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記者座談会 「維新」の終焉突きつけた住民投票 「改革」騙る地方自治破壊に怒りの審判

 大阪市で1日に投開票された「大阪市廃止・特別区設置」(大阪都構想)の是非を問う住民投票は、反対が賛成に1万7167票差をつけて勝利し、ダメ押しとなる二度目の否決となった。バブル崩壊後、全国的な経済不況とともにグローバル化や産業構造の転換が進み、地方都市の衰退や人々の生活の苦しさに拍車がかかるなかで、「二重行政のムダ解消」「日本の副首都をつくる」として橋下・維新の会が仕掛けた「都構想」は、世論を二分する論議に発展したが、その地方自治を剥奪する新自由主義的な目論見は、広範な大阪市民の民意によって再び打ち砕かれた。本紙は、大阪での現地取材をもとに、「大阪市廃止」をめぐる攻防はどのようなものであったのか、そこから見える大阪だけでなく全国共通の課題と教訓について記者座談会で整理した。

 

 A 投票率は62.35%で、前回(66.83%)を約4㌽下回ったが、昨年4月のダブル選における市長選(52.70%)を10㌽近く上回っており、コロナ禍でありながらも高い関心を集めたといえる。

 

 開票結果は、賛成が67万5829票(49.37%)、反対が69万2996票(50.63%)で、1万7167票差で反対が上回った。5年前の1回目と比べても、維新は「一強」といえる盤石な体制を築き、昨年4月には最大の組織票を持つ公明党が賛成に回り、自民党府議団もそれになびくなど、政党レベルでは「反対から賛成へ」のドミノ現象が起きるなかで、票差は逆に前回よりも6000票以上開いた。既存政党がいかに市民から遊離しているかをあらわしているし、これらの政党が束になってもコントロールできなかった強固な民意だ。

 

  世論を二分するしびれるほど拮抗した攻防戦だった。区ごとの賛・否の優劣【上地図・表参照】を見ても、前回と同じく南北に分かれており、「大阪市廃止」によって地域間や世代間に生まれる明暗がはっきりしている。つまり近年大規模な開発が進み、新規流入者が多い梅田を中心とする北部地域では賛成が多いが、古くからの市民が暮らし、昔ながらの住宅地や中小企業の多い南部や西部地域では反対が根強く、その力が増した。前回からの変化として、東成区が賛成多数から反対多数に転じている。府と市、公共と民間、高齢層と若年層など、ひたすら分断することによって基盤を固めてきた維新だが、「大阪市廃止」まできて、より多くの市民が切り捨てられる対象であることを冷静に見極めて「NO」を突きつけた。維新がいってきた「二重行政の廃止の制度化」である「都構想」を拒否し、現在の大阪市を守ることを選択した。

 

 党の存亡を賭けて「都構想」の実現に全力を挙げてきた維新は、決定的な場面で5割の壁をこえることができず、党の看板政策と代表(松井一郎)を同時に失うことになり、一夜にして崖っぷちに追い込まれた。

 

  開票後の会見での松井市長、吉村知事の表情がすべてを物語っていた。会見場の空気はまるで葬式だった。

 

 松井市長は引きつった笑顔で「二度負けてますんで、これはもう自分自身の政治家としての力不足」「この民意をしっかりと受け止める」「みなさんが悩みに悩み抜くような問題提起ができたことは政治家冥利に尽きる」「まったく後悔はなく、落ち込むこともまったくなく、心が晴れている」と、5年前の橋下徹市長(当時)の敗戦の弁をそのままコピーしたような言葉でとり繕いながら、2年後の任期限りでの政界引退を表明した。

 

 「都構想」については「われわれ世代ではなく、ひょっとしたら吉村さん世代ではない人たちが思いを持つかも……」と水を向けたが、隣で顔面蒼白の吉村知事は「僕たちが掲げてきた大阪都構想は間違っていたのだろうと思う。だから、僕自身が政治家として大阪都構想に挑戦することはもうありません」とその場で即座に打ち消した。自業自得ではあるが、「もう勘弁してくれ!」という心の叫びが聞こえるような会見だった。

 

 

 吉村自身、武富士の代理人弁護士だったところを橋下に拾われて市長、知事と順調に階段を上ってきたが、維新の「顔」に祭り上げられたあげく、「都構想」とともに政治家生命が終わろうとしている。看板政策が2度も直接民意によって否決され、2人続けていい出しっぺのリーダーが逃げ出し、その責任がすべて若手に押しつけられる。代理人である以上方向転換は許されず、「都構想」に磔(はりつけ)の運命だ。

 

 

 そもそも橋下徹が提唱し、財界やメディアが後押しする「都構想」を実現するために投機的に野合してできた集団であり、賞味期限が切れて財界がカネを出さず、メディアの援護がなくなれば政党として持たない。「金の切れ目は縁の切れ目」で、今度は蜘蛛の子を散らすように雲散霧消しかねない。それが背後勢力に操られる「代理人」の性でもあるし、敗戦とともに上からの圧力、下からの不満に挟まれ、まるで被告人席に座ったような顔つきだった。

 

  既に籍を外してコメンテーターで稼いでいる橋下徹は、負けたとたんに他人事を決め込んでいるし、東徹など「必ず3度目の挑戦を!」といっている連中も自分が矢面に立つ気などさらさらなく、バトンの譲り合いをしている調子だ。前回の「ラストチャンス!」を覆して再チャレンジに挑み、あらゆる政治勢力を従え、嘘、デタラメ、印象操作の限りを尽くした力業で押し切って、「歴史的勝利」の会見をするはずだった豪華なホテル会場は、さながら維新の告別式会場になってしまった。

 

全国先取りの地方自治破壊 菅政権と連動

 

  タレント弁護士だった橋下徹が大阪府知事として登場したのが2007年。2011年にはダブル選を仕掛けて大阪市長に橋下、府知事には松井一郎が就いて以来、維新が府市の首長ポストを独占して9年になる。

 

 現在では、堺市、枚方市、守口市、門真市、箕面市、柏原市、岸和田市、池田市、八尾市、羽曳野市、阪南市、豊能町、熊取町、太子町、忠岡町の府内15市町で首長ポストを握り、府議会では単独過半数(49人)、大阪市議会でも約半数(40人)、さらに堺市、箕面市、八尾市、茨木市、交野市、大東市、和泉市、大阪狭山市、藤井寺市、和泉市、泉南市、豊能町の各議会で第一党になるほどに地方議員を増やした。

 

 松井一郎(元自民党大阪府議団政調会長)をはじめとする中核メンバーは、みんなもともと自民党議員で、うだつの上がらない古巣を見限り、橋下ブームに便乗して維新を立ち上げ、竹中平蔵などの中央財界の支えをバックに地元の自民党議員をまるでオセロの石をひっくり返すようにとり込んでいった。若手議員でも自民党議員の二世であったり、元自民党議員が多い。当初は安倍晋三を党首に迎えようとしていたほどであり、菅政権とも関係は親しい。関西における「自民党の別働隊」「第二自民党」にほかならない。

 

 橋下・松井を筆頭に、数々の問題発言、問題行動、金銭トラブル、汚職や不正、最近では市長室にサウナを持ち込むなど所属議員の不祥事は数限りないが、「二重行政の解消」や「都構想」という壮大なビジョンでそれを払拭しつつ、財界の意向を汲んだメディアが劇場型のパフォーマンスを全力で演出してきた。2025年の万博誘致もその一環だろう。

 

 一方では、コロナ禍が襲ってきてインバウンドが蒸発し、これ以上先延ばしにすれば、さらに深刻化する経済不況や税収不足が顕在化し、「都構想」を虚飾してきた財政シミュレーションや経済効果などの「だまし絵」が吹き飛んでしまう。その意味ではギリギリのタイミングでもあった。

 

  大阪市を消滅・解体して特別区にしてしまえば、二度と元には戻れないばかりか、隣接する自治体を特別区にするためには、市域を分割しない限りは住民投票は必要ない。法律上は、市長専決や議会の賛成多数によって大阪府の従属団体に組み込むことが可能であり、議会構成だけ見ればその条件は整っていた。「都構想」による大胆な行政改革を弾みにして一気に関西全域に影響力を広げ、国政政党としても全国展開していくという目算だったと思う。

 

 既報の通り「大阪都構想」とは、「地方分権」の建前とは裏腹に、独自性を持つ地方都市の自治権限を弱め、外資や大手企業の草刈り場にするための集権化と規制緩和を大胆に進めるものだ。そのためには「大阪を真っ白なキャンバスにする」(橋下徹)必要があり、歴史的に土着性の強い大阪の自民党を切り捨てて、新たな代理人として維新を登用し、多少のリスクがあっても自民党にはできない大暴れをする役回りを担わせた。

 

 それは維新と二人三脚で、IRカジノ誘致やスーパーシティー構想(IT化による都市や情報コントロールと国家戦略特区の拡大)、外国人労働者の活用促進、さらには中小企業の淘汰・再編など産業構造の転換を全国的におし進めようとする菅自民党政府の新自由主義政策の先取りでもあり、「大阪都構想」をめぐる攻防は、日本全国の先行きを決定づけるうえでも重要な試金石でもあった。大阪市民の決断は、大阪市を守り抜いただけでなく、維新の全国化を食い止め、菅政権にも痛烈な一撃を与えたと思う。

 

 

政党政治崩壊のもと 底力示した大阪の人々

 

  そのようにベールに覆われていた「都構想」や維新の体質が市民の中で広く認識されていったからこその否決だった。

 

 住民投票の実施が決まってから大阪市内に取材に入ると、当初は重苦しい雰囲気があった。北部地域では「このあたりは維新が強いから……」と異論を表面に出しづらい隠然とした圧力が覆っていたし、都構想については「よくわからない」とか、そもそもコロナで大変な状態にあり「都構想など考えている余裕はない」という苛立ちの声も少なくなかった。一方、賛成という人も「維新が頑張ってるから応援せなあかん」とか「現状のままでは大阪はよくならないから」という意見が多く、「都構想」の具体的な内容について踏み込んで見解を語る人はほとんどいなかった。

 

 告示前の各局の世論調査では、賛成が14㌽も上回っており、行政サイドはコロナを理由にして住民説明会をほとんどせず、このまま組織票でスルッと勝ち抜けるような趨勢だった。

 

  在阪テレビ局などの商業メディアは、維新と自民・共産などの議員を対面させて連日討論会を流していたが、「維新vs自民」「維新vs野党」の構図にして、維新が得意とする「改革派vs既得権」の形に持ち込むというトリックだった。地方自治や住民の生活を規定する行政の仕組みをめぐる住民投票であるはずなのに、選挙と同じ政党間争いとして描く。それなら「都構想」の本質の議論をぼかすことができるし、「反自民」で自身を浮き立たせてきた維新にとって都合がよく、「過去に戻すか、前に進めるか」のスローガンが際立つ。維新が放つ裏付けのない「メリット」や「経済成長」が検証されないまま垂れ流され、あれほど学者など地方行政や財政の専門家がデータに基づいてその欺瞞性を発信していたのに、メディアに登場することは皆無だった。スポンサーである財界がそれを望んでいたということだ。

 

  表面上だけ見るなら圧倒的に維新が有利であり、対抗できる政治勢力が乏しい。これは「自民一強」が続く全国共通の問題だし、大阪においては「自民」の看板を「維新」に付けかえただけの話だ。菅体制の自民党本部は、反対運動に資金も人員も投入せず、府議団まで賛成になびき、市議団だけが孤立無援状態にあったことは市民みんなが知っている。だから反対の勝利が、自民党の支持拡大によるものと思っている人は一人もいない。他の既存野党にしても同じだ。むしろ無党派層を含めて、政党の枠をこえた市民の力が下から盛り上がっていったことが最大の要因だった。

 

  そのうえでは今回、学者・知識人が果たした役割は大きい。関西を中心にして130人をこえる学者が反対意見を発表し、何度もシンポジウムや記者会見を開いて、「大阪市廃止」がいかに大阪市民の地方自治や生活、ひいては関西や全国の人々に不利益をもたらすかについて、ネットやSNSでもわかりやすく発信し続けた。

 

 行政経験者や事業者などが緩やかな形で市民団体を立ち上げ、危機感を持った市民、元公務員、年配者、親世代、主婦、デザイナー、若者に至るまで、政党政派などをこえた市民が自発的に行動を始め、工夫を凝らして「都構想」の内実をチラシにして配ったり、SNSで発信したり、街頭でのチラシ撒きやスタンディングに参加する人の数が終盤に向かって増えていった。みんな手弁当だし、宣伝物などの資金はすべて市民からの寄付でまかなっていた。最後は、学者や元行政マン、自治体の首長経験者も、市民と一緒に街頭でプラカードを掲げたり、メガホンを握って市民の疑問に直接答えていた。

 

 チラシ一つとっても、「反対」をヒステリックに宣伝するものになりがちだが、市民が両者の主張を比べて冷静に判断できるように内容やデザインを工夫するなど、無党派層の気分感情を汲みとった多種多様なものが次々に生まれた。街頭では、おばあちゃんが「一緒にやらせてもらえませんか…」といって手製のプラカードを持ってスタンディングに加わってきたり、どこでどれだけの人が行動していたかは、誰も把握できないほどだった。終盤にかけて、この無名の市民の本気度が、「都構想」の欺瞞のベールを剥ぎ、「人情の街・大阪」の心を大きく動かしていったと思う。

 

  一方の維新は、大手広告代理店の手によるPRパンフレットや動画、音楽入りの宣伝カー、統一されたTシャツや幟、テレビCMまで、資金力を注いであらゆるコンテンツを駆使したイメージ戦略を徹底した。若い政党であるため、担当地区でノルマを達成するなどの実力を見せれば、どんなに若手でも議員ポストが得られるなどリターンが大きい。そのため選挙でも「どぶ板」による票固めが得意といわれ、各地から動員された若手議員が地域を回りながら各地で小規模な説明会を開くとともに、公明党ともタッグを組んで合同説明会や街頭演説をくり返し、組織票固めに力を入れていた。

 

 だが、相手をバッシングすることで自分を浮き立たせてきたのに、反対運動の主力が既成政党ではなく無名の市民だからやりにくい。市民の素朴な疑問や不安まですべて「反対派のデマだ!」で片付け、「維新が大阪を成長させてきたのだ!」と叫ぶばかりで威圧感だけが増し、うさん臭い「もうけ話」に根拠がないことが見抜かれて、やればやるほど上滑りした。何度も開いた「まちかど説明会」でも、よいしょする熱心な支持者は集まるが、半信半疑の無党派層はいぶかしがって近寄らなくなった。人心を煽るのに有効な「叩く相手」がなくなり、最後は身内である市財政局や『毎日新聞』に噛みついていたが、その姿は市民から見れば「既得権者」そのものとして映った。

 

  政党としては、山本太郎のれいわ新選組が、維新に対抗する新たな勢力として存在感を発揮した。3週間近く、1日あたり6~8カ所の街宣を大阪市内でみっちりやりまくった。3、4回は告知があったが、あとはすべてゲリラだ。朝から晩まで走り回っていた。

 メディアが扱わない学者などの専門家や平松元市長も積極的に登壇させ、「大阪の成長を止めるな」という維新政治のもとで大阪の経済、行政、暮らしがどうなってきたのかをデータに基づいて検証したし、隠されている「都構想」のデメリットについても丁寧に伝えていた。何台もの液晶画面、音響設備を備えたトラックやスタッフの数を含めて、この時期に「都構想」反対であれほど力を注いだ政党は他にないと思う。

 明らかに空気を変えていったし、多くの無党派層を動かすことに貢献したと思われる。府警が飛び上がって妨害したり、橋下徹がムキになって攻撃していたのも、その効果の裏返しであり、維新にとって無視できない脅威になっていた証といえる。

 

れいわ新選組の「あかん!都構想」街宣にあつまった人々(10月31日・大阪駅)

身近な既得権叩くが 大きな既得権に隷属

 

  「小さい嘘より大きい嘘の方がダマされやすい」とはヒトラーの言葉だが、どんな大きな嘘や詐欺でも一度そのトリックや手の内がバレてしまえば人心は散るばかりで、「夢物語」を虚飾してきた財源も途絶える。財界が支えるのは橋下徹や竹中平蔵など一握りの代理人だけであり、その他は使い捨てだ。

 東京の小池ファーストの会にしても、「反自民」の顔で人々をフェイクして批判票を取り込むというのが最近の特徴だ。それだけ自民党も弱体化しており、そのようなフェイク集団の存在なしには米国や財界の求める改革ができないのだ。

 

 自民党にできないことをやるから登用されたわけであり、その意味で維新の賞味期限は、橋下徹が逃げ出した5年前に切れていたといえる。

 

橋下徹

 それでも表向きの勢力が拡大したのは、さながら米国におけるトランプ現象にも似たものがあり、政党政治が崩壊していることの裏返しでもある。

 

 前回の座談会でも触れたが、地方都市が抱える経済的な苦境や人々の不満をテコにして、大阪で巨大だった労組や公務員バッシング、「二重行政」といった行政機関を切り刻むことから始まり、あたかも苦しい人々の側に立った改革であるかのように見せかけて、市民同士を分断し、次々に権利を剥奪しながら、「大阪市廃止」という局面まで持ち込んだ。

 

 内実を見れば、これまで既得権を貪ってきた自民党の「別働隊」が看板を付け変えただけなのだが、市民の不満や怒りを出発点にすることを徹底し、それを党勢拡大の原動力にしてきたことを思えば、それだけの不満や変革のエネルギーが底辺に渦巻いているということだ。だからこそ「反自民」「アンチ東京」で偽装しなければならない。むしろ野党の側が、漫然と現状維持に止まり、有権者から浮き上がって足元をすくわれているように見えて仕方がない。はっきりいって、弱すぎるのだ。

 

  「明治以来の統治機構を変える!」「身を切る改革を!」と聞こえのいいスローガンを叫んでいるが、その矛先は日本社会を食い物にしてきた米国、自民中枢、財界などの「大きな敵」には向かわず、すべて身近な「小さな敵」に向いている。確かな成果といえば「○○を削減した」「○○を切った」の緊縮一辺倒だ。それに対して激変する人々の生活や、その怒りを束ねて、人々の生活向上や地方自治の拡大にむけて、より「大きな敵」に立ち向かう結集軸を下からつくっていくことが課題だといえる。それは全国共通の課題でもある。

 

 

外圧勢力vs市民の闘い 住民代表する新勢力つくる課題

 

  学者たちも言及しているが、バブル崩壊後の産業構造の転換やグローバル化の波を受け、東京一極集中が進むなかで、大阪の経済は加速度的に疲弊してきた。経済が、ものづくりから金融中心に移行し、住金や川崎などの重工業、パナソニック、シャープ、三洋などの名だたる家電メーカーが「身売り」や工場閉鎖、海外移転に追い込まれ、武田などの大手製薬会社でも外資の乗っとりに拍車がかかった。在阪企業の99%以上が中小企業である大阪にとって、その打撃は計り知れない。

 

 また、2000年代初頭の金融大再編によって大阪に本拠を置く住友・三和グループが解体・再編され、三井と統合して東京に本社・中枢機能を移したことも歴史的転機となり、関西新空港を中心とした巨大プロジェクトも受注企業の多くは東京や外資企業だった。それは、大阪経済を潤すどころか巨額の借金を押しつけるものとなり、東京を中心とした金融資本や外資の食い物にされてきたのが現実だ。

 

 このなかで高まる不満を汲み上げ、目先をごまかして「二重行政の弊害」なる仮想敵をつくり出し、さらなる規制緩和と淘汰、グローバル化を進めるために送り込まれたのが橋下・維新であり、「都構想」はそれを制度として固定するための一里塚だったといえる。

 

竹中平蔵

 維新は発足当時から、小泉改革の中心メンバーであり、安倍政府でも国家戦略特区の諮問会議のメンバーとして規制緩和を推進してきた竹中平蔵(パソナグループ会長、オリックス社外取締役、SBI証券社外取締役、東洋大学教授)を特別顧問として迎え入れ、参与や顧問は「コストカッター」を育成する米コンサル企業マッキンゼー出身者で固めている。つまり財界といっても地方財界ではなく、外資の直接の代理人として動いている関係だ。竹中は菅政権でもブレーンであり、成長戦略会議の有識者メンバーに入っている。

 

  みずから民営化や人員削減によって市役所を機能不全の状態に陥らせておいて、吉本やメディアを使って「二重行政が悪い」「役人が抵抗している」という刷り込みをやり、最後は、それをやらせてきた張本人が「こんな市役所は潰してしまえ!」と自治体そのものを解体させるというマッチポンプをやってきた。

 

 行政改革で外注化した大阪市各区役所の窓口業務の委託先【表参照】を見ても、公務員を削減した分、その既得権がパソナに移っただけの話だ。橋下をダボス会議に招き、米CSISにも繋いだ竹中自身が、「ムダの削減」「生産性の向上」といって行政改革の旗振り役になって公的機関を切り刻み、その果実をみずからが吸い上げていくという露骨なビジネスモデルをやりまくっている。その結果、行政サービスが低下しようと、利益相反といわれようとお構いなしなのだ。「米国では常識ですよ」といった調子だ。

 

 「二重行政のムダ」のインチキも暴露された。医療や福祉、教育、公衆衛生機関など市民にとって必要な二重行政は「ムダ」として切り捨てるのではなく、維持して拡充するのが市民のためだ。折しもコロナ禍で公共の役割がこれまで以上に重要になるなかで、自己責任の弱肉強食を強めていけば、より市民の将来は不確実なものになる。またたく間に世界最大のコロナ感染大国になった米国がいい例だ。むしろ国に対して、自治体が結束して財政支出を求めていくことこそが「地方分権」の姿であり、今後の地方自治体の進むべき方向だ。今後進める学校、水道、交通その他の公共インフラの民営化にしても、カジノにしても大阪の富を吸い上げていく意図しか感じられない。

 

 菅政府がいう「悪しき前例主義からの脱却」「縦割り行政の解消」「デジタル化の促進」というスローガンも、一見効率化を進めるように聞こえるが、同じように行政や経済構造を転換して、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)などの巨大IT企業の市場を拡大しつつ、より人々の権利を制限・管理していくという宣言だ。その外圧勢力が手始めに大阪を解体し、それを全国に拡大させるというシナリオをもって、維新にその切り込み役をやらせた関係だ。

 

 C その意味で「大阪都構想」をめぐる攻防は、このような金力・権力をバックにした自治体解体の外圧勢力vs全市民のたたかいであり、「今だけ、カネだけ、自分だけ」で社会を一握りの私企業の食い物にしていく新自由主義に対して、ギリギリのところで踏ん張って大阪市民の「ど根性」、アイデンティティの強さが示された。外資直結のあらゆる圧力攻勢を打ち負かした大阪市民の大勝利だ。

 

 同時に、ここで示された新しい市民の力、現状変革を望む人々の思いを土台にして、新しい政治勢力を下からつくっていくことが求められる。

 

 知識人、教師、行政経験者、自治体労働者、商売人、親世代、文化人に至るまで、これまで分断されてきた市民が横に繋がり、一部のためでなく、市民のための政治をとり戻すことが必要になるし、その力が強まるなら維新政治からの転換は思っている以上に急速に進むと思う。これは全国的に共通しており、団結できるすべての人と団結して、政治の私物化のなかで衰退してきた産業や地域振興の課題、行政の役割について広範な市民とともに論議を深め、現在の硬直した政治状況を足元から突き動かしていくことで展望が開けることを大阪の教訓は示している。

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この記事へのコメント

  1. 以前は自分もそうでしたが、テレビしか見ていないと騙されますね。

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