熊本での地震から1カ月が経過し、その後も千葉、富山、石川での豪雨災害と河川の氾濫など、日本列島の各地が自然の猛威にさらされて甚大な被害が出ている。これまでは耳にしなかった「線状降水帯」なる危険な集中豪雨をもたらす雨域が、近年はニュースでも耳慣れたものとしてアナウンスされるようになり、当該地域は身構えるようにもなった。しかし、いくら身構えても降ってくるものは避けられずどうしようもないのが現実である。台風はこれまでと逆方向に進んだり、夏とはいえ酷暑の日差しが強烈すぎたり、なんだか一昔前とは異なって自然が大きく変動していることを感じさせる毎日である。集中豪雨もこれまで経験したことがない規模なことから、河川や都市の排水機能のキャパシティーを軽々とこえてしまい、地表の吸収力をはるかに凌駕するために土地に浸透して土砂崩れが頻発するなど、想定の上をいく事態が頻発している。
この災害続きの夏に、熊本ではようやく断水状態から復旧しつつあるというが、猛暑のなかを1カ月も生活用水が満足に確保できないというのはとても過酷で、健康や身の安全を脅かしかねない危険さをともなっている。次の災害に遠隔で暮らす人々はつい視線をもっていかれがちだが、大地震に見舞われた熊本の被災地は、なおもがき続けている。この間、全国からボランティアが現地入りし、旺盛に避難所での支援や炊き出しなどを繰り広げてきた。しかし、かかわってきた人々が口々に指摘しているのがマンパワー不足の問題である。
全国から支援物資は山ほど届いて、拠点となる場所には山積みになっているが、そこから避難所や被災者に届ける人間が圧倒的に不足し、必要な支援が十分に行き届いていないのである。県庁は支援物資がどこからどれだけ届いたか記録する業務に忙殺されているというし、小さな行政区の自治体では職員も被災してなおかつ行財政改革の煽りで人員不足なことから専門の職員を十分にまわせず、日常的な役所業務もこなしながらで余裕がない。佐川急便や運送会社に業務委託をするも、全体を統括する司令塔機能がないのかドタバタしてきたことを痛感している関係者が多いのである。
この熊本地震で被災地の住民たちが心の底から感謝しているのは、ボランティアの旺盛かつ能動的な活動である。困っていることを伝えると、さっと集団でやってきて必要な支援をおこなっていく様はプロ集団そのもので、東日本大震災からこの方の全国の被災地支援を経て鍛え上げられているかのようにベテランの領域である。簡易テントに困っていたら、モンゴルの遊牧民が暮らすような簡易テントをさっと作り上げて生活できるプライベート空間をつくっていったり、暑さ対策や生活用水の確保に尽力したり、「行政がなにもしてくれないなかで助かった」「ボランティア様々です」と口にする人々がなんと多いことか。一連の自然災害を経験して、日本国内でもボランティアはプロの精鋭集団として実力をつけていることを感じさせるのである。素人が真似できないことをやってのけるのだから彼らはプロなのである。
それと比較してまるで進化が乏しいのが行政機能で、災害に直面するとたちまちキャパオーバーとなって麻痺してしまう。本来なら司令塔として管轄の行政区の被災者の現実を把握し、必要な支援等々について対策を繰り出す役割があるのにマンパワー不足に陥ってしまうのである。それは熊本を見ても歴然としている。「防災安全課」等々のネーミングで担当課はどの役所にもあるものの、現実に災害に直面した時に機能しなければ看板倒れである。ボランティアがプロ集団へと進化しているように、行政としても被災地の経験から教訓を汲み取り、改善すべき点を洗い出すことが課題となっている。緊急時にマンパワーが不足するなら、どうマンパワーを補うかである。
吉田充春

















