いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

避難者や災害支援者から聞く能登地震被災地の今 れいわ・山本太郎参議院議員の現地報告②

 れいわ新選組の山本太郎参議院議員は、前回に引き続き11日から能登半島地震で大きな被害が出た石川県輪島市や周辺地域に視察に入り、震災から10日以上たった被災地や避難所の現状、被災者や災害支援ボランティアたちの声をSNSで報告している。今回は12、13日に山本氏が現地から発信した内容を全文紹介する。(写真は山本氏の投稿から。中見出しは編集部)

 

 

■輪島市の福祉避難所へ(1月12日投稿)

 

 能登半島に再度お邪魔した。
 今回は福祉施設と通常の避難所を中心にお話を伺った。
 本日は福祉施設についてのやりとりを記すこととする。


 福祉施設に必要な物資が届いていない連絡が入り、口腔ケアのための歯磨きテイッシュ、病院衣など急遽にもかかわらず、舩後靖彦事務所の尽力で調達が可能になった。


 電車で行くには大きな荷物になったため、東京からは車移動。

 1月10日、災害特別委員会の報告、という儀式を終えたあと、自分の体力と相談。
一気に能登半島までの移動はやめようと判断。


 まずは4時間車を走らせ新潟上越市でひと休み。


 翌朝、他に必要な物資を調達。
 能登半島左側(志賀原発方面ルート)を通り、輪島の門前町を目指す。


 道路の混雑は全くなかった。途中、あまりに美しい景色に目を奪われそうになり、車を止め3分見入った。


 半島の西と東で違った魅力のあるのが能登なんだな。
 落ち着いたらプライベートでゆっくり能登半島を旅したい。
 そんなことも思いながら門前町に到着。


 最初に訪れたのは知的障害者の方々への就労支援、グループホームを運営する支援施設。普段利用者は50人。現在、21歳から84歳までの40人が身を寄せる。


 被害の大きかった輪島や珠州に注目が集まるが、ここ輪島の門前町も支援が届きづらい状態。


Q 1番困ったことは?

A 水は数日前から自衛隊の給水で確保できてる。
 電気が通っていないのが困る。
 夜は真っ暗な居室で利用者は過ごしている。
 感知式のライトをトイレ付近にのみ設置するのがやっと。


 後は真っ暗の中で生活している。
 利用者の娯楽としても不安な気持ちを紛らすためにもTVが必要だが電気がないと。


 Q 発電機の提供の申し出など行政からあったか?

 A 全くない。ボランティアの方が発電機を大型と小型の物を持ち込んでくれたが、大型のものは燃料がそれなりに必要になるので動かしていない。小型の物で何とか賄っている。


 Q 暖房は?

 A 今日、ボランティアがストーブを1つ持ってきてくれた。助かっている。今もみんなで暖を取ってる。

 


 そう言って1つのストーブを皆で囲んでいるところに案内してくれた。


 Q 職員の体制は?

 A 通常は厨房に4名、夜勤は男女各1名。日中14−5名。


 現在は地震もあるので、夜勤は倍の4名だが、日中は3、4名。職員自身も被災しているので出てこれない人が結構いる。手が回ってない。


 Q 食料は大丈夫か?

 A 何とかなってる。ここは施設なので、行政からの物資が基本入らない。近くの避難所から貰ったりする。その避難所は、この施設と区が違うのでそのような融通はして貰えないらしいが、区長が掛け合ってくれて可能になった。


 施設として必要な物資は輪島市中心部まで取りに行ってる。普段輪島市までは30分程度の道のりだが現在は穴水経由で2時間ほど掛かっている。


 Q 今、必要なものは?

 A 利用者の口腔ケアで入れ歯洗浄の泡タイプのものなどあれば助かる。あと、使い捨ての食器類・容器が欲しい。

 

 他にも職員の方から、
 「この周辺は漁師の街なんです」、と話しかけられた。
 「ここより少し上に登れば、イカ釣りで有名な漁港もあります。海底が隆起したことで、港も使えなくなって。使える船があっても港から出せない状態で。新しく船を作るにしても、5年待ちとかで。もう諦めた漁師の友達もいます」。


 施設を出て海沿いを走ると、漁港が運動場や空き地のようになっている。
岸の波打ち際ではなく、本来、沖手前に置かれていたはずのテトラポッド群が水に浸かっておらず、完全に根元が乾いた形で見えている。漁師の方々も生業を取り戻せるような大々的な支援を政府に求めなければ。

 

高齢者施設は飽和状態 水道も電気も途絶

 

 次に訪れたのは高齢者施設。


 Q ここは本来、どのような施設ですか?

 A 通い、訪問、泊まりで、在宅を支える小規模多機能という施設。通常は昼間40名弱、夜9名ほどの利用者。発災後は、車中泊5日でじょくそう(床ずれ)が酷い高齢者、
独居でうずくまってた人など、見かねた人や行政からの相談でお困りの方々も受け入れることにした。


 Q 現在、何人の高齢者が寝泊まりされてますか?

 A 51名。行政から頼まれてそのような受け入れもしているが、「ルール違反になる数を受け入れしていいのか」と、今日、別の行政の人から怒られたところ。彼らも混乱しているんでしょう。悪いことやってる訳ではないので私はやめませんが。

 


 Q これまで、どんなモノに困ってましたか。

 A 水・電気。トイレの水は知り合いの土建屋さんが届けてくれたポンプで川から水を引いて使った。下水は使えている。電気はボランティアが届けてくれた発電機で。おととい夕方から復旧したのでIHで調理できてる。


 Q それまではどうやって調理を?

 A 去年BBQ大会をやった残りの炭と倉庫から薪になりそうなものを職員に割ってもらって燃料に。利用者に絶対温かいものを食べさせる、と気持ちでやった。


 Q こういったインフラ関係で、行政から何かしら打診は?

 A 一切なかった。彼らも大変だったんでしょう。食材など他の物資は、同じグループからの融通とグループホーム協会などからの支援で助かった。


 Q 政府が一つだけ何でもやる、と言ったら何をリクエストしますか?

 A 水道。洗濯ができずに利用者の着衣が排泄などでも汚れる。でもそう言った服などは処分できない。孫や家族からもらった大事なものかもしれないので、ご家族に確認を取るまでは保管している。

 

避難者も職員も「限界」 福祉避難所の現状


車中泊で夜を過ごし、朝、輪島市役所へ。


 Q お忙しいところ申し訳ありません。避難所の数(指定・自主・福祉)を教えていただけますか?

 A 全て数えられている訳ではありませんが、総数が150ほど。指定が22、あと「自主避難所」という言い方ではなく、地域の皆さんが寄り合ってるというのが120−130、です。


 Q 福祉避難所は?

 A 7です。


 1番近い福祉避難所を教えていただく。地図上ではすぐだが、道路の状態や家屋の倒壊などで、何度も周辺をぐるぐる回ることに。やっと辿り着いたところでお話を伺った。


 Q 輪島には福祉避難所は7つあるんですよね?

 A それは登録の数で、実際開設、受け入れできてるのはうちと、同じグループのもう1箇所だと思います。確認が必要なら市役所に。


 Q 普段はどのような施設ですか?

 A 元々、障害児、者の通い施設。被災後は地域の高齢者も含めて受け入れを行っている。


 Q 障害と高齢者ではノウハウ的なことが異なることもあるのでは?

 A 私たちのグループでは高齢者介護の資格やノウハウも持っているので、対応できている。

 

 Q そうでしたか! ごめんなさい、もう一度通常時のお話に戻って良いですか?

 A 障害者のグループホームですね。他にも親が先に亡くなって1人では家で生活ができない、と言った方でも地域で生活できるように足りない部分は支援員がお手伝いするサービスを提供している。


 こう言った方々が災害で困ることが、普通の避難所には行けない、ってこと。通常と違うことに障害特性でパニックになる人も。なぜ電気が来ない、なぜテレビがつかない、なぜ水道から水が出ない、と真っ暗闇の中にポツンと1人になる、追い込まれた感覚になる。


 地震や起こっていることの危険性の理解ができない場合も。


 昨日は利用者が家に帰る、と聞かない。
 道も歩けるし、電気もついたから家に帰ると。でも住まいがあるのは、土砂災害警戒区域。


 「行ったらダメ」というと本人は否定されたと思いムキになるから、一旦は外に一緒に出る。「雨が降って来たから帰ろう、天気予報でもそう言ってたよ」などやり取りをする。
 危険、と認識できない人もいる。
 こんな感じでは普通の避難所には行けない。
 じゃあどうするか。
 車中泊です。
 そんな家族が何人もいた。


 避難所に行っても普段と違うから声をあげる、ものを触る、飛び跳ねる。
 「ちゃんと見とかんか!」と怒られました、とお母さんが泣いて来た。
 私たちは不安から声をあげる子がいても「一回、声を上げたら落ち着くからねー」と対応できる。


 私たちは地域の人たちと事前に災害についての話し合いを重ねている最中だった。


 障害の小さい子ども抱えて安全に避難するためにはどうしたらいいかって。
 60代男性の方は、高齢の親を抱えて避難するのは体力的にも無理だ。
 どうやって逃げる?
 自分も親も柱にくくりつけて死ぬとか考えなきゃ仕方ないんじゃないか? ってお話されてて。


 仕方ない、じゃなくてやっぱ逃げれる方法考えましょう、と。
 そんな中、大地震が来た。


 今、提案されてる避難では、顔見知りの人たちともバラバラになってしまう可能性もあるから、支援員さんも利用者もその家族もまとめて、まずは1、2ヶ月まとめてどこかに避難できないかと。


 まずは命守らないと。水道も通ってない、トイレもこんな状況で衛生面を保つのは無理。すでにインフルやコロナ含めた感染症が拡がっていると話が入って来てます。一般の避難所もそうだけど、ストレスも溜まって栄養状態も悪いし免疫力も低下してる。

 急がなきゃ。


みんなで避難すれば環境の変化に弱い利用者さんも
何とか顔なじみの中で生活していけるんじゃないかと思ってる。
市や県経由だと話がまとまらないから直接連絡したと
民間の同業の方々からいくつかお話もいただいてますし、
引き続き、県にも相談しています。


 Q リミットは? 限界はいつ頃と考えていますか?

 A もう限界。発災から職員は休まずに対応してるし、倒れた人もいます。今週中、遅くても来週初めには決めてもらわないと。


 Q 避難する先の条件、どのようにリクエスト出してますか?

 A 各自の個室とそれと別にみんなで集まれるスペースが必要と。お願いします、急いでください。

 

客船使った避難支援を 阪神大震災で先例も


 普段通りに過ごせないことのストレスは誰にでもあるだろう。
 被災をした人々にとっては普段など全て吹き飛んだ状態である。
 抱える苦しみは想像を絶する。
 この苦しみに寄り添い予算を持って細やかに、大胆に実行できる主体は政府しかない。(建て付け上は自治体であっても実質は政府のしっかりとした先導と伴走が必要)
 これほど強い意志を持って広域避難を求めている人たちの移動も急いでいただきたい。


 今日の終わりにやり取りしたNPOの話では、支援に入っている医療従事者曰く、このままでは来週中にも、避難所によってはパンデミック状態もあり得ると危機感を募らせている。
 ゾーニングが難しく、小さな避難所では発熱の場合、自宅に帰すという話も出たと聞く。被災しているから、帰る家がないから避難しているのに。
 混乱した状態であることが伺える。


 阪神大震災では定員600―900名クラスの船を比較的被災が軽微な岩壁に着岸して避難支援に活用した事例もある。
 客船をプライバシーの守れる一時的な避難所としても活用できるし、フェリーであれば車両と人を移送できる。
 れいわとしても政府に強く要求していく。

 

◇        ◇

 

■災害支援者が語る実情(1月13日投稿)

 

1月11日から能登半島を再度訪問。
福祉避難所についてのリポートは
https://x.com/yamamototaro0/status/1745851472938762646

 

 本日は今回の災害に関わる支援者などから輪島で聞いた声をお伝えする。


 Q 能登半島は初めて?
 A 5月にここで震度6強の大きい地震があった。その支援に入ってた。その時のつながりで連絡もらって何とかして行きますって、きた感じです。


 Q 寝泊まりは?
 A レンタカーの軽自動車で車中泊。


 Q こちらでの活動は?
 A 熊本の地震の時も避難所運営に関わったりしたので、そういったお手伝いを。今回これから応援でくる行政の職員さんは当然避難所の運営の経験ない人たちが多いからシェアしていくことになると思う。


 Q こちらで見た避難所の運営はどういうものでしたか。


 A 今は急性期なんで混乱してる。
 ご飯もないけど、これから避難所生活は長期化する。
 元の生活に戻していく目標なので長期で進めることになる。


 今いわゆる関連死につながる可能性がすごい高い。
 見られました?
 体育館とかの避難所。
 これだけ寒いしホコリっぽい。
 土足厳禁になったのは数日前という避難所もある。


 地べたで寝るとものすごい寒いので、底上げしないと。
 ダンボールベットだと、床から40cmくらい底上げできて寒さも違うし、床に直接寝てた時よりも、埃を吸い込まなくて済む。


おじいちゃん、おばあちゃんとか膝の調子の良くない人は、地面に座った状態から立ち上がるの辛いじゃないですか。やっぱりベッドぐらいの高さだと楽になるし、座りやすいからトイレにも行きやすくなる。


その先は間仕切りも含めてやっていくことでその避難所の衛生環境を保つ、ってことなんですけど、そういったところを一つずつ関わる職員さんたちに、このフェーズはこうやっていこう、このフェーズでは、と伝えていく役割をやっていきます。


 Q 総務省が440人ほど地方自治体からの応援を能登半島に派遣しているという話ですけど、増強されている感じはありますか?

 A 応援が一番増えたのは今週、というか昨日、おとといから派遣チームが一気に増えてきた感覚。


 Q 彼らの対応能力は?

 A 対応能力っていうか、ルーキーは多めだったりする訳ですけど、今のところまだそういうことは分からない状態ですかね。もちろんルーキーでない方もいます。


 人数を多く出せるのは、力のある都道府県とか、政令市。
 人数がいるところじゃないと多く出せないでしょうね。
 被災経験があって、ノウハウある人が大人数送り込まれている訳ではないと思います。


 Q 大変なことは?

 A 一番しんどいのは当然ですが、被災自治体の職員さん達が被災してること。


 避難者として避難してる人が避難所運営せざるを得なくなっちゃってる。
 イロハも分からない、避難所の運営っていうものも頭の中に全く無い人たちが避難者として避難して行政職員なんだから助けてあげて、という中で、自分がやらなきゃ、という状態。
 ご飯どうやってもらいに行ったらいいんだろうって電話して、とか。
 物資倉庫から避難所にシステマチックに届かない混乱してる状態でとりに行かなきゃいけない、っていうような時期がちょっと前まであった。
 今は少しずつ自衛隊が回っていくって流れとかできたり、応援の職員の人たちが来たりでサポートは始まってますけど。


 それでもまだ道の状況が悪くて一日一食とか場合によって届かないっていう日もあったり。今日行った避難所では、昨日の朝ご飯が、薄いサラダ味のせんべい数枚だった避難所もある。


 大きめの避難所はそれなりにフォローされやすいけど、そうでないとこはまだ厳しいとこもある。


 市からの配食は、大体一食。一日一食。あとは民間だったり、住民の持ち寄りだったり。


 発災後はお正月の料理とか、家にあったものをみんなに持ってきてもらって、それをちょっと温めて食べるみたいなのを正月の三が日ぐらいまでやっていたと聞きますね。


 Q 1月6日に珠州で民間の炊き出しやってる人から聞いたのは、自衛隊に炊き出ししてくれないのか、と聞いたら食材がないから無理と言われたと。


 A できる資材とノウハウがあるのにもったいないですね。何とかしてください。

 

急がれる衛生面の対策 避難所襲う感染症


 Q 避難所の運営を考えたとき。是正が必要な問題は?

 

 A 発災初日、2日目とか初期の段階が大混乱はわかりますが、今でもご飯がちゃんと出てないのはやっぱりキツいなと思います。


 避難所は普通に3食、出すのが基本なので。


 せめて、おにぎりとかパンとかでも、もうちょっというとお弁当みたいなところも出して欲しい。あったかい食事っていうのが最終的にはゴールかなと思いますけど。


 これからどんどん段階的に改善していかなきゃいけないのは、食事とトイレ。
 お風呂は入れてない人も多いので、お風呂も改善しなきゃいけないし、もうちょっと寝床をちゃんと確保してきれいにするとか、プライベートの空間も作っていく、とかですかね。


 今、行政として頑張ってるな、と思うのが、二次避難。
 ホテル避難はいい取り組みと思う。
 あれは国でしかやれないような取り組みだから。


 本当に避難所過密だったし、だいぶ間引かれて、人が減ってきているんですけど、それは別の地域の身内のところに行ったり、家に戻ったりとか。もちろん地元を出られた人もいるようですが。その二次避難的なことは始まってますが、今の所、1日数十単位でしか動いてないみたいで、バスがなかなか手配できなかったりもあると聞いてます。


 今日行く予定だった人たちがバスが来れなくて行けなくなった、って話があった。
 そうなるとなかなか厳しいですよね。


 Q 食事、トイレ、お風呂。この三つが安定し出すのって、様々な災害現場や避難所を見てきた立場から見て、どれぐらい掛かりそうですか?

 

 A その3つが安定するのって、やっぱりライフラインが戻ってこないと安定しない。
今電気がついてるところはエアコンも使えたりするけど、水道が使えなければ、トイレは簡易トイレになる。
 外に置いてる簡易トイレまで移動が難しい高齢者とかは袋に用を足すこともあるが、嫌じゃないですか、そんなの。失敗して汚したりして皆に迷惑かけるとか考えるとトイレに行きたくなくなる。


 今感染症も出てきていてノロとかコロナもあるしインフルも出てる。
 あれだけ密集した環境で今生活せざるを得ないので衛生面での対策ってすごい急がれていて、高齢者の方々も咳してる人が結構いる避難所とかもあったりして。
 支援する側も緊張感ある。今ピリピリしてます。


 入ってる医療チームもそういうのをなくさないといけないって頑張ってますけど、なかなか。


 Q これまでの災害に比べて避難所の数は多いですか?

 

 A 多いです。家屋の倒壊が圧倒的に多くて、津波被害は別として、東日本の震災でもこんなに倒壊した家を私は見たことがない。


 熊本地震でも結構倒壊してましたけど、この規模じゃない。半島の先っぽで元々インフラも社会的なリソースの配分されてなかった地域が被災して、支援しようにも、何かモノを手に入れようにも、大変だな、と思います。

 

仮設住宅の建設は急務 二次避難と並行して


 Q いま、不安に思ってることは?

 

 A 1番は復興のイメージが全くつかない。支援する側もイメージできない。どうなっちゃうんだろうな、って。


 これからどうするのか、のイメージを政治の側から伝えられていない。


 インフラが戻るにも時間がかかる。
 僕らにはインフラ戻すノウハウはないので、それを担うのは公共工事的なものでしょうけど、ちょっと想像がつかない。


 今、避難してる人たちがいる。
 そこから手を離したら、命に関わると思ってるから必死でやる。
 だから、やるんだけど。どこまでやるのか、っていうのが、全く見えない。

 
 まずは、二次避難を加速させる、今ある制度をどんどん使って避難してもらって、ホテルで、暖かいところでお風呂も入れるしトイレも水洗ですし、通常の生活に近いことができるので。家から離れちゃうけど、まずは、それをやってもらいたいなと思う。


 一方で、地元から離れたくない方々の生活環境もやっぱり早く整えていく、っていうのは求められますね。


 Q 政府が1つだけ何でもやる、すぐやる、と言われたら何を求めますか。

 

 A 仮設住宅を爆速で作って欲しい。


 一時避難ではなく、被災された方々を全く別の土地にずっと住んでもらうことは、この街が終わることなので、この街を終わらせないっていう選択肢を取るんだったら、2次避難と仮設建設を爆速で。


 中には諦めて他に街をつくろう、と言う人もいるかも知れないですけどそれを望まない人たちもいると思う。
 国が大きな方針を早く出す方が良い。


 もう一つはやっぱりもっと騒がないとだめだと思う。
 全然支援っていうのか、なんだろう、ムーブメントが起こってなくて。


 今、能登半島を支援しようみたいな、東日本や熊本の時のような、一体感、被災地を応援しようみたいなのが盛り上がってるように感じない。
 メディアも含めてですけど。


 Q なるほど。私は秋田県の豪雨報道と比較してしまってた。
 秋田は一瞬で全国放送では扱われなくなったじゃないですか。
 それと比べたら、能登半島はまだ扱いがあるな、と思ってしまってました。

 

 A ちゃんともっと騒いでいいと思います。
 自民党の裏金のニュースみたいな話と混じってだんだん能登半島が薄れてる印象があって心配してます。


 避難所の運営についても事実上、被災自治体に丸投げ。
 心あるボランティアが入ってきて運営を手伝う、ということが当たり前のようにこの国では繰り返し行われてきた。
 毎年起こる様々な災害への経験値はかなりのものだが、その経験を国として蓄積する努力やそれに対する予算措置に本気を出さずにここまで来たのが日本政府である。
 これでどうやって首都圏直下や南海トラフに向き合うのだろうか。
 さらなる棄民が待っているとしか想像できない。


 だからこそ、災害省を立ち上げ、ノウハウを持つNPOなどを雇用し、全国の自治体をトレーニングしていく必要があるはず。
 私たちとしてもこれまで通り、強く政府に求めていく。

 

国はどこまで本気なのか? 二次避難進まぬ要因


 他にも避難所の運営などにも関わるNPOの方にお話を伺った。


 Q 今の状況は?
 A 10日経ったけど初期みたいな感じ。電気も通った地区もあるんで、5日前に来たときより、ちょっと雰囲気変わってるけど、やっぱり初期の感じ。


 Q 輪島に入った時は?


 A 今回どうしてもこの状況なんでロジスティクス難しいじゃないですか。物流系、過去イチ上手くいってない。


 僕が来たときは皆、食糧足りてる、って言ってたんです。
 みんな大丈夫って言うんです。


 聴き方の問題もあったんでしょうね。
 実は三食は食べてなかった。


 最初はみんな多分、家に帰って食料持ってきてた。それがそろそろ尽きて来て。


 なんか最初に聞いた時よりご飯がない、っていう人、増えたな、と。状況が悪化してるぞ、と。


 避難所回ってみてもびっくりしました
 今日の2日前から、下足管理をやり出した、という所もありました。


 僕が最初に訪れた避難所だと、最初の日から4日間は施設内も土足で過ごしていたようです。
 自分の布団というかマットの上だけは靴を脱ぐ。
 それ以外は、外を歩いたり、トイレ行ったままの靴でそのまま避難所内を行ったり来たりしますから。
 埃っぽいし、他にも様々持ち込むことになったんでしょう。


 津波警報が出て、みんなとりあえずそれで走ってきて、着の身着のまま的な人たちが帰れなくなった。
 だから通常より人も多くなって過密状態に。


 体調を崩す原因の1つに、体育館があまりにも寒い上に、布団やマットを直接床にひいて寝るから、さらに冷える。地面の埃の問題も含めてダンボールベッドを、となるけど使えない。


 それをおくと、今の収容数が収まらなくなるからって事情があったり。避難所利用者が減らないと置けない、と。


 数が大きく減らないのは、出る人もいるけど、なんとか自宅で耐えてたけど、とか車中泊が無理になって入ってくる人もいるみたいで。


 本当なら、避難所の人数が半分になってちゃんとケアできる状態、って感じかな。


 今、感染症がすごい流行っちゃってるので。
 避難所の中で防ぎようがない。
 ゾーニングできないです。
 支援に入ってる医療従事者から隔離の方針は諦めた、って聞きました。


 輪島市長が2次避難にかなり力を入れているようですから。
 とにかく急がないと、という気持ち。


 Q 二次避難が進みにくい理由はありますか?


 A ハッキリとは分からないけど、気質もあるかも知れません。離れたくない、という気持ちや、今ここを離れる自分は裏切り者になるのでは、とか色々あるよう気がします。意外とハードル高いですね。


 Q 門前町の自主避難所にいった時、40代前半の男性が聞いてください、と声を掛けてきた。
 自分の入ってるグループラインで同じ趣旨の相談が複数あるらしく、2次避難に行こうとする者に裏切り者のレッテルを張って何とか残らせようという動きがある、と。


 こういった引き止めなどのやり取りに、被災した住民や地元自治体職員のエネルギーが奪われることを避けるためにも、説得要員を国が送り込むなど一歩踏み込むように政府に強く求めますね。


 A 国がどこまで理解してるか。例えば、申し訳ないけど県レベルのお金じゃどうこう絶対できないですから。
 国がやっぱり本気で予算出すっていうかね、最後までやりますって言ってくれないと。
自治体として再建できるのか、ぐらいのレベルの災害を受けたとこもあるじゃないですか。国がどこまで本気なのかが問われてるんですけどね。


問われる政治の覚悟 支援者も先見えず


 今回の災害は被災者はもちろんのこと、支援者の疲弊がこれまでの比較にならないとよく聞く。さらに別のNPOの方から疲弊の原因についてお話を伺った。

 

 Q 支援者の疲弊が凄まじいと聞きます。原因は何でしょうか?


 A あくまで私の感覚だけど、被害大きすぎて見えないって部分。ゴールというか、どこに落ち着けば、どこを目指して行けば終わるのか、っていうのが想像がつかない。


 どこまで走ればいいんだって。どこまで伴走したらいいんだろうって。
 たぶん結構、みんな思ってると思う。


 Q しかも行政側と違って、交代要員がいないですもんね、皆さんは。ひと息つくこともできない。


 A 被災した住民の方がもっと大変だから。


 何だろう。
 もともと人口とか経済とかも右肩上がりではなかった町が大きな揺れに襲われた。


 インフラも破壊されてイチからになるでしょ。


 あの美しい街並み、旧市街っていうんですか、壊滅的になった街を、元に戻すと言っても雰囲気変わるだろうし、どうやって戻すんだろうっていうのは、僕らも想像つかない。


 もし、元に戻しても、また大きな揺れに襲われる可能性もある。
 10年以上前にも大きな地震があったし、去年の5月にもあった。
 その時々に支援したりで繋がった能登半島の仲間が今回の震災で亡くなったり。
 すごくキツいです。


 前回、被災して全財産注ぎ込んで家を修復した人は、もう一度家を建ててこの街でやり直すだろうか。
 そういう人は、どれくらいいるだろうか。
 そういった人々のために国が支援するなら、これまでとは比べ物にならないくらいのお金をかける必要があるんだけど、その覚悟は政治にはあるのか。


 政治は大きな方針も示さない。
 能登半島の復興をどうするのか、イメージが彼らの中にはないのかも知れない。


 NPOの仲間たちはそれぞれ、喪失感や色んな感情の中で、先が全く見えないまま活動してるんだけど、どこまで走るのか、どこで落ち着くのか全くゴールが見えないままやっていくと、やっぱり気持ちは落ち込んでいきます。
 俺らは基本、元に戻すぞ、って復興で人が集まって、被災された人が笑顔になるってことがモチベーションで動いてるから。ありがとう、って言われたら、やってて良かったって自分も救われるし。


 でも、やっぱり国がちゃんとした大方針を示さずに、ここまで来てるのはマズイ。発災から何日も経ってるのに。


 能登半島をどうするのか、って話を政治が示しもせず、現場に励ましにも住民に安心する言葉も伝えに来ない。


 この間、住民の方が、街を見るたびにもう復興じゃないんじゃないかって思う、と。
何言ってるの、って励ます言葉の先が見つからない。
どうなるかは自分も知らないから。


 ブルーシートを屋根に張る、作業ってあるじゃないですか。
 一部損壊ってお家の人の屋根に貼るんですけど。カワラ屋さんが来るまでの繋ぎとして。


 もちろん今回も住民の方が望めば張るんですけど、先が見えないと、張っていいのか、って考えちゃうって仲間がいうんです。


 今から雪降って、という状況が続くと、多分カビだらけになるんですよ家の中。住める状況じゃなくなる。


 判定では一部損壊、ってなっても、その住民さんにとっては、全壊だったら良かったのに、ってなってしまう可能性もある。住民間で分断にもつながりかねない話。


 だから本気で能登半島を復興させるなら、このエリアは全体を全壊の扱いにする、とか何か新しいやり方をやって欲しいなと思う。
 ブルーシートの話にしても支援者の考えは1つじゃないから。
 みんなそれぞれ寄り添い方が違う。
 あとのことは考えずに住民さんが望んでるなら喜んで張るよ、って人もいる。


 みんな本当は向かってる先は一緒なはずだけど、どこを目指していくのかが明確に示してくれないと、支援者の間でもバチバチ始まっちゃうし、分断されちゃいかねない。


 仲間同士で目の前の命を助けるってこと以外、方向性は決めないでスタートしてるんだよね。


 ビジョンが欲しい。
 しっかりちゃんと金出しますじゃないけど、最後までちゃんと暮らしを支えますじゃないけど。それは多分首長じゃできないと思うんですよ。お金の問題は県もできないと思うんです、そこは。


 仮設2年で終わりですって、言われてもやっぱ無理があって。
 復興住宅みたいな形でみんながこうちゃんと集まって生活できるような場所が欲しいですよね。ちっちゃな家庭菜園のなんかがあるとか。たぶん過去にも似たような取り組みもあったと思う。


 先をイメージできるような、希望を見せないと暗闇の中でエネルギー生まれないよ。
 希望があればまだ前向いていけるけど。



 近々、初めて現場に入られる総理および県知事には届いていない声もあると考える。ぜひ目を通してヴィジョンを示していただきたい。


 発災後2度、4日間ほどしか現場には入れていないが、様々な声を聞き、見てきた立場として私たちのヴィジョンを示せるよう準備を行いたい。

 

――――――――――――――――――――――――――――――― 

▼山本太郎氏のX投稿

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。