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ベネズエラで進む社会革命、貧困撲滅し真の民主主義へ 欧米が叫ぶ「独裁」の虚構暴く 米独立系メディア「ピープルズ・ワールド」の論評より

(2026年2月16日付掲載)

地域住民の声を直接国政に届けるコムーナ評議会の活動(ベネズエラ)

 アメリカのピープルズ・ワールドのサイトに1月15日付で掲載された評論「ベネズエラにおける社会の進歩こそがトランプ侵攻の本当の理由」の要旨を紹介する。ピープルズ・ワールドは、アメリカでの労働運動と民主主義運動に関するニュースと分析を、全米はじめ世界中に発信している草の根独立系ジャーナリズムの先駆者で、国際労働コミュニケーション協会の会員でもある。本評論の投稿者は教育者で、「今年1月3日の米軍によるベネズエラへの軍事攻撃は明確な違法行為であるにもかかわらず、共和党議員の大半が称賛する一方で、民主党の反対は弱い」。また「あらゆる分野の企業メディアが、ベネズエラは完全に非民主的であり、マドゥロは国民に対する暴君であるという国務省の主張を繰り返し報道することに躍起になっている」と指摘し、こうしたなかで、「20年以上にわたるボリバル革命の肯定的な側面を検証することは有益だろう」「米国帝国主義による25年間の絶え間ない脅威にさらされているにもかかわらず、ベネズエラで進行中のこの革命プロセスの素晴らしい成果を支持する」とし、教育や医療など国民生活の改善や貧困撲滅、大衆的民主主義の基盤であるコムーナ評議会などの実態をくわしく紹介しており、日本でベネズエラ問題を理解するうえで重要な内容となっている。

 

◇     ◇

 

 アメリカのベネズエラ軍事侵攻、マドゥロ大統領夫妻の誘拐をめぐって、マスメディアは「マドゥロの独裁」という宣伝をふりまき、20年以上にわたるボリバル革命の成果について覆い隠している。

 

 アメリカのベネズエラ軍事侵攻の本当の理由は、アメリカとその寡頭支配層の支配、新自由主義に反対し、圧倒的多数の勤労人民のための政治と社会をめざすボリバル革命の発展を恐れたからである。

 

 ウゴ・チャベスが1999年に大統領に就任しボリバル革命を推進する以前の1990年から96年にかけて、新自由主義的な「改革」により、教育予算は37%も削減されていた。これには入学金の引き上げも含まれており、バリオ(貧困地帯)の貧困層や労働者階級の学生に大きな影響を与えた。

 

教育無償化で非識字率ゼロに

 

 ボリバル革命は教育を最優先にすえた。1999年憲法第102条は、「教育は人権であり、基本的な社会的義務である。教育は民主的で、無償であり、義務である」と規定している。

 

 ベネズエラの教育について、アメリカからの教育者訪問団の教育者はこうのべている。「教育を人権として扱い、政府が何を提供する責任があるのかという点に重点が置かれている。いわゆる成果ではなく、アクセスと機会についてだ。アメリカから来た私たちの小さなグループが目にしたのは、テストではなく、豊富な証言だった」。これは、アメリカの教育制度にまん延している、非人間的で企業主導型のハイステークス・テスト(テスト結果がすべて)とデータへの執着とは対照的である。

 

 他の重要な点では、柔軟な教育提案を活用することで、教師と学生がカリキュラムを共に作成することを可能にしている。それは認知主権、つまり「自分の頭で考える能力」を育むのに役立っている。

 

 これらの活動は、実践的なスキルに焦点を当てることが多く、生産的、表現的、あるいは文化的な内容になることがある。異なる学年の生徒たちは、共通の興味、ニーズ、そして期待に基づいて協力して活動する。このいわゆる「自由の空間」は、生徒たちから「ハッピーデー」と呼ばれることもある。

 

 ボリバル革命とチャベス主義運動による教育における最も重要な成果は、様々な社会ミッション活動からもたらされた。ミッション・シモンシート(国立幼稚園プログラム)は、1歳から6歳までの児童に無料の保育と就学前教育を提供し、早期教育と基本的な認知発達を支援した。ロビンソン・ミッションは、成人の識字率低下の解決に重点をおいた。リバス・ミッションは、早期に学校を卒業できなかった成人に初等・中等教育を提供した。スクレ・ミッションは、大学教授を地方都市や農村部に派遣することで高等教育へのアクセスを拡大し、就労しながら大学に進学できる環境を整えた。

 

 2005年までに、ベネズエラはユネスコ(国連教育科学文化機関)によって非識字ゼロの国と認定された。さらに高等教育機関の学生数は、新設大学の増加により、2000年の89万5000人から2011年には230万人に増加した。ベネズエラの教育予算のGDP比は、1999年の3・8%から2013年には6・9%に増加した。教育がボリバル革命の中心的な柱であったことは明らかであり、その成果は守る価値がある。

 

ベネズエラの学校での授業風景

無料の総合医療を提供

 

 同様に、ボリバル革命は医療、とくにベネズエラの最貧困層を対象にした医療において大きな進歩をもたらした。これに対し、一人当りGDPがベネズエラをはるかに上回るアメリカでは、最貧困層は強欲な保険会社や製薬会社の餌食となっている。

 

 1980年代から1990年代にかけて、ベネズエラでは新自由主義がまん延し、大部分が民営化され、貧困層や労働者階級にとって医療は事実上、手の届かないものだった。チャベス政権以前は、最貧困層の3分の1以上が医療費の高騰を理由に医師の診察を受けられなかった。

 

 しかし2003年、貧困地域での無料医療提供のバリオ・アデントロ・プログラムが実施された。当初から、キューバの医師たちはベネズエラの人々と協力し、バリオで医療を提供するだけでなく、ベネズエラの次世代の医師の育成にも貢献した。医師たちは、アメリカの医療制度のように単に富を搾取するのではなく、地域社会と積極的にかかわることができた。

 

 最初の2年間でこの野心的なプログラムは、推定1700万人の貧困層および労働者階級の人々に支援を提供した。医療従事者の数は3万人以上増加し、とくに最貧困層の人々への真の健康の公平性の実現に重点が置かれた。

 

 アメリカの残酷な制裁とそれが引き起こした経済危機は医療制度に深刻な打撃を与えたが、それでも重要な成果はあった。この医療投資の結果、乳児死亡率は出生1000人当り18・5人から15・5人に減少した。6000以上の一般向けクリニックと数百の総合的な診断・リハビリテーションセンターが設立された。これまでプライマリケア(身近にいて、何でも相談できる初期診療)を受けられなかった何百万人ものベネズエラ人が、初めて医師の診察を受けることができた。

 

 ある患者はこう語った。「診察室に入ってから25分もたたないうちに診断と治療を受け、クリニックを後にした。一銭も払う必要はなかった。待ち時間もなく、書類手続きもなく、支払い能力や国籍を問わず、外国人として無料の総合医療を受ける資格があるかどうかといった質問も一切なかった。身体の健康状態に金銭的な価値は一切なく、受けた治療は支払い能力に左右されることもなかった。私は尊厳、敬意、そして思いやりのもとで治療を受け、病気は治り、ベネズエラでの旅を続けることができた」。

 

市営診療所での無償健康診断(ベネズエラ)

石油収入を国民の為に

 

 西側諸国によるベネズエラに対する最大の批判は、経済と民主主義に関するものだろう。アメリカの制裁、原油価格の急落、そして外交的孤立化の試みは、ベネズエラの経済危機を悪化させ、あるいは加速させた。

 

 だがアメリカによる残酷で強制的な措置にもかかわらず、ボリバル革命は2014年までに経済に大きな利益をもたらした。最大の成果は、かつては寡頭政治家や外国人投資家のものであった石油収入を、さまざまな社会事業を通じて国民の利益のために活用したことだ。

 

 格差は大幅に縮小した。貧困率は70・8%(1996年)から21%(2010年)に、極度の貧困率は40%(1996年)からわずか7・3%(2010年)にまで減少した。新植民地主義と寡頭政治による支配から脱却した国としては驚異的な数字であり、ベネズエラ国家がアメリカの政治では想像もできないほど、貧困層を優先してきたことを示している。

 

 チャベス政権以前は、人口の21%が栄養失調だったが、2012年にはわずか5%にまで減少した。同様に、子どもの栄養失調率は7・7%だったが、2012年には2・9%にまで減少した。一方、超富裕国であるアメリカでは、約13%(2023年)の世帯が食料不安に陥っている。

 

ベネズエラの国家事業である大規模住宅ミッションで住宅を受け取った家族

 2024年までに、グレート・ハウジング・ミッション(大規模住宅供給)は貧困層と労働者階級に490万戸の住宅を提供した。アメリカの制裁後も、政府は「必要な家電製品と家具をすべて提供する」ことを優先事項とした。人々の所得と建設方法に応じて、住宅は無償または低価格で提供される場合がある。

 

 ベネズエラの住宅政策は、はるかに豊かな国であるアメリカの商品化住宅とは劇的な対照をなしている。これをアメリカの人口規模に当てはめてみると、ベネズエラの人口の10倍以上が暮らすアメリカの政府が、貧困層と労働者階級のために4900万戸の住宅を建設することなど、アメリカ人なら誰も想像できないだろう。

 

 労働者階級と貧困層のベネズエラ国民にとってのこうした経済的利益は、民主化改革と密接に結びついていた。社会的な使命は、単に富の再分配や社会福祉の実現ではなく、大衆の包摂と尊厳のためのプログラムであった。

 

 米国務省や企業メディアはベネズエラを反民主主義国家として描こうと絶え間なく動き続けているが、ボリバル革命を推進した民衆勢力は、権力を既得権力者から疎外された労働者や貧困層へと移すことで民主主義を深めようとした。

 

 民主主義とは「人民による支配」を意味することに留意すべきだ。西側諸国は、常に選挙を民主主義の究極の尺度と見なしている。だが実際には、民主主義の本質は大衆がみずからの利益となる形で社会を形成する能力を行使しているかが重要だ。民主主義は実質的な成果を生み出すべきだ。

 

 1999年にボリバル革命が権力を握ると、憲法は国民の意見をもって改正された。全国的な住民投票では、人口の72%が1999年憲法を批准した。これは、奴隷所有者や他の上流階級の白人男性によって批准された200年以上前の憲法を持つアメリカと比較すると、その違いは明らかだ。

 

 自国の選挙制度をベネズエラのものと比較することで、社会主義社会における民主主義がどのようなものであるべきかをより慎重に評価できるようになる。選挙がどう機能すべきかについて抽象的で理想主義的なモデルを押し付けるのではなく、現実をありのままに検証しなければならない。

 

 ベネズエラの選挙に問題があろうとも、ボリバル革命の多くの年の間に人々の日常生活で得られた真の民主的成果は否定できない。

 

コムーナが果たす役割

 

ベネズエラではピラミッド型耕作システムで都市農業推進している

 大衆民主主義――それはどのように反映されるのか?

 

 ベネズエラにおける大衆参加型民主主義は草の根の参加によって象徴されており、3万のコムーナ評議会の創設がその例だ。

 

 2006年のコムーナ評議会法により、これらの評議会が設立され、家族が地域集会で自分たちのニーズを話し合えるようになった。

 

 チャベス時代の特徴の一つは、大衆間の対話の奨励だった。新憲法を大衆層、とくに歴史的にベネズエラ社会で疎外されてきた人々のなかで広めるために大きな努力がなされた。

 

 一つのコムーナ評議会には200~400家族が含まれ、農村部では少なくとも20家族が含まれていた。15歳以上の誰でも参加でき、代表として選出されることができた。評議会が結成されると、地域プロジェクトのために最大1万4000㌦を受けとることができた。プロジェクトには、道路舗装、スポーツフィールド、医療センター、下水道・水道システムなどが含まれるが、これらに限定されなかった。その意味で、参加型予算編成を民主主義の一側面としてとり入れようという本格的な試みがなされてきた。

 

 2009年までにチャベスはこれらのコムーナ評議会間の調整と組織化のために「コムーナ(コミューン)」という概念を導入した。あるチャベス派の研究者はこれを「社会主義的直接民主主義のための効果的な空間を作るうえで大きな飛躍だ」と宣言した。この空間は、生産手段の共同管理と利用を通じて新たな社会関係を育むことを目指している。

 

 政府はコミュニティにコムーナ組織を作るよう促した。これらの組織は社会的に所有され、労働者によって管理されており、利益ではなく社会的なニーズに応えることを目的としている。政府はこれらの自治組織に資金を配分し、地域および全国レベルで活動を調整できるようにしている。

 

 これをアメリカの日常の民主主義生活と対比してみる。アメリカの労働者の1割にも満たない割合でしか、彼らのためにたたかう組合はおろか民主的な職場を持つことはできない。マドゥロは悪の独裁者であり、ベネズエラは権威主義的な国だと企業メディアや国務省の主張をくり返すアメリカの人々は、バリオでの経験から多くのことを学べるだろう。

 

 ボリバル共和国ベネズエラへの露骨な違法攻撃にもかかわらず、ベネズエラ国民はみずから進んで外国または国内の寡頭支配のもとに戻ることはない。ボリバル革命は二五年にわたる過程であり、トランプが指導者を誘拐したり、ウゴ・チャベスの霊廟を爆破したりしても元に戻せない。この革命的プロセスはベネズエラの歴史的記憶の一部である。

 

 ワシントンの政権は革命過程における弁証法の本質を根本的に理解していないため、その運動の指導者を誘拐すれば革命は完全に停止すると信じている。しかし、ボリバル革命と副大統領(現暫定大統領)デルシー・ロドリゲス、PSUV(ベネズエラ統一社会党)は、戦術的撤退は降伏ではないことを理解している。

 

 むしろ、野党はマドゥロの違法な拉致を祝福していることがさらに露呈するかもしれない。マイアミやマドリードのベネズエラ人は歓声を上げるかもしれないが、貧しい労働者階級のアフロ・ベネズエラ人や先住民のベネズエラ人はボリバル革命を支持し、大統領の自由を求めて街頭で行進している。私たちは、マドゥロとその妻の帰還を要求するだけでなく、ベネズエラの革命過程を擁護すべきだ。

 

街頭でマドロゥ大統領夫妻の解放を求めるベネズエラの労働者たち(1月、カラカス)

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