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退役米兵らが日本の軍拡に警鐘 ベテランズ・フォー・ピースが来日ツアーで講演 「戦争は巨大なビジネス」

(2025年11月10日付掲載)

VFPメンバーとして来日した、右からジョイ・メツラー、レイチェル・クラーク、ケム・ハンターの3氏(2日、北九州市)

 退役米兵と家族、その賛同者でつくる米国の平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める元軍人の会)」(VFP)が10月中旬から11月上旬にかけて来日し、全国各地で講演や対話のツアーをおこなった。日本ツアーは今年で10年目。第2次世界大戦終結から80年目となる今年のツアーでは、若者を含む2人の退役軍人が来日し、トランプ政権下で広がる米国市民の反戦運動の息吹を伝えるとともに、日本で急速に進む軍事化に警鐘を鳴らし、米国の戦争政策に反対するための日米市民の連帯を呼びかけた。

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 今回来日したのは、ベトナム戦争に従軍した元米海軍士官のケム・ハンター(79歳)、パレスチナ・ガザでの虐殺に米国が関与していることに「良心的不服従(異議)」を申し立て米空軍を退役したジョイ・メツラー(24歳)の2氏。日本ツアーを企画したVFP会員のレイチェル・クラーク氏が通訳として、元海上自衛隊員の形川健一氏がナビゲーターとして行動をともにした。

 

 VFP一行は、10月中旬に沖縄に到着。名護市辺野古の米軍基地建設現場や、自衛隊ミサイル基地などの軍備強化が進む与那国島、石垣島、宮古島の現場を視察し、軍事拠点化に反対する現地の人々と交流。さらに東京(法政大学、羽村市)、横須賀、名古屋、徳島、神戸、広島、北九州、長崎、熊本で現地市民団体が開いた講演会に参加し、退役米兵の目から見た戦争の現実を伝えるとともに、米国の戦略に従って急速な軍事化に舵を切る日本国内の問題と課題について参加者と意見を交流した。

 

 全国を回る途上では、沖縄県内の基地をはじめ、米軍横田基地(東京)、米海軍横須賀基地(神奈川)、航空自衛隊小牧基地(愛知)、海上自衛隊呉基地(広島)、米海軍佐世保基地(長崎)、ミサイル配備が計画されている陸上自衛隊健軍駐屯地(熊本)などを視察しながら現地の人々とともに集会を開き、反対運動に連帯するスピーチもおこなった。

 

 今年5月に米空軍を自主退役したばかりのメツラー氏は、2023年に空軍士官学校で将校養成課程を修了して空軍に入ったが、同年10月7日から始まったイスラエル軍によるパレスチナ・ガザでの民間人虐殺と米国政府の対応に強い憤りを抱いて軍を離脱し、現在はガザのジェノサイドの終結とパレスチナ支援のための活動を精力的におこなっている。

 

 彼女は日本各地の講演会で「元米軍の一員として、わが国が犯してきた非道を謝罪したい。2発の核兵器を投下し、今も続く占領行為のなかで、住民の皆さんに与えている心身への苦痛や環境破壊をお詫びしたい」とのべた後、自身の思いを以下のように語った。

 

私が軍を辞めた理由 元米空軍人 ジョイ・メツラー

 

メツラー氏

 私は15、16歳という早い段階で軍隊への入隊を決意した。ワシントンD.C.にたくさんある戦争記念碑を見て、この文化の一員になりたい、人々を守り、奉仕することで国に貢献したいという思いを抱き、正義を脅かす世界の「悪」と戦う軍の使命に共感したからだ。9・11同時多発テロ後、その悪とは「テロリズム」であると強く認識した。

 

 そして、2019年に空軍士官学校(エアフォース・アカデミー)に合格した。士官学校は学部教育プログラムで、軍事訓練の合間に授業を受け、学士号を取得して卒業すると空軍将校になれる。将来経験するであろう戦争に備え、国際法や戦争における倫理観、リーダーシップなどについて学ぶ将校養成機関だ。

 

 空軍も陸軍も士官学校は競争が激しい狭き門で、多くの子どもたちにとって夢でもある。同窓は空軍士官学校は「ロング・ブルー・ライン」、陸軍士官学校は「ロング・グレイ・ライン」と呼ばれ、歴史と伝統が強調される。今となっては国自体の歴史が浅い米国の軍隊が誇る「伝統」に疑問を感じるが、この伝統の一部になることが在学中の私の夢だった。

 

 2023年に士官学校を卒業し、軍隊生活で燃え尽きていた私は、工学を専攻しジョージア工科大学大学院に入った。あの10月7日の事件(ハマスの襲撃を契機にしたイスラエルによるガザ総攻撃)は、私が在学中に起きた。

 

 それまで私は、イスラエルは中東最大の同盟国だと教えられてきたので、そのことに疑問すら感じていなかった。9・11(ニューヨーク同時多発テロ)とその後20年以上におよぶ中東への関与に強い影響を受けていたのだろう。パレスチナについては知りもしなかった。10月7日の事件では、イスラエルに自衛権があると思っていたし、それ以上は考えなかった。

 

 2024年2月、25歳の米空軍兵士アーロン・ブッシュネルがワシントンD.C.のイスラエル大使館前で、「これ以上、ジェノサイド(大量虐殺)に加担できない」といいながら、軍服を着た自分の体にガソリンをかけて焼身自殺するという極端な抗議をした。同じ空軍人の究極の抗議を受け、私はパレスチナ人へのジェノサイドについてやっと追及し始めた。

 

 ガザについて、私はそれまで必死に無視していた。突然、士官学校で教わったすべての教訓が私に押し寄せてきた。イスラエルの「自衛権行使」は、病院を標的にし、子どもたちや女性を殺し、人道支援を封鎖し、都市を破壊している。いかなる条件のもとでもこれがイスラエルの戦争犯罪であるという結論は簡単に出た。イスラエルがパレスチナ人にジェノサイドをおこなっているのだ。

 

 私は、そのうち米国はこの戦争を止めさせるだろうと考えていたが、一向にその気配はなく、それどころか米国はイスラエルにより多くの資金や武器を送り続けた。私は米国がこの戦争の当事者であると認識した。米国政府も軍属である私も、対外政策の延長線上で財政的・軍事的にこのジェノサイドに加担していたのだ。これは私が培ってきたモラルと相反するものだった。

 

 そこで私は2024年4月にVFPに加わり、8月、空軍に「良心的異議」(自主退役)を申請した。軍内部ではタブー視されることだが、それが合法的に軍から離れる唯一の方法だった。これまで通り従順に軍でキャリアを積む選択肢もあったが、もはや自分の労力も時間も捧げる気にはなれず、まして米国の侵略拡大に私自身の安全を犠牲にする気にもなれなかった。世界に対する理解が変わったので、自分自身が進む道も変えたのだ。

 

 軍からの離脱は簡単ではない。弁護士の力を借り、8カ月かけて25㌻もの申請書を作り、自分は戦争に反対であることを記し、誓約書とともに軍に提出した。そして今年4月、正式に軍を退役した。そして今、ますます深刻化するこのジェノサイドを、軍で学んだあらゆる知識と技能を駆使して止めたい。それこそが私の軍務における最高の名誉だと考えている。

 

米国市民としての責任

 

 軍を辞めた私は、ガザ虐殺を止めるための抗議としておこなわれたニューヨーク国連本部ビル前での40日間の断食(ハンガーストライキ)に参加した。その後、地元フロリダに帰り、退役軍人のグループを立ち上げて反戦活動を始めた。

 

ニューヨーク市街地で、ガザで犠牲になった子どもたちの写真を展示し、ジェノサイドへの抗議の断食をしたメツラー氏(6月、VFP提供)

 そのなかで私は3つの学びを得た。米国は世界の「平和維持者」ではないこと。米国にとって戦争は非常に巨大なビジネスであり、利益になるからこそこのサイクルが続いていること。そして、豊かな経済大国に生きる私たち市民は、その戦争の恩恵を図らずも享受しているということだ。

 

 強国の社会が被抑圧国の搾取のうえに成り立つ構図を、帝国主義あるいは植民地主義という。それが世界中の抑圧された国々を支配することを可能にし、そこから絶えず資源を搾取し、彼らにはなにも残さない。私は軍人としてそれに憎悪を感じていたが、今では米国市民としてこれに反対する責任があると思うようになった。

 

 日本の皆さんも非常に高度に産業化された国の市民だ。私たちはともに多くの利潤を生み出すことができる豊かな社会に住んでいる。だが日本でも米国の戦略に沿って急速な軍事化が進んでいる。これは私たちを守るものではなく、政治家や資本が利益を得るための「戦争マシン」を動かすシステムでしかない。私は米軍人としてその一端を担ってきた。

 

 日本と米国の政府は結びつき、ますます戦争で利潤を追求する方向に進んでいる。私たちはすべてを喪失する可能性がある立場にあるが、営利のために世界を破壊している勢力に最も近い立場にいるからこそ、この植民地主義とたたかわなければならない。自分たちの生活を心配してそのような発言や運動への参加を控える人は多いが、軍事化と植民地主義は実存的な脅威であり、現在の日米政府の動きを野放しにするなら、守るべき生活基盤など存在しなくなるだろうと私は思っている。

 

 そして今、グローバルサウスの仲間たちは、この帝国主義によってすでに生存が脅かされている。米国の市民としてそれを知ることは居心地の悪いことだが、日本の皆さんともそれを共有し、グローバルサウスの人々と連携して、この生存不安から脱却すべくともに働いていきたい。

 

 それは長い闘いになるだろう。それでもパレスチナの自由のため、世界の抑圧された人々の真の自由のために、私と一緒に抵抗してほしい。侵略戦争と戦争マシンの仕組みが私たちを破壊する前に一緒にこれを止めよう。

 

米中央軍司令部のあるマクディル空軍基地(フロリダ州)前で「退役軍人は大量虐殺に反対する」と書かれた横断幕を掲げるVFPのメンバーたち(9月、VFP提供)

日米市民の連帯呼びかけ 2氏の退役軍人の報告を受け

 

 もう1人の退役軍人ケム・ハンター氏は、海軍士官としてベトナム戦争に従軍後、消防士、弁護士をへて、ワシントン州インデックス市の市議会議員、市長を歴任。現在はVFPシアトル支部理事としてボランティア活動や平和活動にとりくんでいる。同氏は、戦争のトラウマが生涯にわたってつきまとい、苦しんだことを明かし、幼い頃から信じて疑わなかった「米国の正義と民主主義のための軍隊」「自由を守るための戦争」という概念が根底から覆った経験を伝えた【要旨別掲】。

 

 今年はベトナム戦争終結から50年目でもある。小倉や長崎での講演会では、参加者からベトナム戦争で米軍が撒いた枯れ葉剤の影響や補償をめぐる質問も出た。

 

 ハンター氏は、「枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)の被害は深刻だ。米国がこれを使った目的は、ベトナムのジャングルを枯らせて敵のゲリラ兵が隠れる場所をなくすこと、農地にも撒いて食料を枯渇させるためでもあった。基地周辺にも撒いたため、私を含む米軍兵士もそれを浴びている。同じくベトナム戦争に従軍した私の兄は、その影響による肺がんで亡くなった。米国政府は枯れ葉剤被害で障害を負った帰還兵にスクリーニングテストと治療を約束しているが、その対象は狭い。残念ながらベトナム人に対する補償はなにもしていない」とのべた。

 

 「私たち米軍兵士は1~2年の滞在だが、ベトナムの人々はずっとそこに住み続ける。だから当然被害も大きい。時間とともに枯れ葉剤の直接的影響は減っているが、撒かれた濃度が高い地域ではいまだに人的影響がある。また、枯れ葉剤は遺伝子を傷つけるため、世代をこえて遺伝的影響が出ており、苦しんでいる人はたくさんいる。私たちVFPは『ベトナム枯れ葉剤被害者救援プロジェクト』をおこない、民間レベルで医療品や寄付などの支援活動を続けている。それは私たちの義務だ」とのべた。

 

 VFPスタッフとして帰還兵とともにベトナム支援に携わってきたクラーク氏も「米国は自分たちが犯した戦争犯罪の責任はとらない。日本を守るというのも建前であり、どんな戦争被害が生じても自己責任として片付けられることは目に見えている」と付け加えた。

 

 さらに、今回のツアーで目の当たりにした日本各地で進む軍事強化について、ハンター氏は「米国が日本にこれほど多くの基地を置くのは、いつでも戦争を起こせる体制を維持するためであり、自衛隊基地の拡大もその一環だ。日米共同演習をくり返し、統合指揮権を米軍が持つことに非常に危惧を覚える。米国は中国との戦争において、日本をより積極的にかかわらせるだろう。米国防総省はトランプ政権のもとで“戦争省”に改名し、史上最高額の国防費を計上した。日本がそれに歩調を合わせて軍拡を進めることは非常に危険なことだ」と指摘した。

 

 そして「これらの軍拡は兵器産業にとっては朗報だが、われわれ市民の生活や将来にとっては悲劇的なことだ。日米政府が次の戦争に向けて着々と歩みを進めていくのなら、私たち平和を愛する日米の市民は手を取り合ってこの力に立ち向かわなければならない」と連帯を呼びかけた。

 

米国の若者たちの意識の変化

 

国内の抗議活動弾圧のためにトランプ大統領が州兵を派遣することに反対し、米オレゴン州ポートランド市庁舎前で抗議行動をする退役米軍人たち(10月、VFP提供)

 この間、イスラエルによるガザ虐殺をめぐり、米国内では大学でパレスチナ連帯キャンプがとりくまれ、政府や当局による予算凍結や逮捕などの迫害に抗して若者たちの反戦運動がかつてなく高まっている。空軍を退役したメツラー氏もこれらのキャンプに加わり、米国の若者たちと問題意識を共有してきたという。

 

 メツラー氏は、「軍人で“良心的不服従”による退役を選択する人はまだ決して多いわけではないが、国防総省が戦争省になり、好戦的な人物(ヘグセス)が大臣になって、パレスチナだけでなく、ベネズエラにも触手を伸ばしていることに絶望を感じている人は多い。また、国内ではトランプの移民排斥政策への抗議活動を弾圧するために州兵を派遣する事態にもなっている。本来守るべき市民に銃口を向けるという行為は、軍人としての根本的道徳に反することであり、忠誠心を損なうものだという批判は強い」とのべた。

 

 今回のツアーの感想を問うと、「日本各地で反戦運動をとりくんでいる地域社会と繋がることができるすばらしい機会だった。同時に、日本のいたるところで米軍と自衛隊の急速な拡大という形で軍国主義が蔓延していることにも衝撃を受けた。日本の若者が急速な軍国主義化をほとんど気にしていないことにも驚いた。私たちは互いに、よりグローバルに連帯していく必要がある。私が住むフロリダから12時間以上も離れ、海を隔てた場所で、同じ思いで運動がおこなわれていることに勇気づけられた。日本に存在する戦争反対の熱は、今後、軍事化が人々の生活に影響を与え始めるにつれて高まっていくはずだ。日本とアメリカの平和運動がお互いの学びを分かち合える日が来ることを楽しみにしている」と語った。

 

 一方、「印象に残ったのは、日本の抗議行動の礼儀正しさだった。国による文化の違いもあるだろうが、米国の市民運動との大きな違いだと感じた。米国では、政治家の大半が、有権者ではなく、選挙資金を提供してくれた者たちに従う傾向がある。そのため私たちは、ボイコットや投資撤退、制裁などの経済的圧力による世論喚起という手段を講じざるを得なかった。政治家を公の場で糾弾したり、演説を妨害したり、個人への抗議活動や市民的不服従といった類のものだ。日本では米国ほど対立を望まない文化なのかもしれないが、私が慣れ親しんだ環境とは大きく違った」と率直な感想をのべていた。

 

 メツラー氏は年内中にもパレスチナに赴き、イスラエルが何をしているのかを直接確認し、パレスチナの人々の抵抗に連帯する活動をさらに広げていくという。

 

 VFPは、世界に140支部、約8000人の会員を持つ国際NGOで、日本では元自衛隊員らが支部を構成している。今回のツアーで見聞した日本における軍拡や人々の声を米国市民に伝え、戦争に反対する日米市民の連携をさらに強めていくことにしている。

 

陸上自衛隊与那国駐屯地を視察したVFP来日メンバーと現地の人々(10月20日、沖縄県。VFP提供)

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