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高額報酬得る外国人経営者 グローバル化で進んだ富の一極集中 カルロス・ゴーン逮捕を巡って

逮捕されたカルロス・ゴーン

 日産会長のカルロス・ゴーンが役員報酬を過少申告していた容疑で逮捕され、その金額が実は2倍の年間20億円近くだったことに衝撃が走っている。今回の事件は、有価証券報告書に記載された「役員報酬額」が異なっても、会社ぐるみで隠蔽してしまえばまかり通る仕組みになっていることや、海外資本も入り乱れた関係のなかで、国境をまたいで日仏間で暗闘がくり広げられていることを赤裸裸に暴露した。同時に多国籍化した大企業において、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)等の肩書きを持つ者や、社長、会長、役員たちがいかに法外な報酬を得ているかを知らしめるものとなった。表に出てくる報酬額の信憑(ぴょう)性が揺らいでいるとはいえ、日本の大企業や世界の大企業群の経営者たちは、いったいどれだけの報酬を得ているのか見てみた。

 

 東京商工リサーチの調べでは、日本国内で2018年3月期に1億円以上の報酬を得た役員の数は538人にのぼる。そのうち、上位30人【図参照】を見てみると、ソニーのCEOを退任した平井一夫の27億1300万円を筆頭に、上位10人の報酬は10億円をこえ、多くを外国人経営者たちが占めている。ルノーから送り込まれた18位(過少申告による順位。実際にはルノー、日産、三菱自動車の3社から19億円の報酬を得ていた)のカルロス・ゴーンに限らず、大企業の資本を外資が握る過程で、海外からやってきた経営者が企業トップの座につき、報酬そのものも「グローバル・スタンダード(世界基準)」を追う形で高額化してきた。グローバル化に日本市場がガッチリと組み込まれ、草刈り場にされていることを物語っている。

 

   

 上場企業のなかでは、外資の株式保有比率が高まり、日産といっても仏ルノーの出資によって経営している外資系企業にほかならない。外国人の持ち株比率が50%をこえる企業としては、オリックス、ソニー、大東建託、新生銀行、レナウン、良品計画、三井不動産、日本マクドナルドHD、HOYA、シャープ、ドンキホーテHD、中外製薬、モノタロウ、ユニバーサルエンターテイメント、リーバイ・ストラウスジャパン、日本オラクルなど、見かけは日本企業と思うようなものも多い。しかし軒並み外資系企業と化しており、株を握る海外ファンドの存在感が高まっているのが実態だ。

 

 とりわけ、アベノミクスによって日銀が異次元緩和で円安に誘導したり、株高演出の官製相場をつくりだしたことによって、この数年は優良企業の株式は外資にとって格好の餌食となった。そして実行を迫られるのは日産の「コストカッター」ことカルロス・ゴーンに負けず劣らずの大合理化をはじめ、低賃金化を基本にした徹底したコストカットであった。外国人労働者の増大、すなわち「低賃金労働力の不足」問題も、これら大企業群からの需要に応えるものとして進めている国境をこえた労働力の流動化策である。労働力としての人間が足りないので人口を増やすのではなく、「足りないならよそから引っ張ってくればよい」式で、資本の都合によって民族的な枠組みや社会の成り立ちそのものが改造を余儀なくされている関係だ。

 

 このようにして大企業が生み出した利益は外資ファンドをはじめとした株主に還元されるほか、そのために経営指揮をとったCEOやCOOといった役員たちには高額報酬が与えられ、この番頭役たちもより利益を叩き出すために尻を叩かれている関係にほかならない。産業資本の上段に金融資本が巣くい、「1%vs99%」といわれるむき出しの搾取構造が、以前にも増して露骨な形であらわれている。労働者の所得はさほど伸びていないにもかかわらず、経営者の報酬や金融資本の分け前だけは桁違いのものとなり、その所得格差は既に「日本型資本主義」などといわれていた時代とは比べものにならない。そして、高額報酬を得ている経営者たちよりもはるかに財力を蓄えたスーパーリッチといわれる超富裕層が、わずか80人で世界人口の半分にあたる下層三五億人の総資産をも上回るカネを握りしめ、タックスヘイブン(租税回避地)に隠匿するという、きわめて歪(いびつ)な構造がある。

 

米国ではウォール街を占拠

 

ニューヨークで起こったウォール街占拠運動

 5年で100億円を得たカルロス・ゴーンと比較して、世界はどうなっているのか。2016年の高額役員報酬の数値を見てみると、グーグルCEOのサンダー・ピチャイの210億円を筆頭に、ディスカバリーCEOのデイビット・ザスラフが165億円、ソフトバンク・グループの副社長に就任したニケシュ・アローラが同じく165億円、リバティ・グローバルCEOのマイク・フライズが118億円、ギャムコ・インベスターズCEOのマリオ・ガベリが93億円、マイクロソフトのサティア・ナデラが89億円、ゴープロ創設者のニック・ウッドマンが82億円、リバティ・メディアCEOのグレッグ・マッフェイが78億円、ブラックベリーCEOのジョン・チェンが74億円、オラクルCEOのラリー・エリソンが71億円と続き、上位20人は40億円超えを果たしている。税控除が有利であることから、固定の報酬に加えてストックオプションによって積み増す方式が主流といわれている。


 米国でも70年代まではCEOの年間報酬も1億円程度で、労働者と経営者の賃金格差も30倍程度だったとされている。


 これが、ニクソンショックをへて新自由主義へと転換し、金融自由化をテコにしたレーガノミクスがたけなわとなる80年代以降、富める者はますます富み、圧倒的国民には貧困が押しつけられるなかで、いまや企業によっては労働者と経営者の賃金格差は200~300倍という桁違いのものになっている。


 そして、日本社会と同じように、アメリカ国内も搾取する対象である国民に貧困を押しつけた結果、国内市場は頭打ちとなり、大企業群は新たな市場を求め、さらなる低賃金労働に寄生するために生産拠点その他を海外に移してしまい、ラストベルトに象徴される産業空洞化でますます貧困が深刻化する悪循環に見舞われた。


 そうした社会の歪みが近年では「1%vs99%」「ウォール街を占拠せよ!」を掲げたオキュパイ運動や、アメリカ大統領選であらわれたサンダース現象、その後も資本主義に成り代わる次なる時代を求める社会運動が台頭する根拠となり、強欲資本主義と一般大衆との非和解的な矛盾が激化している。

 

辛抱きかぬ強欲社会を壊す

 

 「カリスマ経営者」のように持て囃されてきたカルロス・ゴーンの守銭奴ぶりがここにきてクローズアップされているものの、同じように強欲極まりない経営者たちは他にも山ほどいる。強欲資本主義といわれる時代にあって、世間一般から見て「そんなに独り占めして何に使うのだろうか?」と思うほど、遠慮のない資本の独占が蔓延(はびこ)っている。社会がどうなろうが知ったことではなく、もっぱら自己の利益のみを追求するところに新自由主義イデオロギーの特徴がある。


 日産は「再建」と称して2万1000人の労働者を解雇して路頭に迷わし、その運命を翻弄したが、競争力を高め、株価を上げるためにはリストラがもっとも手っとり早い手段だったというだけである。その冷徹さで2万1000人の収入をゼロにすることによって、ゴーンの手に年間20億円という高額報酬が転がり込んだ関係だ。


 産業資本は昔のように銀行から借金をして設備投資する形から、新株や社債発行によって資本を獲得する直接金融方式に変わり、株価が上がるか下がるかが最大の基準になってきた。こうして株価が下がればヘッジファンドなどに企業買収を仕掛けられ、リストラ合理化を経て上がったら、株主や役員がたくさん報酬をもらうのは当然という、ハゲタカ集団による食い漁りのようなことが常態化している。労働者に分配しないことによって、その法外な利益は保障されている。


 国内製造大手を見てみると、目先の利益を追い求めることに汲汲として、長期的展望に立った技術継承など切り捨ててきた。その結果、技術立国といわれてきた日本の大企業の凋落ぶりは著しく、アメリカの原発事業でババを引かされた東芝、台湾企業に買収されたシャープを筆頭に世界市場のなかで競り負け、技術者は中国や韓国の台頭する資本に引き抜かれるといった事態が進行してきた。外資に食い物にされた企業の末路は惨憺(たん)たるものがある。


 こうした金融支配のもとで、製造業だけでなく農漁業も破壊され、担い手である労働者や地方で第一次産業に従事する生産者の困窮度は以前にも増してはなはだしいものとなった。世界的に見ても異常なる少子高齢化、地方の急激な衰退は、こうした社会全体の構造的な変化の反映といえる。現在進んでいるTPP、日米FTA、水道民営化、漁業権の民間開放や諸諸の市場開放は、日本社会売り飛ばしの総仕上げを意味している。


 強烈な搾取社会の到来によって社会の存立基盤そのものが脅かされ、なおも社会的に保障すべき教育や医療、介護、福祉、学問、インフラにいたるまで、人人が生活し、社会を維持していくために必要としてきた機能を金融資本の都合で切り捨てたり、ビジネスの具にしていく方向が強まっている。


 世界を股にかけるこれら新自由主義イデオロギーの特徴の第一は、強欲な金融投機集団、金利生活者の利益を代表しているという点である。彼らの願望に社会的な現実も自然界の現実も従わせようという逆立ちした超観念論であるが、その欲望の実現のために社会的な規制をとり払い、金利生活者がもうけるために力尽くで世の中を従わせようとする。そのために叫んでいる「自由化」は、自分たちが銭もうけをするための自由というだけで、その他の圧倒的多数である社会の構成員の自由を奪い、カネも奪っている。


 このような行き着くところまで行き着いた資本主義社会の末期的な状況に対して、勤労大衆の側が意識的に対抗しなければ、強欲な側は遠慮なく陣地を広げていく関係だ。


 社会は市場原理ではなく生産原理で動いており、超富裕層や強欲な経営者たちがいるおかげでその他の人間が生きているわけではない。逆に彼らが寄生しているために、世界的には金余りであるにもかかわらず、マネーゲームだけが宙の上でくり広げられ、しかも欲深いが故にサブプライム等等で事あるごとに破裂し、貧困層は増えるばかりとなっている。


 生産活動が社会の活力の原動力であり、それと結びついて社会科学、自然科学、文学、芸術が豊かに発展すること、金融資本が暴れる状況を強烈に規制して、みなが働いてまともに暮らしていける状況をつくりだすことが求められている。

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