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石油はいかに世界の基盤エネルギーになったのか その発見と利用の歴史を紐解く 人類の利用は古代ペルシャ「火の文明」から

(2026年5月13日付掲載)

ペルシャ湾沿岸の石油積み出し施設に張り巡らされたパイプライン(イラン、カーグ島)

 アメリカのトランプ政権が国際法無視のイラン戦争を開始し、イランがホルムズ海峡を封鎖するなか、世界各国が燃料価格の高騰や不足に直面するとともに、原油を精製してつくられるナフサが不足し、建築・農業資材や自動車部品、食品の包装紙や医薬品に至るまで供給が滞っている。私たちの生活が驚くほど石油に依存している現実が突きつけられている。では、現代文明の基盤エネルギーとなった石油は、そもそもいつ頃、どのようにして生成されたのか。人類は石油を発見して利用するまでに、どのような努力や試行錯誤を経てきたのか。内外の研究者たちがさまざまな書籍などで発表している内容をもとに、まとめてみた。

 

石油の成り立ち 2億年前の中生代の地球

 

 石油の大部分は、地球上を恐竜がのし歩いていた中生代(約2億5000万年前~6000万年前)、とくにその終盤の白亜紀(約1億4500万年前~6000万年前)にかけて誕生したと考えられている。

 

 石油のもともとの姿、すなわち根源物質は、2億年余り前の地球上に生息していた植物プランクトンなど過去の生物だといわれている。この植物プランクトンなどの死骸が地熱やバクテリアの作用を受けて石油となったとする有機起源説を、現在、世界の大多数の研究者が支持しており、世界の主だった石油開発会社もそれを踏まえて石油鉱床の探索をおこなっている。

 

 2億年前の地球は、南北アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸が近接しており、太平洋は今よりもずっと広く、インド洋から地中海までがひとつながりの大きな海になっていた。陸上にはたくさんの恐竜がのし歩き、海の中では巨大なイカやオウムガイの先祖が泳いでいた。白亜紀になると地球全体が非常に温暖になり、海洋の植物プランクトンや藻類が爆発的に繁殖した。

 

 植物プランクトンは通常、ほとんどが微生物によって食べられてしまう。ところが、この植物プランクトンの死骸が大量に海底にたまる事態が起きた。これについて理学博士の大河内直彦氏が子ども向けに書いた『石油のものがたり』は、次のようにのべている。

 

 「その時代に、深い海の底で大きな火山噴火が起きた。地球の深い所から熱いマグマがどんどん上がってきたせいで、たくさんの火山が一気に噴火し、海底に1000㌔㍍四方にわたって高さ3㍍の巨大な台地ができあがった。地中に閉じ込められていた二酸化炭素や硫酸などのガスもたくさん噴き出し、地球の気候ががらりと変わってしまった」

 

 「海の深い所には世界の海をめぐるゆったりとした流れがあり、海の中に新鮮な空気を運び続けている。だが、地球の気候が変わってしまったことで、その流れが弱まり、海がよどんで、海の中に溶けている酸素がなくなってしまった。その結果、植物プランクトンを食べる微生物が呼吸できなくなり、ほとんどいなくなってしまう。おかげで植物プランクトンの死骸はあまり食べられることなく、海底にまで到着する」

 

 「植物プランクトンは小さな生き物だけど、塵も積もれば山となる。数十万年あまりもの間、たくさんの死骸がたくさんの太陽エネルギーを体に蓄えたまま海底にたまり続けた。死骸を含んだヘドロは、やがて厚い層となった。太陽エネルギーをたっぷり含んだ石油の材料は、こんなふうにして海の底に集まった」

 

 「当時、海の表面で暮らしていたのは、その多くがシアノバクテリアという植物プランクトンだった。シアノバクテリアは、地球上に一番最初にあらわれた光合成をする生き物だ。普通はあまり目立たない地味な存在だが、過酷な環境でも平気であるため、他の生き物が暮らしにくいような栄養の少ないよどんだ海では、活動が盛んになり大繁殖する。白亜紀の海では、この赤潮の状態が数十万年にわたって続いた」

 

 「海の底にたまったヘドロは、時間とともに少しずつ埋もれていった。生き物の死骸や白い殻の化石などがどんどん上から降り積もっていったからだ。深く埋もれたヘドロは、地熱によって温められ、やがてゆっくりゆっくりと変化し始める。何百万年、何千万年という気が遠くなるほど長い時間かけて、ヘドロはいつしか石油に変わっていった」

 

生物の死骸が海底に堆積

 

 有機物を豊富に含んだ海底の地層は、その上に別の地層が堆積し地下に埋没していくと、ケロジェンと呼ばれる炭素、水素、窒素、硫黄などの化合物の集合体に変化する【図参照】。ケロジェンがさらに地下深く埋没し、100~150度ぐらいの地熱にさらされると分解され始め、石油を構成する炭化水素になっていく。このときの深度は地下3000~5000㍍だという。

 

 ケロジェンを豊富に含む地層を「石油根源岩」と呼び、根源岩中のケロジェンから炭化水素が発生することを「熟成」と呼ぶ。根源岩は多くの場合、泥岩など粒子の非常に細かい岩石だ。

 

 地下の根源岩の中でケロジェンから分離した炭化水素は、根源岩に隣接する砂岩など隙間の多い地層にじわじわと染み出し、上へ上へと移動し(炭化水素の比重が水と比べて小さいため)、特定のエリアに集まる。このエリアをトラップと呼ぶ。トラップは、隙間に富む貯留岩と、これに対してフタの役割を果たす帽岩の組み合わせから成り、石油を蓄える器の役割を果たしている。こうした過程を経て大規模な石油鉱床が形成された。現在の中東の砂漠や北海の海底がそうだ。

 

 このようにして地球が2億年もの長い間、その懐に抱えてつくり出したのが石油(原油)であり、それは地球が人類に与えた大切な贈り物と見ることができる。

 

 ちなみに、日本では新潟県や秋田県の海岸付近に小規模な油田がいくつも分布しているが、それは白亜紀よりもずっと後、今から1000万年ほど前の中新世と呼ばれる時代にできた。日本列島はまだアジア大陸の一部だったが、そのころ大陸の東の端で激しい火山噴火があり、その後数百万年をかけて日本海ができた。そのとき、秋田県や新潟県付近の海は、火山活動と地殻変動で細かく区切られ、流れが止まって酸素がなくなり、少しだけ有機物を含んだ地層ができた。それが火山活動の地熱で温められて石油に変わったわけだ。ただその量は、日本で1日に使われる量の1%にも満たない。

 

ペルシャの火の神 地中から湧き出す石油

 

現在もおこなわれているゾロアスター教の火祭「サデ」(イラン文化センター発行『世界の心イラン』より)

 では、そうしてできた石油を人類が最初に使ったのはいつだろうか? それは紀元前4000年頃に始まるメソポタミア文明の頃のことだ。

 

 今のホルムズ海峡危機でしばしば語られるようになった、石油からつくられるナフサ。このナフサの語源をたどっていくと、アフロ・アジア語族に属するアッカド語のnaptu(燃え上がるの意味)に行き着く。それは、紀元前18世紀頃に書かれた古バビロニア王国の楔(くさび)形文字が示しているという。

 

 もともとnaptuは液体の石油のことを意味し、地中から湧き出てくる黒くてドロドロの炭化水素油である瀝青(れきせい)の液体部分を指していた。人類はこの頃から石油に注目していたわけだ。現在、石油と石油関連製品の呼称としてはオイル、ガソリン、ペトロレアム、LPGなど数多いが、ナフサはその中でもっとも古い言葉ということになる。

 

 近代的な精製技術が生まれる前、メソポタミアやペルシャでは、石油や天然ガスは大地から湧き出ていた。その湧き出た石油や天然ガスを巧みに利用していたことがうかがえるエピソードが、様々な史料の中に残されている。

 

 イスラム以前のペルシャの宗教はゾロアスター教である。火を最高神の神聖な象徴として崇拝することから「拝火教」とも呼ばれるこの宗教は、光明を司るアフラ・マズダを善の神とし、暗黒のアングラ・マイニュを悪の神として、この世は光と闇の戦いの場ととらえ、やがて終末に救世主があらわれて悪の神が打ち負かされると説く。ゾロアスター教徒にとって、火はアフラ・マズダが臨在することを可視化する印であり、光をもたらす天使であり、アシャ(正義)の象徴でもあった。

 

 このため遺体を神聖な火で焼くことを忌避し、信徒は死ぬと鳥葬(ちょうそう。遺体をハゲタカに食べさせる)にされた。

 

 紀元前12世紀から紀元前9世紀頃に生まれたゾロアスター教は、アッシリア帝国滅亡後にイラン高原を支配したメディア王国支配下でイラン人の中に広がり、イラン人が建設したアケメネス朝ペルシャで王たちの保護を受けて発展した。そして、紀元後3世紀のササン朝ペルシャで、ゾロアスター教は国教となった。

 

 ペルシャのアゼルバイジャンやフゼスタン地方には、古くから、消えることのない火を祀(まつ)ったゾロアスター教の神殿があった。火はなぜ消えないのか? 古代の人々にはその現象はきわめて神秘的なものに映っただろうが、今ではそれが地下から湧き出す石油や天然ガスによるものだということがわかる。多くのゾロアスター教の拝火神殿は石油が湧き出る場所の近くに位置しており、そこで「永遠の炎」が燃え続けていた。

 

 その拝火神殿遺跡でもっとも有名なのが、イラン北西部の西アーザルバーイジャーン州にあるタフテ・ソレイマーン(ソロモンの王座)で、2003年にユネスコの世界遺産に登録された【写真参照】。また、イラン南西部のフーゼスターン州にあるマジド・スレイマーンにも拝火神殿遺跡があるが、この近くで20世紀初め、中東で最初に近代掘削技術を使って油田が発見されている。

 

タフテ・ソレイマーン拝火神殿遺跡(イラン北西部。イラン大使館提供)

神殿建築や船作りにも応用

 

 また、メソポタミアのイス(現在のイラクのヒート)には天然アスファルトの池があり、紀元前のシュメール以来、ペルシャ湾やティグリス・ユーフラテス川の船乗りたちがこれを船の漏水防止に利用してきた。シュメールの王たちが築いたジッグラット(神殿)は、天然アスファルトをセメント代わりにして、焼いた煉瓦を1枚1枚積み上げたものだった。バビロニアのネブカドネザル王(紀元前605~紀元前562年)は、セミラミス女王のために空中庭園をつくったが、階上に緑の樹木が茂る庭園をつくることができたのも、床を天然アスファルトで塗り固めて水を通さないようにしたからだった。

 

 古代ギリシア・ローマ時代の著名な人物の伝記である『プルターク英雄伝』には、次のようなエピソードが記されている。紀元前331年、ガウガメラの会戦でアケメネス朝ペルシャのダレイオス3世を破ったアレキサンダー大王が、アケメネス朝の都エクバタナ(現在のイランのハマダーン)を訪れたとき、地上の割れ目から泉のように湧き出てくる石油、燃えて尽きることのない炎を見て目を見張った、と。

 

 さらに石油は、敵に壊滅的な打撃を与える軍事兵器としても使われた。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の液体焼夷兵器「ギリシャ火」がそれだ。「ギリシャ火」は紀元後672年頃から導入された。戦艦の船首にあるサイフォン(噴射口)から石油や硫黄などの混合物を噴射して敵船を炎上させ、水上でも燃え続け、従来の方法では消火が不可能だった。この兵器は、コンスタンティノープルを抱囲したアラブ艦隊を撃退するうえで決定的な役割を果たしたことから、「中世最大の化学兵器」といわれている。

 

 ちなみに中国でも、紀元前940年頃、中空の竹によって天然ガスを浜辺まで送り、浜辺で燃やして海水を煮沸することに使い、塩をつくっていたと伝えられている。三国時代の3世紀には、蜀(しょく)の都(現在の成都)付近にある火井が大名物として紹介されているが、これが中国の天然ガスに関する最古の文字記録だといわれている。

 

 日本では720(養老4)年に書かれた日本書紀に、「天智天皇の7年(668年)、越の国から燃ゆる土と燃ゆる水を奉る」という一節があり、これが日本の石油に関するもっとも古い記録とされている。当時の越の国とは、若狭湾から北の日本海に面する現在の新潟、山形、秋田県に当たる。

 

初の機械掘り成功 19世紀の米国で

 

 では、人類が石油をみずから掘削して汲み出し、生産活動に大規模に使用するようになったのはいつ頃からだろうか?

 

 それは19世紀、アメリカで始まった。18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで起こった産業革命は、蒸気機関の燃料である石炭とともに発展した。つまり産業革命は、化石燃料の時代の幕開けを意味した。

 

 一方、1800年代のアメリカ国民は、馬車に乗って西部開拓に向かっていた。新しい土地に住む者が必要としたのが照明だった。当時のアメリカでは商業捕鯨が最盛期を迎えており、捕鯨船は大西洋から太平洋、日本近海まで進出したが、その目的は照明用や潤滑油として利用される鯨油をとるためで、他の部位はすべて捨てていた。

 

 コネチカット州ニューヘイヴンに住んでいたベンジャミン・シリマン・ジュニアは、1847年、「ニューヘイヴン・ガス会社」を設立し、取締役に就いた。彼は町の照明を石炭ガスに転換するよう努力していた。1854年、2人の実業家がシリマンに接触してきた。2人は、ペンシルベニア州西部の農場で緑色がかった褐色の石油が染み出してオイルクリーク(石油の川)と呼ばれていると話し、この石油を精製して灯油をつくることをもちかけた。当時、先住民セネカ族は、石油を沸騰させ浄化したものを、歯痛や頭痛止めの軟膏として使っていたという。

 

19世紀当時の米ペンシルベニアの油田

 アメリカで、石油が機械掘りによって初めて掘り当てられたのは、それから5年後の1859年8月21日のことだ。米ペンシルベニア州のタイタスビル南方の川岸で、掘削技師のエドウィン・ドレークが、蒸気機関を使った石油掘削装置と高さ9㍍の油井やぐらをつくり、深度69フィート(約23㍍)にあった油田を発見。日量20バレル(約3000㍑)の生産に成功した。

 

 続いて1861年4月には、その油田の下流域にあった農場で、天然ガスが石油を押し上げ、深々と掘られた油井から轟音とともに柱となって噴き上がり、空に向かって60フィート(18㍍)まで勢いよくほとばしった。この油井からは、1日3000バレル(48万㍑)もの石油が生産された。おりしも南北戦争が始まったときだった。

 

 だが、汲み上げた石油を運ぶのは難事業だった。ぬかるんだ道はすべりやすく大型馬車は難儀を極めた。そこで樽を積んだ平底船を利用した。

 

 ドレークの掘削を契機に、全米が石油掘削の熱狂に包まれた。最初にその支配者になったのが、ジョン・D・ロックフェラーだった。1863年にロックフェラーの会社があったクリーブランドとペンシルベニア間を結ぶ鉄道が敷設されると、ロックフェラーは沿線の製油所を次々と買収し、1870年にスタンダード石油を設立した。同社は1879年には全米の原油精製能力の90%を支配し、ロックフェラーは「石油王」と呼ばれた。

 

 その常軌を逸した強欲支配に対し、米連邦最高裁は1911年、独占禁止法(シャーマン反トラスト法)違反を理由に、スタンダード石油を33~34の新会社に分割することを命じた。そこから、現在のエクソンモービルやシェブロンなどの原点となる新会社が生まれた。

 

 20世紀に入ると、フォードが大量生産システムを確立した。こうして自動車産業の台頭がガソリンへの巨大な需要を生み出し、それが高度な石油精製プロセスの技術開発を促した。

 

台頭するロックフェラー等

 

 ドレークの油田掘削から10年余りたった1870年代には、ロシアでも油田開発が進んだ。主な生産地となったのはカスピ海沿岸のバクー地方(現在のアゼルバイジャン)で、石油支配を狙ったのは、ノーベル賞の創設者であるアルフレッド・ノーベルの実兄ロバート・ノーベルと、ロスチャイルド家のアルフォンソ・ロスチャイルドだった。

 

 ノーベル家は1879年にノーベル兄弟石油生産会社を設立。ロスチャイルドも1886年にカスピ海・黒海会社を設立し、ロックフェラーの石油によるヨーロッパ制覇の前に立ちはだかった。ロスチャイルドは、アジアで石油の販路を開拓するため、貿易商マーカス・サミュエルの協力を仰いだが、このマーカス・サミュエルが1897年にシェル石油の前身となる企業を設立し、1907年にはオランダ国王が出資して創設されたロイヤル・ダッチと合併してロイヤル・ダッチ・シェルとなった。

 

 こうした欧米の資本家がやがてメジャー(国際石油資本)を形成し、原油の探鉱・開発から精製・輸送・販売までを一手に牛耳るようになる。

 

 一方、石油の世界的ブームに火を付けたのは、大英帝国首相のウィンストン・チャーチルだといわれる。

 

 世界中に植民地を持ち「太陽の沈まない国」といわれたイギリスでは、1900年代まで、海軍の艦隊の動力源は石炭であり、世界中の至る所に石炭基地をつくっていた。これに対してチャーチルは1911年、英国艦隊の燃料を石炭から石油に転換することを決め、海軍省の予算から200万㍀を出資して「アングロ・ペルシャ石油会社」の筆頭株主になった。

 

 同社はペルシャ王と交渉し、4万㍀に加えて16%の利権料を払うことを条件に、ペルシャ(現在のイラン)の国土の4分の3の地域の60年間に及ぶ石油利権を取得していた。つまり、中東の石油に最初に楔を打ち込んだのはイギリスだった。

 

 さらにアメリカも1933年、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(現在のシェブロン)の子会社が、サウジアラビア国王との合意書に調印し、原油の利権を獲得した。こうして中東の油田が、再び歴史の表舞台に登場し、今に至る戦争の火種がつくられた。

 

化石燃料の未来 石油は枯渇するのか?

 

 ドレークの油田掘削以来、当初は照明用に使われていた石油が、ガソリン、重油、軽油、ジェット燃料となって自動車や船、航空機の動力源となり、火力発電所で電気をつくるエネルギー源にもなった。20世紀初頭に世界最大の産油国だったアメリカから始まった「石油経済」は、人類に史上最大の経済成長をもたらした。

 

 第二次大戦後には、原油の精製過程で生まれるナフサを安価で豊富な原料とみなす石油化学産業が発展した。日本では経済産業省が主導して大規模な臨海石油化学コンビナートがつくられ、ナフサをプラスチックや合成繊維の原料にかえて、高度経済成長を牽引した。

 

 石油連盟によると、石油の用途は「工場や家庭などの熱源(エネルギー源)」と「自動車や船舶などの動力源」がそれぞれ約四割を占め、残りの約2割が「化学製品の原料」として使われている。スーパーに並ぶ肉や魚や野菜のパックもナフサを原料にした発泡ポリスチレンやポリ塩化ビニールなどでできており、ペットボトルもナフサが原料だ。また、下着を含めた衣類の多くも、石油由来の合成繊維でできている。日本人の平均的な1人当りの石油消費量は、1日におよそ4㍑だといわれているから、私たちの暮らしがいかに石油に支えられているかである。

 

 他方で大国による中東の石油争奪は、この100年の間、しばしば戦争やクーデターや植民地支配をともなってきた。

 

 最後に、石油の埋蔵量はいったいどれぐらいあるのか【グラフ参照】。1970年代のオイルショックのさい、「石油はあと30年で枯渇する」とメディアが盛んにいっていた。しかし、30年以上経った今でも石油は枯渇していない。それどころか可採年数は52年(2022年現在)で、オイルショック当時よりも延びている。

 

 というのは、地球上に存在する原油の「絶対埋蔵量」のうち、「今時点の技術で、掘れば確実に採算がとれる」と判断された油田の量が「確認埋蔵量」であり、それを年間の石油産出量で割ったものが「可採年数」だからだ。開発技術が進歩しシェールオイルなどが新たに発見されれば、それは飛躍的に延びることになる。

 

 石油は地球から人類への贈り物だといわれる。アメリカ先住民の言葉を借りれば、「石油は子孫からの預かりもの」といえるかもしれない。この間、国策で再エネビジネスを後押しするために化石燃料は敵扱いされてきたが、化石燃料の環境負荷を極小化する技術を開発してうまく使えばよいし、そうした研究は始まっている。もちろん、前提として今の大量生産・大量消費・大量廃棄の経済システムを見直すことが必要だ。

 

 明らかなことは、あらゆる物を金もうけを道具にし、「今だけカネだけ自分だけ」で突っ走る資本主義経済のあり方が、社会発展の障害物になっていることだ。

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