2024年8月28日付(ネットでは9月8日付)の「長周新聞」1面トップに、筆者は「教育は国家百年の大計―数字・数学を用いた考え方を大切にしよう」という記事を掲載していただいた。その冒頭では次のことを述べた。
11月のアメリカ大統領選挙に無所属で立候補を表明していたケネディ氏が8月23日、選挙活動を中止し、共和党のトランプ前大統領を支持すると表明した。ケネディ氏は民主・共和両党から一部の支持層を取り込むと見られていただけに、選挙戦への影響が注目されている。それに関しては、ネット上でも多くの方々によるコメントが出ている。それらをいろいろ読んでみると、各執筆者がどちらを応援したいか、という立場で述べられているものが相当多いように感じる。筆者は、民主党のハリス候補、共和党のトランプ候補のどちらを支持するという考えはなく、また暗号資産(仮想通貨)にも興味がない。しかし暗号資産という数字で表されたものが、ケネディ氏の声明を受けて24時間で約5%も上昇したことを見ると、その声明はトランプ氏に有利に作用するものではないかと考えるのが自然だろう。なぜならば、ケネディ氏もトランプ氏も暗号資産には友好的な姿勢を示してきたからである。
その後の大統領選挙までの推移を振り返れば、上記の記事で示した展開通りになったことがご理解いただけるだろう。さらに、最近の政権に対する支持率の低下と暗号資産価格の下落を並行して見ることもできるだろう。
上で述べたいことの本質は以下である。人類は長い年月をかけて「数」を誕生させてきた。一対一の対応によって物品を管理していた粘土製品のトークンというものを発展させて、より抽象的な「数」の概念を生んだのは紀元前3000年頃の近東である。数字そのものは私情を挟むものではなく、客観的に物事を議論したり約束するときに必ず現われる。上では暗号資産の価格という数字を通して、大統領選挙前後の状況を捉えた。
そのような見方があらゆる分野にあるがゆえに、数字を用いた多様な考え方を学ぶ算数や数学の基礎は、人類が生きていく上で必須な学びであろう。以下、身近な例から始めて、日本の教育行政の根幹にある重要な問題に至るまで、筆者が何らかの形で関わった題材を用いて、算数・数学を通しての見方を述べよう。なお参考までに、いずれも拙著『昔は解けたのに・・・大人のための算数力講義』(講談社+α新書)で詳しく説明してある。
今から15年ほど前の2010年9月21日に行われたAKB48第1回じゃんけん大会でのことである。参加メンバーは51人で、(選挙で選ばれた)総選挙ベスト16(人)のうち、何人がトーナメント式のじゃんけん選抜ベスト16(人)に入るかという人数期待値について依頼を受け、「第1回AKB48じゃんけん選抜公式ガイドブック」(光文社)に書いたことを思い出す。実際のトーナメント表を参考にして計算したところ、結論は4.25人であった。全部で16個あるブロックごとに総選挙ベスト16のメンバーが何人勝つかという人数期待値を計算し、その合計が4.25人であったということである。そして、2010年9月21日に行われたじゃんけん大会の結果で、じゃんけん選抜ベスト16に入った総選挙ベスト16のメンバーはちょうど4人になったので、その計算は人生最高の思い出となる期待値計算となった。計算の途中では私情は挟まずに、2人で行う個々のじゃんけんの勝負はすべて互角であるという仮定だけを用いている。
2016年8月18日放送のNHKニュースで、実際に取材に応じた「貧困女子高校生」が取り上げられた。それに関しては当時、片山さつき参議院議員(現・財務大臣)をも巻き込んで、異なる立場の人達の間で大きな意見の対立が起こった。「大した貧困ではないじゃないか」、「この状態で勉学を続けるのは困難ではないか」、等々の意見がネット上を駆け巡ったのである。
偶然にもその3年前に、将来このようなトラブルが起こることを危惧して、相対的貧困率について定義からまとめ、2013年に出版の拙著『論理的に考え、書く力』(光文社新書)に書いたことがある。貧困には絶対的貧困と相対的貧困があり、前者は、必要最低限の生活水準が満たされていない状態、すなわち衣食住に関しても困っている状態を指す。一方、後者に関しては以下のように捉える。
世帯の可処分所得とは、世帯の年間合計所得から税金と社会保険料を差し引いた残りの所得のことである。そして現在、国際的に広く採用されている「世帯の1人当たりの可処分所得」はOECD の「等価可処分所得」というもので、[世帯の可処分所得÷(世帯員数の正の平方根)]という式によって与えられる。(世帯員数が4ならば、√4=2なので、2で割ることになる。)次に国民全体の等価可処分所得を大小の順に並べて、その「中央値」の半分に満たない人達を相対的な貧困層と捉え、その割合をOECDの「相対的貧困率」と定義する。ここで注意したいことは、豊かな国の「中央値」と貧しい国の「中央値」には、生活実感として相応な開きがある。要するに、絶対的貧困と相対的貧困とは全く別のものである。それをゴチャゴチャにして議論を展開したから、この問題が大きなトラブルに発展したのである。
本年4月16日の朝日新聞朝刊に掲載された記事『一部私大の授業「義務教育のようだ」財務省「助成見直しを」』については、算数に関する「四則演算や方程式の取り扱い」の指導が含まれていることから、多くの識者による強い意見が表面化した。それらの意見では、「極めて易しい内容であるにも関わらず、あえて大学の授業で扱わざるを得ない低学力の学生がいる」という共通の意識があった。参考までに、4月15日に財務省で開催された財政制度分科会の資料によると、やり玉に挙がった数学に関する内容は次の4つである。(ア)四則計算(イ)割合%(ウ)約数と倍数(エ)方程式と不等式。
筆者の豊富な教育実践などを鑑みて、その共通の意識には率直に異論を呈してきた。一昨年の3月に大学教員人生45年に幕を閉じたが、その間に10の大学に専任・非常勤として勤務し、合わせて約1万5千人を対象として数学の授業を担当してきた(文系理系半々)。それらとは別に1990年代後半から、全国各地の小中高校で合わせて約1万5千人に、算数・数学に興味・関心を高める目的をもって「出前授業」も行ってきた。
筆者としての異論の核心をここで述べると、現在の大学生の多くは小学校の算数段階から「やり方」中心の暗記教育を受けてきて、「理解」の教育は限られた場合になされてきたので、応用面を含む専門的な内容を教育するためには、基礎的な内容の指導を「暗記」でなく「理解」の立場からきちんと学び直さなくてはならない、ということである。以下、(イ)(ア)(ウ)(エ)その他の順に、実際に基礎的内容の授業等を実践して得た持論を述べよう。
「割合%」について
(イ)について。現在の社会では「割合%」はとくに重要な概念である。しかし、それを苦手とする青少年の姿は、以下のように全国学力テストでも示されている。2012年度の全国学力テストから加わった理科の中学分野(中学3年対象)で、10%の食塩水を1000グラムつくるのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題された。「食塩100グラム」「水900グラム」と正しく答えられたのは52.0%に過ぎなかった。実は昭和58年に、同じ中学3年を対象にした全国規模の学力テストで、食塩水を1000グラムではなく100グラムにした同一内容の問題が出題された。この時の正解率は69.8%だったのである。約2割も正解率が下がることは異常である。
なぜ「割合%」の問題が深刻になってきたのであろうか。それは「比べられる量」「もとにする量」「割合」それぞれの意味を理解させる前から、それらの関係式を暗記させる教育が当たり前のようになってきたのである。以下の4つの表現がどれも同じ意味であることの教育が欠落していたのであり、「割合%」の問題が苦手なまま大学生になってしまう若者は、むしろ「教育の犠牲者」だと考える。「~の…に対する割合は○%」「…に対する~の割合は○%」「…の○%は~」「~は…の○%」。
また、2006年の秋に「今の景気の拡大期間は『いざなぎ景気』を超えた」というニュースがあった。これは、02年2月に始まった景気拡大が06年11月で58カ月目となり、1965年11月から4年9カ月に渡って続いた「いざなぎ景気」を超えたと当時言われたものである。そのときのニュースで、「いざなぎ景気」の年平均成長率が11.5%のものと、14.3%のものの2つがあった。
当時、この件を不思議に思って考えたところ、前者は「相乗平均」(掛け算の平均)の発想で正しいものであるが、後者は「相加平均」(足し算の平均)の発想で誤ったものであることが分かった。これに関しても最初に紹介した拙著で詳しく解説したが、大学生は社会人になる前に理解しておくべき内容だろう。
四則計算について
(ア)について。2002年から始まった「ゆとり教育」では、「2桁同士の掛け算ができれば3桁同士の掛け算などもできる」という誤った考え方によって、3桁同士の掛け算は学ばなくなった。筆者は当時、その考え方は間違っているという説をあちこちで訴える活動を開始した。その根拠としての精神は、「帰納的な発想」の考え方に支えられたものである。次々と牌(はい)牌(はい)が倒されていくドミノ現象や、次々と紙が引っ張られていくボックスティッシュの構造に目を向けて、それと掛け算の筆算での繰り上がりを対比させて眺めたからである。そして、2006年7月の国立教育政策研究所の報告(小4-中3、約19000人対象)の中では、次の結果が発表された。小学4年生を対象とした「21×32」の正答率が82.0%であったものの、「12×231」のそれは51.1%に急落。小学5年生を対象とした「3.8×2.4」の正答率が84.0%であったものの、「2.43×5.6」のそれが55.9%に急落。間もなくして筆者は文部科学省委嘱事業の「(算数)教科書の改善・充実に関する研究」専門家会議委員に任命され(2006年11月~2008年3月)、掛け算の桁数の問題、四則混合計算の問題、小数・分数の混合計算の問題、等々についての持論を最終答申に盛り込んでいただき、その後の学習指導要領下の算数教科書は改善されてきたと振り返る。
「余り」のある「小数」÷「小数」の計算は、90年代辺りまでは算数の学習指導要領にあったが、その後は無い。それゆえ、この種の計算では多くの大人が間違える。「割られる数」と「割る数」を一緒に100倍すれば、「商」は変らないが、「余り」は100倍になること等々を指摘しなくてはならない。さらに、分からなくなった場合は、[「余り」=「割られる数」-「商」×「割る数」]という基本に戻って確かめることの意義を強調する必要がある。
よく大人同士の会話の中で、「分数÷分数の計算では、なぜ割る数の分母・分子をひっくり返して掛ければよいか、説明してごらん」という困った質問をたまに聞く。これに関して答えると、「教科書では簡単な具体例で説明するが、一般論としては指導していない」となる。そこで筆者の授業や拙著では、一般論としても丁寧に説明した。
約数と倍数について
(ウ)について。2、3、5、7、11、13、17、19、23、・・・のように、1とそれ自身以外では割り切れない2以上の整数を素数という。紀元前300年ごろのギリシャの数学者ユークリッドは、素数は無限個存在することを(結論を否定して矛盾を導く)背理法で証明した。ところが2006年に、サイダックという数学者が非常に分かり易い(背理法でない)証明を発表し、算数の知識で理解できるこの証明法を授業や拙著でも紹介し、喜んでもらっている。素数は現代の符号理論や暗号理論等の基礎として必須なものであり、どのように関わっているかについても触れてきた。
方程式と不等式について
(エ)について。整数の不定方程式に興味・関心を抱かせるために、30年ほど前につくった「誕生日当てクイズ」を今でも行って、カラクリを説明してきた。誕生日当てクイズ:生まれた日の数を10倍してください。それに生まれた月の数を加えてください。その結果を2倍して、それに月の数を加えてください。いくつになりましたか。(出前授業では、最後の結果の数から生徒の生まれた月と日の数を当てて喜んでもらう。)
「すべて(all)」と「ある(some)」の用法を、「クラスのすべての学生はスマホをもっている」「クラスのある学生の身長は190cm以上」の否定文を述べる形で説明した。(それぞれ、「クラスのある学生はスマホをもっていない」「クラスのすべての学生の身長は190cm未満」。)さらに、「5x-3x=2x」は「すべての数で成り立つ恒等式」であり、「3x-2x=1」は「ある数xで成り立つ方程式」であることを強調する。背景には、「すべて」と「ある」の用法の理解が、大学数学の理解にとって極めて重要であることがある。
理解の積み上げが応用の力に
さて、スイスのローザンヌに拠点を置くIMD(国際経営開発研究所)の「世界競争力年鑑」で、同年鑑の公表が開始された1989年から1992年まで日本は1位であったが、2024年は過去最低の38位になってしまった。これは深刻に捉えるべきことであり、戦後の謙虚にひたむきに算数・数学を学んだ頃を振り返れば、学びの軸足は安易な「暗記」から丁寧な「理解」に移すことが鍵になると考える。
IT立国として成功したインドや、中国のAIベンチャー企業の成功などを見ると、数学力は今後の世界ではより重要になると考えるのが自然である。筆者がこのような話を持ち出すと必ず言われることがある。それは、「平均してみると日本の国民は優秀である」ということである。それに対しては指摘しなくてはならない算数・数学の見方がある。それは、「人口が日本の約10倍のインドや中国のトップ1割の人口は、日本の人口に相当するのである。したがって、日本が戦後の復興期のように世界をリードして活躍するようになるには、日本の国民皆が生き生きと活躍する時代になることが大切」ということである。
算数・数学という教科は単に暗記するだけではなく、一歩ずつ理解を積み上げていき、上手に応用できることが大切なのである。そこには、個人個人の違いが大きく現れることが普通である。ゆっくりゆっくり理解していくことも、決して悪いことではない。新幹線や飛行機を使っての旅ではなく、各駅停車の旅も学ぶべきものがいろいろあって面白いことと同じである。計算は得意でも図形が苦手であったり、図形が得意でも計算が苦手な人もいる。応用に関して、題材によって好き嫌いがはっきり現れる場合もある。等々。したがって、なるべく個人個人の違いに目を向けた、すなわち相手の気持ちを理解する「心」が算数・数学の教育ではとくに必要なのである。いわゆるICT教育のデメリットが海外の事例を交えて指摘されるようになってきたが、心の無い教育が一般に成功するはずがないことは当然である。10ほど前に、筆者はその点を大手学習塾の上部団体で講演したこともあるが、最近になってようやく認識されてきたように感じる。もちろん、空間での曲線等を生徒に見せるようなICT教育のメリットは、積極的に活用した方がよいだろう。
実は筆者の直近の数年間を振り返ると、高齢の母親の介護に全力を注いできた。そして、救急病院、リハビリ病院、介護施設等々で働く介護士さん、看護師さん、理学・作業・言語の療法士さん皆様の「心」には心底敬服するようになった。看護や介護を必要とする人達の気持ちを常に考えて、それぞれに最適と考える介護・看護・療法を施す姿は、絶賛すべきものであると悟った。国もそのような姿勢をもっと高く評価して諸政策に活かしてほしいと考えるばかりでなく、そのような方々の「心」を算数や数学の教育に携わる人達が参考にすべきものが多々あると感じる。とくに、国際的に見ても日本の「数学嫌い」の多さは高止まりしたままである。そこで筆者は2026年1月早々に、『数学嫌いの犯人』(日経プレミアシリーズ)を上梓して、子ども達の「心」に響く算数・数学教育のヒントを数多く訴えるつもりである。
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よしざわ・みつお 1953年東京都生まれ。東京理科大学理学部教授(理学研究科教授)、桜美林大学リベラルアーツ学群教授を経て現在、桜美林大学名誉教授。理学博士。専門は数学・数学教育。著書として『昔は解けたのに……大人のための算数力講義』、『新体系・中学数学の教科書(上下)』、『新体系・高校数学の教科書(上下)』、『新体系・大学数学入門の教科書(上下)』(以上、講談社)ほか多数。




















