(2025年11月10日付掲載)

ハンター氏
私は職業軍人家庭に生まれた。父は日本帝国海軍が真珠湾を攻撃した翌日に米国海軍に入隊し、パイロットになるための訓練を受け、終戦後も職業軍人を貫いた。父の転勤で米国各地や欧州、そして高校時代には日本にも赴任した。私たち一家はいつも基地内かその周辺に住んでいた。
米国は世界史上もっとも豊かで強い国であり、自由を愛する世界中の人々を守る国であると信じるように私は育てられた。共産主義こそが自由に対する最大の脅威であると信じ、共産主義の脅威から私たち自身と同盟国を守るために世界最強の軍隊が必要だと信じていた。
神奈川県の米陸軍基地内にある座間アメリカンハイスクールを卒業した後、海軍予備役将校訓練課程の奨学金を得てスタンフォード大学に留学するため米国に戻った。4年後、海軍士官として卒業し、父の後を継ぎ海軍でキャリアを積もうと考えていた。しかし、時は1967年。わが国は、地球の反対側の小さな農業国で戦争の泥沼にはまっていた。そのわずか数年後に自分がベトナム戦争で破滅に追い込まれることになるとは思いもしなかった。

米軍の爆撃で焼き払われた山林地帯を走る南ベトナム民族解放戦線のトラック(1967年)
私が二度従軍したベトナム戦争について、まず三つのことを話したい。第一に、なぜ米国はベトナム戦争に負けたのか。米国はベトナム戦争を「共産主義との戦い」と位置づけて参戦した。だが、ベトナムの人々が望んでいたのは植民地化で分断された国を統一することだった。長い間、中国に制圧され、フランスに占領され、日本の支配を受け、再びフランス、そして米国の介入を受けてきたベトナムの人々は独立を希求していた。
米国は参戦目的だけでなく、戦略も誤った。軍事力を過信し、圧倒的な攻撃を仕掛ければ農業国ベトナムはすぐに降伏すると考えていた。ベトナムを南北に分断したものの、誰が北ベトナムか、南ベトナムなのかの区別もできず、皆殺しのような戦い方をした。大量の爆弾や枯れ葉剤を投下し、広大なベトナムの国土を荒廃させた。
そのため戦死者は、戦闘員よりも民間人の方が圧倒的に多い(推定400万人以上)。戦争が泥沼化するにつれ、米軍がいくら兵力を投入しても、ベトナム兵の志願者が増加していき、米国の同盟国も次第に手を引いていった。結局、米国に味方したのは非常に腐敗した政治家と戦争でもうける企業だけだった。
一度目の従軍で心が壊れた私は、二度目の派遣命令が来たときには戦争に反対だった。だが従軍を拒めば懲役刑に処される。それによる家族への影響を考えると自分にはできない選択だった。
二度目の派遣で私は、カンボジアとベトナムの国境沿いを流れるメコン川の浮体式基地に配属された。24時間常に警戒しなければならない危険地帯で、ベトナム兵は泳いでやってきたり、川の流れを利用して爆発物をしかけた漂流物を流してくるため、私たちは手榴弾を投げるしかなかった。破壊力の強い特殊な手榴弾だ。極度の緊張感で睡眠もできず、流れてくるものすべてを撃つようになった。上流のカンボジアからもたくさんの死体が流れていた。
私は従軍するにあたり二つの条件を自分に科していた。民間人を無為に殺さないことと部下の命を守ることだ。ある日、警告を無視して基地に近づいてくるボートがあった。ボートにはベトナム人の男女が乗り、女性は何かを抱えて必死に訴えていた。ケガを負った赤ん坊の治療を求めていることがわかり、私たちは彼らを基地に入れて手当てをしようとしたが、すでに赤ん坊の後頭部は弾に撃ち抜かれていた。
狙って撃ったものでないにしても、私たちが撃った弾である可能性は高い。私にもちょうど同じ年頃の赤ん坊がいた。この経験は私に生涯つきまとうことになる。この話は過去40年、誰にも語ったことはない。
私は「デソシエーション(現実感喪失)」と診断され、サイゴンでの事務に異動となった。精神的に打ちのめされた私は、戦争を忘れようとした。帰国後、シアトル市の消防士になり、人の命と財産を守ることに残りの人生を捧げたいと考えた。ベトナムで命じられた悪業を覆すため、ほとんど本能的にそれが義務だと感じたからだ。退職後、第二の人生を歩むため大学院で法律を専攻し、弁護士になった。だが、自分の影から逃れられないのと同じように戦争の悪夢から逃れることはできなかった。
私はベトナム戦争から帰還して36年後、心の癒しを求めて妻と一緒に日本に戻り、四国でお遍路をした。その巡礼の旅で出会った日本の人たちはとてもやさしく接してくださった。この経験から得た平和への道筋で私はPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療へと導かれ、ベテランズ・フォー・ピース(VFP)と出会った。VFPが主催するベトナムへの和解の旅に参加し、今回の日本ツアーに参加した。
私が陥った症状は厳密にいえば「モラル・インジャリー(道徳的負傷)」といわれ、PTSDが外部からの恐怖によって引き起こされるのに対し、自分自身の行動、つまり、赤ん坊を殺したのは自分だという罪悪感と怒りにさいなまれることで生まれる障害だった。これを克服することは難しい。それでも私は心のバランスを取り戻し、今ではそれを皆さんに伝えることができる。
「自由のため」という米国のウソ
今年7月、ラスベガスで開催されたVFPの年次総会には、沖縄・日本からの支援者代表団も参加した。彼女たちから日本国内、特に沖縄における多数の米軍基地の問題について学んだ。米軍は世界に850もの米軍基地を維持しており、その多くは第二次世界大戦中またはその直後に置かれ、冷戦期にさらに増やした。これほど世界中に軍事基地を持つ国は他にない。ほとんどの国は国外に軍事基地を持たず、ごく少数の国が1~4カ所の基地を置いている。ロシアだけは約20カ所の国外基地を持つが、そのほとんどは国境付近の同盟国だ。
どの国も必要性を感じていないのに、なぜ米国だけが世界中に何百もの基地を維持しているのか? 世界中に広がる米軍基地のネットワークが「軍産複合体」と呼ばれる組織の産物だからだ。戦争とその準備から利益を得る軍・産業界・政界の有力者たちが協力して高度な兵器システムを製造し、世界中にそのシステムを配備するための精巧な軍事インフラを構築している。米国市民の大半が、生まれたときから自由を守るためには軍事力が必要だと教え込まれるのもそのためだ。
だが、もっとも豊かな国といわれる米国は、長年にわたり裁量的支出(一般会計)の半分以上が戦争と戦争準備に充てられ、医療、住宅、教育、食料などの基本的なニーズへの資金が毎年減らされ続けている。米国の軍事費は、世界第2位から11位までの10カ国のそれを合わせた額を上回る。私たちは軍産複合体の貪欲さを満たすために、国家予算を食いつぶし、同盟国さえ恐怖に陥れ、地球全体を危険にさらす軌道に乗っている。私たちVFPは、その危険性を深く認識し、今こそ国外の基地の閉鎖に着手すべきときだと考えている。
もし今後、アジアで米国の新たな戦争が勃発するとしたら、その相手国はどこだろうか? 恐らく中国だ。最近の米国では、中国が経済競争の最大の相手であるだけでなく、最大の軍事的脅威でもあるといわれている。これは過去70年の歴史を無視した主張だ。世界中に軍事基地のネットワークを構築し、いつでも即座に誰にでも攻撃を仕掛けられる態勢を整えたのは、中国ではなく米国だ。継続的に世界各地の紛争に関与してきたのも中国ではなく米国だ。中国は大規模戦争には関与せず、今後も戦争を回避したい意向をくり返し表明している。
米国が関与したベトナム、イラク、アフガニスタンでの大規模な戦争はいずれも長期化し、多大な犠牲を生み出す一方で、目的を達成した戦争はほとんどない。その好戦的行為は常に「自由を守る」という名目でおこなわれるが、本当の理由はもっと俗悪で、たとえば膨大な石油など経済的資源の略奪、地政学的優位性の確保、またイデオロギーの衝突だった。
古代ギリシャの哲学者アスキュロスは「戦争の最初の犠牲者は真実だ」といった。戦争は、最初の銃弾が放たれたときではなく、そのずっと前、戦争のために都合の良い嘘が社会に蔓延したときから始まっているのだ。
日本国内に120もの米軍基地を許したことで、皆さんは、わが国が起こすかもしれない戦争の最前線に自分の国を置いたのかもしれない。朝鮮やベトナムでの戦争で日本が兵站基地となったことを思えば、誰もそれを否定できないはずだ。

沖縄県石垣島で陸上自衛隊のミサイル部隊が配備されている石垣駐屯地を視察するハンター氏ら(10月21日、VFP提供)
昨今の自衛隊の増強、米軍との共同訓練、そして他国への攻撃能力を得る可能性について日本の仲間たちは懸念している。また、日米軍事同盟に関わる議論は、米国に優位な時代遅れの合意に基づき、秘密裏におこなわれているとも聞く。これは私たちVFPメンバーにとって重大な懸念だ。両国の人々が平等な意思決定権を持つべきであり、主権国家の政府は、大国の強制力なしに自由に決定を下せるべきだと私たちは信じる。
現代の戦争は極めて破壊的で、多くの罪なき民間人を犠牲にするだけでなく、生命維持に必要な資源を大量に消費し、土地を破壊し、大気や水を汚染する。財産破壊、民間人の避難、飢餓、疾病、そして戦闘員と民間人双方に及ぶ長期的な身体的・精神的損傷など戦闘以外の代償は計算不能だ。戦争の真のコストを考慮すれば、勝者などいないことがわかるはずだ。
米国の大多数の人々は、隣人とも隣国とも平和的な共存を望んでいる。世界のほぼすべての国の人々も同じ願いを抱いている。戦争が人間や地球に与える影響を自分の目で見て経験した私たちは、体験を語り伝え、戦争の真の原因と代償に対する世間の認識を高める活動をしている。目標は、核兵器を削減し廃絶すること、国家政策の手段としての戦争を廃止することだ。国境を越えて平和を求める人々と手を携え、共通の目標に向かって協力しなければならない。皆さんと一緒に使命を達成したい。
(本記事はベテランズ・フォー・ピース来日ツアー2025で語られた内容を本紙編集部が要約したものです)





















