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下関市立大・中尾市長修士号問題 設置者が受益者になる非常識 

制御きかぬ私物化体質

 下関市の中尾友昭市長が下関市立大学の大学院生として籍を置き、修士号の学位を与えられようとしている問題とかかわって、通常ならまず設置者(下関市)として本人が自重すべきだったことと、どうしても勉強がしたい場合は、公平さを担保するために北九州市立大学なり山口大学なり、「当事者」ではない大学を選ぶべきだったという意見が多く出されている。予算権限を握っている大学に市長みずからが乗り込み、役所や大学が一緒になっておべんちゃらをやる歪んだ構造が問題視されている。
 
 大学の権威貶める不公正

 識者たちも指摘するように、仮にこれが大阪で橋下徹が大学設置者として大阪市立大学に乗り込んで学位をとったり、首都大学東京で石原慎太郎が学位をとるなら、たちまち「権力で学術的な地位を得た」「設置者が受益者になった」として世間からバッシングされることは疑いない。下関という地方都市で、しかも中尾市長だったから興味を持たれないだけで、学問に関わる人人なら誰もがタブー視する行為だった。下関では役所側も大学側も忠告してあげる人間がおらず、大学運営については金銭管理や利権配分も含めて、行政の好きなように采配が振るえるという日頃からの体質が染みついているため制御が効かなかった。世間がどう見るか、社会的基準から見てどうかという判断基準など吹っ飛んでしまったのである。
 市民のなかでは、いったいどれほど素晴らしい論文を書いたのか興味を持っている人もいる。「暇があるなら見てみたい」という意見もある。同大学の規定では、今回のような社会人コースの研究成果については、通常の修士論文と同じ扱いで正本が図書館に保存されることになっている。問題はこれが閲覧できるのかどうかで、修士号論文を審査する特定の大学関係者だけでなく、一般の大学関係者も含めてみなが目を通して、本当に修士号にふさわしいのかどうか意見することが求められている。それだけでなく、役所本庁や総合支所などで広く縦覧して、第三者の客観的な評価を求めることが大切である。公開できないほどひどい論文というなら、修士号はお預けにするしかない。

 威張れる事でなく恥しい事

 中尾市長といえば唐戸魚市を築いた故小野社長の甥っ子として知られ、市場で魚を売っていたころの真面目なイメージを持っている市民は多い。下関商業高等学校出身の落ちこぼれだったところから、苦学して20年かかって税理士になったというのが売りで、市議になり、県議になり、市長になり、政治の舞台ではい上がっていく過程で付き合う人種が変化したのか、学歴や肩書きへのコンプレックスが目立つようになったと評されている。
 市長になってからはとりわけ「人間が変わった」「目つきからして変わった」と指摘する人人が少なくない。「あの威張り方は典型的な成り上がり者の振舞だ」と巷では語り合われている。下関や山口県の政治に巣くう上流世界と渡り合うなかで学歴社会のプレッシャーにさらされ、満たされない思いが設置者みずからが大学に乗り込んで受益者になり、学位をもぎとるという、前代未聞の行動へとつながったようだ。それを「品がないからやめなさい」といって注意してあげる人間が一人もおらず、腹の底で笑っている者も含めて周囲がおべんちゃらばかりするから、本人が恥ずかしい思いをすることになる。
 下関市長としてのプライドというなら、とってつけたような「学歴」ではなく、唐戸魚市出身の水産のプロとしてもっと胸を張れ! という声がしきりだ。それこそ小中学校に出向いて魚の美味しい食べ方を教えて魚食文化を普及するなり、せめて水産都市の子どもとしてアジや鯖など基本的な魚のさばき方を習得できるよう包丁の使い方を教えるとか、魚屋のプライドでいった方がはるかに有用とされ、喜ばれることは疑いない。
 学歴が上だからその人間がすごいとか、下だから劣る人間なのだと見なすような世界に染まってはいけないことを教えている。同じく、市長だから偉いとか、その外は劣るなどと考えているなら、たいへんな間違いであることを示している。

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