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『歴史の歩みにおけるイランと日本』 セイエド・アッバス・アラグチ/ファエゼ・ジャナティ・モヘブ著 稲見誉弘訳

 イランのアラグチ外相とモヘブ外務省書記官の共著『歴史の歩みにおけるイランと日本――サーサーン朝ペルシャから現代まで』が株式会社包(パオ)から出版された。副題にあるように、サーサーン朝後期(3世紀~7世紀半ば)から、今につながるイランと日本両国の文化交流・外交の経緯をイラン側の資料・記録をもとにまとめたものだ。イランにおける日本観と、日本のイラン外交についての評価が率直に示されており、イランの対日感情を理解する手がかりともなる1冊である。

 

サーサーン朝ペルシャから続く日本との交流

 

 アジアの東と西に遠く離れて位置する日本とイランだが、その接触はサーサーン朝後期(224~651年)のシルクロードを通したイラン文化の流入から始まった。1300年以上前の飛鳥時代にはすでにペルシャ人が渡来していたという記録もある。また、東大寺の正倉院にはイランの楽器、音楽、ガラス杯、絨毯など多くの美術品が所蔵されている。奈良時代はサーサーン朝崩壊と同じ時期で、著者はそれらを伝えたのはアラブ人の攻撃から逃れて随や唐から渡ってきた亡命者であったと見ている。

 

 日本の徳川時代はサファヴィー朝と重なっており、8代将軍徳川吉宗がイランの血統書付きの馬(ペルシャ馬)の買い入れを命じ28頭が日本に運ばれたことや、イランから日本への皮革製品の輸出も盛んにおこなわれていたことも記録に残っている。ペルシャ語を使うイスラム商人が中国やオランダと同様にたびたび来日しており、日本語の辞典も編纂されていたという。

 

 鎖国政策のため、両国の包括的な情報は途絶えるが、幕末まで人的文化的交流や限られた商業的な関係は続いた。著者は「これら既存の文化的関係が、明治維新以降の両国間の政治的経済的関係の樹立に向けた礎となった」とのべている。

 

 まさに明治期になって日本政府とガージャール朝のイランと公式な交渉が始まり、その後の外交関係の樹立へと発展した。その事情を外務省の吉田昌治の遣外使節団以後、商人、旅行家、探検家、測量士、研究者、留学生などがイランを訪れた様子を具体的に人名をあげて明らかにしている。

 

 本書では、日露戦争とロシアの敗北がイランの立憲革命運動を高揚させる結果となったこと、これを機にイラン人の日本への関心と関係拡大への意欲が高まったことを強調している。「つい最近まで名もなき存在だったアジアの一国家が世界最強の国家の一つに勝利した」のを目の当たりにし、日本を「立憲運動のモデル」「英露による搾取と植民地化から脱出するためのモデル」と見なしたからであった。

 

 著者はここで、「当時の二大国(清・露)に勝利したことで、日本国内では徐々に軍国主義が高まり、“アジアの指導者、ひいては世界のリーダー”という野望が日本人の目を眩ませていった」と付け加えている。

 

 第二次世界大戦で英ソの軍事占領下に置かれたイランは、日本との国交断絶をよぎなくされた。さらに、戦後イランの石油国有化運動、第四次中東戦争と第一次石油危機、一九七九年のイラン・イスラム革命と第二次石油危機、イラン・イラク戦争、その後の経済制裁下における両国の関係についてもくわしく展開している。

 

 イギリスの封鎖を破って日本がイランの石油を購入した「日章丸事件」(1953年)については、「日本は独立国としての誇りとナショナリズムの精神に基づき、イギリスの脅しに屈することなく、同じくナショナリズムの精神で石油を国有化したモサッデク首相率いる国から石油を輸入することを内外に示した」「この出来事の主な要因は、イランと日本という両国に共通するナショナリズムと文化の存在であったと言える」とのべている。

 

 この事件の数カ月後に、両国が「交流と連携を拡大する土台」としての文化協定が締結され、そのもとで外交関係(大使館)の再開へと発展した。日本は1970年代初めには石油の約90%をイランから調達し、最大級の石油化学コンビナート「イラン・ジャパン石油化学(IJPC)」を建設した。イラン革命では「日本政府は友好的な立場をとり、国民の選択を尊重した」「革命直後から、日本は大使館レベルの外交関係を維持した数少ない国の一つとなった」として、次のようにのべている。

 

 「このことは、日本が西側陣営に属しているにもかかわらず革命後初期のイランの政治家たちの間の日本に対する良好なイメージを生じさせる要因となった。その結果日本は多くの局面でイランと西側陣営との間の仲介者となり、イランの主張を西側諸国へ、またその逆を伝える重要な役割を果たした」

 

 しかし、2001年の9・11テロ事件やイランの核問題をめぐる制裁強化が、「両国の関係に影を落とす」ことになった。アジア諸国におけるイラン制裁の導入は「日本を経由する形で行われた」ことにもふれている。しかし、この間も日本はイランとの関係を「優先事項」とし「対話による平和的解決」の立場をとり、文化・学術交流をたえることなく続けてきた。著者はそれを日本側の忍耐強くバランスをとる「ジグザグ外交」と表現している。

 

 同時に、9・11事件が日本国民にイスラムに対する否定的イメージを与えた背景として、「日本国民がイスラムの真実について正確な認識を持っていないこと」「日本の主要メディア(新聞、ラジオ、テレビなど)が、アメリカやイスラエルの全体的な政策の影響下にあること」をあげ、「そのため、タリバン、アルカイダ、ISIL(ダーイシュ「イスラム国」)といったグループが、イスラムの代表として国民に紹介されてしまう」とのべている。

 

 本書は、アメリカ・イスラエルのイラン攻撃が勃発した時点での緊急出版となった。その解説のなかで、アラグチ外相が最近おこなった「パレスチナ問題」に関するスピーチ全文を紹介している。ペルシャ語原文、英語訳も併せて収録している。

 

 (株式会社包〔パオ〕発行、A5判・上製本、160ページ、3000円+税)

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