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れいわ新選組次のステージへ 7年で積み上げた草の根の力 山本太郎引退は終わりではない 与野党茶番の国政揺らせ【記者座談会】

(2026年7月24日付掲載)

7年前、れいわ新選組を立ち上げて全国を行脚した山本太郎()

 2019年に立ち上がったれいわ新選組で代表の山本太郎が病気療養と高速道路でのスピード違反などを受けて政界からの引退を表明し、支持者のなかでは突然のリーダー降板劇に戸惑うような反応が見られたり、内部でもめ事でもあったのかといぶかる見方が広がっていたり、さまざまな反応が起こっている。民衆に寄り添ってこの国のあり方を根本から変える、すなわち社会変革を成し遂げることを訴えて全国津々浦々の街頭から地を這うように支持基盤を広げてきたが、結党から7年を経て政党として一つの重要な節目を迎えている。本紙は2019年より彗星の如くあらわれた「れいわ新選組」の存在に注目し、代表の山本太郎のみならず裏方で支えるスタッフたちの献身的な奮闘に敬意を持ちつつ「もっとやれ!」と紙面でも旺盛にその訴えの内容を紹介してきた。駆け抜けた7年と7年以後のこれからについて、記者座談会で展望してみた。

 

切望される社会変革の運動体

 

  突然の山本太郎の政界引退表明で、同時に共同代表の大石あきこも「疲れた…」と辞職してれいわ新選組から離れることになった。支持者からすると「なにごとか?」「え? どうした?」と驚きが隠せないような反応が広がった。なんだか放り投げみたいな印象だけが残る会見となって、党本部でなにがしかの混乱や衝突があったのだろうか? とか、逆に心配になるようなものだったからだ。最後の最後にあれはないよな…という反応があるのもムリはない。

 

 寄付もしてポスター貼りだって幾度もやって、選挙になるとボランティアセンターに駆けつけて、名もなき兵隊としてみんなして素人集団ながら新興の政党を作り上げてきたのだ。なんだかんだいって絶対的リーダーは山本太郎で、この7年をもっとも牽引してきたみんなの大将としてれいわ新選組の象徴でもあった。その降板だけに衝撃は大きいものがある。ショックを受けている人も大勢いる。「これからどうなっちゃうの?」と心配している人も多い。一生懸命に応援してきたのだから当然だ。

 

  「本部でなにか揉めていたのでしょうか?」「支持者が理解できるように長周新聞さんが取材して記事にしてください」といった問い合わせやメールも頂くのだけど、はっきりいって政党内部のゴタゴタや人間同士の矛盾があったとしても興味がないし、そんなものはどうだっていい。れいわ新選組を辞めて外側から内部事情を暴露したり攻撃する輩も散見されるが、相手にするだけ時間の無駄だろうくらいにしか思わない。あの会見が政治家・山本太郎の辞め方だったのだろうし、感情なのだろうし、7年の帰結だったと受け止める以外にないのだ。そのことについて絶望する気もないし、悲観することもない。

 

 れいわ新選組としては引き続き国会議員を複数抱えて国会のなかでたたかっているメンバーがいるわけで、伊勢崎さんなんて凄みを持って国会質疑に挑んでいるではないか。人間腹を括ってからが本番というが、すごい貫禄で国会で存在感を放っている。奥田ふみよだって国民投票法の審議で怒号が飛び交うなか、権力の巣窟みたいな場所で孤軍奮闘していた。山本太郎が引退したからといって7年で作り上げてきた母体はあるし、組織だってそれなりにある。終わりではないのだ。幻滅してなにもかも一緒に放り投げるのだとしたら諦めが早すぎる。次に向かって脳味噌を切り替えていくしかない。

 

  山本太郎の政界引退は、高速道路で149㌔も出して走行していたのが明るみになったあたりから、ちょっとこれは危ういな…という気はしていた。いくら乗っていた車が高性能なアルファードであったとしても、149㌔は狂気の沙汰だ。誰がどう見ても言い逃れできない超危険運転で、政党の党首としては相応のケジメがいる。なにもなかったようなことにはできない。危険運転に巻き込まれて一般人が死亡する事故だって起こしかねないし、それは「みんなを幸せにしたい」等々のこれまでの言質とも反する。

 

 警察に取り締まられたか否かという以上に、たった一回の危険運転であっても行動そのものが問われる。社会的信用とかかわって。病気療養も確かに優先事項としてあるだろうが、端から見ていると極めつけの一発アウトになったような気がしてならない。どうしてそんな危険運転をしたんだか…。本当に心境としては「なにバカやってんだ…」なのだ。国会において「空気を読まないバカ」なのはいいが、「高速で149㌔を出すバカ」ではリーダーとして話にならないではないか。そこは社会的基準でもって厳しく行動が問われないといけないし、誰であろうとケジメが必要になる。いかなるカリスマ的リーダーであろうとだ。身内に甘いというようなものは通用しない。

 

  その意味で政界引退は重い処分でもあったのだろう。れいわ新選組にとって演説でいくら良いことを叫んだところで「時速149㌔がなにいってんだ?」と世間は反応するだろうし、その理念や訴えが説得力を失ってしまうほど致命的なものになる。公道で一般人を巻き込んでも構わないというような危険運転はそれほどに重い十字架となる。政治生命に直結する。きっぱり政界引退というのは避けられない判断だったように思えて仕方ない。本当に「なにバカやってんだ…」なのだ。まだまだリーダーとして大活躍しないといけない重要な時期に…。

 

消費税減税 他党が追随

 

  本気で応援してきた分、支持者のなかではショックも大きいし、これからのことを心配する声も多い。しかし、全国政党として存在し、その理念や掲げている政策が変わらない以上、引き続き支えていくぞ! という思いを抱いている人が大半だろう。

 

 山本太郎のポスターをいつまで貼っていいのだろうか? 次のポスターもパンチの効いたのをつくって送ってほしいとかも話題になる。いつだってピンチの時は「れいわ新選組、しっかりせい!」と思っているのだ。乗り越えないとどうしようもない。それが山本太郎ファンとか信者なら太郎降板で一緒に去って行くのかも知れないが、そうはいかないのだ。

 

 はじめから素人集団が草の根で手探りで作り上げてきた政党だ。ボランティア同士のもめ事とか、支部内部のわちゃわちゃしたいさかい等々もあったか知らないが、個々の自己主張や自己顕示欲を満たすためではなく、その理念や政策の実現のためにまとまるのが政党だ。全国津々浦々に地方議員も輩出してきたし、不十分性はあるとはいえ、ほかにはない新しい全国政党として一歩一歩作り上げてきたのだ。時として衝突したり離合集散したりは当然あり得ることだ。順風満帆であるわけがない。

 

 しかし当初は消費税減税とかゼロだなんて相手にもされなかったのに、直近の衆院選では自民党にいたるまでが減税を叫ぶまで政策の優先順位として押し上げてきたし、既存政党を引きずり回すほど存在感を示してきた。「悲願」などといいながら高市政権は消費税減税なんて1%たりとも実現していないが、それでも他党も無視できない政策課題として国政の重要案件に乗せた。れいわ新選組が牽引してきたことはいうまでもない。コロナ、円安、物価高のなかでなにが消費税10%かだ。さっさと1%なり0%にしやがれ! が国民感情だろう。そうして他政党がれいわ新選組の政策をパクッたり寄せたりし始めたというのは、それだけ存在感を放っていることの証左だ。影響力というのは単純に国会の議席数に比例しない。選挙テクニックで議席などどうにでもなるのだ。そのなかで議席数もそれなりに得て、日本の政治に影響力を持ち始めていることは、れいわ新選組の支持者も確信して良いと思う。

 

  だからこそ内外から潰そうとする力が陰に陽に加わっていたことは想像に難くない。内部から情報漏洩したり揉ませるような輩だって配置されるだろう。公安とかのスパイが政党に潜り込むことだって歴史的にはやってきたことだ。れいわ新選組のような政党を立ち上げた以上、為政者からは完全に睨まれるし、味方のような顔をしながらその手先も送り込まれるだろうし、決して平和でお花畑な世界ではない。辞めて恨み辛みを抱えて攻撃してくるのだっている。鬱陶しくなるような内部矛盾も当然抱えていただろうし、そのすべてについて第三者である私たちは知りようがない。また知らなくていい。

 

 組織をまとめあげて統率していくとはそのように大変だし、リーダーである山本太郎にのしかかっていた重圧も相当なものだったと思う。大石あきこについても「疲れた…」と漏らしていたが、本当に疲れたのだろう。お疲れ様と声をかけてそっとしておいてあげるのが正解だ。山本太郎については屈強なボディガードくらいつけないと危ないのではないかと心配していたくらいで、そのようにれいわ新選組を排除したい、存在が疎ましいと思っている側もいるのだ。矢面に立ってそれらと全面的に対峙しないといけないのがリーダーだ。よく7年間頑張ってきたと思う。その貢献についてはあっぱれだったと思う。

 

志を受け継ぎ進むのみ

 

毎回多くの聴衆を集めたれいわ新選組の街頭演説(2022年7月、参院選、東京)

  山本太郎は降板するが、7年の成果と教訓をあるがままに捉えて、改善すべきは改善し、次の展望につなげていくほかない。それは全否定することでもないし、全肯定でもない。山本太郎についても、あの引退会見や時速149㌔を出したことについてはちょっといただけないな…という思いもあるが、だからといって彼が果たしてきた功績は大きいものがある。そのことについて誰も否定できるものではない。

 

 7年間に渡って先頭に立ってリーダーとして旗を振り続け、れいわ新選組の台頭に献身的に尽くしてきたことはみんなが認めるところだ。少し休んだ方が良いのではないかと周囲が心配するほどハードな街頭演説の日程をこなし、多くの国会質疑を準備して挑み、全国津々浦々で人々とのつながりをつくってきた。まさにれいわ新選組のシンボルマークとしてみんなを束ねてきたし、とてつもなく大きな存在だったことは誰もがわかっているはずだ。誰かが虐げられていることが許せないし、曲がったことは大嫌いだし、資本家が牛耳る世の中でみんなが日々の暮らしのなかで悲鳴を上げていることを黙って見ていられない。そういう人間なのだと長年付き合いのある人ほどいう。年末の炊き出しの手伝いがそうだが、困っている人を見たら手助けしないと気が済まないのだと――。

 

 その訴えは「どうせなにをしてもかわらない」と社会に幻滅してきた人々を覚醒させ、日本社会の現実に目を向けさせ、本気でマシな世の中にしようじゃないかという気持ちに火をつけた。燎原の火となって全国津々浦々に燃え広がる――までは到達していないとはいえ、いっきに国会で複数議席を獲得するまで躍進できたのは、山本太郎のリーダーシップに拠るところが大きいし、その行動力はすさまじいものがあった。誰もが真似できるものではない。

 

 徳川幕藩体制を打倒(封建制社会をひっくり返して資本主義へと移行させた)した明治維新の地である下関人から言わせると、高杉晋作評の「動けば雷電の如く」がピッタリと重なるような光景で、「狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし、諸君、狂いたまえ!」の境地にも思える。

 

 「維新」とか「新選組」とかの名称は現代的にとっちらかった状態ではあるが、れいわ新選組が仕掛けたのはまさに草莽崛起(そうもうくっき・地位や権力を持たない民衆=草莽が、国を憂いて自発的に立ち上がり=崛起、変革の原動力となること)そのものだった。現代社会では大阪の維新が「維新」の名を貶めているが、明治維新のロマンについて改めて探求する意味は大きい。

 

年間を通じて街頭で有権者と対話を重ねた山本太郎(2024年5月、東京都町田駅前)

  政策についても各方面について相当に勉強していることは、街頭演説を見ても歴然としていた。あのレベルで聴衆と向き合える人材がどれだけいるかといわれたらいささか不安もあるが、いずれにしても成り代わるリーダーを担ぎ上げてれいわ新選組の第二形態につなげていくことが必至だ。

 

 目下、山本太郎、大石あきこの辞任にともなった代表戦がくり広げられ、全国の街頭で演説会をやっている。新代表を選んだもとで党名変更を経て、その名称がどうなるかはわからないが、新たなステージへと進んでいくことになる。

 

  山本太郎がサッカーでいうところの絶対的FW(フォワード)だったとして、それを裏方として支える街宣スタッフ、本部で政策をまとめあげてきた頭脳集団、最終学歴が幼稚園という優秀な秘書、れいわ新選組の心意気に共鳴して結集してきた各分野の専門家や本物たち、そこで出会った人と人など、さまざまなつながりが7年で広がってきたのも事実だ。この7年で錚々たるメンツが志を持って集っている。山本太郎が引退したからといってふさぎ込むわけにはいかないのは、世の中ちっとも変わっていないし、マシになっていないからだ。デタラメな日本社会が目の前にある以上、一歩も引けない。それが現実だ。従って次なるリーダーが台頭して、そのもとで政党としてまとめ上げていくほかない。散り散りバラバラになって消滅するというのでは7年が無になる。

 

 変質することもまた御法度だ。目先どうなるかでいうと現象としては後退する局面もあるかも知れないが、それは致し方ないものだ。しかし、変化しながら第二形態、第三形態へと生まれ変わっていくほかない。万物は無限の矛盾運動によって生成、発展、消滅の過程をたどるわけで、それこそが生命力だ。太郎がリーダー降板なら次郎でも三郎でもいいから次なるリーダーを押し立てて、日本社会をマシなものにする勢力として躍動しないといけない。

 

飼い慣らされた永田町

 

全国各地で通算122回おこなわれたれいわ新選組主催の「増税?ダメ♡絶対!」デモ(2023年10月、栃木)

  既存政党は国会を見ても総翼賛化して、与党に「ゆ」党に極端な右巻き勢力だったりがウヨウヨしているような状態だ。為政者に飼い慣らされて首に鎖を繋がれたようなのが永田町に盤踞している。そのなかでれいわ新選組だけが野良犬のように飼い慣らされることなく、伊勢崎さんなんてほんとうに孤軍奮闘もいいところだ。「山本太郎、なにバカやってんだ…」と本当に思う。一緒になって国会で大暴れしないといけないだろうに…。そうやって次々に本物を登場させてれいわ新選組の本気を見せつけないといけない局面だろうに…。

 

  世界的にはウクライナ戦争がいまだに終息せず、アメリカのイラン攻撃でホルムズ海峡が封鎖されて原油が滞ったり、円安と物価高騰はますますひどいものになったり、混迷状況がひどい。米中覇権争奪もますます激化するなかで、日本国内では台湾有事すなわち対中戦争の準備が急ピッチで進められ、自衛隊が米軍の身代わりになって中国と武力衝突するというシナリオが具体化している有り様だ。

 

 東京辺りでは実感がないかも知れないが、九州・中国地方一帯では自衛隊基地にミサイル配備が進んだり、弾薬庫の整備が進められていたり、南西諸島にもミサイル部隊が配置されるなど、戦争準備が現実のものとして進んでいることに危惧が広がっている。中国に向けてミサイルを配備するということは、イランが中東諸国の米軍基地を叩いたことを見てもわかるように、なにかことあれば真っ先に武力攻撃の対象になるということだ。だから各地で住民たちが声を上げている。しかし、政府はもっぱらアメリカに隷属して高市なんてトランプに抱きつく始末で、対中戦争でも日本列島がアメリカの弾よけとして戦場にされかねない方向に進んでいる。極めて危険な状態だ。政党がおしなべて米国隷属で右へならえでまとまっており、「国旗に敬意を払え!」とかいう割には国土を戦場にしても構わぬというような売国奴ぶりである。

 

  日本社会の衰退や凋落は世界的に見てもひどいものがあるが、その根本には対米従属の売国性が横たわっている。戦後81年も経ちながらいまだに実質の植民地状態であるし、アメリカに屈服して占領されているような国は世界中を見渡しても日本くらいだ。イランだってイラクだって、アフガンだってアメリカを撃退して、占領統治されている国などない。その違いは為政者をして屈服し、占領統治を受け入れているということだ。全国のいたるところに米軍基地が置かれ、入国出国も出入り自由、横田空域もそのまま米軍の管制下に置かれて首都圏の広大な空域を自国の飛行機が飛べずに奪われっ放し。経済も外交もなにもかも米国依存で縛られて、トランプのアメリカを見たらわかるように「パクス・アメリカーナ」の終焉という局面においても道連れにされかねない状態だ。このなかで国会とか政党を見てもカスみたいなのばかりで憂国の士など皆無なのだ。

 

次なる展望導く運動を

 

  日本社会ではこの7年でれいわ新選組が登場してきたが、世界的にも草莽崛起みたいな状況が広がっているのが特徴で、それこそ米国でもニューヨーク市長やワシントン市長にニューリーダーといえる「アメリカの山本太郎」みたいなのが登場している。社会民主主義者を自称するサンダースのもとでオカシオ・コルテスはじめとした若い政治家たちが台頭しているのは知っていたが、「マムダニ」とかいわれても失礼ながら「オマエ、誰?」というような名前を聞いたこともないようなリーダーたちが次々とあらわれて、資本家や富裕層を向こうにまわして政治を動かしている。

 

 C 資本主義が終わりに近づいてむきだしの搾取が強まるなかで、そうした社会のなかで生きていけない状態まで追い込まれた側は、束になって立ち向かっていくしかない。アメリカにおいても広範な民衆を基盤にした社会運動というのが挫折もくり返しながら進化を遂げてきたし、それが昨今の労働運動の高揚につながったりしている。そして、運動のなかからニューリーダーがあらわれる。あまりアメリカ国内の状況について日本では報道されないが、かつてなく社会運動がうねりになっているのが現実だ。同じように日本社会でも太郎引退となった次に「次郎? オマエ誰だよ!」と思うようなリーダーが出てきておかしくない。時代に求められてその必要性から担ぎ上げられるのだ。

 

  山本太郎の引退はれいわ新選組にとっては大きな痛手ではあるが、だからといって消滅するのではなく、次なる展望につなげないといけない。厳しく苦しい局面でこそ人間の性根や真価が問われるのと同じで、困難や壁は乗り越えていくしかない。そうしたらもっと強靱な組織なり政党になっていけるはずだ。内部の事情はわからないにしても、別物に変質するわけではない以上「もっとやれ!」と薪をくべ続けるし、れいわ新選組を通じてつながった人と人は切り離れてはならないと思う。世の中をまっとうなものにしていくとは遊びや趣味ではないし、好き嫌いでやることではない。走り続けて疲れた者は休んだら良い。おおいに役割は果たした。そのバトンを引き継いでどう7年以後につなげていくか、今後が注目されている。

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この記事へのコメント

  1. 仲村ようすけ says:

    山本太郎さんと大石あきこさんがいなくなったのは痛手ですが、いずれか訪れるのは避けられない事でしたので、それが予定よりも早く訪れて、れいわ新選組は新たな段階に入ったと前向きに考えた方がいいと思います。

    私としては、今までは国政選挙偏重気味でしたので、それを見直して区市町村議会議員を増やし地方での足場を固めていくのがいいと思われます。
    国政選挙は広告代理店D言いなりの新聞、ラジオ、TVといった既存メディアが与野党問わず右派政党の味方で、対等な選挙戦ができないので、地方選挙で着実に体制を立て直し、より庶民に身近な政党になって欲しいです。

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