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軍事力依存の大国政治を脱し外交による平和構築へ コロンビア大学 ジェフリー・サックス教授が日本国会に向けて語る

(2025年5月26日付掲載)

ジェフリー・サックス教授によるオンライン講演(5月23日、参議院議員会館)

 ウクライナ戦争が本格化した直後から「今こそ停戦を」と題する声明を出し、シンポジウムを開催してきた国際政治や歴史学などの専門家グループが5月23日、米コロンビア大学のジェフリー・サックス教授(経済学)のオンライン講演会を参議院議員会館で開催した。呼びかけたのは、和田春樹・東京大学名誉教授、羽場久美子・青山学院大学名誉教授、伊勢崎賢治・東京外国語大学名誉教授ら。サックス教授は、米ハーバード大学教授を経て、現在は米コロンビア大学で持続可能な開発センター所長を務めており、歴代国連事務総長の特別顧問も務めた。この日は、日本の国会議員に向けて、現在起きている世界の戦争を歴史的に紐解き、アメリカの一極体制の終焉とともに独自外交による東アジアの平和構築について自身の見解と展望をのべた。講演要旨を紹介する。(和訳:編集部)

 

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冷戦終結から30年の世界を見る

 

講演するJ・サックス教授

 今日の世界で何が起きているのか、外交と平和構築への正しいアプローチは何かについて私の見解をのべる。これは日本に非常に深く関わる問題だ。なぜなら日本は世界で最も重要な国の一つであるだけでなく、アメリカ、中国、ロシアの狭間で、安全保障の道筋について多くの問題に直面しているからだ。

 

 私の主なメッセージは、安全保障は外交によってのみ達成できるものであり、大国の政治、あるいは対決によって達成できるものではないということだ。日本の軍事力増強という安全保障の考え方は間違っている。

 

 私が東アジアにおいて重要だと思うのは、これからのべる地域の危機と同様、外交である。私は、中国、日本、朝鮮半島、そして他のアジア太平洋地域との平和的協力には何の障壁もないと考える。だから、日本の安全保障問題は対中国問題ではない。

 

 過去2000年にわたる歴史の大部分がそうであったように、中国と日本は平和的に共存できると私は信じている。これまでの実績は概ね平和であり、問題は今後どのように平和を持続できるかだ。米軍基地や軍事的アプローチは解決策にはなりえず、外交力、共通の価値観、共通の目標を持つことこそが解決策だと私は考える。

 

 今日は、ウクライナ、中東、そして東アジアの三つの世界的な危機について話すように依頼を受けている。これらの危機には共通の要素がある。それは大国政治、とくにアメリカの政治だ。

 

 アメリカは1945年以来、世界の覇権国であり続けてきたからだ。しかし、アメリカは外交的解決よりも軍事的解決に重点を置くという誤った形でその力を行使してきた。そして外交の失敗こそが、これらの紛争を含む緊張を生み出した。

 

 私は40年以上にわたり、これら三つの地域すべてに個人的に関わってきた。ウクライナとロシアを初めて訪問したのは55年前の1970年。その後、ロシアのエリツィン大統領の経済顧問を務め、30年前にはウクライナのクチマ大統領の経済顧問を務めた。つまり、私の見解は直接の経験に基づくものだ。

 

 イスラエルには53年前に初めて訪れ、その後、中東には50年以上通っており、その紛争についても多くのことを理解しているつもりだ。

 

 日本へは45年前に最初に訪れて以来、私は非常に熱心な日本のサポーターであり、多くの学生や同僚とともに40年以上日本に通い続けている。中国にも1981年から44年間通っている。私は日本と中国には少なくとも年1回、多い年には何度も訪れている。韓国にも通っている。だから、この素晴らしい地域について直接の知識を持っていると自負している。

 

冷戦後に軍事覇権拡大 平和と安定訪れず

 

 まず、第二次世界大戦が終結した1945年に遡る。当時、アメリカは世界を支配する国であり、第二次世界大戦で直接被害や破壊を被らなかった唯一の主要経済国だった。そのためアメリカは圧倒的な技術力と産業、軍事力で世界をリードし、第二次世界大戦後の多くの産業を担った。

 

 日本はこのことをよく知っているはずだ。なぜなら1945年以降、日本は数年間、アメリカに占領され、日本の戦後復興をアメリカが支援したからだ。

 

 アメリカとソ連は第二次世界大戦ではドイツを共通の敵とする同盟国だったが、アメリカは1945年、とくに1947年にはソ連を新たな敵と見なしていた。両国はすぐに冷戦に突入し、アメリカは経済面で優位に立ち、ほとんどの分野で技術力でも主導権を握ったが、ソ連も非常に強力な国だった。米ソの軍拡競争は熾烈さを増し、とくに核兵器開発の分野では、両国とも数万発の核兵器を保有するまでになった。

 

 宇宙技術ではソ連が明らかに優位に立ち、1957年には「スプートニク」を打ち上げ、世界で初めて衛星を軌道に乗せることに成功した。これは、その後、宇宙開発競争、月面着陸競争、そして宇宙空間の軍事化競争へと繋がった。

 

 ここで重要なことは、1945年から1989年まで世界は非常に危険な対立の時代であったということだ。今日は主題から外れるので詳しくはのべないが、ここでアメリカが興味を持っていたのは、冷戦を終わらせることではなく、冷戦に勝利することだった。

 

 その勝利の過程では、ソ連が冷戦終結の解決案を提案した時期もあった。そのなかでも最も重要な提案は、ドイツを非軍備化し、どちらの極にも属さない中立国にすることだった。アメリカはこの提案を拒否した。

 

1990 年 6 月 1 日、ドイツ統一に関する協定に署名するジョージ H.W. ブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長(ホワイトハウス)

 アメリカはドイツの中立国化に反対し、冷戦が熱戦に転じたときにソ連と戦うために、ヨーロッパの主要な軍事大国としてドイツを再軍備させる道を選んだ。そのためアメリカは、冷戦終結のためにドイツの非軍備化を追求するのではなく、NATOを設立した。ソ連に対抗する強力な軍事同盟を構築するためだ。

 

 また、核戦争の危機も訪れた。最も顕著だったのは1962年10月、ソ連がキューバに軍事基地と戦術核兵器を配備したことで、米ソの緊張が激化し、核戦争直前にまで行き着いたいわゆる「キューバ危機」だ。このときJ・F・ケネディ大統領とソ連のフルシチョフ書記長が補佐官や顧問たちよりも慎重だったからこそ、私たちは核戦争に踏み込まずに済んだ。米ソ両首脳は戦争を避け、平和的に危機を脱するための方法を見つけたが、それは非常に危険な領域に達していた。

 

 そして1989年、ソ連は経済危機に陥り、ソ連の支配下にあった中央・東ヨーロッパ諸国は独立を阻まれていた。私は、ソ連体制からの脱却と欧州市場経済への参加を目指す二つの政府(ウクライナ、ポーランド)の経済顧問として、そのプロセスに個人的に参加した。当時のソ連指導者ゴルバチョフがこれらの変化に好意的であったことは注目に値する。彼は平和主義者であり、冷戦を平和的に終わらせたいと考えていた。そして、真の改革と真の民主化を望んでいた。それは私たちの時代の大きなチャンスだった。私はそれを直接目の当たりにした。

 

 私はこの時、アメリカがソ連の改革を支援することを提案したが、アメリカ政府はその提案を拒否した。「なぜ敵を助ける必要があるのか?」と彼らはいった。私は「もはやソ連はあなた方の敵ではない」といった。

 

 ソ連は変化を起こそうとしているが、アメリカは「敵か、味方か」という観点でしか物事を見ることができない帝国主義国家だった。アメリカの指導部は、ソ連がもはや敵ではないことを理解するほど柔軟な思考を持っていなかった。だからアメリカ政府はソ連を支援するという私の提案をはねつけた。

 

 ゴルバチョフは1991年8月に権力を失い、1991年12月にソ連は終焉を迎えた。その日、私はクレムリンでエリツィン大統領と会談し、アメリカがロシアの経済的・政治的変革を支援することを約束した。だが、これは間違っていた。なぜならソ連崩壊後もアメリカはロシアとの和平の機会をつかむことはせず、ロシアを敵視していたからだ。これは重大な誤りだ。あれから30年以上が経つが、アメリカには洗練された外交政策がなく、軍事的アプローチは理解していても、外交的アプローチには常に失敗していると思わざるを得ない。

 

 1991年末、アメリカはソ連を支配するだけでなく、分割するチャンスがあると考えていた。ソ連が民族の違いによって分裂したように、ロシアを欧州、中央アジア、極東の一部としてそれぞれ分割し、その結果、ロシア国家を解体に追い込めるという構想だ。そのためアメリカはロシアとの協力ではなく、一貫して弱体化を目指した。

 

 変革期にあった1990年、東西ドイツが統一された。ドイツ統一にはドイツを占領した4カ国の合意が必要だった。というのも、第二次世界大戦後のドイツは1990年までイギリス、フランス、アメリカ、ソ連による被占領国だったからだ。そのため東西ドイツを統一するには、これらの国による条約締結が不可欠だった。

 

 ソ連のゴルバチョフは、ドイツ統一にあたりNATOが東に拡大しないことを求めた。統一に熱心なドイツ人たちは「われわれが統一すれば、NATOは不利な立場に立たない。NATOは東方に拡大しない」とソ連側に伝えた。それはゴルバチョフにも何度も明確に伝えられ、多くの外交記録文書に残っている。

 

 現在、アメリカはこれを否定しているが、アメリカ政府は嘘をくり返している。彼らはゴルバチョフにNATOの東方拡大はないと告げていた。1990年2月7日には、ドイツのゲンシャー外相もゴルバチョフに同じことをいっている。

 

 しかし、アメリカとドイツは1991年以降、NATOの東方拡大を開始した。これは非常に重要なことだが、1991年以降、アメリカは冷戦終結を平和の勝利、米ソ両国民の相互勝利とはみなさず、ソ連に対するアメリカの勝利と宣言した。「いまやアメリカは唯一の超大国であり、やりたいことは何でもできる」と夢想したのだ。

 

 冷戦終結後のアメリカは、外交政策において歴史上最も傲慢だった。「アメリカは万能の国だ。ライバルはいない。ロシアは第三国に堕し、中国は貧しい稲作国家だ。すべてにおいてアメリカが優位だ」という単純思考に陥っていたからだ。

 

 この時期、アメリカが日本経済を抑制する措置を講じたことも忘れてはならない。1980年代には、日本の製造業がアメリカを追い抜くという焦りから、アメリカは為替介入や輸出規制など、日本の急速な経済発展を阻害する具体的措置を講じた。そのため1990年には、日本でも深刻な危機がもたらされた。金融バブルの崩壊だ。

 

 当時の日本の金融システムは、日本経済の高度成長が継続することを前提としていた。だがアメリカは、日本の自動車生産、半導体生産、その他の産業の発展がアメリカを脅かすと見なし、その成長に終止符を打った。

 

 1990年代半ばまで、アメリカは外交政策に非常に満足していた。すべてはうまく機能していた。超大国はアメリカ一国だけで、他のすべてはコントロール下にある。中国は三流国、ロシアもライバルではない。日本は忠実な従属国であり、脅威ではなかった。

 

 このようにアメリカは、自身の優位性を信じて疑わず、その基盤の上に軍事的役割を世界中で拡大し始めた。これは非常に奇妙なことだ。もはや脅威はなかったのにアメリカは軍事的覇権を縮小せず拡大した。なぜか? その目的が平和ではなく、支配にあったからだ。

 

ロシア解体図った米国 ウクライナ戦争へ

 

 冷戦が終わり、世界に平和が訪れた途端、アメリカはNATOをドイツから東方へ拡大し始め、1999年にはNATOをポーランド、ハンガリー、チェコ共和国へと広げた。2004年には、7カ国(バルト3国、ルーマニア、ブルガリア、スロベニア、スロバキア)を追加した。

 

 そして2008年、ブカレストでのNATO首脳会議で決定的な出来事が起きた。アメリカが、ウクライナとジョージア(当時グルジア)をNATOに加盟させると宣言したのだ。これはロシアにとっては直接的な挑発行為だった。それはロシア国境に米軍が駐留することを意味する。ロシアとウクライナを隔てる2100㌔㍍におよぶ西部国境とコーカサス地域の南部国境は、ロシアにとって非常に不安定で脆弱な地域だ。アメリカはそこにNATOを拡大するといったわけだ。

 

 アメリカには、NATOをジョージアにまで拡大する防衛上の理由はなかった。むしろその逆だ。「挑発的な約束違反だ」「戦争の危機を煽っている」とロシアが反発したにもかかわらず、アメリカは粘り強く抵抗した。

 

 その過程でアメリカは、核協定をも不安定化させた。アメリカは2020年、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約(1972年に米ソが締結)から一方的に離脱した。ロシアから見れば、核抑止の枠組みが危うくなったことを意味する。NATO拡大も含め、アメリカの外交政策はロシアの不安定化を目的としていたと断言できる。だからロシアが被害妄想に陥っていたわけではない。ロシアは、アメリカが自国を分裂させようとしていることを現実的に理解していた。NATO拡大の提案にプーチンは激しく反発し、「軍隊を率いて国境に近づくな」と警告したが、アメリカはそれを真剣に受け止めなかった。

 

 その後、ウクライナとジョージアで何が起きたか? 2008年のNATO首脳会議後、ジョージアでは、非常に経験不足で不安定な(サアカシュヴィリ)大統領が、ジョージアからの分離独立を要求する地域(南オセチア)に対して戦争を仕掛けた。そこにロシアが介入してジョージアを打ち負かした。これがジョージアのNATO加盟の可能性を閉ざすことになる。

 

 同じころ、ウクライナでは、中立的立場のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が選挙によって国民から選出された。彼はNATO加盟を望まなかった。加盟すればロシアが反発し、紛争に繋がる可能性があるという現実主義的な見方をしていたからだ。ウクライナ国民もNATO加盟を望んでいなかったが、アメリカはその計画遂行を止めなかった。

 

 そこでアメリカは、ウクライナ西部の反ロシア勢力と共謀し、ヤヌコーヴィチ政権の不安定化を図った。2013年末、アメリカはヤヌコーヴィチ政権に対する大規模な抗議活動への資金援助をおこなった。ヤヌコーヴィチ政権が、多くの未解決問題を理由にEUとの政治・貿易協定の調印を遅らせようとしたとき、アメリカはメディア、NGO、そして野党勢力への通常の影響力を用いて、ウクライナ内政の不安定化を仕掛けた。これはアメリカの戦術的な常套手段だ。同じようにアメリカは世界数十もの政府を不安定化させてきた。日本の政治にも深く介入し、ほぼすべての国の政治に介入してきた。

 

 2013年末から2014年初頭にかけては、とくにウクライナの介入に注力した。2014年2月、アメリカは水面下で行動を起こし、多額の資金と政治力を用いてヤヌコーヴィチ政権を転覆した。ロシアの視点から見れば、これはアメリカによるクーデターだ。それが実際に起きた事実の正確な描写だといえる。もちろんアメリカ政府はそれを否定しているが、秘密裏に内政に関与した場合、明白な事実をも否定することになることを覚えておいてほしい。私はこの政権転覆の真相を実際に現場で見聞した。

 

 そして、ウクライナ内戦が始まる。だから、ウクライナ戦争は2014年2月に始まり、その淵源にはNATO拡大を推進するアメリカの関与があり、アメリカの支援者と側近によるクーデターによって悪化したことを理解すべきだ。アメリカは、ウクライナ戦争が起きたのはプーチンのせいだと主張しているが、それは誤りだ。アメリカは自身の力に自惚れてウクライナの中立化を受け入れず、ウクライナを強引に自分の陣営に引き込んでも、ロシアは何もできないと信じていたのだ。

 

 ちなみに、1980年代から2000年初頭にかけて米国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーは、1970年にNATO拡大というアメリカの戦略についての著書を執筆し、「ロシアはアメリカの拡張主義に手出しできない」と長々と論じている。これがアメリカが決定権を握れると考えた根拠だった。

 

 これは単なる傲慢であり、現実的ではなかった。2014年のウクライナでのクーデター後、ウクライナ国内ではロシア系住民が居住する二つの州が新政権から離脱した。東部のドンバス地方(ルガンスク州、ドネツク州)だ。彼らは反ロシア的な政策をうち出した新政権に反発し、独立を宣言した。ウクライナ政府はこの二州を砲撃した。

 

 ロシアはウクライナ政府と交渉し、この二つの州との間で「ミンスク合意(ミンスクⅡ)」と呼ばれる条約を締結し、国連安全保障理事会もこれを支持した。この合意では、これらの地域が政治的な自治権を獲得するとされていた。だが、アメリカとウクライナはこの合意を実施しないことを決定した。アメリカはウクライナ政府に対し、「たとえ国際法であっても、この合意に従う必要はない。無視しろ」といったという。

 

 そのかわり、アメリカは2015年から2021年の間に、ウクライナ軍を90万人規模に増強した。これは当時のヨーロッパで最大規模の軍隊だ。ロシアはこうした状況に警戒を強め、2021年末、プーチン大統領はバイデン大統領に対し、NATOの進出を止めるよう求めた。そして、NATO拡大の終焉を前提とした合意案を交渉のテーブルに載せた。それが2022年2月に始まった緊張の高まりを回避する最後のチャンスだったのだが、バイデンはその交渉を拒否した。

 

 この経緯を考えれば、2022年2月に始まったこの戦争において「挑発はなかった」という話は、単なる嘘だとおわかりいただけると思う。これは1990年代初頭に遡る話であり、ロシアの拡張主義ではなく、アメリカの拡張主義に基づいている。「プーチンが始めた戦争」という物語は、西側メディアやアメリカ政府によるプロパガンダだ。

 

 では、2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻の目的は何だったのか? ウクライナを征服するためか?そうではない。5万~10万人程度の兵力で、ウクライナを制圧することなどできない。目的はウクライナに中立を受け入れさせることだった。

 

 いわゆる「特別軍事作戦」開始から約1カ月後、ウクライナのゼレンスキー大統領は「ウクライナは中立を受け入れる」とのべた。それを基盤として、2022年3月と4月にトルコのイスタンブールで戦争終結に向けた交渉がおこなわれ、交渉は成功に向かっていた。しかし同年4月、双方がほぼ合意に至った時、アメリカとイギリスは、ゼレンスキー大統領に対し「合意に署名するな。ロシアとの戦争を続けるべきだ。われわれの目的はロシアを弱体化させることであり、中立を受け入れる必要はない」と告げた。

 

 こうしてアメリカは、ウクライナに対し、さらに3年間戦争を続けるよう求めた。その間、ウクライナは100万人以上の若者を戦場での死亡または重傷で失った。

 

 もちろんアメリカ政府は、これらの真実を語ることはない。この戦争の責任はすべてプーチン大統領にあると主張している。しかし、これはアメリカ政府の常套手段であり、今や多くの人々が真実を理解し始めている。ロシアはアメリカの支配に抵抗してきたのだ。

 

5月10日、ゼレンスキー大統領(中央)と会談するためにキーウを訪れた欧州首脳ら

 現段階について話すと、プーチン大統領の狙いはウクライナに中立を受け入れさせることであり、トランプ大統領は今やこの現実を受け入れている。しかし皮肉なことに、戒厳令と個人的な命令で統治するゼレンスキーと、彼を支援するヨーロッパ諸国、とくにイギリス、フランス、ドイツが中立を受け入れていない。これが戦争が続いている理由だ。

 

 ヨーロッパ諸国は非常に冷酷だ。犠牲になるウクライナ人が存在する限り、彼らは戦争を継続させようとしている。ウクライナは、これらの「友好国」の手によって一歩一歩破壊されつつある。欧米諸国は、ロシアを弱体化させるためならウクライナ人が何人死のうと問題にしていない。彼らはウクライナ人が死ぬことを望んでいるが、ロシアとの誠実な外交をおこなおうとしない。だが、それ(外交)こそがこの戦争を終わらせる方法だ。

 

米英によるアラブ支配 パレスチナ・ガザ

 

 パレスチナ・ガザに話を移す。ガザの紛争もまた長い歴史がある。中東におけるアラブ人に対する西洋の支配という長い物語だ。それは少なくとも1918年のヴェルサイユ条約にまで遡る。第一次世界大戦が終結すると、敗北したオスマン帝国にかわりイギリスとフランスが中東の帝国となったからだ。

 

 イギリスは非常に冷酷な帝国だった。今日の世界のほとんどの問題は、イギリスに根ざしているといえる。大英帝国はアジア、中東、アフリカにも多大な損害を与えた。第二次世界大戦後のアメリカがそうであったように、イギリスが19世紀の支配的勢力であり、イギリスはパレスチナ州を含むオスマン帝国領の多くを支配下に置いた。

 

 ヴェルサイユ条約以降、イギリスは新設された国際連盟の下でパレスチナの委任統治権を握り、ユダヤ人がパレスチナに移住するための“祖国”を築いた。当時、パレスチナにおけるユダヤ人の割合は人口の5%程度しかなく、85%がイスラム教徒のアラブ人だった。だが、イギリスは、そこにユダヤ人、特にソ連(ロシア)、東ヨーロッパからのユダヤ人の受け入れを開始した。

 

 これにより既存のアラブ人と移住してきたユダヤ人の間に対立が生じた。つまり中東戦争の根源は100年前に始まっていた。アラブ人は「ここはわれわれの土地だ」といい、ユダヤ人は「古来からわれわれの土地だ」といい、二つの民族がこの土地をめぐって争った。

 

 ユダヤ人とキリスト教徒による「シオニスト運動」の基本的理念は、パレスチナにユダヤ人国家を樹立してアラブ民族を支配することだった。これは第二次世界大戦後、イスラエル国家の樹立という形であらわれた。それは第二次世界大戦中の欧州におけるヒトラーによるユダヤ人虐殺=ホロコーストの経験を根拠に正当化された。だがアラブ側から見れば、それは自分たちがおこなった行為ではない。

 

 そのためアラブ側は、欧州列強とアメリカが、何世紀にもわたってアラブ系パレスチナ人が暮らしてきた土地に新たなユダヤ人国家を樹立するという構想を拒否した。だが、イスラエルは1948年に一方的に建国を宣言し、アラブ諸国の反発を打ち破って独立を果たした。これにまつわる長い背景をここで詳しく論じる時間はないが、イスラエル国家樹立を目指すシオニスト運動は、常にこの地域を占領支配することを目的とし、共有することを目的としたことは一度もなかった。

 

 そして今日に至るまで、この地域にはイスラム教徒のアラブ人とユダヤ人という二つの民族が住んでいるが、国家はイスラエル一国しか存在せず、パレスチナ人はその国家の支配下で暮らしている。だからこそ、イスラエルはかつての南アフリカのような「アパルトヘイト(民族隔離)国家」と呼ばれる。一方の集団が他の集団を支配しているからだ。これは公平で正直な表現だ。なぜなら、アラブ系パレスチナ人はイスラエル国家の力によって、ひどい差別と虐待を受け、政治的権利を奪われているからだ。

 

 だからこそ1947年以降、そして1967年の「6日間戦争(第三次中東戦争)」後にも、国際法に基づき、イスラエルとパレスチナの二つの国家の共存が求められてきた。

 

 今日の問題は、イスラエルがパレスチナ国家樹立を認めていないことだ。イスラエルには一切の妥協がない。彼らが望んでいるのは全域を支配することだけであり、パレスチナ国家が存在すれば安全は保てないという。彼らは、みずからの安全について交渉しようとはしない。

 

 そして、イスラエルの指導者の多くは「この地は、2500年前に神がわれわれに与えてくれたのだから妥協する必要はない」と主張する。これがイスラエルの見解だ。これは非常に過激な主張だ。800万人のユダヤ人が800万人のパレスチナ人を支配しているために戦争が継続する。そして、イスラエルの指導者の多くは、アラブ人を追放し、殺害し、あるいは分離統治によって支配しようとしている。

 

ガザ地区の住宅の約92%(43万6000戸)が破壊または損傷を受け、商業施設の80%が破壊された(ガザ北部)

 これは非常に残酷で不適切であり、国際法に違反している。イスラエルが違法かつ非常に暴力的な行動をとっていることに世界のほぼ全員が反対しているが、イスラエルの行為を擁護する国が一つある。アメリカだ。

 

 アメリカは国連安全保障理事会での投票において拒否権を使い、パレスチナ国家の樹立を拒んでいる。2011年にはパレスチナの国連加盟を阻止し、2024年の国連安保理で再び採決がおこなわれたときも12カ国が賛成し、2カ国が棄権したが、アメリカだけが拒否権を発動した。つまりパレスチナは国家となるはずだったが、アメリカがそれを阻止した。

 

 イスラエル政府は、パレスチナ国家樹立の構想を拒否している。これは違法であり、残酷であり、不道徳だ。それはパレスチナの人々の支配、殺害、あるいは民族浄化を意味する。唯一の正当な解決策は、二つの国家が共存することだ。国連加盟193カ国のうち180カ国以上が二国家解決を支持している。

 

 私の意見では、二国家解決の実施を阻む唯一の障害はアメリカだ。もちろんイスラエルも反対するが、イスラエルには拒否権がないため、世界がパレスチナを194番目の国連加盟国として承認することを阻止できなかった。しかし、アメリカには拒否権があり、それをイスラエルのアパルトヘイト支配を守るために利用している。これほど暴力的な戦争が続くのは、妥協の欠如によるものだ。

 

中国は日本の敵か? 東アジアの高度成長

 

 最後に、日本と東アジアについて簡単に触れたい。皆さんはよくご存じのことであり、1945年以降の日本の歴史については論じる必要はないだろう。

 

 1945年、第二次世界大戦で日本の敗戦後、アメリカは日本を占領し、その後、ソ連の防波堤とした。だがソ連は1991年に崩壊し、戦争の脅威は完全に排除された。ロシアと日本の間には些細な領土問題があった。些細であっても問題は紛れもなく存在するが、それは戦争の原因ではない。日本の安全保障に対する脅威でもない。

 

 変化したのは中国の台頭だ。中国の台頭は、過去25年間の東アジアにおける大きな変化だ。中国は日本が過去に達成したことを成し遂げた。

 

 日本は1868年の明治維新を皮切りに工業化を進め、1880年代にすでに東アジアで最初の工業大国となった。中国が遅れをとっていたことは周知の事実だ。

 

 中国は20世紀最初の数十年間は混乱に陥った。革命による混乱だ。そこに日本による侵略など多くの要因が重なった。中国は、日本が明治期に成し遂げたような目覚ましい経済発展を遂げたわけではなかった。

 

 1945年の日本敗戦後、中国は貧しい国だった。1945年から49年にかけては国共内戦が続き、毛沢東率いる共産党が勝利し、1949年に中華人民共和国が建国された。1949年から1979年にかけては中国は多くの混乱を経験した。1950年代にはソ連型経済の穏やかな時代があり、1960年代には文化大革命があった。1978年、鄧小平が権力を握って初めて日本のような急速な経済成長が始まった。日本はそれを二度成し遂げている。1868年の明治維新、そして第二次世界大戦後の1955年以降、所得が倍増した10年間の非常に急速な成長だ。

 

 日本型の経済成長はその後、台湾、韓国、香港、シンガポール、そして1978年からは中国にとってもモデルとなった。日本は中国の急速な発展をむしろ誇りに思うべきだ。なぜなら、それは1868年以降に日本が発明し、実証してきた多くの制度的理念に基づいているからだ。

 

 中国は今や国際指標で測れば、世界最大の経済大国となった。そこで日本に対する根本的な疑問は、「中国は日本の敵なのか?」ということだ。私の答えは、間違いなく「ノー」だ。

 

 中国はかつて一度も日本の敵になったことはない。日本は幾度となく中国と敵対関係にあったが、中国が日本を攻撃したことはない。これは非常に興味深いことだ。過去2000年間、中国が日本を攻撃した例は一つもない。これは真剣に考える価値がある。

 

 中国大陸から日本への侵攻は2回あったが、中国の侵攻ではない。つまり1274年と1281年の侵攻(元寇)だ。どちらの場合も大雨と台風、海岸防衛が日本を救った。だが、これは蒙古によるもので中国による侵略ではない。そして、それ以降、中国が一度も日本へ侵攻を試みていないことは、非常に印象的で興味深い歴史だ。

 

 なぜ中国は何世紀にもわたって日本への侵攻を試みなかったのか? 中国は支配的な国だったが、経済的にも軍事的にも優勢だった時代にも日本を侵略しようとしたことは一度もない。

 

 一方、日本は中国への侵略を何度も試みた。1592年、豊臣秀吉が朝鮮に侵攻し、中国への侵攻も試みた。これに失敗し、1597年に再侵攻を試みたが、これも失敗した。1598年の秀吉の死後、中国では諸王朝時代が始まったが日本への侵攻を試みることはなかった。

 

 次に両国間で戦争が起きたのは1894年だ。これも日本が中国を侵略したものであり、その逆ではない。日本は朝鮮を占領した後、日清戦争をはじめ、1895年に台湾と朝鮮の両国の領有権を獲得した。私がこうした歴史についてのべるのは、中国の長い歴史の中で、日本が中国を脅かした短い期間を除けば、両国間は基本的に平和だったといいたいからだ。私は、中国と日本は当然の友好国であり、同盟国であると信じている。

 

 社会主義体制の中国を信用できるのか? という疑問に対しては、「社会主義」という言葉は、もはやあまり意味をなさないと伝えたい。中国の文脈では特にそうだ。現在の中国は混合経済だ。大規模な民間部門、政府部門、計画省がある。つまり市場と国家が混在する経済だ。中国では国家発展改革委員会(NDRC)と呼ばれている。ちなみに、このモデルを発明したのは日本だ。

 

 日本は純粋な市場経済ではなく、混合経済の国だ。日本では指導経済が非常にうまく機能していたが、それがゆえにアメリカはそれを一部停止した。しかし、日本は重要な役割を果たした。日本が示したことは、技術力が進歩の根本的な原動力であり、政府の力は技術の進歩に非常に役立つということだ。中国が今まさにやっていることだ。だから中国の台頭はただの成功物語であり、恐れるようなものではない。

 

 これは私の個人的な見解であり、アメリカでは非常に不評であるし、現在の日本の政治指導者の間でも非常に不評だ。彼らは「中国から日本を守るためにアメリカが必要だ」と主張している。それは大きな間違いだ。

 

地域内で育む安全保障 脱アメリカの外交を

 

拡大を続けるBRICS。2023年、ヨハネスブルグでの首脳会議に出席した中国、ブラジル、インド、ロシア、南アフリカの首脳ら

 もし中国、日本、韓国が平和的に結束し、「私たちは互いに問題を抱えていない。共通の文化遺産を持ち、2000年の歴史をともに築き上げてきた。私たちは互いに敵対関係ではなく、共通の課題に直面し、高度に革新的な経済大国だ」と宣言すれば、これらの地域は世界で最も強力な経済グループを形成し、北東アジアの人々だけでなく、世界全体にさまざまな解決策を提供できるはずだ。

 

 もし中国、日本、韓国が協力し合ったらどうなるか想像してみてほしい。ロボット工学、人工知能、高齢化社会の問題解決、環境に配慮した経済、デジタル技術……その可能性は計り知れないものがある。それが北東アジアが発展していく自然な道となるだろう。

 

 もちろん、奇妙なことにアメリカはこれに反対している。なぜか? 中国、日本、韓国が協力すれば、アメリカを凌駕する力を持つからだ。実際に中国、日本、韓国がアメリカを追い抜くことは疑いない。だからアメリカはそれを望んでいないが、私はそれが正しいアプローチだと信じている。日本は中国から自国を守るためにアメリカを必要としているとは思わないし、アメリカが日本の安全保障を提供するとも思わない。アメリカの存在は、平和につながるよりも、戦争につながる可能性が高いからだ。

 

 もちろん台湾のような重要な問題もある。私の意見では、台湾にとって最大のリスクは、中国ではなくアメリカだ。もしアメリカが台湾に介入し続け、台湾が独立を宣言したら、戦争、それも恐ろしい戦争になる。私たちが今すべき主なことは、台湾に独立宣言しないよう伝えることであり、中国にすべき主なことは、台湾に対して軍事行動をとらないよう伝えることだ。そして、アメリカにすべき主なことは、台湾に武器を与えるなということだ。なぜならそれは、ウクライナへの武器供与がロシアへの挑発行為だったように中国に対する紛れもない挑発行為だからだ。

 

 主要国が互いに距離を置けば、台湾は平和に暮らせる。これが北東アジアにとって正しい戦略だ。平和のためには、あらゆる種類の軍事紛争の回避が必要だ。

 

 必要なことは、アメリカの安全保障体制ではなく、この地域の安全保障体制であり、日本、韓国、中国、北朝鮮、ロシアが直接協議することだ。それは単純な話ではないが、北東アジアの5大国のすべてが北東アジアの平和と安定を求める動機を持っているのに対し、アメリカは平和ではなく、分裂させる動機を持っているということだ。

 

 なぜなら、アメリカは日本と韓国に対する優位性を維持したい。あるいは日本を従属的な国として維持し、これによって中国を包囲したい。これは平和のためのアプローチではない。韓国は北朝鮮に対する抑止力を必要としているが、北朝鮮の核兵器と軍備増強を減少させるどころか、それをくり返し煽ってきたアメリカの存在よりも、中国、日本、ロシア、北朝鮮、韓国を含む地域安全保障システムを通じて達成される方がはるかに効果的であり信頼性が高い。

 

 また、台湾に対しては、アメリカ主導の関与は戦争のリスクを高める。だからこそ北東アジア諸国による直接外交を強く求めたい。私の基本的な信念は、隣国同士が話し合い、互いに対処すべきだということだ。

 

 アメリカのような大国は、この地域を理解せず、干渉し、地域における自国の優位性を地域の分裂によって維持しようとする。もし日本と中国が平和的友好関係を築けば、アメリカは「もう無理な条件を押しつけることはできない」と譲歩せざるを得ないはずだ。

 

 中国の主要王朝時代が始まった1368年から、イギリスが第一次アヘン戦争を始める1839年までの間、東アジアでは基本的に戦争はなかった。西洋世界が外にいる限り、東アジアは調和して共存することができた。日本による中国侵略は賢明ではなかったが、その例外を除けば、常に平和的に共存してきた地域であり、必ず平和を維持できるはずだ。日本にはそれをリードする国であってほしいし、私自身もそうありたいと願っている。

 

 今日は私の考えを共有する機会をいただいたことに感謝したい。

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この記事へのコメント

  1. ジェフリー・サックス教授の正統な議論、
    流石、長周新聞です。

  2. 山﨑 透 says:

    ジェフリーサックス教授のお話は、非常に参考になりました。平和は外交でしか実現できないという意見は、本当にその通りだと思います。軍拡に突き進むこの国の
    権力者達に聞かせてやりたいです。

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