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『おどろきの刑事司法:“犯罪者”の作り方』 村木厚子・著

刑事訴訟法改正案のお粗末

 

 逮捕から58年後にようやく冤罪と認められた袴田巖さんの事件を契機に、再審(刑事裁判のやり直し)制度の見直しが始まった。ところが、政府の出してきた刑事訴訟法改正案があまりにもひどく、冤罪被害者を救済する再審制度を骨抜きにするものだとして、140人をこえる刑事法学者が抗議声明を出し、自民党内からも異論が出て、法案は修正を迫られている。冤罪事件への反省がないのである。

 

 この本は、そもそも日本の刑事司法が世界から見ると異常であることから、そのきわめて奇妙な実態と構造的な問題を伝えるとともに、これに対してわれわれ市民はなにができるかを提言したものだ。

 

 著者は、厚労省に勤務していたときに冤罪で164日間も拘置所に勾留された村木厚子氏。無罪確定後の2011年、映画監督で『それでもボクはやっていない』をつくった周防正行氏らとともに、法務大臣の諮問機関である法制審議会委員となり、刑事司法制度改革のために三年間審議を続けたが、「日本の警察・検察も、裁判所も、刑事司法の研究者たちも、市民委員の意見をまともに取り合わず、真の意味で制度を改革しようとは思っていない」と悟り、仲間たちと勉強会を立ち上げて12年。その成果をまとめたのがこの本だ。

 

著者が経験した冤罪事件

 

 この本は、第1部:刑事司法の捜査・公判の現状、第2部:痴漢冤罪事件と経済事件、第3部:刑事司法改革への提言――からなっている。第一部は著者みずからの経験を踏まえたもので、きわめて具体的だ。

 

 2009年6月、著者は虚偽有印公文書作成・同行使容疑という冤罪によって大阪地検特捜部に逮捕され、164日間、大阪拘置所の独房に勾留された。その後1年2カ月、裁判が続いた。著者の母親は心労のため、著者の無罪判決から1年もしないうちに亡くなったという。

 

 2004年、障害者団体を自称する組織が、障害者団体向けの郵便料金割引制度を利用するため、国会議員・石井一に厚労省への口利きを依頼し、石井が厚労省障害保健福祉部部長のA氏に電話依頼し、Aが部下である村木厚子課長に便宜をはかるよう指示し、村木は部下のB係長に偽の証明書を作成するよう指示した――これはすべて、最初に検察がつくりあげたストーリーであり、断片的な事実と虚偽の供述をつなぎあわせた「恣意的な作文」にほかならなかった。

 

 検察内部では、最初にB係長を逮捕した段階で村木逮捕を決めており、「村木には動機がないから、Bを勾留期間で締め上げて証拠(=調書)をつくれ」となっていたという。検察にとっては、係長より課長、課長より部長と、より上の地位にいるものを検挙する方が手柄になる。2009年当時、A氏は退職しており、村木氏は厚労省の現職局長だった。結局、検察官の出世のためなのだ。

 

 そして逮捕すると、検察官は自分たちがつくったストーリーに沿った供述調書をつくることに全力を尽くす。取り調べの目的は真相解明ではない。被疑者が事実ではないといっても調書には一切書かれず、検事がほしいところしか調書にならない。

 

 被疑者は接見禁止で外界とシャットアウトされ、「罪を認めないと刑が重くなる」「否認を続けるなら、家族や職場の人も調べないといけない」「執行猶予がつけばたいした罪じゃない」などと毎日夜遅くまで迫られて、身に覚えのない罪を泣く泣く認める場合が多い。

 

 著者が強調するのは、マスメディアが「権力機関の監視」の役割を果たすどころか、捜査機関の広報部になっている現実だ。

 

 『朝日』も『読売』も、著者が逮捕される前から、報道内容は大阪地検特捜部のストーリーどおりのものばかりだった。これについてジャーナリストの江川紹子氏は「リークどころではなく、検察が各段階で世間に伝えたい情報を、積極的にレクチャーしていたことすらうかがえる」と指摘している。逮捕のことは著者と弁護士と検察しか知らないはずが、逮捕当日には大阪地検の周囲を大勢のメディアがとり巻いていた。

 

 裁判が始まると、著者は、証拠開示が被告人にとって圧倒的に不利になっていることに直面する。検察は証拠を独占して都合良く使っているのに、弁護側が開示を求めた証拠は徹底的にガードし、出そうとしない。

 

 しかし著者たちは、ついに検察による証拠の改竄(ざん)を発見した。偽証明書の作成日時を、検察の都合のいいように書き換えていたのだ。改竄したのは本件捜査の主任検事だった前田検事で、彼は証拠隠滅容疑で逮捕され、懲役1年6カ月の実刑判決を受けることになる。その後大阪地裁は、事件の立証にもっとも重要なB係長とC氏(障害者団体会長)の調書をすべて却下。関係者の面談や電話での会話も、19件中18件が現実には存在しない架空のものだったことも認めている。

 

有罪率99・9%の裏側

 

 日本の刑事司法の異常さは、有罪率(起訴された刑事事件のうち、有罪判決が下される割合)が99・9%となっていることにもあらわれている。先進国の中ではありえない高率だ。これを聞いた外国人は、必ず「日本はいい国だけど、刑事司法はひどい。この国では絶対に裁判を受けたくない」というそうだ。

 

 著者によれば、100%に近い有罪率は今に始まったことではなく、明治時代から終戦直後までは平均95~97・5%。戦後の新しい刑事訴訟法のもとではさらに上昇し、1960年代が99%以上、1984年以降は99・9%台となって今に至っている。それは明治以来続く、自白偏重・取り調べ万能主義からくると指摘している。

 

 検察はこれについて「検察が慎重に捜査し、有罪だと確信できる事案を起訴しているからだ」と真顔で反論するそうだ。著者はこれに対して、検察が有罪になると確信できる事案しか立件しないということは、本来なら起訴すべき事件を不起訴にしているか(相手が首相や大企業の幹部にかかわる場合)、無実の人を無理矢理起訴して有罪に仕立て上げているか(相手が庶民の場合)、あるいはその両方をやっているということだとのべている。まったく同感である。

 

 この本のなかでは、検察が最大の武器にしている「人質司法(被疑者が容疑を認めるまで身柄を拘束する)」や、再審制度の問題点も突っ込んで検討している。 

 

 (講談社現代新書、320ページ、定価1200円+税)

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