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国旗損壊の犯罪化が何をもたらすか 国際人権規範への大逆行 れいわ・伊勢崎賢治議員の国会質疑

(2026年7月13日付掲載)

参院内閣委員会で質問する伊勢崎議員(右端)。正面前列は法案提出者ら〔9日〕

 「国旗を大切に思う国民感情」を保護するためとして、「人に著しく不快、嫌悪の情を催させるような方法」で公然と国旗を損壊した場合、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すとする「国旗損壊罪」法案(共同提出者/自民、維新、国民、参政)は、全野党欠席のもと衆院本会議を通過し、7日から参院で審議入りした。本法案は、全国の刑事法学者148人が「“感情”を理由に処罰規定を作るべきではない」「外交関係をも危うくする」と反対声明を出すなど大きな議論を呼んでいる。れいわ新選組参議院議員の伊勢崎賢治氏(元国連上級民政官)は9日の内閣委員会で、すでに世界で証明された重大なリスクと国際人権規範との整合性から同法案の問題点を厳しく追及した。7日におこなわれた「有人国境離島法」改正案の審議における、南鳥島での核のごみ最終処分場選定に向けた文献調査実施についての追及もあわせて、伊勢崎氏の質疑要旨を紹介する。

 

歴史が実証する重大なリスク

 

質問する伊勢崎議員(9日)

 伊勢崎 国旗損壊を犯罪化することは、歴史的な教訓と現代の安全保障環境の両面から見て、極めて重大なリスクをはらんでいる。

 

 まず歴史的な教訓からのべる。世界には、「国旗損壊を特別視し、厳罰に処すべきだ」という意思が、コミュニティレベルの凄惨なリンチや集団暴力を誘発する引き金となってきた歴史がある。

 

 現在、埼玉県川口市周辺においてヘイトの標的になっているクルド人問題がある。刑法に「国旗損壊罪」がある本国トルコでは、2005年に「メルシン国旗事件」と呼ばれるものが発生した。これは、クルド人の子どもが国旗を汚損したという報道を機に、一般市民が「愛国的な自警行為」と称して、クルド人住民への凄惨な集団暴力をエスカレートさせた事件だ。実は、現在川口市周辺に暮らすクルド人コミュニティの多くは、まさにこの事件前後の迫害から逃れるために、日本へ逃れてきた背景がある。

 

 また、高市総理が「兄妹」と呼び合うモディ首相のインドにも、同様の「国旗損壊罪」の法律が存在する。インドは私の研究者としてのフィールドだが、モディ首相の後ろ盾はヒンドゥー至上主義勢力だ。2022年、モディ政権による「すべての家に国旗を!」という国旗キャンペーンの最中に発生した「コラール国旗デマ襲撃事件」では、イスラム教徒の肉屋が「国旗で肉を包んで客に渡した」という偽の写真がSNSで拡散された。後日わかったのだが、実際には国旗ではなく単なる緑色の包装紙だったにもかかわらず、激高した数百人のヒンドゥー教徒が店に押し寄せ、凄惨なリンチをくり広げた。

 

 国家が国旗損壊を犯罪化することは、大衆に対して危険な興奮剤を与え、リンチが「愛国ゆえの法の正義」にすり替わるリスクがある。これは歴史で実証されている。

 

 このリスクは、現代の安全保障における「認知戦」において、さらに最悪の形で顕在化することになる。特に懸念されるのが、敵対勢力が標的国内(わが国)の分断を煽る「偽旗(にせはた)作戦」だ。

 

 たとえば、生成AIやディープフェイクを用いて、「日本在住の特定グループが国旗を汚損する偽動画」がSNSで拡散されたとする。デマによる混乱は、本法案の有無にかかわらず起こり得るが、本法案はこの混乱を劇的に悪化させる。

 

 次のような仕組みだ。まず、国旗損壊を「犯罪」と定めることで、暴走する大衆に「われわれは国家の犯罪者を成敗しているのだ」という、リンチへの強力な法的または道徳的な免罪符を与える。

 

 次に、「非親告罪」(被害者の告発がなくても捜査機関の判断で捜査・起訴できる犯罪)であるため、偽動画であってもその真偽が判別できなければ警察は捜査に動かざるを得ない。その警察の動き自体が、「やはり犯人だった」とデマを補強する燃料となり、さらなる暴力を誘発する。

 

 つまりこの法律は、「偽動画を一本流せば、日本の警察を強制的に動かし、自警団の暴力を“国家公認の正義”として合法的に誘発できる」という、工作勢力にとってこれ以上ない「アタック・サーフェス(付け入る隙)」をわが国みずから提供することになる。

 

 この法案が外国からの分断工作に悪用され、国内の治安を大混乱に陥れるトリガーになり得るという安全保障上のリスク――法案提案者は、この重大な懸念をどう認識しているか。

 

 長谷川淳二(自民) 国旗損壊等の行為を処罰することが、私刑(リンチ)や集団暴行を誘発するのではないかとのお尋ねだが、まず前提として、本法案は「国旗を大切に思う国民感情」を保護するために、「人に著しく不快または嫌悪の情を催させる方法で、公然と損壊、除去、汚損する」という客観的な行為態様を構成要件とするとともに、その方法に該当するかどうかの判断については、行為の外形、周囲の状況、その他の客観的事情に基づいておこなう旨定めており、処罰対象を明確にしている。

 

 また仮に万が一、犯罪行為を現認した者が、不当な逮捕行為や私刑的行為をすることは、本法案に限らず想定しうる。その場合には別途、不当な逮捕行為や私刑的行為に対する逮捕監禁罪や暴行罪等の処罰対象になりうるものであり、その意味での抑止は働いている。したがって法案提出者としては、本法案が特に私刑や集団暴行を誘発、あるいは正当化するものではないと考えている。

 

 次に、生成AI等の偽情報が拡散された際、外国の工作勢力に悪用されるリスクについてだが、そもそも本法案による保護の客体である国旗は、「国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物」に限定しており、生成AI等により作成した動画そのものは本法の対象外である。

 

 そのうえで「社会通念上認められる有体物」である国旗をみずから損壊等して、その状況をライブ配信する行為は、本法案による処罰対象となり得ることから、生成AI等による偽情報に基づいて捜査が始まるのではないかというご懸念だが、生成AI等の進展により虚偽の事実に基づいて捜査が始まる、バッシングにさらされるといったご懸念は、本法に限らずおよそ犯罪行為全般に想定しうる。個別事案ごとに、具体的な事実関係、証拠関係等を踏まえ、生成AI等による動画のみをもっておこなうことなく、適切に捜査がおこなわれるものと承知している。

 

 伊勢崎 くり返し申し上げるが、大衆の動員というのは、個人の感情の保護法益と国家レベルの保護法益が連結することによって強化される。そこが怖いのだ。さらに、このディープフェイクの時代に事象の客観性を判断することは、この先さらに難しくなっていく。それによって動員に拍車がかかる。それに刑罰が加わるということは、それに対して免罪符を与えることになり、より動員されることになる。このリスクを指摘している。

 

戦時中、国民総動員の象徴として広く使われた日の丸(1938年、東京)

国旗不敬罪等への警鐘 国連の自由権規約

 

 伊勢崎 ここから専門的な議論に入る。わが国は、表現の自由を保障する「自由権規約(1966年に国連総会で採択された国際人権規約の一つ)」を批准している。その解釈指針である国連の「一般的意見34」第38項は、本法案のような国旗損壊罪に対し、極めて重要な警鐘を鳴らしている【資料①参照】

 

 外務省に聞く。国連が国旗への不敬罪に対して抱く懸念と、本法案の整合性をどう考えるか。

 

 提案者に聞く。資料①の後段にあるように、国連は(傷つけられる)対象の「属性」のみを理由とした重罰化を強く戒めている。

 

 つまり、損壊される物は「物」、侮辱される人は「人」として、それぞれに優劣をつけて刑罰を与えてはならず、平等に扱われなければならない。これが国際人権の考え方だ。

 

 通常の器物損壊は、自己所有なら無罪であり、他人の物でも告訴が必要な「親告罪」だ。しかし本法案は、損壊対象が「国旗」という象徴であることだけを理由に、自己所有であっても告訴不要の「非親告罪」として重い刑事罰を科そうとしている。これは国連が戒める「対象の属性のみを理由とした重罰化」そのものではないか。

 

 国際人権基準に真っ向から違反する可能性の高い法案を、なぜ今、制定しようとするのか。その見解を求める。

 

 外務省・門脇参事官 自由権規約委員会の「一般的意見」は、わが国に対して法的拘束力を有するものではなく、一般的な意見を踏まえて、どのように自由権規約を実施していくかについては、各締約国において個別に判断されるものと理解している。そのうえで、委員ご指摘の懸念については、具体的にいかなる行為を指しているのか明らかではないため、一概にお答えすることは困難といわざるを得ない。わが国としては引き続き、わが国が締結した人権条約を誠実に遵守していきたいと考えている。

 

 長谷川淳二(自民) 一般論として、外務省が答弁した通り、自由権規約に含まれる勧告的内容は、各締約国にその実施を法的に義務づけているものではなく、国旗損壊等の行為を抑止する手段としての刑罰の要否や内容については、各国の実情に応じて検討がなされるべき事項であると承知をしている。

 

 法案提出者として申し上げると、「国旗や象徴に対する不敬」が具体的にいかなる行為を指すのか明らかではないが、本法案は「国旗を大切に思う国民感情」を保護するため、「人に著しく不快または嫌悪の情を催させる方法で公然と損壊、除去、汚損する」という客観的な行為態様を構成要件とするとともに、先述の通り処罰対象を明確にしており、かつ国旗に対する侮辱罪を設けるようなものではない。したがって「国旗や象徴に対する不敬を処罰する法律」であるとか、「特定の行為を非難する表現行為を処罰する法律」との指摘は当たらない。

 

 伊勢崎 想定通りの答弁だ。つまり「拘束力がない」。拘束力がないことはわかっている。だが、国際規範に唾を吐く必要はない。よろしいか? 特にわが国のような国連主義を外交方針の中心として掲げる国は、唾を吐く必要はない。私はこの法案が国際規範に逆行しているといっている。傷つけられる物は物、人は人として、それぞれに優劣をつけるなと。国連がいっていることはそれだけだ。これが国際人権の基本だ。

 

実害を伴う「煽動」禁止 自由権規約20条2項

 

 伊勢崎 次に【資料②】をご覧いただきたい。これが有名な自由権規約20条2項だ。耳が痛いと思うが聞いてほしい。この条項では「差別、敵意又は暴力の煽動となる憎悪の唱道は、法律で禁止する」と、明確な実害を伴う「煽動」の禁止を義務付けている。

 

 日本はこの規約をどの条項も留保することなく批准している。しかし、歴代の政府は、「表現の自由」を言い訳に、この「煽動」を取り締まる法整備を怠り続けている。この問題を私はこの委員会で再三指摘してきた。

 

 そればかりか、日本は集団殺害を予防する「ジェノサイド条約」すら批准していない。これはG7で日本だけだ。本法案審議でいわれた「国旗損壊罪がないのはG7のなかで日本だけ」はミスリーディングだが、「ジェノサイド条約を批准していないのはG7で日本だけ」というのは本当だ。こちらを覚えてほしい。

 

 みずからを法治国家と呼ぶのであれば、当然、国際法上の義務(煽動を取り締まる法整備・ジェノサイド条約の批准)は果たすべきであると私は考える。

 

 一方で、この「国旗損壊罪」法案の第2条は「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法」という、受け手の主観的な感情、すなわち「胸三寸」を処罰の要件にしている。

 

 つまり、どういうことか。わが国は、人命を「煽動」の結果の集団暴力から守るという極めて重大な保護法益の法制化は「表現の自由」を盾に拒みながら、国旗に対する主観的な感情や敬愛の念という、極めて曖昧で実体のない「感情的な保護法益」のためには、いとも簡単に「表現の自由」を制約して刑事罰まで科す。これはめちゃくちゃだ。とんでもない話だ。

 

 国家が「表現の自由」という憲法上、国際法上の大原則を、政治的都合で都合よく使い分け、弄んでいるといわざるを得ない。この決定的な「ねじれ」と政治的ご都合主義を、法務省はどう説明するのか。

 

 本法案は第3条において、「表現の自由」に配慮するふりをしている。「留意規定を置いているじゃないか」という声が聞こえてくる。しかし、これは法理的破綻を覆い隠すための「お飾り」に過ぎない。

 

 提案者に聞く。「表現の自由」と「処罰すべき(集団暴力を生みかねない)煽動」の境界線について法的な決着を見ないまま、この法案を通すことは、人間の「属性」への集団暴力に法的な正当性を与えかねない、極めて重大なリスクをはらんでいるのではないか。見解を求める。

 

 法務省・堤審議官 審議中の議員立法について法務省として意見を申し上げる立場にはない。

 

 長谷川淳二(自民) わが国がジェノサイド条約を批准していないことは承知をしているが、条約締結は内閣の権能とされていることから、委員ご指摘の「ねじれ」について法案提出者として見解をのべる立場にない。

 

 本法案と「表現の自由」との関係について申し上げると、表現の自由は基本的人権のうち最も重要なものであることから、本法案は、くり返しになるが、「国旗を大切に思う国民感情」という社会全体の重要な利益の保護を図るため、「人に著しく不快または嫌悪の情を催させる方法で公然と損壊、除去、汚損する」という客観的な行為態様を構成要件とするとともに、その判断は客観的事情に基づいておこなう旨を定め、処罰範囲を明確にしている。

 

 さらにこの罰則については、国旗の損壊等の行為によってなされる表現の内容、伝達されるメッセージとはまったく無関係に、その行為がもたらす弊害を防止するためのものであり、表現の自由に対する制約の程度は小さいことなどから、罰則は必要かつ合理的な規制であり、表現の自由を保障する憲法21条1項に違反するものではないと考える。

 

 伊勢崎 「国旗の損壊を取り締まることの何が悪い」――この一見無邪気な言説の裏にあるもの、それこそがジェノサイドを生みかねない「煽動」だ。政治家はその勇ましい言葉で票田を煽り、結束を図る。国際人権法が「その政治の煽動こそを取り締まれ」と求めているにもかかわらず、わが国はそれを無視し続け、その不作為の果てに提出されたのがこの法案だ。質問時間がなくなったので、この問題は引き続き議論していく。

 

◇◇    ◇◇

 

苦境の離島を核マネーで弄ぶ、南鳥島への核ごみ処分場計画(7日、内閣委)

 

伊勢崎議員(7日)

 伊勢崎 私の一族、伊勢崎家のルーツは小笠原(東京都・小笠原諸島)にある。戦前、南方政策という国策のもと、わが一族郎党は小笠原からサイパンへ移住した。そして第二次世界大戦、サイパン島は激しい戦場となり、私の一族の大半(子どもを含む十数名)は、あの「サイパン玉砕」によって命を落とした。バンザイクリフから「天皇陛下万歳」といって身を投げたのだ。当時少女だった私の母はこれを免れた。今でも小笠原村役場には、この玉砕の記録が静かに眠っている。

 

 国策のもと、離島が都合よく利用され見捨てられた歴史。その構造は今も変わっていない。

 

 わが国最東端の国境離島、小笠原村の南鳥島に経産省が「核のごみ(高レベル放射性廃棄物)」最終処分場選定のための第一段階「文献調査」を要請し、四月に村長が受け入れを表明した。

 

 政府が定めた(有人国境離島法)「基本方針」の「第一」には、有人国境離島を保全する目的として「自然環境の保全」が明確に掲げられている。それにもかかわらず、この極限の地である南鳥島に、海洋環境を破壊させかねない極めて危険な核廃棄物を埋設しようとすることは、政府みずからが掲げた目的に真向から矛盾していないか。

 

 内閣府 有人国境離島法第5条において「国は有人国境離島地域に国の行政機関の施設の設置に努めるものとする」と規定されていることを踏まえ、事務所を設置することになっている。自然環境の保全に関する国の行政機関の施設は、小笠原地域では父島、母島に設置されているが、南鳥島には設置されていない。設置場所については、本法の趣旨を鑑み、各省が所管する施策の必要性に応じて、法令等に基づいて設置されているものと認識している。

 

小笠原村南鳥島

 伊勢崎 言及されなかったが、(核ごみ処分場の)「文献調査の要請」が問題なのだ。これは世界に伝わっている。私の親族が玉砕したサイパンのすぐ隣に米領グアムがある。今年4月、地元紙『ザ・グアム・デイリーポスト』の報道によれば、グアム議会のウィリアム・パーキンソン上院議員が、南鳥島への計画に対し、日本政府に猛烈な抗議と懸念を伝えている。

 

 「もし南鳥島で核廃棄物事故が起き、太平洋の海域が汚染されれば、グアム住民の生活だけでなく、太平洋における米軍の任務の要であるグアムの戦略的価値すら脅かされる」と。そして、米連邦政府や外交団の介入を求めている。

 

 外務省に聞く。「領海やEEZ、自然環境を保全する」ための離島振興を進める一方で、その離島を使って、同盟国の米国や太平洋島嶼国との間に深刻な外交摩擦と不信感を生み出している現状をどう捉えているか。

 

 外務省 3月にウィリアム・パーキンソン・グアム準州議会議員から、南鳥島における特定放射性廃棄物の最終処分に関する文献調査について照会があった。これについて四月に総領事から書面で回答したところだ。このやりとりが現地で報道されているが、われわれは外交問題化しているとは認識していない。文献調査は、文献や資料をもとに地域の地質データを調査・分析する机上調査であり、現地調査をともなうものではない。したがって現段階で特段の影響が生じるものとは考えていない。

 

 伊勢崎 離島にこういうものを埋設することがいかにセンシティブな問題かわかるはずだ。米軍の戦略、つまり沖縄の海兵隊の移設先はグアムであり、これは辺野古問題にも直結する問題だ。心していただきたい。

 

離島を兵糧攻めする国

 

 伊勢崎 内閣府に問う。全国離島振興市町村議会議長会の「令和8年度 要望書」は、重油価格の引き下げや離島航路支援法の制定を求めている。燃料高騰にあえぐ離島の悲痛な叫びが聞こえてくる。

 

 その悲鳴に追い打ちをかけるように、今、イラン危機による重油不足で離島航路の運休・減便という死活問題が起きている。しかし、政府の燃料対策は、代替手段のない離島航路を完全に置き去りにしている。この危機に対し、本改正案が新設するのは「都道府県の努力義務」だ。地球規模の燃料有事を、物価高で財政が限界に来ている地方に「努力で解決しろ」と迫る。この致命的なピンボケこそ、地方への責任転嫁であり、非人道的な施策ではないか。

 

 船が止まれば島は無人化し、国がみずから「国境保全の拠点」と位置づけた役割そのものが消滅する。燃料危機の財政支援を国が責任を持って本改正案に盛り込むべきではないか。内閣府の意見を求める。

 

 内閣府 本法案は議員立法であるため内容についての言及は控える。そのうえで申し上げれば、これまでも航路・航空路の低廉化事業、輸送コスト軽減事業への支援をしてきた。近年の燃料価格等の高騰も受けて、これら離島等地域の住民や事業者の負担が増加していることは認識している。これに対応するため、事業を支援する交付金について、昨年度は補正予算によって当初予算に加えて6・5億円を確保し、令和8年度当初予算では昨年度よりも5億円多い55億円を確保したところだ。離島航路を所管する国交省等とも連携して必要な支援をしていく。

 

 伊勢崎 最後に、予算規模の「非対称性」について指摘する。今回の改正案における令和8年度予算は全体でわずか55億円で、運賃の低廉化の交付率は5・5割、物資負担は6割にとどまる。沖縄や奄美の振興法では国の補助率が8割から10割であるのに対し、なぜ国家の主権にかかわる最前線の国境離島において、これほど補助率が低いのか。

 

 財政力の弱い離島自治体に4割以上の自己負担を強いるのは、事実上の支援放棄にしか見えない。国境保全が国の専管事項であるならば、生活維持のコストこそ国が10割負担すべきではないか。

 

 その一方で、国は小笠原村に対し、高レベル放射性廃棄物の地層処分に向けた文献調査を受け入れれば、最大20億円の交付金を支払う仕組みを提示している。基本インフラの支援はケチって自治体を困窮させ、巨額の「核マネー」で高リスクな政策を受け入れさせる。これは離島を兵糧攻めにしたうえでの事実上の「カネによる強要」ではないか。人道的な観点から、内閣府または議員の見解を伺う。

 

 内閣府 各種の振興法や特別措置法に基づき、離島地域等を支援する交付金等が制度としてある。それぞれの予算額や交付率は、支援対象とする事業内容、地域が置かれている状況、制度創設の経緯等も踏まえて決められており、一律の比較は難しい。補助率における地域負担分については、一部は地方交付税措置(総務省所管)等もあるので、それらも含めて総合的に制度化されていると認識している。

 

 伊勢崎 予算の「非対称性」とは、「核マネー」との非対称のことだ。国境離島の「保全」とは、国家主権の誇示やリスクの押し付けであってはならない。そこに生きる人々の命と豊かな自然を守り、太平洋の隣人(外国)と平和に共存することにほかならない。

 

 小笠原の役所に眠るわが一族の玉砕の記録、これは過去の歴史ではない。国家の都合によって、離島(これには前線基地化が進行する南西諸島を含む)を犠牲にする構造を二度とくり返してはならない。

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