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広島市で「令和の百姓一揆」 生産者と消費者がつながり熱気 トラクターで市内を行進 「持続可能な農業支援を」

(2025年11月28日付掲載)

農家や消費者が参加した「令和の百姓一揆ひろしま」(11月24日、広島市)

 広島市中区で11月24日、「令和の百姓一揆ひろしま」希望の集い第2弾(主催/令和の百姓一揆ひろしま実行委員会)が開催された。昨年12月に島根県吉賀町でおこなわれたトラクター行進から始まったこのうねりは全国へと広がり、一次産業の未来をみんなの手で切り拓こうとする大きな流れとなっている。広島での百姓一揆は今年7月におこなわれた北広島町でのとりくみに続き2回目で、今回は広島市の中心部で集会とデモ行進をおこない、デモにはトラクター5台と軽トラ15台が参加した。参加者は「日本の食と農を守ろう」という呼びかけのもと、生産者と消費者の垣根をこえて農業の現状や生産者、消費者の思いや問題意識を交流し、日本の農業を守り次の世代に安心安全な日本の食料生産を引き継ぐために熱のこもった議論が交わされた。

 

広島市中心部をトラクターが行進(11月24日)

 開会の前に、令和の百姓一揆ひろしま実行委員会副委員長でコメ農家の浅枝久美子氏が、「令和の百姓一揆」が全国に広がってきた経緯と広島県内でのとりくみについて概要を説明した。

 

 昨年12月18日、島根県吉賀町の農業者約40人が町内約3㌔にわたり22台のトラクターと軽トラ4台でデモ行進し、国や県に対して農畜産物価格への資材費転嫁や耕作放棄地の解消にとりくむよう訴え、「食料を守れない国に未来はない」と声明を発出した。これをきっかけに「令和の百姓一揆」のとりくみが動き出した。今年2月18日には、衆議院第2議員会館で「令和の百姓一揆実行委員会」による院内集会が開かれ、会場とオンラインを含め270人以上が参加し、32人の国会議員も出席。米価下落や資材高騰で農家の経営が限界にある現状が共有され、欧米並の農家所得補償の実現、食と農を守る政策転換を強く訴えた。

 

 令和の百姓一揆実行委員会は、趣意書の中に以下の三つの方向性を示している。

 

 一、国民が国産食料を食べ続けられる政治を求める。
 二、安定して農家が営農できる所得補償制度を求める。
 三、食料の需給の混乱を二度と起こさないことを求める。

 

 令和の百姓一揆は特定の政党を支持していないが、参加を拒むこともしていない。食と農、未来の子どもたちを守るために、無所属を含め超党派に呼びかけている。

 

 令和の百姓一揆実行委員会が、3月30日の全国一斉行動に向けたクラウドファンディングを立ち上げると、短期間で目標金額を突破した。3月30日の行動は、北海道から沖縄まで全国14カ所で展開された。東京では農家と消費者4500人が都内の青山公園に集結してデモ行進し「食と農を守ろう」と声をあげた。

 

 令和の百姓一揆ひろしまの実行委員長や副委員長、その他のメンバーも東京で出会い、広島へと持ち帰った熱気を原動力に「広島では何ができるのか」「自分たちの地域でどんな一歩が踏み出せるか」を本気で考え、東京から戻った翌月に実行委員会を立ち上げた。そして、広島の仲間たちに次々に呼びかけて行動の輪を拡大。その間、「デモに意味はあるのか」「デモに行く時間があるなら数字を弾け」など、想像以上に反発や厳しい意見も寄せられたという。

 

 それでも令和の百姓一揆に共感し、力を貸してくれる仲間は確実に増え、北広島町での開催も決定した。実行委員会にデモ主催経験者は一人もいなかったが、令和の百姓一揆東京本部からアドバイスを受けながら準備を進めたという。

 

 地方から地方へとバトンを受け継ぎ、百姓一揆の繋がりが全国へと広がるなかで、7月21日、北広島町で百姓一揆が開催された。トラクターや軽トラとともに70人の参加者が約1・2㌔を歩き、沿道からも温かい声援があった。最後に浅枝氏は「私たちは勇気をもらい、本日に至る。多くの学びをいただき、今日この場を開催できることを嬉しく思う。みなさんと一緒にいろいろな話をしたい」と呼びかけた。

 

 令和の百姓一揆のとりくみは、現在全国24カ所へと広がっている。最近では9月に青森県弘前市で令和の百姓一揆に連帯したスタンディングがおこなわれ、11月は10日に秋田県秋田市、16日に愛知県豊橋市でも令和の百姓一揆がとりくまれた。また、21日には吉賀町でトラクターデモがおこなわれ、24日には広島での第2回目とともに山形県山形市でも百姓一揆がおこなわれた。これまでコメどころの東北地域での行動は遅れていたが、青森、秋田、山形で連続して運動がとりくまれ、岩手や宮城でも農業者を中心とした組織化が進められているという。

 

食料生産の現状、市民に伝える

 

 広島市での行動では、午前の部の最初に、実行委員長で酪農家の西原美和氏が挨拶をおこない、「今日は思いを一つにして、誰かだけではなく、みなさんの思いを出し合う会にしていこう」と呼びかけた。

 

 続いて、広島県で2021年に可決された「広島県主要農作物等種子条例」をめぐり、条例制定を求める運動に携わってきた竹松隆司氏がとりくみの内容を紹介した。また、令和の百姓一揆が求める「農家への所得補償」がなぜ必要なのか、農家も消費者も支えるための仕組みの重要性について参加者に知ってもらうために、実行委員のメンバーが寸劇を披露した。

 

 その後、参加者が複数の班に分かれて農業者を囲み座談会をおこなった。参加者は自身がどのような農業をしているのか、農業をしていて嬉しかったこと、大変だったことなどを画用紙に記入し、農業者でない参加者もメッセージを記してそれぞれが自己紹介した。農業者たちは高齢化や後継者不足、生産費の高騰など日々感じている日本の農業生産の危機的な状況についてそれぞれの経験や実感を出し合い、消費者もその現状を踏まえて自身の意見や農政に求めることを語った。

 

 広島県内のコメ農家の男性は「昨年、あまりにもコメが不足して父から“コメがないか”といわれて自宅で備蓄用に保存していた5~6俵を安く売ってあげたのだが、“日本にコメがないってどういうことなのか”と衝撃を受け、本当に日本の農業が危機に陥っていると気づいた」と語った。現在70歳で、体力的にもあと5年後には間違いなく引退しなければならないが、すでに農村からコメ農家が消えて後継者がいないといい、「私がコメ生産を始めた頃は10人コメ農家がいたが、今は私1人だけだ。国は“規模拡大”というが、私が何もしなくても勝手に規模拡大されてきた。だが、日本の田の7割が中山間地であり、大規模化したからといって必ずしも効率化が実現するとは限らない。私は農業を始めてから12年間ずっと赤字で、ようやく昨年初めて黒字になった」と話した。

 

 別の農家は「私は元々流通業に携わっていたので、生産者をどんどん買い叩いてできるだけ商品を独占し、他を潰してでも安売りして“ここでしか買い物ができない”という状況をつくり出してきた。そのような競争がこれからの農業にも持ち込まれようとしている。このままでは本当に日本の食料生産が廃れ、食料がなくなる。今私たちが本気で守らなければ、次の世代に日本の食と農を引き継げない。耕作放棄地は1年放置されたら戻すのに3年かかる。2年放置されたら5年、3年放置されればもう元には戻せない。日本の“田園風景”とは、そこにある山も木も田畑も、すべて人の手が入っているからこそ美しいものだ。“衣食足りて礼節を知る”という言葉があるように、私たち農家が作る食料によって人間の命と生活が維持され、戦後80年間平和な日本が保たれてきたという自負がある。若い人たちに未来の農業を担ってもらうために、私たちの世代が今頑張らないといけない。農家も消費者も生きていけるための“適正価格”を実現するためにも農家への所得補償は必要だ」と語った。

 

 大学で栄養教諭の育成に携わってきたという女性は「今の食の危機について、学校で子どもたちにしっかり教えられない教育の課題も大きい。栄養教諭を育てる大学でも今では栄養素のことしか教えなくなっており、学生たちも農業や生産現場の実情を知らない。“農家の人たちが一生懸命作ってくれたので残さず食べましょう”と口ではいうが、先生自身が農家の現状を知らないといけない」と語った。

 

 また「学校給食も単独調理方式だったものを複数の学校をひとまとめにするセンター化がどんどん増えてきた。広島でも今まさにセンター化の動きが急速に進んでいるが、そうなると栄養教諭はセンター勤務になって5~6校を1人で受け持つようになるため、まともな食育などできなくなる。センター化によってフードロスも大幅に増える。令和の百姓一揆のとりくみを通じて生産者の方々と消費者が繋がれることはすばらしいことだが、将来の子どもたちに伝えていく仕組みを作ることも必要だ」と意見をのべた。

 

学校での食育の大切さ提起

 

 昨年広島県内でコメ農家を始めたばかりだという40代の男性は、「広島市内に家族と暮らしながら市外の農村に通って農業をしている。農家が疲弊し、平均年齢は70歳近く、10年後は農家が半減するとまでいわれているなかで、この国の食料を守らなければ子どもや孫の世代の日本の食が崩壊してしまうという危機感がある。子どもが四人いるが、昨年はスーパーのコメが高くて買えないということも実際に経験した。1年間ベテラン農家さんの下で修業をしてきたが、みなさん毎年赤字でも一生懸命日本の農業を守り、食を繋いできたプライドがある。その思いや苦労に触れ、自分自身も本気で農業をやらなければと姿勢を改め、農村のみんなに少しは認めてもらって来年からようやく少しの田を貸してもらえるようになった。“後継者の確保を”と簡単にいうが、口でいうほど現実は甘くないということもよく分かった。そのうえで若者が安心して本気で農業に打ち込め、食べられない人が食べられるようになる仕組みづくりをやらないといけない。“日本人が生きていくにはどうすれば良いか”という根本的な所から考え直さないといけない時期に来ていると思う」と語った。

 

 参加者同士の議論は白熱し、「時間が足りない」「もっと話したかった」などの声が多かった。その後、各班の代表がそれぞれ議論になった内容などを報告し、どのような参加者がいて、それぞれの参加者がどのような問題意識を持って集まっているのかなどを全員で共有した。ある班からの報告では、肥料が高騰して負担が大きくなり、資金を投入して機械などを購入しているがそれに見合う収入がないこと、今のままでは次の世代に農業を託せない深刻な状況であることが語られた。また、先祖から受け継いできた農地で、自分たちが食べるだけでも安心安全な野菜を作ろうと頑張っている消費者がいることなども報告があった。その他にも、子どもたちに農業体験を通じて農業の大切さを知ってもらうとりくみをしている農家がいるとの報告も複数あり、多くの生産者が将来の日本の食と農について真剣に考え行動していることも確認された。

 

 午前の部の最後に、令和の百姓一揆実行委員会事務局長の橋宏通氏が挨拶した。橋氏は、広島での開催と同じ日に山形でも百姓一揆が開催されており、全国24カ所へと運動が広がっていることを報告した。そして、「全国の地域でみんなの思いを繋げていきたい。広島での開催が全国の農家と消費者に大きな励ましと力を与えている」「令和の百姓一揆は、デモ行進して何かを訴えるというだけではない。今日のようにみんながお互いに意見をいいながら話し合い、工夫しながら消費者と生産者が繋がるというのが一番のキーワードだ」とのべた。

 

 また、「今お米が高い。消費者は安ければいいと思うし、農家は高い方がいいと思う。そうしたなかでこの状況は一歩間違えると“農家さんはもうかっているのではないか”という分断が生まれる可能性もある。だからこそ目先の価格に振り回されてはだめだ。30年先も生産者が安心してかけがえのない農地と技術、種、自然を守ることができなければ、消費者も子どもたちに何を食べさせれば良いのか分からなくなる」「今の農政では減反しなければ補助金はもらえない。そうではなく、頑張って生産した分、補助金がもらえるようにしなければならない。そうすれば消費者も安く買える。消費者も生産者も豊かになれる関係性を実現していきたい」と語った。

 

 そして最後に「広島といえばレモンをはじめとする果樹、コメ、酪農がある。これは日本の宝だ。みなさんが何世代にもわたって作り上げてきた技術と財産を絶対になくしてはならない。農水省がいうように10年後、農業人口は半分になる。果樹農家は3分の1に減る。今食べている農産物を食べられなくなる日がいつ来ても不思議ではない。だからこそ生産者が持続的に生産し、消費者が安心して食べられる環境を作らなければならない。今がそれを実現するチャンスだ。これからも多くの人に連帯の輪を広げていこう」と呼びかけた。

 

 午後からは広島市内でデモ行進をおこない「日本の食と農を守ろう」のメッセージを多くの市民に呼びかけた。午前の集会後、参加者に農家が作った大根やそうめん瓜などが振る舞われたため、デモの最中に手に持った野菜を掲げる人もいた。

 

 トラクター5台と軽トラ15台が整然と並び、沿道から手を振る人やスマートフォンを構えて写真や動画を撮影する人も多かった。行進のルートは平和公園前や八丁堀、相生通など広島市の中心街であり、多くの市民の注目を集めた。

 

 農家が乗り込むトラクターは、大根や人参などの野菜でデコレーションされ、軽トラ隊も「未来の子どもたちにも国産の食を味わってもらうために」「皆が安心して国産の食を手にするために」などのメッセージが記された幟を掲げた。また、それぞれが荷台に自作の看板やむしろ旗、米俵や畳などを使い「米価の安定を」「安心して米を作りたい」「持続可能な農業支援を」「農家に所得補償を」などの思いをアピールした。

 

 運転手も含めた約100人のデモ隊は、「欧米並みの所得の補償を」「お米を食べよう」「牛乳を飲もう」「野菜を食べよう」「未来の子どもに国産残そう」「限界超えてる農家を守ろう」「今動かなくちゃ農業守れない」「みんな立ち上がれ。今が正念場」などのコールをおこない、沿道の市民や通行するドライバーに連帯を呼びかけた。デモ隊は約1時間半かけて原爆ドーム前まで行進した。

 

 最後に令和の百姓一揆実行委員会事務局長の橋氏が挨拶し、「昔から食料や資源を争って戦争が起きてきたように、安定した食料がなければ真の平和は実現できない。そういう意味では、戦後80年目の節目の年に原爆ドームや平和公園、資料館があるここ広島の地で百姓一揆を開催できたことはとても意味があることだと思う」とのべ、会の成功を確認した。

 

 行動に参加した生産者も充実感を語っていた。広島県内で家畜商を営む男性は、「人が生きていくうえで必要な衣食住のなかでも食は一番大事だ。普段は忘れられがちだが、日本の食がどうやって守られているのかをたくさんの人に知ってほしい。そのためには百姓一揆のようなとりくみが必要だと思い、趣旨に賛同して参加した」と語った。男性は、祖父の代から続く事業を大学卒業後から継ぎ、他の仕事と兼業しながら続けているという。家畜商とは、家畜市場で売買や斡旋などをおこなう業者で、男性は主に酪農で繁殖用の母牛としての役目を終えた経産牛や、母牛に乳を出させるために種付けして生まれた雄の仔牛などを扱っているという。

 

 「一次産業の農業の現場では、みんなの繋がりによってそれぞれの事業が成り立っている。私のような家畜商は酪農家などの畜産農家が元気に事業を続けられなければ成り立たないし、その先の二次、三次の産業も苦しくなる。だからこそ一次産業を重視した政策が必要だ。農業現場ではどこも後継者問題が大きな課題で、次の世代が自信を持って仕事ができるだけの収入がなければならない。簡単に“補助金”とかはいいにくい部分もあるが、それでも農家に対する所得補償は必要だと思う。そうしないともう現場が持たない」と危機感を語る。

 

 円安によってエサ代をはじめとした農業資材が高騰して生産コストが上昇し、厳しい状況が重なるなかでもギリギリの状態で耐えている畜産農家を日々目の当たりにしているといい、「国産肉が高いといわれるが、それでも畜産農家は経費負担がどんどん増えて元がとれない状況が続いて苦しい。農家にしても畜産農家にしても、一度事業が途絶えてしまうと再び事業を始めるのは困難だ。肉になる牛を育てるだけでもゼロから始めれば2年半はかかる。畜産も農作物も、生き物・自然を相手にしており、工場で製品を製造するのと違って簡単に生産調整などできない。何十年という長い目で将来的に安心して日本の食を維持し、生産者が誇りを持てる環境を作っていく農業政策が必要だ」と話していた。

 

 実行委員長で酪農業家の西原美和氏は「参加者の熱気や交流の内容の濃さが尋常ではなかった。デモで外に向けて行動するだけではなく、参加者の交流を通じて今日集まった一人一人がその熱を持ち帰ってくれたと思うし、そこから次の運動が始まっていくと思う。令和の百姓一揆では政策として“農家に所得補償を”と訴えているが、農家も消費者もみんなが繋がって一緒に考えていこうという思いこそがこの運動の真髄だと思う。そのみんなの気持ちを次の誰かに伝えたい。理屈やきれい事ではなく、みんなが同じ時間を過ごして仲間になれること、その繋がりを増やし広げていくことこそがこれからの日本の農業の将来を作っていく希望になるはずだ。次は今日来た人たちの側から“こんな活動をしてみたい”という声を上げてもらえたら嬉しい」と語った。

 

 また、「この間活動をとりくんできて、誰もがみんなと話したり聞いたりしたいんだということがよくわかった。そういう市民の繋がりを作り、意見を吸い上げていくことこそが政治家に求められる働きではないかと思う。今、農家は本当にギリギリで厳しい状況だが、それでも無気力になるのではなく、本当にこのままでいいのか、今のままの食と農を子どもたちに残すのかが問われているのではないか。私たちの主張は何もおかしなことではないし、真剣に生きているからこその訴えだ。原爆投下から80年経って、広島をここまで復興させてきた人間の強さ、自然の素晴らしさを思い出し、おかしいことには心底“おかしい”といって良いということをみんなに伝えたい」と話していた。

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