いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

在宅避難者にいまだ支援届かず 熊本地震から3週間 置き去りにされる高齢者「10年前の教訓は何だったのか」

(2026年8月21日付掲載)

地震で全壊した家屋が点在する熊本県氷川町

 7月28日に発生した2026年熊本地震から3週間が経過した。徐々に避難所や支援物資の供給も縮小されるなかで、被災者の多くは震災直後からまだ何も状況が変わらないまま日々を過ごしている。現在、開設されている避難所は69カ所、避難者は2966人。ピーク時は406カ所に9450人が避難していたところから徐々にその数は減っているが、避難者数に含まれない在宅避難、軒先避難、車中泊の人々が大量に存在している。避難所には行かず、崩れた家の納屋や車で生活していたり知人の家に避難するなど数字には見えない避難者の実態はいまだ把握されていない。それらの人々には行政の支援や情報は届いておらず、ほとんどがボランティア頼みとなっているなか、自治体による実態把握と支援は喫緊の課題となっている。

 

自宅が壊れ、倉庫で避難生活をおくる被災者は多い

 8月19日時点で、住宅被害は3万3769棟、うち全壊が1527棟、大規模半壊が120棟、半壊が1464棟、一部破損が1万3732棟、分類未確定が1万6926棟と、多くがいまだ調査すらおこなわれていない。

 

 日奈久断層が集落の真下を通っている氷川町吉本地区では、地面が大きくひび割れ、ほとんどの家が傾いている。しかし家屋の危険度判定や罹災証明の被害調査もおこなわれていない家が多く残っている。宇城市との境にある橋は橋桁がずれて現在も通行できなくなっており、震災直後はほとんどの道路が通行不能となったため陸の孤島となった。避難所にも行けず、住民みなで外にブルーシートを敷き、食べ物や水を持ち寄って夜を明かしたという。

 

 現在は、地区内に支援物資の配給所がもうけられ、24時間使用可能のシャワー室も設置されているが、どれもボランティアの人々が持ってきてくれたものだという。

 

 地区の男性は、「ボランティアの人たちが本当に良くして下さっている。支援物資を何度も運んできてくれ、シャワーまで設置してくれた。反対に行政の支援は全然届かなくて、先日やっと水が50ケース届いただけだ。避難所まで行けば支援物資はもらえるが、避難所までは遠く、高齢者など車を持っていない人はとてもじゃないが行くことができない。だから近所のみんなで声を掛け合って支援物資をもらってきたりしている」と話す。支援物資が置かれている地区内の配給所には、避難所まで行くことができない住民たちが手押し車を引いて、水やおむつ、食料などを受けとりに来ていた。

 

 男性の家も住むことができなくなったため親戚の家に避難しているが、そこには近所の人たちも避難してきており、1軒の家に4世帯で生活している。電気が復旧するまではもっと多くの人が集まっていて、コンクリートの納屋にブルーシートを敷いて十数人が外で雑魚寝していたという。

 

 「一番困っているときに行政からの手助けは何もなかったから、ボランティアの人たちに助けられながら全部自分たちでやってきた。明日は公民館で炊き出しをする。人吉や御船の人たちがたくさん野菜を持ってきてくれるらしいから、住民も参加してみんなで作る予定だ。今の食事は弁当やおにぎり、カップラーメンばかりだから野菜を食べられるというのがうれしい。今生活できているのはボランティアの人たちのおかげだ」と話していた。

 

 夕方になると、1日の汗を流しにぞくぞくと住民たちがシャワー室を訪れる。川の水を汲み上げて利用するシャワー室は24時間使用可能で、住民たちは「このシャワー室ができるまでは水で体を拭くだけだったから本当に助かっている。水でも汗を流せるが、あたたかいシャワーを浴びることで疲れがとれる気がする」と喜んでいた。

 

 行政がおこなっている入浴支援は、被災者が無料で入浴施設に入れるというものであり、利用できる施設の多くは被災地の外にある。車を運転できない高齢者などは利用できず、車を運転できる被災者も毎日は利用できない制度だ。高齢夫婦2人で自宅にいるという被災者のなかには、自宅に戻ってからは一度も風呂に入っておらず、ペットボトルに水を入れ、日中にそれを外に置いて温めて髪や顔を洗っているという人もいた。

 

 友人とともに自宅の片付けをおこなっていた氷川町の高齢女性は、「水が出ないから片付けも思うようにできない。報道では今月末までに断水が解消するといわれているけど、絶対に無理だとみんないっている。地震から3週間経ってみんな最初は気を張っていたが、だんだん疲れがたまってきている」と話した。近隣住民のなかには疲れで寝込んでしまった人も出てきているという。

 

 自宅は10年前の震災のときに修理したため、一見無事のようだが基礎からずれてしまっており、今後住み続けられるかは不明だ。「10年前の地震で瓦をやり替えるだけで1000万円もかかったから、今回はもう修理できるだけのお金は残っていない。お金をかけて修理したとして、あと何年生きるかもわからないし、10年前とは気力も体力も違う。罹災証明の被害調査も家の危険度判定もまだだし、家の片付けをするためにボランティアをお願いしに役場へ行ったら500人待ちといわれた。本当にこれからどうなるのだろう。みんな命があっただけ良かったというが、命があるということは生活していかないといけない。あのとき死んでしまえばよかったと何度も考える」と話し、「千葉の豪雨災害もあったし、時間がたってだんだん熊本地震のことが忘れられるのではないかと不安だ。熊本はまだ何も進んでいないと県外の人たちに知らせてほしい」と訴えた。

 

 30代の女性は、被災した家の鍵が閉まらないため両親と夫と交代しながら家の軒先で車中泊をしているという。「車中泊と避難所を行き来している。今は小学校の教室が避難所になっているが、もうすぐ夏休みが終わるため別の避難所に移らないといけないといわれた。家は完全に傾いているからもう住めないと思うが、この生活がいつまで続くのだろうか」と先の見えない避難生活に疲れの表情を浮かべていた。

 

自宅が全壊し、電気も通らない納屋で生活を送る高齢者

給水できず枯れる作物 農業被害も甚大

 

 このたびの震災では農業被害も甚大だ。農林水産業関連の被害額は現時点で約845億円で、これは今後も増加する見込みだ。水路や給水パイプの崩壊により多くの田や畑で給水ができず、作物が枯れてしまっている。

 

 農業を50年続けている70代の男性は、「農業用水のパイプのどこかが破損しており、稲の穂が出る大切な出穂の時期にもかかわらず、水やりができずイネが枯れてしまった。収穫しても品質が悪くなって商品にならないうえ、JAのカントリーエレベーターが被災して、乾燥から出荷までの全工程がなにもできない。カントリーエレベーターを修理して使えるようになるまで2年はかかるという。今年植えたイネは廃棄するしかないと思う。農業とは別に畳屋もやっているが、畳を作る機械も倒れて壊れてしまった。今は機械の修理どころではなく、片付けの目処も立っていない。収入源が全てやられてしまった」と語っていた。

 

 氷川町の農家の女性も「田んぼの給水パイプが破損して水が出ない。遅植えの時期なのだが、田んぼに水が張れないので種があってもどうすることもできない。オクラも作っているが、ピークを過ぎてしまい諦めている。農業機具が使えるかの確認もできていないので出荷作業もできないし、出荷先も被災しているので本当に収入源がない。これからどう生活していこうか…」と語っていた。多くの農家で、現在植えているイネは破棄か牛のエサにするしかない状態だという。

 

 さらに農家の多くが自宅を離れず倒壊した家の横の納屋に住んでいたり、在宅避難や軒先避難ですごしている実態がある。先の女性も、震災当日に避難所に行ったものの定員オーバーで入ることができず、自宅も倒壊していたためウッドデッキで3日間すごしたのち、在宅避難を続けている。

 

 別の85歳の女性は夫と2人で、倒壊した家屋の隣にある納屋ですごしている。31年間暮らした家が全壊し、その中から自力で這い出したという。夫が頭を怪我したため、病院に行ったが治療してもらえず、避難所で手当だけしてもらい納屋に帰ってきた。

 

 「震災からの2日間ほどは、小さなござの上で過ごした。その後は、車中泊をしたが娘は“もう堪えきれない”といって8月3日から避難所に行った。私と夫は風呂も入れず、洗濯もできない状況だが、在宅避難をすることにした。今は電気も水も途絶えた納屋で隣人に水を借りながらなんとか生活している。娘の車は潰れて使えなくなったが、夫の古い車が生き残っていたため、今はその車でなんとか移動や買い出しをしている」と話した。

 

 八代市鏡町下村の農家の男性も、自宅は全壊しているが避難所には行かず隣の倉庫で生活している。自宅は完全に倒壊しているため電気を止めており、倉庫にも電気は来ていない。発電機で扇風機を回して暑さをしのいでいる。当初トイレは隣人に借りていたが、数時間おきに借りるわけにもいかず、自分で仮設トイレを設置したという。「妻と娘は避難所に行っているが、私は自宅から離れるわけにはいかない。下村地区には危険家屋の調査にもまだ来ていない状態で、市は一体何をしているのかと思う。テレビでは断水の解消が進んでいるとか、復旧が進んでいるかのように報道されているが、実態はまるで違う。何も進んでいない。高市が一日来ただけで現場の住民の声など何もわかっていない。ヘリコプターで上から見ただけで何がわかるのか」と怒りを語っていた。

 

 同地区の友人宅を片付けに来ていた女性も、「ここの地域はまだ調査にも入っておらず、罹災証明も発行されていない状況だ。飲み水がまだ出るからいいが、井戸水が断水で出ないので生活用水の復旧はまだ見込めない」と指摘した。

 

 また震災当初、避難所が仕切りもエアコンもない状態だったことに対し「10年前の地震から何も変わっていないことに突っ込みたくなった。今はみなし仮設を探しているが、一見倒壊していないアパートも井戸水がやられて出ないので住めないといわれた。仮設住宅の建設も遅く、今学校などの避難所で過ごしている人たちは学校再開にともない追い出されるように去らなければならない。住むところを失った人たちはどこに行けばいいのだろう。ブルーシートをもらいに市役所に行ったがここではないといわれ、どこに行けばいいか分からないままたくさんの場所を回り、やっと担当をみつけて手続きをすませた。その後、ようやくブルーシートを張ってもらえた。今必要なのは被災者が“助けて”といえる場所、これからのことを相談する場所だ。ボランティアを呼べる人はいいが、そうでない人たちはどこに相談して、どこに助けを求めればいいのか、情報提供のやり方についても10年前と今回の地震で教訓にしてほしい」と語っていた。

 

 また今回の被災地にはインスタントハウスが建っている様子も見られた。庭にインスタントハウスを建てていた80代の夫婦は「ボランティアの人が無料で建ててくれて、お隣さんと共同で使っている。自宅は全壊して水は出るが、電気がまだ使えない。インスタントハウスはエアコンもついているので、暑くなったらそこに避難している」と話していた。

 

ボランティアのみ進化 行政の進歩もなし

 

災害ボランティアたちがもちこんだインスタントハウス

 避難所に行けば支援物資を受けとることができるとはいうものの、高齢者など避難所まで行くことができない人々はほとんどがボランティア頼みの現状だ。

 

 あいつぐ災害によってボランティアの腕ばかりが上がっていく一方で、行政側には何の進歩もなく、こうして在宅避難者がいつまでも放置されている状況が指摘されている。

 

 八代市鏡町の中次団地は住民の9割が高齢者で、避難所からも遠く震災直後は支援物資が何もない状態だったという。住民がSNSで支援物資が届いていないことを発信したことで、各地のボランティアが水や食料などの支援物資を次々に届けてくれた。

 

 団地に住む一人暮らしの高齢女性は、「私は車もないし年寄り1人だから避難所まで行けない。給水も小学校まで行かないともらえないが、重たい水を運ぶこともできない。震災から4、5日経ってボランティアの人が支援物資を届けに来てくれるまでは、家にあった食料と水でしのいでいた。水が出るようになるまでは川まで洗濯に行ったりしていた。今は水が出るようになったが、まだ飲めないため、飲み水は支援物資頼りだ」と話していた。

 

 鏡地区に高齢の親子2人で暮らしている女性も「年寄り2人では、この暑いなか避難所に並んで水や食料をとりに行くなんてできない。あれは元気な人しか行けない。私たちはボランティアの人と知人、八代の青年会議所の人たちに水や食料を全部運んでもらった。食料が少なくなってきたときに、ボランティアの人が台車に支援物資をたくさん積んで“いるものはないですか”と1軒ずつ回ってきてくれたのが本当に嬉しかった」と話した。

 

 現在はぐちゃぐちゃになった家を片付けてできた小さなスペースに布団を敷いてすごしている。「17日にようやく上水が出るようになったけど、井戸水はまだ砂が混じっていて使えない。仮設住宅ができたらすぐにでも移りたいけど申し込みも始まっていないし、いつになるだろうか」と不安を吐露した。

 

 鏡地区は地面を10㍍も掘ればどこでも水が出るため、井戸水を使用している家庭が多く、台所の水は上水で風呂や洗濯の水は井戸水など各家庭で使用用途が異なっており、上水が復活したため問題が解消したとは一概にいえないのだという。

 

深刻な井戸水の断水 復旧までに何年も

 

 このように多くの人が懸念しているのが井戸水の断水である。

 

 復旧工事が進み、断水の解消が進んでいるとされる。現在断水しているのは約7000世帯で今月末には断水が解消すると報道されているが、これは上水道のみの数字で、井戸水を使用していて断水している世帯は含まれていない。

 

 八代市の球磨川から以南の地区は上水道そのものが通っていない。同市では上水道普及率が52・1%で、住民の半数が井戸水を使用しているとされているが、これまで実態調査もおこなわれていないため具体的な数字は明らかになっていない。

 

 八代市内の井戸水被害は17日時点で、上水道供給区域内で2400戸、上水道供給区域外で2000戸も存在する。汲み上げるポンプの故障など設備が原因の場合は比較的すぐに修理ができるが、地震によって地下水脈が変わるなど井戸そのものが涸れてしまった場合には掘り直さなければならない。しかしさく井業者は少なく、八代市内に3社、九州内でも20社、全国にも150社しかなく、全国の業者が来たとしてもすべての井戸が復旧するには数年かかるといわれている。

 

 現在、国交省、県、八代市で井戸水対応チームが設置され、13日から現地調査に着手している。今後、上水道の供給を進めるのは当然のことながら、まずは目の前の断水状況の改善が待ったなしとなっている。大きな給水タンクを各地区ごとに設置するなど、早急にできる手を打たなければならない。一刻も早い対応が求められている。

 

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。