(2026年8月7日付掲載)

倒壊家屋の下敷きになった車。フロントガラスに避難先が記されている(4日、八代市)
熊本県南部を中心に最大震度7、マグニチュード7・1の大地震が発生してから1週間が経過した。10年前の震災後から「日奈久断層が割れ残っていることから、震度7クラスの大規模地震が30年以内にもう一度発生する可能性が高い」と指摘されていたにもかかわらず、10年前と同様、避難所に逃れてきた人々は薄い毛布や段ボールの上に雑魚寝を強いられているうえ、支給される食事はおにぎりとパンのみという過酷な状況が続いている。震災当初、停電していた電気は復旧したものの、6日現在で3万6000戸で断水状態が続いており、人手不足による支援物資の滞留など課題解決が急がれる。本紙は4日に熊本被災地に入り、現状を取材した。
10年前の益城町を震源とする熊本地震で割れ残った日奈久断層のずれによって発生した今回の地震は、宇城市、氷川町、宇土市、八代市、熊本市南区、美里町などを中心に大きな被害を引き起こした。熊本県内では今回の地震で、6日午前7時半の時点で、災害関連死の疑いがある人などを含めて38人が死亡、避難所には6899人が避難している。
震源地でもあり震度7の揺れを記録した宇城市では、4600棟もの住宅が被害を受け、多くの人々が現在も避難所生活を送っている。宇城市は10年前の熊本地震のあと各地区に防災拠点センターが新たに建設されており、この度の震災ではそこが避難所となっている。
宇城市 食料はおにぎりとパン
そのなかの一つ、松橋東防災センターには、現在518人が避難者として登録しており、現在も約140人くらいが寝泊まりしているという。
避難している60代の女性は、「断水しているから、地震が起きてからもう1週間、1回もお風呂に入れていないし髪も洗えてない。それが一番キツい。男の人たちは給水車からもらった水を使って外で頭を洗ったりしているが、私にはできなかった。2、3日前には電気が復旧したが、水がないから家の片付けもできていない。この辺りは屋根をやられた家が多いが、みんな自宅にブルーシートも張れていないため、昨日(3日)降った夕立で避難所のなかは悲鳴が上がっていた。雨漏りで家の倒壊がもっと深刻になる」と疲れた表情で話した。毎日避難所で衣類を手洗いし、自宅に帰って脱水だけは洗濯機でおこなって干しているという。
100人以上の避難者たちはみなフロアに雑魚寝で、薄い毛布が2枚配られただけだという。「床の上に毛布を2枚敷いて寝ているが体が痛くてたまらない。横にはなっているが、毎日ちょこちょことしか寝られないからだんだん疲れも溜まってくる。今日くらいには段ボールベッドが届くかもしれないといっていたが、結局来ていないし今晩も毛布の上で寝ることになると思う。あとは食べるものがおにぎりとパンしかないのがつらい。三食ずっと炭水化物で1回もおかずを食べていない。緊急事態だし、最初はおにぎりとパンしかないのも仕方がないと思っていたのだが、1週間ずっとおにぎりとパンだけだ。おかずが食べたい」と切実に話していた。
豊野防災センターでも、60人ほどの避難者がフロアに自宅から持ち出した毛布などを敷いて横になっていた。
避難していた90歳の男性は「みんな家の中から引っ張り出してきた毛布やバスタオルの上で寝起きしている。家の中はぐちゃぐちゃで、余震も続いているから危なくて家の中にはいられない」と話した。妻は入院しており、高齢の男性一人では家の片付けもままならない。前日に降った夕立によって家の中はさらにぐちゃぐちゃになってしまったという。「まだ屋根にブルーシートをかけていないからベッドも家の中もずぶ濡れになってしまった。10年前のときは自分で屋根に上ってブルーシートを張ったのだが、もう年をとって上がれない。しばらくここから帰れる見込みもないけど、みんな同じ状況だから」と諦めた表情で語った。ここの避難所でも提供される食料は、おにぎりとパン、カップラーメンのみだという。
他県から応援に来ていた避難所の運営職員は「食料や水などの支援物資は届いているが、最近はブルーシートや土嚢袋がないかと尋ねてくる被災者が多くなっている。ブルーシートなどは支援物資として回ってこない」と話していた。
別の男性は、崩れた家の下敷きになり、外に這い出すのに5時間かかったという。一晩野宿をし、その後は車で寝起きをしていたが、ガソリンもだんだんと少なくなり体も限界を迎えたため避難所に来たという。「家が潰れて何もとり出せないから、避難所から配られた毛布1枚を敷いて過ごしている。防災センターといっても配られるのは毛布1枚だけだ。携帯も入れ歯も何もかもが家の下敷きになったままで、ときどき家に探しに行くが見つからない。10年前の地震のときも被害を受けて立て直してきたが、もう年をとってここから立て直す気力も起きない」と語った。
同地区の市営住宅から避難してきた高齢男性も、震災当日は自宅前で車中泊をしていたが、携帯の充電が切れたため電源を求めて市役所に行ったところ避難所に案内されたという。「避難所に来た初日は駐車場で車中泊をしたが、ガソリンが半分も減ってしまい、“これでは年金の支給日までもたない”と、毛布をもらってここでみんなと一緒に過ごすことにした。自分もそうだが周りは年配者が多く、被災者同士で助け合ううちに仲が深まり、それが唯一の心の支えになっている。大きな地震を経験するのは3回目で、自宅は電気も水も止まっているため帰れない。帰ったとしても、高齢の一人暮らしでは誰かが来てくれるまで何もできない状態だ。雨や風でさらに被害が広がらないかも心配だ」と話した。そして「ようやく今日から避難所でシャワーに入れるようになった。九州からボランティアに来てくれる人や、自身も被災しているのにボランティアとして動いてくれる方々には本当に感謝しかない」と語っていた。
氷川町 首相訪問先には手厚い支援も
宇城市と同じく震度7を記録した氷川町でも古い家は軒並み倒壊するなど、大きな被害を受けている。避難所となった学校の体育館にエアコンがないことから、避難者たちはエアコンが設置されている教室で避難生活を送っていた。3日に高市首相が氷川町内の避難所の一つである氷川中学校を訪れたことで、他の避難所にも前日になって猛スピードでエアコンが設置され段ボールベッドが配布されたという。

高市首相が来る前日にダンボールベッドが配られた避難所
避難所の教室でテレワークをおこなっていた男性は、「2日間ほど車中泊をしていたが、体がキツくて避難所に来た。高市首相が視察に来る前日にここの学校でも体育館に業務用のエアコンが何台も設置され、避難者に段ボールベッドが配られた。たった2日間でエアコンの設置工事も終了し、あまりの速さに驚いた。それまで氷川町は体育館のエアコン設置率がゼロ%だった。首相が来ることでこんなスピードでエアコンが設置され、物資も届くのなら高市さんは他の地域の避難所も回った方がいい」と指摘した。仮設住宅の建設が始まったが、入居は10月まで待たなければならないため、来週にでもアパートを契約して避難所を出る予定だという。
避難所の運営に携わっている男性は「40度近い気温のなかで断水も続き、避難者がだんだん増えてきている。トイレは自分で水を汲んで流さないといけないのだが、ここに避難してくる人はほとんどが高齢の人たちばかりだから上手く流せていないことも多く、衛生状態の悪化が心配だ」と訴えた。
そして現在、もっとも足りていないのがマンパワーだという。「多くの人が被災地を支援したいと“支援物資を持ってきました”“おにぎりを持ってきました”と、どんどん物を届けてくれるのだが、人手が足りないからそれをさばく人がいない。圧倒的にマンパワーが不足している。避難生活も長くなり、夜中にごそごそしている人がいたとか自転車がなくなったとかのトラブルが上がっており、見回りを要請しているが今のスタッフの人数では対応できない。小さな町だから町職員も限られているし、県外の自治体職員が応援で入ってくれているものの、それでも足りていない。一番問題なのは、避難所に物資を受けとりに来られない人たちだ。その人たちに対してどう対応していくのかが今後一番の課題になると思うが、それも人手がなければどうにもできない」と話した。
氷川町では、社協と協力してボランティアによる自宅に取り残された高齢者の実態調査もおこなわれている。そのなかで、震災後2日間野宿をしていた90代の女性と遭遇し、避難所に繋げたものの、急激な環境の変化や栄養状態の悪化などから認知症の症状が出始めているという例もあったという。
調査に参加した女性は「古い家は倒壊しているが、10年前の益城町のように一帯がすべて倒壊しているのではなく、ポツポツと一部分が被害を受けているという状態だ。一見、家が潰れていないから大丈夫だろうと見過ごされるが、そのなかに高齢者だけがとり残されているというパターンがあり、とても危険な状態だ。片付けられない、物資をとりに行けない人たちが見過ごされている可能性が高い」と危険性を指摘していた。
避難所には行かず、自宅周辺で野宿や車中泊をおこなっている人も多い。倒壊した自宅を片付けていた女性は、自宅と車の間にタープテントを張り、10年前の地震後に購入したポータブル発電機で扇風機を回しながら寝起きをしている。
女性は「自宅は水が止まり、電気も配線ごとダメになって修理してもらっている。生活用水は隣の家の地下水を分けてもらい、飲料水や物資は避難所にとりに行くなど、近所で助け合って生活をしているが、この暑さで近所でも熱中症で亡くなった人が出ている。地震を生き延びたのに、その後の災害関連死などで亡くなられる方が増えているのを見ると本当につらい」と話した。
そして「家が倒壊してなにもかもダメになり、中から物がとり出せない状態が続くが、家の調査や片付けにボランティアの方々が来てくれている。能登など遠くの県からもたくさんの支援や物資が届けられていて、本当に感謝している。でもさっき降った大雨で繋いでいたタープが壊れてしまった。いったいこれからどう過ごせばいいのか…」と途方に暮れていた。
家の周りのガレキを手作業で片付けていた男性は「10年前とは大きさも長さもまったく違う地震だった。当時沖縄から来ていた孫2人と遊んでいて、とっさに孫たちを机の下に隠した。震災直後はこの辺りでガソリンを入れられず、天草までいって入れていたが、少しずつこの辺りでもガソリンが入れられるようになってきた。電気が通っているのでエアコンが使えるのが幸いだが、水はまだ止まっているので、生活用水は隣の家の地下水で、飲料水は物資とともに小学校や町役場にとりに行っている。ガレキの片付けも終わりが見えない」と疲弊した様子で語っていた。
周囲に建物がない場所に数人で集まり、車中泊をおこなっていた男性は「10年前の地震のときも1カ月くらいみんなで集まって車中泊をしていた。余震も続いているし、家の中にいるとミシミシと音がするため安心して寝られない。避難所は雑魚寝で寝られないから、近所の人たちと集まって車中泊をしている」と話した。昼間はそれぞれ仕事や家の片付けをおこない、夜になるとみなで集まって車中泊をしているのだという。
10年前の熊本地震では、車中泊など狭い車内に長時間同じ姿勢でいることから流れが悪くなった血液が固まり、血栓が血流に乗って肺の血管を詰まらせてしまうことによるエコノミークラス症候群という震災関連死が激増した。避難所では医療チームの診察などがおこなわれるが、車中泊など避難所以外で過ごす被災者はそれを受ける機会から取り残されるため、災害関連死に繋がる可能性が高まることが指摘されている。
八代市 被災者が炊き出し担う

地震で倒壊した家屋(4日、八代市)

八代市の総合体育館でおこなわれた豚汁の炊き出し(4日)
八代市で最大規模の避難所となっている総合体育館では、被災者たちが先頭に立ち、豚汁の炊き出しがおこなわれていた。八代市のプロバレーボールチーム、熊本ヴィレックスの選手や地元住民らが中心になって連日炊き出しボランティアをおこなっているという。
ボランティアを担っている男性は「支援物資はあるのだが、毎日三食菓子パンのような状態のため、スポンサーなどの支援を受けてすぐに自分たちで炊き出しを開始した。暖かい食事ができるということで喜ばれているが、炊き出しを担っているのは自分を含めみんな被災者だ。目の前にやらなければいけないことは山ほどあるし、どうにかして八代を元に戻したいという気持ちがあるからやっていけているが、いつまでこの状態が続くのかという不安もある。子どもたちも何か体を動かしていないと不安なのか、ずっと手伝いをしてくれている」と話した。
総合体育館の1階部分には数日前に運び込まれた段ボールベッドが敷き詰められているが、高齢者や体の不自由な人たちが優先で、2階部分に避難している人たちは今まで通り自ら持ち込んだ薄い毛布などで過ごしているという。
その男性は、「もう何日もまともに寝られていない。総合体育館は支援物資の集積拠点でもある。ここから各地区の避難所となっているコミュニティセンターまで支援物資を運ぶのは市職員の仕事なのだが、これも人手が足りないため、自分たちがボランティアで運ぶこともある。とにかく人手が足りない」と訴えていた。

避難所に水を汲みにきた女性(4日)
各地で続く断水は、医療現場にも大きな影響を与えている。厚生労働省の5日午後2時時点のまとめでは、熊本県内の46の医療機関で断水や停電、医療ガスが使えなくなるなどの影響が続いている。
熊本県内には94の人工透析施設があるが、現在も3カ所で停電や断水などのために人工透析の実施が困難となっている。透析をおこなっている施設も断水の被害を受けており、給水車が毎日ピストン輸送で屋上の貯水槽に水を入れながら日々治療にあたっているという。
透析時間は4時間以上おこなうのが一般的といわれるが、そのさいに使用する水量は1人当り120㍑にものぼる。さらに機械の洗浄等でも大量の水を使用するため、一度の透析で使用する水は、その5~6倍にもなるという。
透析施設で働く女性は、「震災直後は緊急事態ということで、透析時間を3時間に抑えておこなっていたが、それでも使用する水量は1人当り95㍑。今はなるべく普段に近い状態で治療をおこなうようにしているため、透析時間が5時間の人もいる。ずっと綱渡り状態で、数日前は朝、透析を開始しようとしたら水が足りなかった。透析患者は透析治療をしなければ生きられない。県は断水の解消が8月末といっているが、かなり広範囲に被害が及んでいるし、本当にそれまでに解消できるのかという不安がある。一刻も早く水が使えるようになってほしい」と語った。





















