「備えあれば憂いなし」。中国の古い書物から伝わった言葉で、日頃から万が一の時に備えて準備を怠らなければ、いざ問題や災害が起きても心配や慌てることがないという意味のことわざがある。万が一の時に七転八倒したり混乱することなく、仮に危機的状況であっても悠然と迎え撃つために、日頃からの備えが重要であるという教えである。心構えや気持ちの持ち様だけでなく、具体的に備えをしておくことの必要性を説いているのである。
熊本を襲った巨大地震から1週間が経過し、徐々に被害の全貌が見えてきた。被災地では8月初旬の酷暑のなかで断水が続き、何日も風呂に入れない状態の被災者がいることや、停電でクーラーが使えないなかで非常用電源や簡易クーラーが切実に求められていること、身体を冷やすための氷が求められていることなど、猛暑のなかでの震災に対応した特別な支援の必要性が幾つも浮き彫りになっている。まずは熱中症対策を万全に実施することが欠かせず、被災者が避難先で安全かつ快適に過ごせる状況を作り出すことが急がれている。
こうしたなかでビックカメラが300台のクーラーを提供して自衛隊が現地に運んだものの、届けたはいいが電源がない避難所ではただの置物になってしまっている等々の事態も明らかになり、せっかく企業が被災地へ心意気を示す支援をしたのにどうしたものか…と残念に思うような事態も生じているようだ。地震発生直後の混沌とした状況のなかでのミスマッチは当然出てくるだろうが、であるならば電源を早急に被災地に届けるといった機敏な対応をすべきは政府である。自衛隊が運び込んでいるものだからてっきり国が手を打ったのだと思っていたら、ビックカメラが一肌脱いでいたというのが真相だった。これだって、本来なら政府が300台といわず電機メーカーから緊急に買い上げて現地に届けるべきもので、企業の善意に委ねている場合ではない。
前述したように、考えさせられるのは「備え」の大切さなのである。いつも地震に見舞われるとニュースの映像で流れてくるのは、体育館などの避難所に寄せ集められて段ボールで簡易な間仕切りをつくりつつ、プライバシーもなにもあったものではない環境に置かれている被災者の姿である。高齢者が疲れ果てて寝転がっていたりする姿が平然と晒される。それは15年前の東日本大震災から何も変わっていない光景で、地震列島でありながら震災対応への進歩がなにもないことを物語っている。欧州やアジア圏をはじめとした他国では迅速にプライバシーも守られた簡易テントのような居住空間がセッティングされるというのに、いつも段ボールの間仕切りしかできないというのは先進国としては情けない話でもある。それはとどのつまり日頃からの「備え」が乏しいことをあらわしているのである。段ボールしかないからその度に段ボールで間仕切りをするほかないし、防災に備えて家族が丸ごと避難できるような簡易テントが避難所に用意されていればそんなことにはならない。震災対応のフェーズにはさまざまあるが、肝心な初期対応において“段ボールの国”でもあるまいし、どうにかならないのかである。もう少し真面目にこの国の為政者は国防を考えるべきである。
いつどこで地震が起こるかわからず、日本列島で暮らしている以上は誰もが万が一に遭遇する可能性がある。必要なのはやはり「備え」で、今回も浮き彫りになっているように避難所になる学校体育館や集会所をきっちりと整備して冷暖房を完備するとか、そこには万が一に対応できるように非常用電源も備えておく(各学校に非常用電源を完備して避難所として機能させる)とか、各自治体は防災倉庫のような物資を常日頃から保管しておける拠点を築いて、いざ近隣自治体や同一地方で巨大地震が起こった際にはそこから物資を緊急輸送して支援できる体制をつくっておくとかできることは山ほどある。そうした防災倉庫に被災者のプライバシーが守られるような防災用居住空間テントをあらかじめ備えておくとか、移動式の簡易公衆トイレ、巨大鍋やプロパンとセットの炊き出し支援グッズをさっと出動できるようにまとめておくとか、避難所に臨時に設置できる非常用風呂(自衛隊が兵站で使うような風呂設備があるはずである)も災害用に備えておけば、初期対応ははるかに悠然と担うことができるはずである。そのような体制整備にカネをかけるのが真の国防であろう。
武蔵坊五郎

















