吉台にあった長登銅山の銅の精錬技術が、朝鮮半島から伝わったこと、それが東大寺の大仏や古代銭貨の原料となったこと、徳地の材木を東大寺再建に使うために奔走したのが当時の中国・宋と往来していた僧・重源であったこと、徳地で生産した和紙が大内氏時代には明国に贈答するほどの上質紙であったことについてもふれている。

 

 また、室町時代に大内氏が現在の山口市に本拠を移し博多を貿易拠点とした日明貿易で、堺の細川氏と対抗する程の経済力を持っていたこと、雪舟が大内氏の船で明に留学し芸術を学び、フランシスコ・サビエルが山口に滞在したことに見られるように、国際的な関わりが深い「西の京」として発展したことも浮かび上がらせている。

 

 下関の豊北町に蒙古塚や、蒙古の武将の首を切り胴体を二つに斬って埋めたといわれる「継石」がある。これをめぐる元寇の史実を資料や言い伝えをもとに検証するなかで、元に服して日本に攻め込んだ高句麗の軍にも注目するなど、当時のアフリカからアジアに至る世界史の画期的な段階にあったことを学ぶことができる。さらに、鎖国政策をとった江戸時代においても、山口が国際交流の中継点であったことが、将軍の代替わりごとに来訪した「朝鮮通信使」を通して明らかにされている。

 

 明治維新の拠点となった山口県だが、吉田松陰がアメリカ密航を企てたことで処刑され、「長州ファイブ」といわれる英国留学生が近代化の役割を担い、日清戦争の処理をめぐる「下関条約」の場となった。日露戦争では須佐町(現萩市)の住民が日本海海戦で流れ着いたロシアの負傷兵の救出、手当に献身したこと、県内には他にもロシア兵の遺体を埋葬した墓が存在することを知ることができる。

 

 宇部の長生炭鉱の水没事故については、当時の新聞は短く報じるだけで、シンガポールでの戦いを大きく報じたのとは対照的であった。当時の産業報国会の雑誌『職場の光』は、多くの仲間を助けた後に犠牲になった労働者の妻を取材し、「悲しみも何も忘れて、いかにも良人らしい最期だと思い、満足して死んで行ったであらう良人を想像して、“よくやつてくださいました”」と語らせ、11歳の次男からは「僕は、お父さんが戦争で死んだと考へてゐます。さうすると、ちつとも悲しくありませんよ」という言葉を引き出していた。

 

 そこからも、戦時に起きた炭鉱事故が、戦争の枠組みの中に位置づけられていたこと、「炭鉱で犠牲になった人々の死もまた戦場で犠牲になった人々と同じように捉えられ、犠牲を悲しむべきこととはされず、“名誉の戦死”と捉えられていた」(大和裕美子・九州共立大学教授)と推察される。

 

 朝鮮半島の植民地支配の過程で関釜連絡船が中心的な航路となり、戦後の日韓関係の修復で関釜フェリーが就航したが、そこでも長州閥が大きな役割を果たした。また、長門の仙崎港が第二次世界大戦後の日本人、朝鮮人双方の帰国のための港となったことや、出稼ぎの島であった周防大島と平群島が多くのハワイ移民を送り出した経緯についても論じている。さらには、この地域における地震や火山、活断層、温泉についての歴史資料を踏まえての考察や、徳佐のリンゴ栽培を通して世界の流通や近代農業の問題点に迫る論考もある。

 

 このように山口県でも、身近なところに世界史の記憶が歴然と刻まれている。それは、この地域に暮らす私たちが世界史の流れから切り離れて歩んできたのではなく、「アフロ・ユーラシアの一員としての歴史」をともに紡いできたことを伝えるものだ。そして、国際的な交流、とくにアジア近隣諸国との友好、平和を愛する民衆同士の連帯がいかに重要かを知るのである。

 

 本書を執筆した大学教員の専門は、歴史学、政治学、文化人類学、法学、国際関係、経済学、教育学、工学、理学、生態学、地質学など多彩である。また、現場で肌身で理解できるように、関連する史跡や博物館、さらに考察を深めるうえでの文献を紹介しており、今後の歴史実践と思考を助けるガイドブックとして役立てることができる。

 

 (えにし書房発行、B5判・276ページ、2000円+税)

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。